乗車券類の思い出
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南武線・武蔵新城に、C型準常備?連続乗車券があると聞き、
国鉄消失の数日前に、実際に乗るために買いに行った。
上段は武蔵新城から蒲田まで(即ち都区内の入口駅)、
下段は東京都区内から___までとなっていた。 昭和63年4月1日の「0000」番の切符もっているよ。
それ手にいれるのに自販機前23時ころからかぶりついていたけどな。
東北新幹線の大宮〜盛岡開業日に初列車で仙台まで行ったんだけど、
十条駅で購入した硬券の自由席特急券が00002ですんげー悔しかった。
帰りは在来線のひばりで上野までとんぼ帰り。ひばりの食堂車で
食べたカレーが昼行特急での最初で最後の食堂車体験になってしまった。 開業間もない埼京線の駅で北海道ワイド周遊券(もちろん常備券)を買った。
残念ながら0003番だった。 ロールプリンタ発券のコンピューター券っていつの間にか消えたイメージが ワイヤドットプリンターのストックフォーム券はまだある? 自販機券の「0000」なら池袋駅と宮崎空港駅の2枚持ってる。 手書きの指定特急券欲しいからあらかじめマルスがない&D型硬券常備を駅に確認してから購入したな 行き先により下からちょん切って発券するキップ
まだある? その昔、富山地鉄や熊本電鉄には「軟券入場券」があった。 北アルプスの硬券の特急券やっぱり名鉄タイプ
だった 一時期、東武浅草駅の窓口売りの長距離きっぷは、
A券サイズながらも特殊な印刷の地図式軟券だった。 昭和30年代にいちじ、東京あたりの国電では、最短区間の10円の
切符を赤い字で印刷してキセル客に心理的な圧力を加えていた。 >>16
一時期、東京駅の新幹線の中間改札のそばで売っていた
硬券の入場券もそうだった。 烏山線大金駅で、初めて小児断線を普通の鋏で切られてかなりビックリしたのは懐かしい思い出。 小児断線専用の鋏って、俺、見たことない…
って、子供の頃は小児も常備がある区間しか買わなかったからだ〜 硬券切符の時代
富士駅の切符が縦型で、小児断線してくれるので嬉しかった。
ちょうどグラスの片側になるように、下部が細くなる切符。
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今でもそれらの硬券切符は、「しっかりと糊付け」して保存してある。
何で 糊付け なんかしたんだろう 第一次オイルショックの前に、別荘のセールスマンが来た。
こんなボロ家になぜ?と思ったが、ローラー作戦だったのだろう。
見学いかがですか、と用意された切符は硬券の急行・乗車券だった。
初めて見る、その切符だけ欲しかった。
当家には軽(目つぶしミニカ)があり、列車の旅はさせてもらえなかったのだ。 >>13
菊電(熊電)の入場券って発売駅名が無いのなら今もあった様な?
>>11
準片なら13が書いたとこ以外に近江 紀州 岳南 松電とかにあるが、まだあったら悪いんで補足ヨロ そう言えば、女子は定期券に赤い線が引いてあったな。 >>10
あ〜おれも、夏休みの帰省用をわざわざ買いに行ったな〜
写真でしか見たことない緑色のD型券が出てくるのをワクワクしてたら、褐色の券でガッカリした思い出が。
繁忙期用だったんだね。 D型硬券特急券でいまはなき東北上信越方面の特急のものを数々持っているが
なかでもレアと思われるのは
石打駅発行の「とき 号遅れ承知特急券」で区間は「越後湯沢→上野」
ここまで印字されていた常備券があった。
まあ越後湯沢から上り方面は200キロ以下なので当時の料金設定からすると
最低区間だから上野でも大宮でも高崎でもこれを売ったのだろうなと推測。
飯田線の駒ヶ根駅で岡谷→新宿のあずさ特急券(指定席)を買ったら、D型ではなく
A型硬券で出てきた。指定席でA型は最初で最後だったけど、他にも売っていたとこ
ろあるのかな?
それと、連絡急行だった当時の「あさぎり」の連絡急行券(御殿場線内購入)は、ど
んな券面表示だったか分かる方います? >>28
A型券は1枚もっている。深浦駅発行の「特急ゆうづる」の寝台券。
急 行 券 ¥800
____________| A
(国鉄線50kmまで) | 御連
○月○日第408列車 3号車 | 殿急
| 場
御 殿 場 ▼ 本 厚 木 | ↓
(17時53分発車) |本
A 御殿場駅発行 厚
小 木
__________________
日時、列車番号、号車はゴム印 急 行 券 ¥800
____________
(国鉄線50kmまで)
○月○日第408列車 3号車
御 殿 場 ▼ 本 厚 木
(17時53分発車)
A 御殿場駅発行
小
__________________
えいっもう一度
▼は90度左回転と思ってくれ。
小児断線(略)の右は
縦書きで
「A御殿場→本厚木
連急」
日付けは昭和61年8月某日となっている。 そういえば
硬券の表記面がシンプルになった時期あったな。
昭和50年あたりは
いちいち「乗車駅・・・下車駅・・・」だったのが
昭和55年あたりは「・・・▼(90度左回転)・・・」になったり
自販機軟券も「・・・→○○円区間」が「・・・▼(90度左回転)○○円区間」になったりした。
>>30 >>31
大変わかりやすく、ありがとうございました。
「あさぎり」の文字はなかったのですね。
追加でスミマセンが、日付だけ手書きだったのでしょうか?
A型硬券で、自由席と同じ赤色の地紋と言うことでOKですか? >>33
A硬券で赤地紋、乗車日時と号車番号がゴム印でした。 ちょっと珍しい硬券乗車券類の例
・室蘭〜札幌の乗車券+東室蘭〜札幌間の自由席特急券付 D型
・ホリデー滝川・砂川きっぷ D型(特急自由席利用可能な企画切符)
・ライナー券 A型(黒崎や折尾などで売っていたと思う)
・松本→塩尻の復路専用乗車券? B型(名古屋〜塩尻〜東京都区内等の乗車券を
所持し、松本駅精算窓口に提示すると発行された)
・都区内乗車票 A型(団体乗車券に付随して発行された)
個人的に珍しいと思った例の一部だけど、他にもあったら教えて! @銚子,鹿島神宮から東京山手線内ゆきの
自由席特急券や急行券と乗車券が1枚で発券されているA型硬券
A伊豆急行線内から東京までの
D型硬券の特急券。これは号数から発車時刻まで全部印字されている。
B他に発車時刻や号数が全部印字されていた特急券の例としては
象潟や鶴岡から上野までの硬券特急券。利用者が多かったのだな。
連絡急行券 ¥800
――――――――――
←内 湯 浅 ▼ 難 波
(国鉄線50kmまで)
1回限り 2日間有効
湯浅駅発行 小
_______________
================
湯 浅 か ら
難 波 ゆ き
和歌山市経由
発売日共2日有効 1330円
湯浅駅発行
________________
================
急 行 券
―――――――
下 呂→神宮前
(国鉄線100kmまで)
発売日共2日間有効 450円
1 下呂駅発行
_____________
#上2つは、急行きのくに廃止日に自分で買ったもの(昭和60年3月13日)。
#下のは、東京新橋の古切符屋?で買ったもの(日付け昭和51年9月5日)。
ごめん訂正、連絡急行券の「←内」は脳内で消して読んでね >>36
@・・・A型のがあるとは知らなかった。ちなみにミシン目は無かったですか?
ちなみに室蘭駅発行のD型はミシン目アリで、特急券部分を切り離せるようになってました。
>>39
俺は36さんではないですが、俺の持ってる36の@はA券です。
ミシン目は、ありません。
===============
乗車券・自由席特急券
――――――――――
銚 子▼山 東京
山手線内
2日間有効
¥2500
銚子 駅発行 小
______________
小児断片「山特区1250」
#山は四角囲み、区は丸囲み。
#淡青色地紋。
#券面中央、縦に太目の赤線。
#日付け昭和55年9月7日。 >>35
A型硬券で緑地の「特急・急行用グリーン券」がある。
仙台から秋田までで北上線経由。
まだ規則上現在のように列車関連でグリーン券を発売しなかった頃のやつ。
JR化してから直後くらいの
「内子→140円」のB型硬券
赤地紋で「こくてつ」なのに,券面は「四国会社線」となっている。
学生が多く使う駅では、赤い字で“学”と印字された学割の周遊券、硬券乗車券
を売っていた。東京や京阪神のミニ周遊券等ではよく見られたし、後者もやはり
東京都区内、大阪市内ゆき等は用意されていることが多かった。 きっぷ系スレとは思えない、なんという良スレw
>>42
学割の周遊券はABと揃ってると結構レアです。(更にJRだともっとレア)
乗車券の「学」は主要区間とかで割とありますね。
もうちょっと珍しくなると、○職とかもキレイです。特に○職小はかなりレアではないかと。 よくご存知の方もいらっしゃるでしょうが、三岐鉄道の三岐線に硬券が健在です。
先日、子どもと丹生川の貨物鉄道博物館と、西藤原のウイステリア鉄道をはしごしたのですが、
せっかくなので、丹生川にクルマを置き、西藤原まで電車で往復しました。
往復とも硬券でしたが、子どもの切符が丹生川から西藤原は上記でも出ている大人用を斜めに
鋏で切るタイプのもので、西藤原から丹生川は赤い字で「小」と印刷されているものでした。
ほぼ初めて見る硬券に子どもは目を丸くし、帰りの電車内で「この切符持って帰りたい」というので、
「駅で頼んでごらん。でも本当は回収されるものだから、断られたらあきらめるんだよ」と言い聞かせました。
そして下車時に「これ欲しいんですが」と頼んだ子どもに対し、改札氏は「どうぞ。」と快諾。
子どものとても嬉しそうな顔が忘れられません。
その切符は子どもの机の引出しに大切にとってあります。(長文すみません) 子供の頃に「記念に欲しい」と頼むと
ウンも言わさずダメと回収する駅
窓口に誘導されそこで「無効」のゴム印を押してからくれる駅
そのまま普通にくれる駅
こんな感じだった
無効印は駅員によっては気を使って?裏面に押してくれる人もいた 個人的には特急券や急行券の車内補充券が好きで、結構集めていました。
なぜならその車掌区の乗務範囲などがわかるからです。
例えば名古屋車掌区発行の車内急行券には、新潟、金沢、高山、松本、伊賀上野、
奈良、岐阜などがありました。「のりくら」「赤倉」「かすが」等に乗務してい
たことが想像できます。また、浜松車掌区発行の車内急行券には、当時唯一受け
持っていた優等列車の、急行「東海」の東京〜静岡の停車駅が順に記してあります。
三岐鉄道の話が出たので…暁学園前駅には
集札口の手前に、出場券券売機があった。
近鉄富田からノーラッチで乗り換えて来られる場合も多いからだろうか。
今でもあるかな?
それだけでは板違いなので…なぜか岡谷駅のB型の出場券を持っている。 >>47
急行乗務の車掌さんは
一般的な薄オレンジ地の「車内補充券」と「車内急行券」と2冊もっていたよね。
僕は別に様式にはこだわらなかったけど,ある急行で急行券だけたのんだら,
「車内急行券」をもっているのにもかかわらず,一般的な「車内補充券」使い出した。
僕:なんでそっちの急行券使わないのですか?
車掌:(「車内急行券」をとりだして)こっちがよかった?それなら切りなおすけど
僕:いいえ,どっちでもいいです
車掌:いや,こっち(車内急行券)はいちいち駅名さがしてマルつけたり面倒でしょ。こっちだと
順次書いていけばそれですむから楽なのよ。たいがいの駅間の運賃や料金は頭にはいっているし・・・
20年前ぐらいに各私鉄の車補を集めていたのだが、会社により対応はまちまちだった。
地方私鉄だと「記念にしますから」と言うと喜んで発行してくれていたし、
大手でも車掌によっては「最低金額が10円から発行出来ます」と10円で切ってくれた
とこもあった。
しかし関西の大手では、「そんなことで発行出来ない」と大声で怒られ車内中の
注目を浴びたこともあった。(丁重に断られたところもあった)それ以来切符を2枚買って、
1枚乗り越しして集めていた。 厨房の頃、首都圏ではレチが持っている車内補充券は
地図式の第二種でパンチで穴を開けて発行する縦長の券
中央線の特快で検札にくるカレチも同様だった。
いつだか新宿から中野行きの総武線に乗ったとき
車内精算で回ってきたカレチは緩行線では見かけない白服姿で
思わず乗り越しを頼んだら記入式の第一種で発行してくれた。
すごく感動したよ、列車番号欄は○○○○Cだったし 私は実際に使った乗車券、特急券類で回収されずに残ったものはコレクションしていたが、
沢山集まるにつれ、意図的にコレクションしたいと思うようになった。
そんな中で、絶対にコレクションできると思ったのに、回収されてしまった例がいくつかある。
@盛岡駅・・・新幹線乗り換え改札で、新幹線特急券のみ提示したら、盛岡までの「はつかり」
の特急券も出してくださいと言われた。
A八王子駅・・・「アルプス」から下車したところ、普段発着しない八高線ホームに到着が変更
になっており、急行券回収のための係員がいた。
B特急「南風」車内・・・JR化後でまだ宇高連絡線がある頃だけど、坂出を発車し、終点高松に
着く手前で車掌が特急券を回収に来た。
Cちほく高原鉄道・・・帯広(JR)直通列車に乗っていたので手元に残ると思っていたが、池田駅
で連結作業中に係員が精算(回収)にやってきた。
もちろん、もらえないか頼んでみたところ「ダメ」だと言われた例もあるが、ダメ元で言って見た
らすんなりもらえた例がある。中には、一駅手前で途中下車すれば良いとアドバイスくれた駅員さ
んもいた。 地図式の車補、あれ良かったよね。
当時自分は東京と藤沢の間を往復することが多かったんだが、
わざと東京〜大船を買っておいて車掌が来るのを楽しみに
待ったなんてことが有った。
(54の続き)
乗務している車掌の所属区によって地図の内容が少しずつ異なるのが魅力だったね。
東京近郊区間だとたいがいどこの車掌区でも電車特定区間は載っていたもんだが
津田沼車掌区のものには中央線は西国分寺までしかなかったわりに,
途中駅省略で「名古屋市内」「京都市内」「大阪市内」があった。
>>57
車内で高額紙幣とかを出されて、車掌の準備金が足りないときとかに
その車補を駅に持っていくとお釣りが貰えるシステムだったよね。
裏に書いてあるなんて、ある意味いじわるだよね。
乗客が、申し出るのを忘れて集札口を出ちゃったらパーだ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています