1960〜70年代の路面電車総合 1系統
廃止された都市・路線はもちろん、現存するものでもOK。
懐かしい時代のの路面電車について語ってください。 古いのが生きていると言うより、昔が最先端の軌道だった過去の遺産のお陰と言うか。
堺のLRT計画がずっこけたら路線の存続すら怪しいが。 電停、車両ともに近代化を怠ったのは事実だ。
何といわれようと早く改革に着手すべきだった。 >>87
それは歴史の後知恵やね。「何と言われ」たら、どのように相手を説得するのか?
地方の場合 軌道系交通が斜陽になった時代は、
バスに更新する方が圧倒的に費用が安く収益性も高かったから、
路面交通の近代化の回答がバス化だった。
大都市の場合 軌道系交通の近代化は地下鉄建設が進められ、
優先度の低いところはバスで近代化を計り、地下鉄の補完も担わせる事にした。
地下鉄建設に多額のの費用が掛るから、路面はバスで一元化して、費用対効果を追求した。
当時は路面電車は斜陽産業だったから車両メーカーも新車開発を殆んどしていなかった。
(大都市での廃業が多く中古の供給が山ほどあったから)
そんな時代に車両の近代化やシステムの近代化を構築しようにもノウハウを持っている所が無い。
結局路面電車の近代化はエコロジーが叫ばれている今しか出来なかったという話。
これすら一過性のブームで終わるか、永続的な採算性が見込める分野に育つかまだ判らんが。
繰り返し言うが、路面交通を近代化できなかったのではない。
当時考えられていた最も簡単で効果的な近代化の手段が路面電車の更新ではなくバス化だっただけ。 大半の路面電車のバス化は定時性の喪失により失敗に終わったけどね。
この時代に路面電車活性化の手を打てなかったことは、どうしても悔やまれる。
広島や松山のように地下鉄を必要とするほどの規模でない都市はちゃんと路面電車が存続しているから、
時代の趨勢に流されやすい日本人気質の中ではよく残ったと逆に感心する。つまりムードではなく、ちゃんと費用対効果が冷静に計算されたと思われるから、
これはこれで良かったと思う。
まあ、大分や和歌山のように一般人から見て残念なところも有ったのも否定はしないけど、
残せなかったところは、内部的に何がしかの問題点を包含していたのだろうと思う。
路面電車不要論は大都市ほど酷かったように思う。
その点でいうと広島はよく残せたな。 札幌はオリンピックが無ければもう少し路線残ってたんだろうね 岐阜のマイカードライバーは、安全地帯がない停留所での
路面電車が乗降中の一時停止をよく守っていましたね。 岐阜はあかんやろ。岐阜市議会の廃止決議まで通っていて、名鉄でなければこの時代に廃止だ。
広島は地下鉄計画や軌道敷の高架道路化計画などがあった。100万人都市で路面電車が基幹交通として残ったのは奇跡といえる。
そう。ゼネコンはウハウハ。
広島は地下鉄のパンフレットまで作っていた。路面電車はルートを変更してデルタ南部の一部分のみにする計画になっていた。
路面電車の廃止は近代化以前より交通麻痺によるダイヤ乱れ+架線施設による都市景観で廃止された要素が大きい。
住民にしたら電車なのに時間に正確で無い、架線が景観を醜くくしてると言ってたし。 軌道敷を車から守り大量輸送機関の路面電車を育てるのが行政の仕事だろうに。 渋滞の対策で「クルマの通行台数も」規制するという当たり前の事を実質的にやらなかったしな。(今もだが)
当時、というか高度経済成長期以降現在までの交通政策は、結局クルマ拡張政策でしかなかった。
実際、市電を廃止して渋滞問題が解決した例を寡聞にして知らないのだが。 市街地を「通過する」車が多い都市ってのは結局車が通るだけになるからねえ。
車拡張にしろなんにしろ、車をうまく逃がす工夫をしなかったから集中しすぎるんだよな。
道路は渋滞してるけどシャッター街というような地方都市の場合は特に街に用のない車が集中してるんじゃなかろうか。
車のために何かやったわけでもなく、車が増えるのに対して何も政策をしなかったというのが正しいかな。 実際、何処の都市も車台数増大により交通麻痺によるダイヤ乱れが深刻だったし、
何より架線施設による都市景観、交差点上では蜘蛛の巣になった!
これらの理由に施設維持費用もバスと比べ増大したので市電廃止された。
同様にトロリーバスも施設費用と架線問題で廃止された。
廃止された頃って、効率優先で公害問題も出てたけど誰も市電やトロリーバスを環境に結びつけなかった。
何しろ1970年で車の保有台数の飛躍、それによる税収、交通事故でも絶頂期を迎えた。
この波に逆らうことは出来なかった。
廃止前の1960年代後半でも渋滞時、軌道内に車は入らないでください!と宣伝してても、
平気な顔して車やトラックは入って走行してたし、バスも渋滞になると軌道内を走行してた位だった。 それでも持ちこたえた今の路面電車たちは極めて優秀だよ。
賞賛に値する。 路面じゃないからスレ違いだが主要国道との平面交差を理由に
道警に廃止勧告された定鉄なんてものもあった訳で・・・ 逆に嫌われるほど人気があるというしね。運転士に対して、安全で利用しやすい市電をなぜ廃止するのかと、食って掛かる市民も多かったらしい。 鎌田彗が推測してたが、各地の市電廃止ラッシュには廃線撤去事業の土木利権が絡んでいたかもしれない。代替路線としての地下鉄建設の利権なんかもプラスされる訳だが。
今の時代に例えればこんな感じか。
市電=地方在来線(の優等列車)
地下鉄=整備新幹線
各地の市電が相次いで廃止された理由の一つに運転者の人件費だという説が
あります。つまりバス化すると、バス運転士の方が人件費が少なくてすむと
いうのです。
たしかに、電車の運転士には高給取りが多かったかも知れませんが。 >111
昭和50年代入ると共同溝工事をするようになったから、
土木関係で動く金額は地下鉄がなくとも大きくなりましたなぁ。 >>111
それはないんじゃないかと。
路面電車が廃止された昭和40年代は
公共投資が目白押しだったので、
そこまであこぎになって仕事は取って来ないんじゃない?
まあ、一切ないとは言い切れないけどさ。
政界を揺るがした疑獄事件は戦前からあったしね。 いまの世界的な自動車産業の崩壊を見ていると、この当時の路面電車と同じだね。
嫌われまくり。 >>114
軌道施設は道路管理者に無償譲渡すれば撤去義務は免除されましたしね。 今年後半の急激な自動車産業の崩壊は予想できなかった。
この時期の路面電車と重なる。 >>112
そのときは確かにそうなる。当時の給与体系は年功序列だから、
一度縮小の計画が出れば(実行されなくても)若い新人の採用を控える。
→平均勤続年数が増えるということは平均賃金が高くなる。
歴史が長いし、路線網もできているから年齢の高い人も多い。
バスは、当時路線網を広げる最中だから勤続の長い人は少ないし、
若い新人をたくさん採っていたから平均勤続年数も短いので平均賃金も
低いしね。
いまはその若い人がみんなオッサンになって勤続=賃金が高くなってる。
で、分社化やら委託やら嘱託やら廃線やらになってるのだけれど。
自動車産業の衰退が凄まじい。かつての路面電車を見るようだ。 しかし一時的にせよガソリン価格が倍近くまではねあがったのに
第一次オイルショックのときのような公共交通への回帰が
起こらなかったのはなぜだろう。
それだけむかしより可処分所得の割合が増えているのかな? >120
公共交通を使う苦痛>自家用車に乗る苦痛 という考えなんだろう。 >>120
電車はともかくバスはまともに使えないイメージが強いんじゃないかと
みんな車から転移すれば道路空いてまともに動くようになるんだけどね理想論だけど 自動車業界全滅!の見出しが踊っている。
路面電車はどうなる? 「廃電車レクイエム」戦後次々と廃止された路面電車たちの保存されたその後を
写した者だがシュールだね。
過去が懐かしくなかった時代にというエッセーは違った見方をおしえてくれる カラーブックスで、消えゆく路面電車という特集があった。
消え去らなくて本当によかった。 >>120
オイルショックの頃みたいに一家に一台じゃなくて一人に一台の時代になってて
公共交通の衰退っぷりが比較にならないよ。
回帰しようにももはや回帰する先がないようではどうにも。 いまは経済危機で車を手放す人が急増している。公共交通回帰は進むよ。 >いまは経済危機で車を手放す人が急増している
乗り控え、買い控えは聞くけど手放す話はあまり聞かないな 北九州福岡なんかも路面電車残せなかったのかな?
あの凄まじい大量のバス見てると何とかやっていけたと思うが。一部区間だけでも。 スレ違いかも知れないけど↓を書いた者です
路面電車だったような気もするけどハッキリ記憶が無い
今の銚子電鉄に似てたから多分路面電車
当時チンチン電車と呼ばれてました
↓
乗ったことのある廃線を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220123714/395 >>130
水浜線を探してみたら廃線跡紹介ばっかりで
とりあえず見つかったのがコレですだ。
h丁丁p://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link144.html サンキューです
今の携帯環境では詳しい見れないのでパソコンを直してから見ようと思います
少なくとも40年ぐらい前に廃線になってたみたいなので記憶が曖昧ですが現在の勝田〜阿字ヶ浦線みたくほのぼのした路線でした
千と千尋のチンチン電車(気動車)?みたく
また大洗鹿島線は当時とは少しルートが違うみたいですが鉄橋はかなり長く撤去されず残ってたように思います
>>119
>>123
日本のメーカーはまだ一社も潰れてない訳だが?
鉄道は中小の車両メーカーの多くは淘汰されたし、鉄道事業法改正以後廃線ラッシュ。
ヨーロッパで自動車メーカーがトラムの製造してたと記事を見たことがある…。ソースは忘れた >>134
熊本市電の超低床がダイムラー・ベンツ系の企業だったはず。
第2か3編成が登場したときベンツのシンボルのスリーポインテッドスター付けていた。 >>135
今はその鉄道車両製造部門も、他に買われて、懐かし化してしまった。 スレ違いっぽいが、筑豊電鉄は面白いね。
鉄道線なのに軌道線用車両なハンデを逆手に取ってるように見える。
地方小私鉄でディタイム12分ヘッド、休日でも15分ヘッドはなにげにスゴいと思う。
しかも、市街地区間では高架化も進めているしね。
次は通谷駅高架化で計画を立ち上げるらしい。再開発と込みらしいのでいつになるか
わからんけど。
しかし2000形は高速運転で酷使されてる割りに、なにげに寿命長いな。
もうちょっとしたら車齢50年行く車が出るんじゃないか?
あっちこっち総取替してるし、予備部品もしこたま抱えてるから当分大丈夫なんだろうが。 高速運転と言えば西鉄の専用軌道区間もかなり速かった記憶が。
西鉄は軌道法だと思ったけど40km/h超えていたようなのは気のせい? >>138
(公式には)気のせいです!
実際はかなり飛ばしてたね。
平行する道を60キロくらいで走ってると電車に軽くちぎられたし。
特に福岡から来た500形や300形の更新車は北九州仕様の45キロワット電動機に
換装していたから、そりゃもうスゴいことになっていたな。
元が低出力の軽量車だから、走りたがるのを抑えた走りをしなければならなかったとか。
北九州形は全鋼製車とか重量級だからこの出力で丁度良いけど福岡形は半綱製車
とか全金属軽量車だから出力余り気味。
本当ですか?俺は北九州市内線の新設軌道には3位式の信号機があって
時速60kmだかが特認されていたと聞いたけど… 末期の北九州線。
陣の原あたりの道路で併走した時、ピッタリ速度を合わせたら50km/hだった記憶がある。 >>140
鉄道ダイヤ情報1993年7月号には
>熊西〜折尾間で自動閉塞方式を採用し、2位2現示の信号機を備える
>最高速度60km/h
とある 電停の待合環境は最悪だったな。屋根無し柵無し時刻案内無しは当たり前。 東京スカイツリーの立地は最強だ!
★東武伊勢崎線 押上駅 直結
★都営浅草線 押上駅 直結
★東京メトロ半蔵門線 押上駅 直結
★京成押上線 押上駅 直結
★東武伊勢崎線 業平橋駅 直結
上記「5路線が集結する」スーパークロスジャンクションの真上にそびえ建つ。
この立地の素晴らしさは、新宿駅や池袋駅に直結する百貨店に匹敵する。
今の東京タワーよりもはるかに立地は良い。
古くからの江戸市街地にもごく至近だ。
国際観光都市、浅草からもわすか1km!徒歩15分以内で散歩がてらで行ける。
★東武伊勢崎線 浅草駅 徒歩
★東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩
★都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩
こんなスーパー凄い立地に建てられるのに、なぜか辺鄙なところだと思われているのが不思議だ。
★JR総武快速線錦糸町駅 徒歩
★JR総武緩行線錦糸町駅 徒歩
★東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 徒歩
半蔵門線で錦糸町からも一駅。歩いても1.4km徒歩20分だ。
三越前や大手町・渋谷からも乗り換えなし!
都営浅草線なら日本橋や東京駅(宝町)や銀座や新橋や浜松町(大門)からも
一本で行ける。
想像を絶する観光名所になるのは間違いない。
>>143
岐阜市内線、どこが電停かわからないから途中で乗れずに、忠節から新岐阜まで歩いちまったことがあるw 修学旅行。お前は鉄マニだからと団体行動から抜け出させてもらい
乗ったは熊本市電。中扉が開くと放送が。
「焼酎、危険物の持ち込みはご遠慮ください」。
さすがは九州!と思たがよくよく聞けば焼酎ではなく「鳥獣」だったよ。 鳥獣って表現もたいがいなものだとおもうがなw
生物学的にはおかしいんだが、鳥獣と聞くとまずカエルとウサギがおもいつく。 鉄道の筑豊も含めると、熊本 長崎 鹿児島
四国の松山 高知もそうだが本州で無い西日本の主要都市ばかり(本州を含めたら広島と岡山も)に
路面電車が残ったのは偶然とは言え興味深いね。静岡以東の本州は東京以外皆無だし。まあ大きな都市が無かったから仕方ないけどね・ 昭和41年のいつ頃か忘れたが、四ツ道路から呉市電に乗ったことがある。
呉市電は広から川原石までの一系統の単純な路線だったが
広島市より古い路面電車だった。
広からの峠を越えて本通を下り、四ツ道路を右折し、呉駅前を通過する経路で
この四ツ道路をまっすぐ進むと、海上自衛隊があり戦前は
呉鎮守府があったところ。さらに奥に行くと戦艦長門や
大和を建造した造船所にぶち当たる。
四ツ道路を左折して坂を少し登ったところに清水ヶ丘高等学校があり、
国生さゆりや島谷ひとみが通うことになるのは市電が廃止(昭和42年)された
ずっと後のことになる。
以前は川原石に桟橋があり、対岸の江田島小用方面に行く連絡船があったが
今は廃止されたようだ。 >>150
仙台市電廃止の直前に父親の転勤で仙台に再度住むことになった。
ビクーリしたのはモハ2000型。仙台の車両と比べすごく大きく見えた。
ドア間に車掌台や立席スペースがなくシートがびっちりというのも新鮮。
モハ3000型は重厚だが,前の折戸と中の両開ドアが新鮮だった。
しかし,昼間に走行しているのを見たことがほとんどない。2000型をわずか一度だけ見たきり。
市電廃止の3月31日を待たずにどちらの形式とも,長町車庫側線でバラバラにされていた。
2003年に呉まで行って,安芸阿賀の駅近くの公園に保存されている2001と対面してきた。
だいぶくたびれた風貌だったが,残っていて嬉しかった。・゚・(ノд`)・゚・。
あとバスで呉駅から広交叉点まで乗ったが,途中の勾配の長さときつさに驚き。こんなところを軌道が…
昔こんな道を電車が走っていたのは凄いと思った。
>>151
その気持ちは分かるわ。
おれも平成4年に21年ぶりに和歌山の市電を松山で見たとき嬉しかったよ。
こちらは保存じゃなくて放置で解体の運命だったけど、もう一度現物に対面できた嬉しさの方が強かったな。
欲を言えば冷房改造されてもう少し長生きして欲しかったけど。 松山の81号は何度行っても古町の車庫の奥だった。
あるとき、開け放たれたドアから木目風の内装がちらりと見えた。 >>151
でも、2001はこのあと解体されたんですよね。松山からは1両戻ってきましたが・・・ >>153
松山の81号は平成4年の頃は一番外に近いところに放置されていたので形式写真も取れました。 松山の元和歌山の81号、撮れてよかったですね。それと
ピクの私鉄車両めぐりを見たら、呉市電の2000の登場のころの写真で
上窓に「空気ばね電車」と書いてあるのが読めて面白いです。 >>154
>151です。 Σ(゚Д゚)ガーン
松山から里帰りした1001との顔合わせを期待してたのに…
>>152
81には平成元年に古町車庫の片隅で対面してきました。
既に運用から外れていた時期で,外見はきれいでしたが色あせていました。
つーか、1001を復元するために2001を部品取りにしたんだったような。 昭和40年代の鹿児島市電は元気だった…
当時は確か16系統くらいあって複雑な運行形態だった
伊敷線、上町線も健在の頃
車両も昭和44年までは
200、210、300、400、460、500、600、700連接車、800
とバラエティに富んでいた
今とちがって標準塗装のみだから、形はバラバラでもある種の統一美があったなー
今は広告電車だらけでダメですな >>161
昭和40年代でも後半は全面広告車がいたよ
特に初代さんふらわあ就航記念の広告車は良かった。
真っ白い車体に車体裾部だけさんふらわあの喫水線に合わせた緑。
それにでっかい太陽マーク。
宣伝文は最小限に抑えた広告車は秀逸だった。
まあ、遠くからでも一目見ればさんふらわあの広告というのは分かるデザインなんだが。
50年代に入ると条例で鹿児島市電の全面広告が禁止されたから、上半分が一般塗装
に戻されたのには萎えた。
広告主のセンスが良ければ全面広告車も悪くないと思う。 松山の市内電車から全面広告車が消えたのはやはり条例ですか?
熊本ではまた復活させてしまったけど… >>162
カーフェリーの外装であれだけのインパクトと知名度の有った船無かったからね。
広告塗装車の最大のヒットは南海大阪軌道線の立石電機だね。 >165
オムロン・雲電車だね。
近年復活した時、緑の雲が復活しなかったのは残念。 今残っている161型は旧緑の雲電車が殆んどなのに皮肉なもんだね。 標準塗装は濃緑一色なんです。
オレンジ雲 高性能エアサス車
青雲 旧連結対応旧型車ワンマン車
緑雲 旧連結対応旧型車ワンツーマン車 南海軌道線が連結運転した実績はあったのですか?教えてクンでスマソ そうですか、それはどうも。SMEブレーキが多いなとは思ってましたが… >170
つttp://www.tombow-shuppan.co.jp/img/094.jpg 連接車と連結運転は違うだろ。
和歌山のは南海合併前に作った車両だし。
南海の連結運転は平野線の恵美須町〜平野 南海和歌山軌道線の海南側の画像ありますか?
市駅〜本町通〜和駅や和歌浦付近の写真は見たことがあるのですが
海南寄りのは一度も見たことがない。
興味なかったのかな。野上電鉄との連絡電停とか。。
あったら萌えるんですけど 連絡電停って言っても紀勢線を挟んで200メートルは離れてるぞw
野上電車前じゃなく野上電車口か野上電車道だな、あれは
萌えない萌えない まだ海南駅前の方が風情が有ったな。駅前の広告アーチもあったし田舎軌道の電停って感じが滲み出てたね。
野上電車前は、和歌山バスになってからも、廃線までそんなバス停名だったな。 で、結局画像はないの?
関西の路面電車で数多くの撮影資料を残しておられる小林庄三氏の作品にも
海南方の記録はない。撮影地に適していなかったのか。
でも>>178によればそうでもなさそうだし。 小林庄三っていつも同じ場所でしか撮らないし〜。
>>173の本でも住吉交叉前後 我孫子道前後 寺地町付近が殆んどだし。
平野線沿線なんて廃止直前以外の写真皆無に等しいし。
和歌山軌道線の写真に海南付近が少ないのは、
海南線に入らない車両が有ったのと単に撮影効率が悪いだけだと思うよ。
琴の浦のトンネルと紀勢本線との併走くらいしか見所が無いからね。 >>182
そういう事情なのか。
教えてくれてありがd。 みつけた「和歌山の汽車・電車」和田康之著P186海南駅前電停に停車する324号 みつけた「高橋弘作品集3路面電車懐かしい仲間たち」国鉄海南駅側から望遠で
停車中の電車をとらえたもの。この電停から駅川へ道路が狭くなっているのが、廃止後に
なってものこっていたなあ