L特急
L特急の一番古い思い出といえば
国鉄のテレビCMで電車のサイドシルエットが
Lマークに変化する奴ってあったよね
流れ星の絵がブルトレマークに変化するのもあった
オレの鉄道に対しての一番古い記憶はこれかもしれんなぁ 森繁久彌の新幹線CMは?
赤い光:トントコ、トントンとこれは速い!…とか言ってたよ♪ >>152
東京〜博多6時間56分,8710円はいまでも覚えている。 山陽新幹線博多開業時のダイヤ改正で「しらさぎ」「雷鳥」「やくも」「有明」「にちりん」が
L特急化されて、「加越」「しおさい」「あやめ」が新設された。
…
振り返ると、この辺りで打ち止めにしとけばよかったものを…って気もする。 >>154
長崎本線・佐世保線の昼行特急はいらないのですか・・・・。 >>155
確かに「かもめ」「みどり」の設定で従来の急行より20〜30分短縮された、
ってことはあったから(時刻表にそういう宣伝があった)、
その意義を無視することに異論を唱えられることは分からなくもないが…。
これらの列車の設定は山陽新幹線博多開業の翌年だけど、
50・3・10で新設された列車との時期のずれに目をつぶったとすれば、
増発された「有明」「にちりん」とほぼ同列に扱えるわけか…。
何れにしてもまた考えてみる。 >>156
実際問題,昭和50年くらいだと「全車指定席」の特急だって当日乗車を希望する旅客に
満席ならば「立席特急券」を発売していた。立席とはいえ発売枚数に制限はあったので,
発券するにはいちいち列車を指定してマルスを叩いていた。この制度は極めてイレギュラー
の措置だったので当時の時刻表にもその案内は掲載されていなかったがこれが「常態化」
していた。特急大衆化の幕開けともいえよう。国鉄としてはそんな状態であれば
いっそのこと特急に自由席を付けて区間だけを指定した自由席特急券を無制限に発売して
あとは座るなり立つなり好きにしてくれ・・・とするほうが合理的だったので
53年10月改正でのすべての昼行特急に自由席を設定し,この段階で「特急」と「エル特急」
の実質的な差がなくなる。
その後,JRになってから「かがやき」「きらめき」「成田エクスプレス」など新しい意図からの
特急どうしの間での差別化が始まり,「エル特急」の存在意義(?)が復活
したかに見えたが,その後は同じ料金体系の「特急」であってもJR各社により
その位置づけは異なってきたので会社ごとの特急料金の「部分的見直し」が繰り返されて
今のような複雑怪奇な料金制度になってきており,「エル特急」以前に「特急」という
統一呼称自体の存在意義すらもなくなっているのが現状である。 ついでにいえば「立席特急券」が発売された理由は,「全車指定席」とはいえ
満席を承知の上で特急券なしで強行乗車するお客が少なからずいて,(全車
寝台の夜行列車も例外ではなかった)そういう場合車掌の判断で次の駅で下車
してもらったりデッキ立席を条件に車内で指定席特急料金を徴収するなどしていたが
そんなことならば,乗る前にきちんと特急券を買ってもらい料金を若干安くしてあげる
よ・・・というこれまた「妥協」の産物。 「L特急」のイメージは「本数が多い」ことだな。
自由席があっても1、2往復位なら「特急」のイメージ。
最盛期の「ゆうづる」はさしずめ「寝台L特急」ってとこか。 東がゆうづるなら西はあかつき、彗星あたりか。
20系、14系、24系、24系25型と車種も豊富。 「数自慢」はL特急の第一のキャッチフレーズだったけど、
「ゴー・マル・サン」辺りから、「しおさい」の5往復、「あやめ」の4往復
なんてのが出てきたりで、訳の分からない状況に陥った。
「ゴー・サン・トー」では更に、3往復の「つばさ」「やまばと」「白山」
もL特急化。で「つばさ」と同じ3往復で運転区間も類似した「いなほ」は
非Lだったから、ますます理解不能的な事態に…。
そういや、「白山」がL特急になった後も「はくたか」はLにならなかったね。
「とき」「いなほ」との重複区間は上野−長岡だから、このくらいの距離なら、
「はくたか」「いなほ」は「とき」とまとめてLで良さそうなものだけど。
「しおさい」「あやめ」は、東京−佐倉間がL特急ってことだったんだろうけど、
こっちは自由席連結って意味でLだったのかもしれないねぇ。
っと、そういや、「はくたか」とか「いなほ」って、自由席はあったっけ? ちっと記憶が定かじゃない。 >>162
「はくたか」にも「いなほ」にも自由席はありました。
53年10月改正時に昼行で毎日運転の列車で全車指定席だったのは急行「くりこま」1往復のみ。 >>162
ただ、「しおさい」も「あやめ」も設定当初は佐倉には停まらなかった。
だからその論法で行くと、「さざなみ」「わかしお」共々、「東京―千葉」
ってことになる…。
まあどっちにしても推測でしかない話だし、当方の個人的思いとしては
L特急のLは"low class"だから、房総特急みたいなのには似合いだってとこだけど。 東北本線・奥羽本線・常磐線系統だと、53-10以降は、
Lじゃないのは「みちのく」「あいづ」のそれぞれ1往復ずつしか無かったんだよな。
だからむしろ、Lじゃない列車の方が格落ちに見えた。
「あいづ」は食堂車無しだから、なおさら。 最長距離エル特急は「はつかり」と「つばめ」とどっちが長いだろう。 つばめがエル特急だったときには岡山〜博多じゃなかったか? 廃止直前の「つばめ」の運転区間は主としては岡山〜熊本だった。
博多・西鹿児島発着もあるにはあったが…。
そもそも、L特急の名称自体が山陽新幹線開業後の設定だから、東海道線の
昼間の特急に付けられたってのはちょっと想像し難い。
岡山〜西鹿児島だと,走行ルートに沿った距離で782.4kmだから(運賃計算上は
岩国〜櫛ヶ浜を岩徳線経由で760.7kmという扱い),
これでも、上野〜青森の735.8km(これも尾久経由の距離)より長い。 >>161-162
白山がL特急になった理由は、上野口であさまと同列の長野方面を結ぶ考え方から。
そのため既にL特急だったあさまと合わせてしまった。
つばさとやまばとは奥羽線で合わせて6往復のこじつけでL特急に。
ならばはくたか・いなほは、ときとペアでL特急にならないのはおかしい見方もあるが、
53年10月改正時で増発が間に合わなかったのと、それらをL特急にすると新潟へ行く旅客が
誤乗する可能性から見送ったと推測される。
また首都圏から北陸・庄内方面の長距離客が多かったのもあるだろう。
白山も北陸方面の長距離客が多かったから、それはおかしいと思う輩もいるだろうが・・ なんで北越、白鳥は雷鳥とあわせてL特急化しなかったんだろうね >>173
昭和50年3月の時点で全車指定席だったからだよ。
ついでにいえばそれ以前は「雷鳥」「しらさぎ」も全車指定席。 >>173
1往復の列車でさすがにL特急にしないでしょう。
北越も昭和53年10月に大阪〜新潟を雷鳥に吸収されて1往復になったし、それを言えば
あいづ・みちのくもL特急にしないと・・
ただこの時期にこじつけL特急が多くなったせいか、最終的に白山が1往復でL特急という
妙な事になっていた。 特急が限定列車だったころ特急料金なんて個別具体的に三角表があっただけ。
キロ帯料金表なんてなかった。
その時代に比べて昭和53年10月なんて名前が同じだろうが違かろうが
全部自由席付だし,全体としてすべてエル特急といったようなもんだ。
つまりそのころすでにエル特急の呼称の存在意義はそういう面ではなかった
が・・・利用者の意識改革には役立ち短距離利用需要を発掘した面では
貢献していると思う。 ただその分、遠距離客は飛行機にシフトしたような…。
国鉄はそれも良しと考えたんだろうが。特に首都圏対北海道に関しては、
55・10・1改正以降自ら率先して航空機に客を献上したようなもんだし。
で、ふと思ったが、多少は特急らしい(と個人的には思う)「サンダーバード」
は非L特急で、残った「雷鳥」はL特急というのが、この称号の位置付けを象徴
してるような気もする。「スーパーやくも」と「やくも」の関係もそんな感じ。 もともとの特別急行列車は長距離長編成でその沿線の選ばれた駅に停車して
その駅相互間の利便性を図り,そこでどのような需要がうまれるかは利用者
しだいというものだった。特急が増発されてエル特急がうまれても昭和53年
10月改正まではそのスタンスだったと思う。後,エル特急が頻繁運転されている
のを基本ベースとして,上位特化した全車指定席特急を走らせたり,
区間限定版の特定の2地域相互間の需要に特化した特急を走らせたりという
スタンスに変化してきた。 この称号を最後まで残すのは何処の会社か…?
そこが一番国鉄にベッタリ、ってことになりそうだけど…。 >>180
多分北海道じゃないかな
北海道では長距離が特別急行で短距離がL特急と定義しているみたいだから
もっとも北海道は既に国鉄型特急車両引退したから、L特急らしくないが・・・
>>181
当方としては、東日本が一番先に全廃(他社との直通列車は別にして)したのが
ちょっと意外だった。ここが一番国鉄的色彩を引き摺ってると思ったからだけど、
考えてみるとそれは東海か…。
「国鉄親派」的かどうかって考えると、車両の形式を全く独自のやり方に変えた
四国(最も非国鉄的!?)からこの次消える予感もするけど、果たしてどうなることやら…。 ≫182
2002年12月、東日本。
2008年7月、九州。
2010年3月、西日本。
2011年3月、四国。 >>183
最近の時刻表見たけど、本当に北海道と東海関連以外の列車からは
「L特急」は消滅してたんだ…。
ちっとも気付かずにいて、浦島太郎みたいな気分だった。
迂闊の謗りは免れないとこだろうけど…。 ひだはJR化後に登場したL特急というのが驚き。
既存L特急との重複路線以外では珍しいのでは。 そもそも「数自慢(やたら乱発)」なんていうのは「特急」のあるべき形態と全く相反。
「数が増えれば質が落ちる」を、今のJリーグと共に象徴してる(してきた)と思える…。 うむ。
激しく同意。
量を拡大すれば裾野が広がり結果的に質も向上するというのは、嘘。 >>188-189
だからお前らは駄目なのだ
そら鉄道しか輸送手段がなければ全席指定特急1日2往復でもいいがな >>190
だから「どこで手を打つか」を考える必要があるってことだ。
現状の施策は明らかに「量」に偏り過ぎてるからもう少し「質」にも目を向けるべきって言ってるんだ。
何でそう「ゼロか百か」的な発想しかできんのだか。
>>191
485系とキハ80系で全国に特急を走らせ始めた頃より明らかに質が高いけど?
(車内販売さえ満足に行われなくなった供食サービスについては除かなければならないが)
昔はよかったと言って現状をDISる、ゼロか百かの発想しかできないのはどっちだか
急行的特急と特急的スーパー特急を交互に運転する並立より、
急行的特急を続発する方を利用者が選んだ
だから、のんすとっぷしゅごーいかっこいーひょうていじそくしゃっきろキャッキャッ!って喜ぶマニアにとってどうあれ、
利用者にとっては間違いなく質が向上しているんだ 車内販売がどうのというが
今と昔背景が全然違うじゃないか。
いくらでもどこでも車内よりははるかに廉価で買い物ができるだろ。 急行がないのに特急・特別急行って言われてもな。特別感がない。 >>194
ちょっとスーパーおきに、新山口から、出雲市あたりまででいいから乗り通してみ?
車内販売は津和野から益田まで乗るけど必ず無視すること。 >>192
現状に疑義を呈した事をすぐさま「何十年も昔に戻せ」って主張に結び付けるのが
0か100かだけの発想そのものだ。 いやさ,ドリンク類はいいとしても
弁当を載せて売ったとする。
売れ残れば全部赤字。
幕の内しかなければクレームもでる。
ちょっと地元産の食材を使って子供がたべて下痢でもすれば損害賠償だとなる。
こんなご時勢にまともに車内販売なんてやれるかってことよ。 >>198
そんな事ぐらいで腹壊してたら何も食べれないじゃないか?
ちょっと頭おかし過ぎるだろ
>>194
いくら外にあるとは言っても駅弁売ってない駅では全国どこでも同じ物しか売ってないコンビニしかないからあった方がいい
旅行に出掛けてまでいつもと同じ物食べるのも詰まらないだろ >>199
売る側の身になって考えろってことさ。若造が! 議論以前に、旅客の質が落ちた。
優等車にdqnが乗る時代 特急が大衆化したのはいつごろですか?
具体的には中流家庭の人が、帰省や行楽などで特急を利用するようになった時期。
今は大学生でも普通に特急に乗る。
昔だったら学生の特急利用など言語道断、急行すら身分不相応で、夜行の旧客で移動していたらしい。
一般家庭でも特急は高嶺の花、憧れの目で遠くから眺めるもので、急行利用が関の山。
特急は富裕層や会社の重役さんとか限られた層が利用するものだったらしい。 流石にいつの時代のことだよ、学生といえば周遊券で急行あっちこっちじゃないか >>206
急行が分不相応って
それは戦前〜終戦直後くらいの話だよな。 クリーム地に赤いラインの国鉄時代のL特急が一番懐かしいという指摘は示唆的な意味合いを帯びてくるであろう。
じじつ最近の特急はやたら奇抜なデザインで走らせているが、換言すれば、それは飽きっぽさの発露に他ならない。
やはり、シンプルなデザインが一番飽きが来ないということ、これである。 それは新幹線が走っている地域のみ通用する論理だな。 >>206
今の大学生は昔(バブルの頃)に比べて貧乏だから、列車利用なら18切符だろ。 >>206
エル特急が出たころ以降だろう。
ただし、それ以降でも短距離の利用に限ると、
よほどの金持ちじゃないと特急なんて使わないということはあった。
例えば昭和50年3月10日当時の
200キロまでの自由席特急料金が600円でこれが初乗り(今だと510円)
八王子〜新宿間をこの大枚600円を払って特急利用するなんぞ
それこそ重役かよほどの金持ちくらいだった。
これが国鉄の狂乱値上げで最高になったのが
その数年後200キロまでの自由席特急料金が1000円で初乗りというのがある。
今だって1000円払って八王子〜新宿を特急利用するとなると
どれだけいるだろうね? ↑
なお、昭和50年3月10日の他の物価で覚えているのが、
都内のタクシー料金が2キロまで280円(以降50円ずつ増)。
自動販売機の缶コーラ(250ml;関東地方)が70円。
大手3紙の駅売りが30円。
週刊誌が1冊180円〜程度。
交通公社の大型時刻表が400円。 白山がエル特急で、はくたかがエル特急でなかったな。 ついでにいえば、昭和50年3月10日といえば
日本銀行券の壱万円は聖徳太子。千円は伊藤博文、五百円は岩倉具視で、
いまよりもはるかに「五百円の価値」「千円の価値」はマインド的にも高かった。
後に、壱万円が福沢諭吉になったとき、見るからに新札のほうが安っぽく、
聖徳太子の札はすぐ駆逐された(悪貨は良貨を駆逐する)。
五百円札はなくなり、五百円硬貨となり、日本人に「高級志向」が芽生えだし、
バブル景気になったころ、急行が淘汰されるのとあいまって
特急料金にも50キロ帯や100キロ帯が登場しだした。 最近は色んな奇抜なデザインや独自の色を塗ったのばかりだけど、クリーム色に赤のツートンカラーの車両が一番懐かしい
小さいボトルに熱湯とティーパックが入ったお茶とか、ペットボトルの普及ですっかり見かけなくなった S57.11に誕生した、「谷川」「白根」と、非Lだけど「あかぎ」が、特急列車の威厳を大きく損ねた気がする。
今でこそそれなりに当たり前だけど、末端区間が普通や快速になる特急って初めてだったので、
時刻表見た時は軽くショックを受けたよ。
あと、L特急の谷川・白根と、当時はL特急ではないあかぎが併結するのも、違和感を覚えた。
これもその後にいくつか事例ができたけど。 特急の威厳を損なわせたのは「あやめ」「しおさい」「さざなみ」「わかしお」
そして「いしかり」だと思うが。
かりに当時「成田エクスプレス」があったとしても、料金体系とのアンバランスから
さんざん批判されたと思う。
狂乱料金の「最盛期」だと東京〜成田空港で当時のルールだと
特急料金が1200円(普通車指定席)
グリーン車となるとプラス2000円で3200円。
この狂乱最盛期の特急・急行のグリーン車なんて
よほどの繁忙期でもない限り、いつも車掌2人が悠々とくつろぐ
空気輸送車輌だったけどね。 >>220
当時既に白山は2往復くらいあったが、はくたかは1往復だったからな。
はくたかはけっこう傷んだ感じのボンネット型をけっこう遅くまで使っていた。 >>62
東海道線と横須賀線の主従関係考えたら、
MS分離だよな 横須賀線は全線電車特定区間
東海道線は通常の幹線でしかない >>225
はくたかやいなほって、白山やつばめよりマイナーだったよな
東京と北陸、東京と秋田で見れば所要時間は変わらんのに
どちらも新潟県を経由するのが遠回りな印象だったのか? >>231
平面的な地図や路線図だけで見ちゃうと
そう思われるわな
実際は、つばさや白山には板谷峠や碓氷峠という難所があるからロスがあるんだけどね 北陸はくたかなど直通列車に乗る場合は信越線経由の乗車券で乗車可
同じくいなほで上野(大宮)−秋田間に乗る場合は奥羽線経由で可
さらにあけぼの、いなほで上野(大宮)−青森間は東北線経由で可 だったような
どの道周遊券のルートがかなり選択可能だったのであまり意識せずに乗ってたな 遠回りでも所要時間が短い場合は列車特定扱いにならなかったらしい
当時の時刻表にもはくたかや北陸には、あの長い注意書きがついていない うーん、勘違いだったかなと思って57.11の時刻表を見たら
北陸の北陸信越線のページに注釈が付いてた
どっかのタイミングで設定削除されたのかな ケースバイケースだった様子
同名列車でも上り下り・改正前後・定期季節で設定があったりなかったり JR北海道でライラックが復活するけど
代わりにL特急は全部廃止になっちゃったね
残りは東海の3列車のみに いまでも381系やくもの絵入りヘッドマークの幕には[L]マークが入ってるね
国鉄時代からそのままの幕なんだろうね >>235
それで間違いないよ。
「富士」だって、鹿児島、西鹿児島までならば、鹿児島本線経由で可だった。 きうしう馬鹿www
遅くまで使ってたのは北海道&東海だろアホw 昭和50年3月の時刻表を見ると、
直江津〜高崎の列車特定は「はくたか」「北陸」「よねやま」
大宮〜秋田・青森の列車特定は「いなほ」「天の川」「鳥海」
福島〜青森の列車特定は「津軽」「あけぼの」
ありそうでなかったものは
「まつかぜ」の尼崎〜幡生。
ちなみに筑豊本線関係では、列車特定も経路特定もなし。
だから、かつての「かもめ」で佐賀へ行く場合などは
乗る編成によって運賃や料金が異なる場合がありえた。
ここは時間がかかるほうが実は距離は短いというややこしい
ところだった。 わざわざ筑豊回りを選んでのった人もいるんかな
まあ、佐賀ならだいたいは熊本つばめが
最適なんだろけど >>246
指定席の余り状況によってはいるんじゃねーの?
実際に「かもめ」で佐世保線方面なら筑豊経由確定だが。 時間がかかる経路へのインセンティブが実現できている場合や
救済措置が不要な状況ならば特例適用は無かったんでは