L特急
>>89
懐かしいな。ありがとう
両親が新潟出身なんで毎年夏に乗るのが楽しみだった
絵入りのヘッドマークになったときに、そのデザインの缶ビールが売り出されなかったっけ? 「L」の文字のカーブが、新幹線の前頭部の横顔を掛けてるって聞いたよ。
絵付き記念缶は53-10の時だね。当時、子供でビールは飲めなかったけど、
サ○トリーのオレンジジュースで絵付き缶があったよ。 L特急は当時の国鉄の目玉商品だったんだろうな。
L特急グッズが結構出回ってたりしてて、俺も下敷きとか持ってたわ。
駄菓子屋に行けば、ブロマイド(?)みたいのもあったっけw
クジで当たりが出て、ブルトレ消しゴム貰ったw >>95
そのブロマイドだが機関士、助士、列車の影が同じでヘッドマークだけが違う
某国の合成写真のようなものが散見されたw >>96
あったあったwww
並べてみないと、意外と分からなくて、
なかなかの合成技術だと感心した記憶があるw >>94
俺はLマークが181や485ボンネットの横顔に見えた。
だからL特急はボンネット車で運転される特急だと思い込んでたw むしろL特急はスラントノーズ、ってイメージがあるなあ。
登場したのが同じ頃だからだろうけど。 L特急ってのは昼間のスラントノーズ電車特急だと思っていたのは俺だけじゃない筈。 RJの別冊:特急1979に、缶ビールとかスプーンが載ってたよ L特急とブルトレはSL亡き後の、
国鉄の格好の広告塔だったからなぁ。
昔からの鉄道ファンは「L」が付くと、逆に安っぽく思ったのかも知れんけど、
当時の子どもはL特急と聞くと、格好いいイメージがあったのではないかな。 最後が「エルとっきゅう〜♪」で終わるTVCMって覚えてない? >>102
L特急=メジャー
非L特急=マイナー
というイメージはあった。
子供向けの本での扱いがそんな印象だったし。
それと同時に、Lを付ける意味がどこにあんねん?とも思っていた。
今にして思うと、K特急と並んで微妙なネーミングだ。 俺もエルが付くとグレードが上、みたいな感覚だったね。
児童向けの鉄道出版物の書き方が明らかにそういう方向だった。 今じゃ特急といっても全然有難味が無くなってしまったもんなあ 本数自慢というのは、いわば多数派になるから、抜き出て特別な列車ではない感覚におちいった
「特別急行」がなくなる感覚といえばいいか
「白鳥」や「まつかぜ」みたいな本格的長距離の特急がL特急でないことも、そうした感覚をいだく原因だったかも…
余談だが、つい先日、駅の列車案内のアナウンスで、久々に「特別急行」という言葉を聞いた(車内では車掌によって常用する人がいる)
八王子駅で…
「スーパーあずさ」「あずさ」はもちろん、「かいじ」や「はまかいじ」も特別急行だそうだ 厳密に言うとだな単純に「急行列車」という場合
普通急行列車と特別急行列車の2種類を指す。
ただ世間一般の常識だと
「急行列車」=普通急行列車
「特急列車」=特別急行列車
なんだな。
何か"L=low"っていう印象がある…。
こんなものの登場が特急の品位を地に貶めたとさえ言いたいところ…。
所謂「ゴー・サン・トー」で「はつかり」「やまびこ」なんかがこれに編入されて、
全昼行特急が自由席付になった時はホントに失望した。
この時、3往復の「つばさ」「やまばと」「白山」まで加えられたんだから、
はっきり言ってもう意味なくなってたと思える。
>>90
やはりそれだと「ひばり」が一番シックリ来る。
最高15往復くらい走ってた。
クロサロサシ入り13両の485系編成ってのもあったような…。 北斗は最初3往復で後に6往復8往復と増えていったのに
何故L特急にならないんだろうと子供心に不思議だった。
なぜなら「やくも」だって181系DCだった時でもL特急だったんでね。 >>115
15往復の頃(53年10月改正時)は485系×12連のみですな。
13往復の頃が485系が12両と13両、そして583系もあったりとバラエティーに富んでました。 そう言えば、駅や車内の放送で、わざわざ「『L』特急○○△号、□□行」、
なんて称されたことあったのかな…?
四国に住んでいるオイラは、子供の頃「しおかぜ」がL特急になった時は喜んだものだな。
ところで、「しおかぜ」はL特急になった時はヘッドマークのLマークが他と違って右上にあったけど、
それ以外にLマークの位置が異なっていたのは左下の「いなほ」と「踊り子」以外あったかな?
ちなみに「しおかぜ」は瀬戸大橋線開通でヘッドマークのデザインが変更され、Lマークも通常の左上に
移動し、2000系量産車投入でさらにヘッドマークが変わり、Lマークが消滅したが… >>119
当方には定かな知識はないけど、
分割民営化後は会社毎の独自性も出てきたから、いろんな意味で
「変わり種」もそれなりにあったんだろう…。
「L」のマークとは違うけど、東海は列車名の前に「ワイドビュー」
なんて付け始めたし. >>118
エル特急ではじめのころだと
昼行特急列車だと「特急」も少なく「特別急行」のほうが多かった。
くだらないことだが,まだ横長マルス券でなく縦長マルス券全盛期に
東京近郊の各駅で特急券だけを買うと表題部のゴム印も「特別急行券」
が主流だった。昭和50年3月以降あたりからこれらが「特急券」に
かわりだした。なお普通乗車券と抱き合わせのときは「乗車券・特急券」だった。 初めてそれが設定された時,国鉄はどんな広告出したのか…。
「47年10月2日のダイヤ改正に伴い、以下の列車を『エル特急』と致します。
これは、1日に或る程度の本数があって自由席が付いており…」
なんて能書垂れた? >>116
北海道では485-1500が走り始めた36年前から今日に至るまで、電車特急よりも
気動車特急のほうがステイタスが上なんですよ。
国鉄時代は「L特急」=電車特急の代名詞、みたいにマスコミ報道でも普通に
使われていました。
「北斗」なんて国鉄全体で見ればローカル特急の部類でも、北海道だけで見れば
G車連結のれっきとした長距離特急であり、「いしかり」「ライラック」とは
明確に区別(差別?)する必要性があったのではないでしょうか。 >>123
「みどりの窓口」のアナはそういう能書きたれていたね。
当時おれは非鉄だったがなぜか妙にあの番組だけは好きだったから覚えている。 昨今は「L特急」の称号止める風潮が強まった印象だけど、
結局一般的にどれだけ浸透したって言えるのかね?
何か、時刻表の編集の手間増やしただけ、みたいな感じもする…。 おれは東北に住んだだからわかるけど,かなり効果はあったと思う。
昭和50年3月改正当時の一般人の感覚では
「特急とはそう簡単に使えない特別な列車」というイメージが根底にあるところに
「でもエル特急『ひばり』なら特急券なしで飛び乗ってもいい列車」ということが定着した。
福島の人が郡山にいく用事があり駅にきた。普通列車なんてどうせろくにないし時間も
かかるのでこの時代は急行利用が普通だけど,てごろな急行がない。いそいでいる。
でもちょうど「ひばり」がある。ちょっと高いけど利用しよう。となれた。
大宮から福島にかえろうとした。時刻表みる。「急行」か「エルひばり」を目でさがす。
郡山あたりの人だと「あいづ」は「気楽に乗ってはいけない」と誤解していた人すら
いたぐらいだ。
むしろそういう価値観が定着していたからこそ53年10月改正で「はつかり」「やまびこ」
などにもエルマークをつける必要性があった。いくら「すべての特急に自由席がつきます」
と宣伝してもネットもない時代で,鉄道雑誌を愛読する人でもない限りなかなか
頭の切り替えはできない。「エル=自由席」という特殊性が浸透した効果の1つだろう。
その証拠に後に新幹線が開業したが,新幹線=特別な乗り物=気軽に乗ってはいけない
などと勘違いしていた人が開業当初は多かったんだよ。
丁度欧州でTEE(全車1等・低頻度運転)からIC(2等本位・高頻度運転)へ
変化したのと似たような事情だな
あちらでもTEEは気まぐれで乗れるような代物ではなかった
今やICは大衆化して特にドイツやスイスでは1時間ネットダイヤの自由席本位、
日本からのパス利用者など優等列車という意識なしに利用できる >>114
それから上越新幹線開業後に新幹線接続特急となった「いなほ」がL特急で、
「北越」がL特急でなかった不思議さ・・ >>130
その辺は各鉄道管理局(「いなほ」…秋田,「北越」…金沢)の意向次第だったとか…。
まあ、そう考えたとしても不可思議さがなくなるわけじゃないけど。
それにしても、当の国鉄(JR)が「L」と非「L」の違いをどう考えていたのかは、
ちょっと興味が持てたりする…。 >>131
「ダイヤ千一夜」を読んでると、そのへんの事情がなんとなく想像できますよ。
当時、スジ屋さん系統では特急列車はいくら増発してもすぐに満員になって増発要求が出る
金の卵状態だったみたいで、とにかく増発が至上命題だったそうです。
スジ屋さんに限っていえば、L特急も特急も違いはなかったようで、むしろ上記レスにあるように
営業サイド、特に利用者への意識改革(?)に主眼があったと理解できます。
・・・むしろ、55年10月以降の「減量ダイヤ」や、ホームライナー、新特急のコンセプトのほうが
インパクトがあったようです。 >>132
それはまだ見たことないけど、面白そうな予感はしてきた…。
ところで、「L特急」の名称云々は置くとしても、そもそも、優等列車の自由席、
つまり、運賃の他に特別料金を徴収しておきながら座席は保証せず、
なんてことが許されていいんだろうかと常々思う。当然新幹線についても。
一方では、昨今の「モラルハザード」は目に余るもので、私見では「自由席=勝手席」
っていう印象もある…。
時間に追われている現代人からすれば、
昔の全車指定や号車指定(定員制)は
特殊な目的(遊覧列車、グリーン車、
寝台車等)を除いて無理があるんじゃ
ないかな。
自由席車基本の急行を特急に併呑した
時点でこうなる運命だったと思う。
ただ、いかにも特急型という車両を国鉄時代なんかは使用していただけでも
今のような「急行まがいの特急」よりは風格もあったし、今となればL特急の名称にさえも風格を覚える。
>>135
その特急を安っぽくした素地ができてたのは、国鉄時代の1982年11月と、1985年3月改正あたりだろう。
今のJR特急は、もはや車内設備に斬新さはなくなったものの、普通車は国鉄時代の
ものより明らかにレベルアップしてる。
その先鞭を切ったのは九州のハイパーサルーンだが、従来の485系より車内はグレードアップ
したので、乗ってみたいワクワクさがあった。
その後651系やキハ85系、787系電車あたりまでは民営化ならではの良さを感じた。
ただその後の新型特急車両はときめきを感じなかったけど。 1975年頃までは、特急は大型連休等の多客期に全車指定席になるケースが多かった。
で、この年の5月号の時刻表(交通公社B5版)では、季節列車で「5月5日運転」の上り「あずさ10号」
について、全車指定席だからということで「L」のマークを表示していなかった。
他の「あずさ」には当然その表示があっただけに、この扱いには目を見張らされたと共に、
何か杓子定規的なやり方という気もした…。 下り1号と上り10号は運転されることが珍しい「あずさ」だったからな。 昔は時刻表の巻頭が「新幹線・L特急・寝台特急」だったけど、いつからだったか、
「L特急」は「昼間の特急」に変わった。
まあ、実際は「ゴー・サン・トー」を以てL特急の通称には意味がなくなったわけで、
この時に「昼間の特急」に変わっててよかった筈だけど…。
エル特急の旅っていう本があったな。弘済出版社だったかな?
旅行ガイドブックの体裁で各停車駅での売店、駅そば、跨線橋、乗車位置、
停車番線、乗換列車の番線が書かれており当時としては結構マニアックな
編集だったと思う。ルポもあり各特急の歴史解説は須田寛氏が執筆。
>>141
「ときの旅」「あずさの旅」が最初だったかな。
「さざなみの旅(含わかしお,あやめ,しおさい)」
「くろしおの旅」
このあたりは今でももっているよ。 >>141
最高は「はつかりの旅」でしょう。
編成絵柄と、ホーム毎の停車位置、ホーム設備のイラストがあったのはまさに特筆。
仙台、盛岡、青森は結局全部のホームがかいてある始末。
はつかり11号ルポルタージュでは、仙台駅1番線の写真を盛岡駅1番線といきなり誤植。
あの短い盛岡駅1番線で、何処に止まるのか、真面目に探したよ。
昭和33年10月のダイヤがついていた。 書き忘れ!
あと、対象列車すべての駅(信号所含む)の運転時刻秒単位まで書いてあった。
上野(井堀)、大宮(操)、郡山(タ)、八戸貨物、青森(操)…
新幹線開業までとにかく役立った最高のバイブル。 そんなマニアックな本があったのか、見てみたいもんだ。
俺は廣田なおたかさんのワイド写真集がバイブルだったかな。
ヤマケイレイルシリーズとかいう奴。
あとコロタンとかケイブンシャとかの厚い本。 コロタンのブルートレイン全百科? あれも凄い懲りようだった。
編成は勿論、換算両数、さらには区間ごとの速度種別まで。
各列車の要所の通過時間を克明に綴ってあった。
笑ったのは、旧管理局の区分駅の通過時間まで書いてあった。石越とか。
ゆうづる7号のページは、いまだに忘れられないよ。
姉妹列車の擦れ違いポイント、運転停車(勿論秒単位まて!)、さらには夏至、冬至、彼岸の頃の、日の出時刻まで書いてあった。
常磐線の夜ノ森あたりでしきりに運転停車してたなぁ…。 読んでみたかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >>146
それどころか「はつかりの本」なんて東北線の1時間目ダイヤまであった記憶。 L特急の一番古い思い出といえば
国鉄のテレビCMで電車のサイドシルエットが
Lマークに変化する奴ってあったよね
流れ星の絵がブルトレマークに変化するのもあった
オレの鉄道に対しての一番古い記憶はこれかもしれんなぁ 森繁久彌の新幹線CMは?
赤い光:トントコ、トントンとこれは速い!…とか言ってたよ♪ >>152
東京〜博多6時間56分,8710円はいまでも覚えている。 山陽新幹線博多開業時のダイヤ改正で「しらさぎ」「雷鳥」「やくも」「有明」「にちりん」が
L特急化されて、「加越」「しおさい」「あやめ」が新設された。
…
振り返ると、この辺りで打ち止めにしとけばよかったものを…って気もする。 >>154
長崎本線・佐世保線の昼行特急はいらないのですか・・・・。 >>155
確かに「かもめ」「みどり」の設定で従来の急行より20〜30分短縮された、
ってことはあったから(時刻表にそういう宣伝があった)、
その意義を無視することに異論を唱えられることは分からなくもないが…。
これらの列車の設定は山陽新幹線博多開業の翌年だけど、
50・3・10で新設された列車との時期のずれに目をつぶったとすれば、
増発された「有明」「にちりん」とほぼ同列に扱えるわけか…。
何れにしてもまた考えてみる。 >>156
実際問題,昭和50年くらいだと「全車指定席」の特急だって当日乗車を希望する旅客に
満席ならば「立席特急券」を発売していた。立席とはいえ発売枚数に制限はあったので,
発券するにはいちいち列車を指定してマルスを叩いていた。この制度は極めてイレギュラー
の措置だったので当時の時刻表にもその案内は掲載されていなかったがこれが「常態化」
していた。特急大衆化の幕開けともいえよう。国鉄としてはそんな状態であれば
いっそのこと特急に自由席を付けて区間だけを指定した自由席特急券を無制限に発売して
あとは座るなり立つなり好きにしてくれ・・・とするほうが合理的だったので
53年10月改正でのすべての昼行特急に自由席を設定し,この段階で「特急」と「エル特急」
の実質的な差がなくなる。
その後,JRになってから「かがやき」「きらめき」「成田エクスプレス」など新しい意図からの
特急どうしの間での差別化が始まり,「エル特急」の存在意義(?)が復活
したかに見えたが,その後は同じ料金体系の「特急」であってもJR各社により
その位置づけは異なってきたので会社ごとの特急料金の「部分的見直し」が繰り返されて
今のような複雑怪奇な料金制度になってきており,「エル特急」以前に「特急」という
統一呼称自体の存在意義すらもなくなっているのが現状である。 ついでにいえば「立席特急券」が発売された理由は,「全車指定席」とはいえ
満席を承知の上で特急券なしで強行乗車するお客が少なからずいて,(全車
寝台の夜行列車も例外ではなかった)そういう場合車掌の判断で次の駅で下車
してもらったりデッキ立席を条件に車内で指定席特急料金を徴収するなどしていたが
そんなことならば,乗る前にきちんと特急券を買ってもらい料金を若干安くしてあげる
よ・・・というこれまた「妥協」の産物。 「L特急」のイメージは「本数が多い」ことだな。
自由席があっても1、2往復位なら「特急」のイメージ。
最盛期の「ゆうづる」はさしずめ「寝台L特急」ってとこか。 東がゆうづるなら西はあかつき、彗星あたりか。
20系、14系、24系、24系25型と車種も豊富。 「数自慢」はL特急の第一のキャッチフレーズだったけど、
「ゴー・マル・サン」辺りから、「しおさい」の5往復、「あやめ」の4往復
なんてのが出てきたりで、訳の分からない状況に陥った。
「ゴー・サン・トー」では更に、3往復の「つばさ」「やまばと」「白山」
もL特急化。で「つばさ」と同じ3往復で運転区間も類似した「いなほ」は
非Lだったから、ますます理解不能的な事態に…。
そういや、「白山」がL特急になった後も「はくたか」はLにならなかったね。
「とき」「いなほ」との重複区間は上野−長岡だから、このくらいの距離なら、
「はくたか」「いなほ」は「とき」とまとめてLで良さそうなものだけど。
「しおさい」「あやめ」は、東京−佐倉間がL特急ってことだったんだろうけど、
こっちは自由席連結って意味でLだったのかもしれないねぇ。
っと、そういや、「はくたか」とか「いなほ」って、自由席はあったっけ? ちっと記憶が定かじゃない。 >>162
「はくたか」にも「いなほ」にも自由席はありました。
53年10月改正時に昼行で毎日運転の列車で全車指定席だったのは急行「くりこま」1往復のみ。 >>162
ただ、「しおさい」も「あやめ」も設定当初は佐倉には停まらなかった。
だからその論法で行くと、「さざなみ」「わかしお」共々、「東京―千葉」
ってことになる…。
まあどっちにしても推測でしかない話だし、当方の個人的思いとしては
L特急のLは"low class"だから、房総特急みたいなのには似合いだってとこだけど。 東北本線・奥羽本線・常磐線系統だと、53-10以降は、
Lじゃないのは「みちのく」「あいづ」のそれぞれ1往復ずつしか無かったんだよな。
だからむしろ、Lじゃない列車の方が格落ちに見えた。
「あいづ」は食堂車無しだから、なおさら。 最長距離エル特急は「はつかり」と「つばめ」とどっちが長いだろう。 つばめがエル特急だったときには岡山〜博多じゃなかったか? 廃止直前の「つばめ」の運転区間は主としては岡山〜熊本だった。
博多・西鹿児島発着もあるにはあったが…。
そもそも、L特急の名称自体が山陽新幹線開業後の設定だから、東海道線の
昼間の特急に付けられたってのはちょっと想像し難い。
岡山〜西鹿児島だと,走行ルートに沿った距離で782.4kmだから(運賃計算上は
岩国〜櫛ヶ浜を岩徳線経由で760.7kmという扱い),
これでも、上野〜青森の735.8km(これも尾久経由の距離)より長い。 >>161-162
白山がL特急になった理由は、上野口であさまと同列の長野方面を結ぶ考え方から。
そのため既にL特急だったあさまと合わせてしまった。
つばさとやまばとは奥羽線で合わせて6往復のこじつけでL特急に。
ならばはくたか・いなほは、ときとペアでL特急にならないのはおかしい見方もあるが、
53年10月改正時で増発が間に合わなかったのと、それらをL特急にすると新潟へ行く旅客が
誤乗する可能性から見送ったと推測される。
また首都圏から北陸・庄内方面の長距離客が多かったのもあるだろう。
白山も北陸方面の長距離客が多かったから、それはおかしいと思う輩もいるだろうが・・ なんで北越、白鳥は雷鳥とあわせてL特急化しなかったんだろうね >>173
昭和50年3月の時点で全車指定席だったからだよ。
ついでにいえばそれ以前は「雷鳥」「しらさぎ」も全車指定席。 >>173
1往復の列車でさすがにL特急にしないでしょう。
北越も昭和53年10月に大阪〜新潟を雷鳥に吸収されて1往復になったし、それを言えば
あいづ・みちのくもL特急にしないと・・
ただこの時期にこじつけL特急が多くなったせいか、最終的に白山が1往復でL特急という
妙な事になっていた。 特急が限定列車だったころ特急料金なんて個別具体的に三角表があっただけ。
キロ帯料金表なんてなかった。
その時代に比べて昭和53年10月なんて名前が同じだろうが違かろうが
全部自由席付だし,全体としてすべてエル特急といったようなもんだ。
つまりそのころすでにエル特急の呼称の存在意義はそういう面ではなかった
が・・・利用者の意識改革には役立ち短距離利用需要を発掘した面では
貢献していると思う。 ただその分、遠距離客は飛行機にシフトしたような…。
国鉄はそれも良しと考えたんだろうが。特に首都圏対北海道に関しては、
55・10・1改正以降自ら率先して航空機に客を献上したようなもんだし。
で、ふと思ったが、多少は特急らしい(と個人的には思う)「サンダーバード」
は非L特急で、残った「雷鳥」はL特急というのが、この称号の位置付けを象徴
してるような気もする。「スーパーやくも」と「やくも」の関係もそんな感じ。 もともとの特別急行列車は長距離長編成でその沿線の選ばれた駅に停車して
その駅相互間の利便性を図り,そこでどのような需要がうまれるかは利用者
しだいというものだった。特急が増発されてエル特急がうまれても昭和53年
10月改正まではそのスタンスだったと思う。後,エル特急が頻繁運転されている
のを基本ベースとして,上位特化した全車指定席特急を走らせたり,
区間限定版の特定の2地域相互間の需要に特化した特急を走らせたりという
スタンスに変化してきた。 この称号を最後まで残すのは何処の会社か…?
そこが一番国鉄にベッタリ、ってことになりそうだけど…。 >>180
多分北海道じゃないかな
北海道では長距離が特別急行で短距離がL特急と定義しているみたいだから
もっとも北海道は既に国鉄型特急車両引退したから、L特急らしくないが・・・
>>181
当方としては、東日本が一番先に全廃(他社との直通列車は別にして)したのが
ちょっと意外だった。ここが一番国鉄的色彩を引き摺ってると思ったからだけど、
考えてみるとそれは東海か…。
「国鉄親派」的かどうかって考えると、車両の形式を全く独自のやり方に変えた
四国(最も非国鉄的!?)からこの次消える予感もするけど、果たしてどうなることやら…。 ≫182
2002年12月、東日本。
2008年7月、九州。
2010年3月、西日本。
2011年3月、四国。 >>183
最近の時刻表見たけど、本当に北海道と東海関連以外の列車からは
「L特急」は消滅してたんだ…。
ちっとも気付かずにいて、浦島太郎みたいな気分だった。
迂闊の謗りは免れないとこだろうけど…。 ひだはJR化後に登場したL特急というのが驚き。
既存L特急との重複路線以外では珍しいのでは。 そもそも「数自慢(やたら乱発)」なんていうのは「特急」のあるべき形態と全く相反。
「数が増えれば質が落ちる」を、今のJリーグと共に象徴してる(してきた)と思える…。 うむ。
激しく同意。
量を拡大すれば裾野が広がり結果的に質も向上するというのは、嘘。 >>188-189
だからお前らは駄目なのだ
そら鉄道しか輸送手段がなければ全席指定特急1日2往復でもいいがな >>190
だから「どこで手を打つか」を考える必要があるってことだ。
現状の施策は明らかに「量」に偏り過ぎてるからもう少し「質」にも目を向けるべきって言ってるんだ。
何でそう「ゼロか百か」的な発想しかできんのだか。
>>191
485系とキハ80系で全国に特急を走らせ始めた頃より明らかに質が高いけど?
(車内販売さえ満足に行われなくなった供食サービスについては除かなければならないが)
昔はよかったと言って現状をDISる、ゼロか百かの発想しかできないのはどっちだか
急行的特急と特急的スーパー特急を交互に運転する並立より、
急行的特急を続発する方を利用者が選んだ
だから、のんすとっぷしゅごーいかっこいーひょうていじそくしゃっきろキャッキャッ!って喜ぶマニアにとってどうあれ、
利用者にとっては間違いなく質が向上しているんだ 車内販売がどうのというが
今と昔背景が全然違うじゃないか。
いくらでもどこでも車内よりははるかに廉価で買い物ができるだろ。 急行がないのに特急・特別急行って言われてもな。特別感がない。 >>194
ちょっとスーパーおきに、新山口から、出雲市あたりまででいいから乗り通してみ?
車内販売は津和野から益田まで乗るけど必ず無視すること。 >>192
現状に疑義を呈した事をすぐさま「何十年も昔に戻せ」って主張に結び付けるのが
0か100かだけの発想そのものだ。 いやさ,ドリンク類はいいとしても
弁当を載せて売ったとする。
売れ残れば全部赤字。
幕の内しかなければクレームもでる。
ちょっと地元産の食材を使って子供がたべて下痢でもすれば損害賠償だとなる。
こんなご時勢にまともに車内販売なんてやれるかってことよ。 >>198
そんな事ぐらいで腹壊してたら何も食べれないじゃないか?
ちょっと頭おかし過ぎるだろ
>>194
いくら外にあるとは言っても駅弁売ってない駅では全国どこでも同じ物しか売ってないコンビニしかないからあった方がいい
旅行に出掛けてまでいつもと同じ物食べるのも詰まらないだろ >>199
売る側の身になって考えろってことさ。若造が! 議論以前に、旅客の質が落ちた。
優等車にdqnが乗る時代 特急が大衆化したのはいつごろですか?
具体的には中流家庭の人が、帰省や行楽などで特急を利用するようになった時期。
今は大学生でも普通に特急に乗る。
昔だったら学生の特急利用など言語道断、急行すら身分不相応で、夜行の旧客で移動していたらしい。
一般家庭でも特急は高嶺の花、憧れの目で遠くから眺めるもので、急行利用が関の山。
特急は富裕層や会社の重役さんとか限られた層が利用するものだったらしい。 流石にいつの時代のことだよ、学生といえば周遊券で急行あっちこっちじゃないか >>206
急行が分不相応って
それは戦前〜終戦直後くらいの話だよな。 クリーム地に赤いラインの国鉄時代のL特急が一番懐かしいという指摘は示唆的な意味合いを帯びてくるであろう。
じじつ最近の特急はやたら奇抜なデザインで走らせているが、換言すれば、それは飽きっぽさの発露に他ならない。
やはり、シンプルなデザインが一番飽きが来ないということ、これである。 それは新幹線が走っている地域のみ通用する論理だな。 >>206
今の大学生は昔(バブルの頃)に比べて貧乏だから、列車利用なら18切符だろ。 >>206
エル特急が出たころ以降だろう。
ただし、それ以降でも短距離の利用に限ると、
よほどの金持ちじゃないと特急なんて使わないということはあった。
例えば昭和50年3月10日当時の
200キロまでの自由席特急料金が600円でこれが初乗り(今だと510円)
八王子〜新宿間をこの大枚600円を払って特急利用するなんぞ
それこそ重役かよほどの金持ちくらいだった。
これが国鉄の狂乱値上げで最高になったのが
その数年後200キロまでの自由席特急料金が1000円で初乗りというのがある。
今だって1000円払って八王子〜新宿を特急利用するとなると
どれだけいるだろうね? ↑
なお、昭和50年3月10日の他の物価で覚えているのが、
都内のタクシー料金が2キロまで280円(以降50円ずつ増)。
自動販売機の缶コーラ(250ml;関東地方)が70円。
大手3紙の駅売りが30円。
週刊誌が1冊180円〜程度。
交通公社の大型時刻表が400円。 白山がエル特急で、はくたかがエル特急でなかったな。 ついでにいえば、昭和50年3月10日といえば
日本銀行券の壱万円は聖徳太子。千円は伊藤博文、五百円は岩倉具視で、
いまよりもはるかに「五百円の価値」「千円の価値」はマインド的にも高かった。
後に、壱万円が福沢諭吉になったとき、見るからに新札のほうが安っぽく、
聖徳太子の札はすぐ駆逐された(悪貨は良貨を駆逐する)。
五百円札はなくなり、五百円硬貨となり、日本人に「高級志向」が芽生えだし、
バブル景気になったころ、急行が淘汰されるのとあいまって
特急料金にも50キロ帯や100キロ帯が登場しだした。 最近は色んな奇抜なデザインや独自の色を塗ったのばかりだけど、クリーム色に赤のツートンカラーの車両が一番懐かしい
小さいボトルに熱湯とティーパックが入ったお茶とか、ペットボトルの普及ですっかり見かけなくなった S57.11に誕生した、「谷川」「白根」と、非Lだけど「あかぎ」が、特急列車の威厳を大きく損ねた気がする。
今でこそそれなりに当たり前だけど、末端区間が普通や快速になる特急って初めてだったので、
時刻表見た時は軽くショックを受けたよ。
あと、L特急の谷川・白根と、当時はL特急ではないあかぎが併結するのも、違和感を覚えた。
これもその後にいくつか事例ができたけど。 特急の威厳を損なわせたのは「あやめ」「しおさい」「さざなみ」「わかしお」
そして「いしかり」だと思うが。
かりに当時「成田エクスプレス」があったとしても、料金体系とのアンバランスから
さんざん批判されたと思う。
狂乱料金の「最盛期」だと東京〜成田空港で当時のルールだと
特急料金が1200円(普通車指定席)
グリーン車となるとプラス2000円で3200円。
この狂乱最盛期の特急・急行のグリーン車なんて
よほどの繁忙期でもない限り、いつも車掌2人が悠々とくつろぐ
空気輸送車輌だったけどね。 >>220
当時既に白山は2往復くらいあったが、はくたかは1往復だったからな。
はくたかはけっこう傷んだ感じのボンネット型をけっこう遅くまで使っていた。 >>62
東海道線と横須賀線の主従関係考えたら、
MS分離だよな 横須賀線は全線電車特定区間
東海道線は通常の幹線でしかない >>225
はくたかやいなほって、白山やつばめよりマイナーだったよな
東京と北陸、東京と秋田で見れば所要時間は変わらんのに
どちらも新潟県を経由するのが遠回りな印象だったのか? >>231
平面的な地図や路線図だけで見ちゃうと
そう思われるわな
実際は、つばさや白山には板谷峠や碓氷峠という難所があるからロスがあるんだけどね 北陸はくたかなど直通列車に乗る場合は信越線経由の乗車券で乗車可
同じくいなほで上野(大宮)−秋田間に乗る場合は奥羽線経由で可
さらにあけぼの、いなほで上野(大宮)−青森間は東北線経由で可 だったような
どの道周遊券のルートがかなり選択可能だったのであまり意識せずに乗ってたな 遠回りでも所要時間が短い場合は列車特定扱いにならなかったらしい
当時の時刻表にもはくたかや北陸には、あの長い注意書きがついていない うーん、勘違いだったかなと思って57.11の時刻表を見たら
北陸の北陸信越線のページに注釈が付いてた
どっかのタイミングで設定削除されたのかな ケースバイケースだった様子
同名列車でも上り下り・改正前後・定期季節で設定があったりなかったり JR北海道でライラックが復活するけど
代わりにL特急は全部廃止になっちゃったね
残りは東海の3列車のみに いまでも381系やくもの絵入りヘッドマークの幕には[L]マークが入ってるね
国鉄時代からそのままの幕なんだろうね >>235
それで間違いないよ。
「富士」だって、鹿児島、西鹿児島までならば、鹿児島本線経由で可だった。 きうしう馬鹿www
遅くまで使ってたのは北海道&東海だろアホw 昭和50年3月の時刻表を見ると、
直江津〜高崎の列車特定は「はくたか」「北陸」「よねやま」
大宮〜秋田・青森の列車特定は「いなほ」「天の川」「鳥海」
福島〜青森の列車特定は「津軽」「あけぼの」
ありそうでなかったものは
「まつかぜ」の尼崎〜幡生。
ちなみに筑豊本線関係では、列車特定も経路特定もなし。
だから、かつての「かもめ」で佐賀へ行く場合などは
乗る編成によって運賃や料金が異なる場合がありえた。
ここは時間がかかるほうが実は距離は短いというややこしい
ところだった。 わざわざ筑豊回りを選んでのった人もいるんかな
まあ、佐賀ならだいたいは熊本つばめが
最適なんだろけど >>246
指定席の余り状況によってはいるんじゃねーの?
実際に「かもめ」で佐世保線方面なら筑豊経由確定だが。 時間がかかる経路へのインセンティブが実現できている場合や
救済措置が不要な状況ならば特例適用は無かったんでは 【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1504890975/
関連スレ
時を同じくして消えた485系スレを立てるかこれにするか迷ったが583系の方を立てたぜ! 鉄道ファン誌辺りが「さらばL特急」の特集やりそうやなw >>239
この時に全列車自社内だけで完結するL特急がすべて解除されて
しなのとひだとしらさぎという他社乗り入れがある列車だけになったからな もともと定義があいまいでイメージでつけたようなL特急なんだから、いつの間にかなくなってたというのでいいんじゃない ほぼ有名無実化してたとはいえ、長年時刻表を彩っていたマークが消えるのは、少し感慨深いな。 エル特急全盛のころエルカセットなるオーディオ規格が登場してな
自分の中では「エル」といえばこのイメージが被る
…カネは高いが中身がチープ…軽薄短小に向かう時代の中で
大きいことはいいことだ世代が放った最後っ屁のようなもん
録り鉄でも使わなかっただろ
80年代に出たレーザーディスクも似てるな あれもLDと呼ばれてたし かぼちゃワインの歌で「L、L・・・」ってのがあったな >>259
急行はまだ臨時で残っている。
寝台急行は二度と走らないだろうけど。 こういう話での急行の定義は普通国鉄と後継者のJRだけだろ糞馬鹿w 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) 特急やくもに乗ったら、国鉄時代からの絵入りヘッドマークに誇らしげに[L]のマークが残っていて萌えた めでたく63歳になったんで、しつこくもう1度書いておきますね!!。
平成のあなたに昭和の爺が【L特急ひばり】を説明します。
上野発 1号がam7;00発で仙台着がam11;15の
東北線経由のビジネス特急で 夜19;00発の27号まで運転していました。
27号で仙台に到着すると(23;15分着)仙石線・仙山線・東北線上下線最終列車に間に合いました。
当時は、東北各県庁所在地への花形特急と青函連絡船への乗り継ぎ寝台夜行優等列車が
走っていたんです。
まぁ、京浜東北線・山手線田町駅から17:30分の会社終わりに乗る場合は混雑する
上野駅電車ホームからダッシュで長距離列車ホームへ移動するのは大変でしたと
いま頃になって爺は想いだしてます(笑)!!。
まぁ、乗るのを諦めて公園口からエロ映画館街へいったときもありましたが・・・
その後、夜行急行に乗る為に再度改札をくぐり急行ざおう・いわて号などに乗り翌朝
仙台駅に着いて仙石線の一番電車に乗るんですが、その頃はまだホームの北側から地下通路を
通って仙石ホームへ行ける時代でした。
この頃の仙石線は72系の片開きのドアでしたが懐かしいですね。
で、通勤で蕨駅から田町駅まで京浜東北線を使ってましたが1976年当時は103系の
大宮側が低運転台で大船側が高運転台でしたが編成的には101系3両(大宮側)+103系7両の10両編成でした。 意味がない上に、
定義も何だか曖昧っていう、
何のために設定したんだろう的な謎の産物 2009年位の国鉄色のリバイバル運転を2歳ながら見た記憶がある 特急「ひばり型」485系、東北から姿消す 10日、岩手の「ジパング」最終運行 この列車は ” ひばり27号 仙台行きです。仙台駅到着は23:15分を予定いています。
1番線に到着予定です。乗り継ぎのご案内ですが (要約)仙石線をご利用のお客さまは
到着した1番線ホーム前方の階段をご利用になり仙石線ホームに移動をお願いします。” 東京で仕事をしていた頃は、会社が終わって上野駅へ移動すると
最終ひばり27号に乗ると、乗車券・特急券を買う暇もなく
とにかく、上野駅構内をダッシュして義理チョンで乗った記憶が蘇る
連結部に立ち続けて、やっと宇都宮駅あたりで自由席が空きやっと
着席できる状態だったな。そからは週末利用の帰省だから疲れがMAXで
長町駅あたりで目が覚めて降りる準備がはじまる。 むかし日テレで放映されていたアメリカ横断ウルトラクイズの出題で「L特急のLとは何のこと?」というのがあって
解答者が「レールのL」と答えたのには爆笑した
その人、きっとテンパってたんだろうなw
いまでも思い出す >>283
レールはないけど、明確な答えの出ない問題よね L特急とか作らずに, 急行列車を維持してほしかった 実質的には急行を維持して種別だけ特急にした値上げだもの(´TωT`) 急行列車は後継新車両を作って(仮名称171系,461系)
普通車を転換クロスにしておけば不満は出なかったと思う。 これに加えて,急行料金は高速に移動するための追加料金であること,
快適に移動したいという人は特別急行を使うように促すほうが良かった。 関空特急はるかがL特急並みの本数がありながら当初全車指定席とも相まってL特急指定されなかったな 本数の多い雷鳥はL特急で1日1本の白鳥は特急だった >>295
元は数自慢が条件だから、1日1往復の特急をL特急にできないだろう。
ただ白山は3往復時代に、あさまと同列でL特急にしてしまったから、
最後の1往復時代もL特急という笑える始末w
これは昭和53年10月改正のL特急選定基準と、同時期に採り入れられたイラストマーク
が問題だった。
白山の他に、つばさとやまばと3+3の6往復をL特急に指定したり、イラストマークに
Lのマークを付けたりして、系統・列車の性格が変わると柔軟性がなくなるなど。
そのせいもあってか、最後の国鉄型381系のやくものイラストはLマークが付いてるままだしw スレタイをみた瞬間から西村京太郎サスペンスのテーマ曲が脳内再生 昭和51年に就職のために、特急ひばりに乗って
浦和市の独身寮に行ったんだが、途中の福島駅手前のどこかの駅で
運転停車を食らった。車内放送では、先行列車の遅れのために臨時停車を
していますっう説明だった。
これ以降、4年弱の間は ” L特急ひばり ”のユーザーになった。 定義がない?
いやいや、定義は宮城県仙台し青葉区大倉字上下1
定義如来西方寺っうのが御在ます。
油揚げが有名なので食べてけろ。 むかしエル特急の由来について5つぐらい仮説を立てて解説してる記事があったが筆者が誰でどこではっぴょうされていたのか覚えていない 「エル」に何の意味もなくても何か新しさを感じさせる語感が良かったと思う 初めて水戸の親戚の家に行くときに
時刻表でL特急を見かけて381系に乗れると楽しみだったけど
181系で超ガッカリしたな 一応、文字表現するときはカナで「エル特急」じゃなかったっけ>>1 L特急のキャッチフレーズ
「数自慢、きっかり発車」
既に死語だね >>313
数自慢はともかく、下り始発駅の発車時刻を毎時XX分に固定してわかりやすくしたのは、
当時の国鉄としては精一杯頑張った方だろ。
上野発のあさまの毎時46分、ときの毎時49分は今でも記憶に残ってる。