L特急
>>54
エル特急とは呼ばんけど、酉はけっこう残存してる。
雷鳥もくろしおもLマーク消されてないし。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>45
>快速が無いのに特別快速があるし、
それ、どこの区間だ?
中央東線も、東北線も、高崎線も快速あるぞ?
ところで、特別快速と新快速は管理局のセンスの違い?
両方があった区間ってあったかな? >>65
多分常磐線の事じゃないか?
ついでに特別快速と新快速が両方ある区間は東海道線豊橋〜大垣 違いは大府に止まるか止まらないか(特別快速運転時は武豊発の区間快速がある) 残存L特急
スーパーカムイ/すずらん
しなの/ひだ
雷鳥/しらさぎ/くろしお/北近畿
やくも/しおかぜ/いしづち/宇和海
南風/しまんと/あしずり/うずしお >>59
中学の時の同じクラスのやつは、
「L特急」ではなく「エロ特急」って連発してたw
最近旅行行ってなかったから、今年の夏は家族を連れて
宮崎に行こうと思ってる。久しぶりに485に乗りてええ。 L特急という名称が登場してからが本格的な特急列車の大衆化の始まりだったようだね。 食堂車なしで自由席ありのチープな列車を「特別急行」と呼ぶのは、さすがにムリがある。
>>73
それは違うだろ。
L設定当時は単純に本数が多いということと自由席があるというだけで
まだ急行以下の列車もそれなりに走っていて利用者にとって
種別選択の自由はあったといっていい。
大衆化というか,ある程度の長距離移動の場合特急しか選択の余地がない
区間が登場しはじめたのが50年3月から。
成田線鹿島線の「すいごう」「あやめ」もエル特急だったという
今は昔の話である 「あやめ」はそうだが「すいごう」はエルじゃないよ。 だが「すいごう」には何故かLマーク付きの行き先表示幕が存在していた L特急ってEL(神)をもじったシャレた特急って勝手に解釈してた。
国鉄時代に183系を使った特急って、格落ちの感が否めない。 結局のところエル特急といってもなにも実益なかった気がする。
発車時刻がきまっているのは下りの始発駅だけだし
途中駅は千鳥停車があたりまえだし
料金も他の特急とかわらないし
>>86
その点ひばりは優等生?
上りの仙台発も固定でしたね。
ただし途中駅発時間と停車駅はランダムでしたが、、 「いしかり」も優等生だね。
札幌発も旭川発も0800〜2000で2時間毎
途中停車駅は岩見沢・滝川・深川
札幌発1800と旭川発0800だけはノンストップ
九州新幹線のダイヤみていて「いしかり」を思い出したりした。
詳しい事は知らないがw画像をうpする。
当時のヘッドマークがデザインに変更直後の『とき』。
DTにしているがアナログで撮影したオリジナルをスキャンで・・・。
http://www.restspace.jp/cgi-bin/orz/img-box/img20100505175010.jpg L特急とは
・かっきり発車(正時・30分)
・数自慢(おおむね10往復程度を基準)
・自由席連結
の列車の総称だが、これが登場した昭和47年には、特急は全席指定が当然だったわけで
かなりのインパクトがあった
ちなみに、全特急列車に自由席が連結されるようになったのは、53.10からです
1サシ2サロなんて知らんのだろうが・・・ >>90
詳細をどうも有り難う。
この撮影当時は確かハナタレの小学生で同志と集まって知識を交換していて。
子供向けの鉄道書籍、鉄道ジャーナルを購入して型式やら記号表記やら、
L特急の意味も当然w勉強してました。
中学以降は部活と悪い遊びをだんだん覚えて・・・忘却の彼方へ。
単車と車に嗜好が代わり、
今は当時のスナップをスキャンしてDTPで覚えたイラレ/フォトショで整え、
壁紙にするのを楽しむヒッキーに成り下がってしまったw
>1サシ2サロ〜
勿論知る由もなくw
ただ言葉の意味は何となく感で察しがつきます。
サシは食堂車を一両、サロはサロンカーでグリーン車が2両・・・かな?
って、ググったら正解だと判りましたw サロの『ロ』
違っていたwお恥ずかしい。
イロハで3等級性の二等車、2等級性の一等車に区分されていた時の名残り。
ちなみに伊豆急行ではサロの内装を元に設計してロイヤルボックスと、
出ておりました。
大変失礼を致しました。 >>89
懐かしいな。ありがとう
両親が新潟出身なんで毎年夏に乗るのが楽しみだった
絵入りのヘッドマークになったときに、そのデザインの缶ビールが売り出されなかったっけ? 「L」の文字のカーブが、新幹線の前頭部の横顔を掛けてるって聞いたよ。
絵付き記念缶は53-10の時だね。当時、子供でビールは飲めなかったけど、
サ○トリーのオレンジジュースで絵付き缶があったよ。 L特急は当時の国鉄の目玉商品だったんだろうな。
L特急グッズが結構出回ってたりしてて、俺も下敷きとか持ってたわ。
駄菓子屋に行けば、ブロマイド(?)みたいのもあったっけw
クジで当たりが出て、ブルトレ消しゴム貰ったw >>95
そのブロマイドだが機関士、助士、列車の影が同じでヘッドマークだけが違う
某国の合成写真のようなものが散見されたw >>96
あったあったwww
並べてみないと、意外と分からなくて、
なかなかの合成技術だと感心した記憶があるw >>94
俺はLマークが181や485ボンネットの横顔に見えた。
だからL特急はボンネット車で運転される特急だと思い込んでたw むしろL特急はスラントノーズ、ってイメージがあるなあ。
登場したのが同じ頃だからだろうけど。 L特急ってのは昼間のスラントノーズ電車特急だと思っていたのは俺だけじゃない筈。 RJの別冊:特急1979に、缶ビールとかスプーンが載ってたよ L特急とブルトレはSL亡き後の、
国鉄の格好の広告塔だったからなぁ。
昔からの鉄道ファンは「L」が付くと、逆に安っぽく思ったのかも知れんけど、
当時の子どもはL特急と聞くと、格好いいイメージがあったのではないかな。 最後が「エルとっきゅう〜♪」で終わるTVCMって覚えてない? >>102
L特急=メジャー
非L特急=マイナー
というイメージはあった。
子供向けの本での扱いがそんな印象だったし。
それと同時に、Lを付ける意味がどこにあんねん?とも思っていた。
今にして思うと、K特急と並んで微妙なネーミングだ。 俺もエルが付くとグレードが上、みたいな感覚だったね。
児童向けの鉄道出版物の書き方が明らかにそういう方向だった。 今じゃ特急といっても全然有難味が無くなってしまったもんなあ 本数自慢というのは、いわば多数派になるから、抜き出て特別な列車ではない感覚におちいった
「特別急行」がなくなる感覚といえばいいか
「白鳥」や「まつかぜ」みたいな本格的長距離の特急がL特急でないことも、そうした感覚をいだく原因だったかも…
余談だが、つい先日、駅の列車案内のアナウンスで、久々に「特別急行」という言葉を聞いた(車内では車掌によって常用する人がいる)
八王子駅で…
「スーパーあずさ」「あずさ」はもちろん、「かいじ」や「はまかいじ」も特別急行だそうだ 厳密に言うとだな単純に「急行列車」という場合
普通急行列車と特別急行列車の2種類を指す。
ただ世間一般の常識だと
「急行列車」=普通急行列車
「特急列車」=特別急行列車
なんだな。
何か"L=low"っていう印象がある…。
こんなものの登場が特急の品位を地に貶めたとさえ言いたいところ…。
所謂「ゴー・サン・トー」で「はつかり」「やまびこ」なんかがこれに編入されて、
全昼行特急が自由席付になった時はホントに失望した。
この時、3往復の「つばさ」「やまばと」「白山」まで加えられたんだから、
はっきり言ってもう意味なくなってたと思える。
>>90
やはりそれだと「ひばり」が一番シックリ来る。
最高15往復くらい走ってた。
クロサロサシ入り13両の485系編成ってのもあったような…。 北斗は最初3往復で後に6往復8往復と増えていったのに
何故L特急にならないんだろうと子供心に不思議だった。
なぜなら「やくも」だって181系DCだった時でもL特急だったんでね。 >>115
15往復の頃(53年10月改正時)は485系×12連のみですな。
13往復の頃が485系が12両と13両、そして583系もあったりとバラエティーに富んでました。 そう言えば、駅や車内の放送で、わざわざ「『L』特急○○△号、□□行」、
なんて称されたことあったのかな…?
四国に住んでいるオイラは、子供の頃「しおかぜ」がL特急になった時は喜んだものだな。
ところで、「しおかぜ」はL特急になった時はヘッドマークのLマークが他と違って右上にあったけど、
それ以外にLマークの位置が異なっていたのは左下の「いなほ」と「踊り子」以外あったかな?
ちなみに「しおかぜ」は瀬戸大橋線開通でヘッドマークのデザインが変更され、Lマークも通常の左上に
移動し、2000系量産車投入でさらにヘッドマークが変わり、Lマークが消滅したが… >>119
当方には定かな知識はないけど、
分割民営化後は会社毎の独自性も出てきたから、いろんな意味で
「変わり種」もそれなりにあったんだろう…。
「L」のマークとは違うけど、東海は列車名の前に「ワイドビュー」
なんて付け始めたし. >>118
エル特急ではじめのころだと
昼行特急列車だと「特急」も少なく「特別急行」のほうが多かった。
くだらないことだが,まだ横長マルス券でなく縦長マルス券全盛期に
東京近郊の各駅で特急券だけを買うと表題部のゴム印も「特別急行券」
が主流だった。昭和50年3月以降あたりからこれらが「特急券」に
かわりだした。なお普通乗車券と抱き合わせのときは「乗車券・特急券」だった。 初めてそれが設定された時,国鉄はどんな広告出したのか…。
「47年10月2日のダイヤ改正に伴い、以下の列車を『エル特急』と致します。
これは、1日に或る程度の本数があって自由席が付いており…」
なんて能書垂れた? >>116
北海道では485-1500が走り始めた36年前から今日に至るまで、電車特急よりも
気動車特急のほうがステイタスが上なんですよ。
国鉄時代は「L特急」=電車特急の代名詞、みたいにマスコミ報道でも普通に
使われていました。
「北斗」なんて国鉄全体で見ればローカル特急の部類でも、北海道だけで見れば
G車連結のれっきとした長距離特急であり、「いしかり」「ライラック」とは
明確に区別(差別?)する必要性があったのではないでしょうか。 >>123
「みどりの窓口」のアナはそういう能書きたれていたね。
当時おれは非鉄だったがなぜか妙にあの番組だけは好きだったから覚えている。 昨今は「L特急」の称号止める風潮が強まった印象だけど、
結局一般的にどれだけ浸透したって言えるのかね?
何か、時刻表の編集の手間増やしただけ、みたいな感じもする…。 おれは東北に住んだだからわかるけど,かなり効果はあったと思う。
昭和50年3月改正当時の一般人の感覚では
「特急とはそう簡単に使えない特別な列車」というイメージが根底にあるところに
「でもエル特急『ひばり』なら特急券なしで飛び乗ってもいい列車」ということが定着した。
福島の人が郡山にいく用事があり駅にきた。普通列車なんてどうせろくにないし時間も
かかるのでこの時代は急行利用が普通だけど,てごろな急行がない。いそいでいる。
でもちょうど「ひばり」がある。ちょっと高いけど利用しよう。となれた。
大宮から福島にかえろうとした。時刻表みる。「急行」か「エルひばり」を目でさがす。
郡山あたりの人だと「あいづ」は「気楽に乗ってはいけない」と誤解していた人すら
いたぐらいだ。
むしろそういう価値観が定着していたからこそ53年10月改正で「はつかり」「やまびこ」
などにもエルマークをつける必要性があった。いくら「すべての特急に自由席がつきます」
と宣伝してもネットもない時代で,鉄道雑誌を愛読する人でもない限りなかなか
頭の切り替えはできない。「エル=自由席」という特殊性が浸透した効果の1つだろう。
その証拠に後に新幹線が開業したが,新幹線=特別な乗り物=気軽に乗ってはいけない
などと勘違いしていた人が開業当初は多かったんだよ。
丁度欧州でTEE(全車1等・低頻度運転)からIC(2等本位・高頻度運転)へ
変化したのと似たような事情だな
あちらでもTEEは気まぐれで乗れるような代物ではなかった
今やICは大衆化して特にドイツやスイスでは1時間ネットダイヤの自由席本位、
日本からのパス利用者など優等列車という意識なしに利用できる >>114
それから上越新幹線開業後に新幹線接続特急となった「いなほ」がL特急で、
「北越」がL特急でなかった不思議さ・・ >>130
その辺は各鉄道管理局(「いなほ」…秋田,「北越」…金沢)の意向次第だったとか…。
まあ、そう考えたとしても不可思議さがなくなるわけじゃないけど。
それにしても、当の国鉄(JR)が「L」と非「L」の違いをどう考えていたのかは、
ちょっと興味が持てたりする…。 >>131
「ダイヤ千一夜」を読んでると、そのへんの事情がなんとなく想像できますよ。
当時、スジ屋さん系統では特急列車はいくら増発してもすぐに満員になって増発要求が出る
金の卵状態だったみたいで、とにかく増発が至上命題だったそうです。
スジ屋さんに限っていえば、L特急も特急も違いはなかったようで、むしろ上記レスにあるように
営業サイド、特に利用者への意識改革(?)に主眼があったと理解できます。
・・・むしろ、55年10月以降の「減量ダイヤ」や、ホームライナー、新特急のコンセプトのほうが
インパクトがあったようです。 >>132
それはまだ見たことないけど、面白そうな予感はしてきた…。
ところで、「L特急」の名称云々は置くとしても、そもそも、優等列車の自由席、
つまり、運賃の他に特別料金を徴収しておきながら座席は保証せず、
なんてことが許されていいんだろうかと常々思う。当然新幹線についても。
一方では、昨今の「モラルハザード」は目に余るもので、私見では「自由席=勝手席」
っていう印象もある…。
時間に追われている現代人からすれば、
昔の全車指定や号車指定(定員制)は
特殊な目的(遊覧列車、グリーン車、
寝台車等)を除いて無理があるんじゃ
ないかな。
自由席車基本の急行を特急に併呑した
時点でこうなる運命だったと思う。
ただ、いかにも特急型という車両を国鉄時代なんかは使用していただけでも
今のような「急行まがいの特急」よりは風格もあったし、今となればL特急の名称にさえも風格を覚える。
>>135
その特急を安っぽくした素地ができてたのは、国鉄時代の1982年11月と、1985年3月改正あたりだろう。
今のJR特急は、もはや車内設備に斬新さはなくなったものの、普通車は国鉄時代の
ものより明らかにレベルアップしてる。
その先鞭を切ったのは九州のハイパーサルーンだが、従来の485系より車内はグレードアップ
したので、乗ってみたいワクワクさがあった。
その後651系やキハ85系、787系電車あたりまでは民営化ならではの良さを感じた。
ただその後の新型特急車両はときめきを感じなかったけど。 1975年頃までは、特急は大型連休等の多客期に全車指定席になるケースが多かった。
で、この年の5月号の時刻表(交通公社B5版)では、季節列車で「5月5日運転」の上り「あずさ10号」
について、全車指定席だからということで「L」のマークを表示していなかった。
他の「あずさ」には当然その表示があっただけに、この扱いには目を見張らされたと共に、
何か杓子定規的なやり方という気もした…。 下り1号と上り10号は運転されることが珍しい「あずさ」だったからな。 昔は時刻表の巻頭が「新幹線・L特急・寝台特急」だったけど、いつからだったか、
「L特急」は「昼間の特急」に変わった。
まあ、実際は「ゴー・サン・トー」を以てL特急の通称には意味がなくなったわけで、
この時に「昼間の特急」に変わっててよかった筈だけど…。
エル特急の旅っていう本があったな。弘済出版社だったかな?
旅行ガイドブックの体裁で各停車駅での売店、駅そば、跨線橋、乗車位置、
停車番線、乗換列車の番線が書かれており当時としては結構マニアックな
編集だったと思う。ルポもあり各特急の歴史解説は須田寛氏が執筆。
>>141
「ときの旅」「あずさの旅」が最初だったかな。
「さざなみの旅(含わかしお,あやめ,しおさい)」
「くろしおの旅」
このあたりは今でももっているよ。 >>141
最高は「はつかりの旅」でしょう。
編成絵柄と、ホーム毎の停車位置、ホーム設備のイラストがあったのはまさに特筆。
仙台、盛岡、青森は結局全部のホームがかいてある始末。
はつかり11号ルポルタージュでは、仙台駅1番線の写真を盛岡駅1番線といきなり誤植。
あの短い盛岡駅1番線で、何処に止まるのか、真面目に探したよ。
昭和33年10月のダイヤがついていた。 書き忘れ!
あと、対象列車すべての駅(信号所含む)の運転時刻秒単位まで書いてあった。
上野(井堀)、大宮(操)、郡山(タ)、八戸貨物、青森(操)…
新幹線開業までとにかく役立った最高のバイブル。 そんなマニアックな本があったのか、見てみたいもんだ。
俺は廣田なおたかさんのワイド写真集がバイブルだったかな。
ヤマケイレイルシリーズとかいう奴。
あとコロタンとかケイブンシャとかの厚い本。 コロタンのブルートレイン全百科? あれも凄い懲りようだった。
編成は勿論、換算両数、さらには区間ごとの速度種別まで。
各列車の要所の通過時間を克明に綴ってあった。
笑ったのは、旧管理局の区分駅の通過時間まで書いてあった。石越とか。
ゆうづる7号のページは、いまだに忘れられないよ。
姉妹列車の擦れ違いポイント、運転停車(勿論秒単位まて!)、さらには夏至、冬至、彼岸の頃の、日の出時刻まで書いてあった。
常磐線の夜ノ森あたりでしきりに運転停車してたなぁ…。 読んでみたかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >>146
それどころか「はつかりの本」なんて東北線の1時間目ダイヤまであった記憶。 L特急の一番古い思い出といえば
国鉄のテレビCMで電車のサイドシルエットが
Lマークに変化する奴ってあったよね
流れ星の絵がブルトレマークに変化するのもあった
オレの鉄道に対しての一番古い記憶はこれかもしれんなぁ 森繁久彌の新幹線CMは?
赤い光:トントコ、トントンとこれは速い!…とか言ってたよ♪ >>152
東京〜博多6時間56分,8710円はいまでも覚えている。 山陽新幹線博多開業時のダイヤ改正で「しらさぎ」「雷鳥」「やくも」「有明」「にちりん」が
L特急化されて、「加越」「しおさい」「あやめ」が新設された。
…
振り返ると、この辺りで打ち止めにしとけばよかったものを…って気もする。 >>154
長崎本線・佐世保線の昼行特急はいらないのですか・・・・。 >>155
確かに「かもめ」「みどり」の設定で従来の急行より20〜30分短縮された、
ってことはあったから(時刻表にそういう宣伝があった)、
その意義を無視することに異論を唱えられることは分からなくもないが…。
これらの列車の設定は山陽新幹線博多開業の翌年だけど、
50・3・10で新設された列車との時期のずれに目をつぶったとすれば、
増発された「有明」「にちりん」とほぼ同列に扱えるわけか…。
何れにしてもまた考えてみる。 >>156
実際問題,昭和50年くらいだと「全車指定席」の特急だって当日乗車を希望する旅客に
満席ならば「立席特急券」を発売していた。立席とはいえ発売枚数に制限はあったので,
発券するにはいちいち列車を指定してマルスを叩いていた。この制度は極めてイレギュラー
の措置だったので当時の時刻表にもその案内は掲載されていなかったがこれが「常態化」
していた。特急大衆化の幕開けともいえよう。国鉄としてはそんな状態であれば
いっそのこと特急に自由席を付けて区間だけを指定した自由席特急券を無制限に発売して
あとは座るなり立つなり好きにしてくれ・・・とするほうが合理的だったので
53年10月改正でのすべての昼行特急に自由席を設定し,この段階で「特急」と「エル特急」
の実質的な差がなくなる。
その後,JRになってから「かがやき」「きらめき」「成田エクスプレス」など新しい意図からの
特急どうしの間での差別化が始まり,「エル特急」の存在意義(?)が復活
したかに見えたが,その後は同じ料金体系の「特急」であってもJR各社により
その位置づけは異なってきたので会社ごとの特急料金の「部分的見直し」が繰り返されて
今のような複雑怪奇な料金制度になってきており,「エル特急」以前に「特急」という
統一呼称自体の存在意義すらもなくなっているのが現状である。 ついでにいえば「立席特急券」が発売された理由は,「全車指定席」とはいえ
満席を承知の上で特急券なしで強行乗車するお客が少なからずいて,(全車
寝台の夜行列車も例外ではなかった)そういう場合車掌の判断で次の駅で下車
してもらったりデッキ立席を条件に車内で指定席特急料金を徴収するなどしていたが
そんなことならば,乗る前にきちんと特急券を買ってもらい料金を若干安くしてあげる
よ・・・というこれまた「妥協」の産物。 「L特急」のイメージは「本数が多い」ことだな。
自由席があっても1、2往復位なら「特急」のイメージ。
最盛期の「ゆうづる」はさしずめ「寝台L特急」ってとこか。 東がゆうづるなら西はあかつき、彗星あたりか。
20系、14系、24系、24系25型と車種も豊富。 「数自慢」はL特急の第一のキャッチフレーズだったけど、
「ゴー・マル・サン」辺りから、「しおさい」の5往復、「あやめ」の4往復
なんてのが出てきたりで、訳の分からない状況に陥った。
「ゴー・サン・トー」では更に、3往復の「つばさ」「やまばと」「白山」
もL特急化。で「つばさ」と同じ3往復で運転区間も類似した「いなほ」は
非Lだったから、ますます理解不能的な事態に…。
そういや、「白山」がL特急になった後も「はくたか」はLにならなかったね。
「とき」「いなほ」との重複区間は上野−長岡だから、このくらいの距離なら、
「はくたか」「いなほ」は「とき」とまとめてLで良さそうなものだけど。
「しおさい」「あやめ」は、東京−佐倉間がL特急ってことだったんだろうけど、
こっちは自由席連結って意味でLだったのかもしれないねぇ。
っと、そういや、「はくたか」とか「いなほ」って、自由席はあったっけ? ちっと記憶が定かじゃない。