1960〜70年代の路面電車総合 1系統
廃止された都市・路線はもちろん、現存するものでもOK。
懐かしい時代のの路面電車について語ってください。 徹明町からの美濃町線は30分間隔だったのも懐かしい。
田神線開通以前は知らん。 >>333
地元では「ボロ電」と呼ばれた山交電車で
通学経験、「警察署前」付近勤務経験のある
70代の青柳側の人(鉄でない)に聞いてみた。
・甲府はホームだけで、すぐ隣は建物とバスの車庫。
・荷物電車は覚えてない。
この路線に関しては、99年刊行のRMライブラリー#5があるが
この10年で道路拡張が激しく進行し、そのときの現状からもかなりの変化が。 昔は午前5時くらいから24時近くまで運行ってのが多かったような。
現在、地方都市で遅くまで走ってるのって熊本以外にあります? 23時過ぎても走ってるのは札幌、豊橋、広島くらいですかね。
高知では21時台には赤方向幕の終電車が出るのはあまり変わってない。
むかし夜行列車や連絡船で午前3時とかに着いてもすることがないので
市電の車庫まで歩いて始発に乗ったものです。
函館、豊橋、松山… 大晦日ね。
そして元日にはウヤになる明治時代の京都の電車。 鹿児島のエアサス車の台車交換が始まったらしい。
貴重なエアサスが… >>361
365日24時間営業だったんだが。大阪市電。
>>363
大阪市電の営業時間は朝5時〜深夜0時までだぜ
ウソ書くなお( ^ω^) >>365
アホか。戦前の主要路線(大阪駅〜四ツ橋〜阿部野橋 築港〜境川 四ツ橋〜玉造 谷六〜天満橋京阪前)は終夜運行じゃ。ゆとりは来るな。 この世代の方のレスの後だと、都電7000更新車のネタとか出しづらいなぁ。
前にもちょっと荒れたみたいだし。 都電7000って元々は廃止織り込みで設計されてたから寿命も短めに設定されてた
とか何かで見た覚えがあるな
でも兄弟車の富山地鉄や加越能鉄道の車両は現役なんだよね >>368
見るからに貧そなデザインだもんねぇ・・・都電7000 都電8000の台車は外からよく見えなかったから
どうなってるのかわからなかった(インサイドフレーム?)けど
地鉄デ7000の初期車の台車は軸バネ無しの代物だった。 >>372
岐阜の人間なら自分の車で確かめたのかもしれないね
んで「電車がこんなとこ走ってるのが悪い!」って叫ぶ岐阜ではお決まりのパターン 都電8000はそのまま富山地鉄と加越能鉄道(現万葉線)にコピーが登場したわけだが、
両社でドア位置が違ってたのは何故なんだろう。 バスでも両端扉車と中扉車があるのと同じ、
会社の思想の差や客の流れを勘案したから。 確かに中扉式と後扉式の違いは気になるなぁ。
都市内電車と都市間電車(インターアーバン)の違いかと思っていたが、それじゃ広電の
宮島線2000型の説明が付かない。
まあ、あそこは高床車まで中扉改造したので、中扉至上主義なだけかもしらんが。
都市間電車は阪神国道線とか西鉄北九線が後扉派の代表かな?
中扉式だと乗降がスムーズになるし、後扉式は客室内が有効に使われそう。
あと、西鉄100形(現長崎の168号等)は元々オープンデッキ形が原型なのと木造車なの
が原因で後扉にせざるを得ないと言うのもあるけど。 >374
高岡は、先住者のデ5010に合わせただけだと思う。 あとは、片面ホームがある射水線での使用を考慮していたんじゃないかね? >>378
それだ!
とはいっても射水線リアルでは知らないですけど。
以前は長崎の大浦天主堂下にいく系統も中扉車入りませんでしたね。
あと岡電も岡山駅前に島ホームがあったから両端扉(が主力)だった… 中扉は明らかに車内空間の有効利用に逆行してる。
今の路線バスを見て下さい。
中扉車の後方はガラガラで、前方だけ混んでる便がどれほど多いことか。 料金の収受が乗車時の会社なら扉位置は中の方が合理的かもしれない。車内の何処に居ても下車扉には等距離になる。 長距離の客は後ろでどっかりと腰を下ろす、急ぐので座ってられない客は前方に向かうので合理的とかふざけた事をいってみる。 筑豊電鉄に乗ってきた。
路面電車を普通鉄道の線路で走らせると言う妄想をした事があったが、ここではまさに
夢が実現していて感動ものです。
熊西までの西鉄乗り入れ区間はいかにも路面電車の専用軌道軌道と言う感じですが、
熊西より先の第一種鉄道区間はいかにも高速運転を行う私鉄っぽい路線となっていて
そこを路面電車タイプの車両がかっ飛んで行くのですからこたえられません。
しかも、ちゃんと車掌が乗務する非ワンマン(おかしな言い方だと我ながら思う)運転で。
釣り掛け車しかいない鉄道なのも、今となっては奇跡と言えるかもしれない。
駅間の長い南部の区間を快走するあたりは独特のサウンドも有って昔の私鉄に乗って
旅をしているような気分になってしまいました。
いわゆるインターアーバンとでも言うのでしょうか?こんな鉄道が今現在走っている
と言うのも不思議な感じがあります。
色々な偶然が重なってこのような形に落ち着いたのでしょうが、筑豊電鉄は江の電や
世田谷線などとはまた違う魅力に溢れています。 すげえな
まだそんなのあったんだ
いってみたくなった ただ、筑豊電鉄は駅間距離が宮島線より長くて、表定速度も高いからね。
しかもあのアップダウンを駆け上がって降りてゆくのは楽しい。
どちらかというと、ドイツの郊外電車に近い雰囲気。
福鉄は揺れが激しいのが玉に瑕。 筑豊は北九州市内線がなければ高床だったろうね。
もし福岡まで全通させたとしたら、何れかの時点で高床式車両が走り出すと思うんだけど昔の宮島線みたいにするつもりだったんだろうか?
まさか路面電車スタイルで鹿児島本線と張り合うつもりではあるまい?
そう考えると、筑豊に高床式ホームの予定場所が見つけられなくて不思議なんだよね。建設時点で近い将来のホーム嵩上げを織り込み済みなら、少しは配慮して当然でしょう。
高床化配慮の形跡がないってことは、福岡方面は貝塚あたりから福岡市内線に乗り入れる気だったりして。 >>386
それが違うんだなあ。
筑鉄は電車とホームが低床な事を除けば都市間高速鉄道そのもので、線路状態は
福井や広島よりずっと高速運転向けにできています。
最近は高架化も進んで、いよいよ本格的な鉄道になりつつあったり。
通谷駅での福岡行高速バスとの連絡が良い結果を出しているので、高架化して
1階を高速バス乗り場にする話も出ているみたいです。
>>388
まあ、親会社の西鉄には路面電車を鉄道化した西鉄甘木線が有ったので、そこら辺の
ノウハウは十分あるかと。
軟弱地盤等、土木的立地環境で言えば甘木の方が筑鉄より厳しいですしね。 >388
普通に昇圧して大牟田線と直通だったと思う。
北九州側はとりあえず黒崎を拠点にしてゆくゆくは小倉・門司まで専用軌道だろうな。 >>390
大牟田線に直通するくらいなら初めから1500Vにするか車両規格を大牟田線規格にしてるよ。
車両規格向上や昇圧又は複電圧化という二度手間三度手間になるからね。
つーか福岡でお客が入れ替わるのに直通のメリットが無いんだが。
筑豊は福岡・北九州の市内電車ネットワークに直通できるよう規格を軌道並にしてるんだから。
筑豊が地方鉄道にしたのは、万一福岡〜北九州の直結が出来た時軌道の最高速度制限(40km/h)では時間が掛かり過ぎて話にならんからでしょう。 蒸気時代の北九州5市と福岡/博多との間のフリーケンシーのままだったら
最高時速60`でもいい勝負になったかもしれませんね >幻の筑鉄延長
国鉄側もあのへんの区間にはキハ17をわりと早く投入したんですっけ?
で、鹿児島本線は電化以後長年、北九州線の市場を蚕食し続けて来た、と… この前実家の押入れを整理してたら親父が撮影した廃止直前の阪神北大阪線の写真が出てきた。
阪急との立体交差部分から少し東に寄った辺り。「ピアス」の大きな看板のあるビルの前。
変色しまくってるけど雰囲気はよく出てる。当時の記憶は微かに残ってる。
70年代中葉になっても一色塗りだったんだな。 金魚鉢は戦前の登場時から二色塗りで、1・31形も戦後すぐに二色塗りになって居た筈。 北大阪線は天六ガス爆発の時無傷だったんだろうか。
電停は事故現場の目と鼻の先のはずだが。 爆発現場は谷町線の天六より都島側に少し離れた所だから被害は無し >>397
バス停で1つ分先だぞ
天六と言っても国分寺あたり
実は、おれのとーちゃんはあの現場見てるんだよなー
大爆発直後の現場を 北大阪線の豊崎付近は営業廃止になった後は架線は撤去されたものの、
軌道はアスファルトで適当に覆い隠されただけでしかも所々露出したままだった。
だから旧軌道敷部分を車で通行しようとするとものすごくガタガタ揺れた。
晩年の国道線は乗客激減で赤字出しまくりだったそうだが、北大阪線もやっぱり赤字だったの?
鉄印だった叔父が生前言っていたのは、北大阪線は儲かっていたがR176拡張のために中津付近の敷地を獲得したい建設省の意向に
阪神が屈したとか言う噂だった。結局拡張しても混雑は解消されなかったのだからあの時阪神が頑張ってくれてたら・・・
などと妄想してみる。 >>400
出て来るけど事件とは関係ないぞw
ゴーストップ事件は陸軍と大阪警視庁との争い
>>401
北大阪線が単独では残れない。車庫は浜田にあるから
まあ、北大阪線がなくなって中津陸橋が出来たから
そう思われたのかも
あの区間は国管理じゃなく大阪府管理だし >402
あまり存在に触れられた事がないし、浜田ほどの規模じゃないけど、野田にも車庫があったんだよ。
留置線だけじゃなくて車輌が入れる建家もあって、古い地図を見ると配線が判る結構な大きさ。
でも、東急世田谷線のように設備移転させて北大阪線を残す気概は、当時の阪神にはなかったんだろな。 知ってる知ってる。今バスのターンテーブルがあることやね。
でも、本当に電留線だけの車庫やん
検車設備を移転する気がないというか、やっても儲からないから
やらんかったんだろうね。輸送人員も大して多くないから
バス転換という流れは仕方がないと思う。
昭和30〜40年代に名鉄がそうだったように 阪神としては組合との絡みもあるし、一部を残すよりはすっきりバスに移行したかったのだろう。
>402
事件のきっかけは市電に乗ろうとした兵士が信号を無視したといわれたこと。
>>405
市電から降りてきた、じゃなかったっけ? >>403
甲子園線と北大阪線の2線は、ある程度の輸送量があり、最後まで10分程度の間隔で運転されていました。
北大阪線だと、中津での乗り換え客も居て、結構混んでいました。甲子園線は、団地の利用客が多く、朝夕は
かなりの混雑でした。
甲子園線だと、浜田車庫〜上甲子園間を残せば、存続可能だったとは思いますが、結局本社側にその意志が
なく、尼崎市・西宮市ともに、国道線の撤去に積極的だった事もあって、廃止に至ったんだと思います。
路面電車って一列車当たりの輸送力が鉄道線車両に比べて小さいから効率悪いね。
阪国くらいの規模なら相当な数の運転士を抱えていたはずだが、一気に全廃しても
大丈夫だったのだろうか?再配置できたのだろうか。 >>408
路面電車を廃止した変わりに
バスが大量に導入されました 電車→バスの配転はすぐにでも可能だからね。
その逆は無理だけど。 >404
ちゃうちゃう。
北側のジャスコの入ってるビルとか阪神のビルが建ってるあたりが車庫なってたんや。
と、証拠の空撮画像探そうと思ったら、60年代後半には既に阪神バスの車庫になってた。
これじゃ北大阪線だけ残せんわ。orz まあ70年代半ばのオイルショックあたりまでは路面電車などSL同様時代遅れの乗り物で、
技術者も官僚も政治家も道路周りの鉄道はモノレールになると思っていたからな。
阪神としても本線と併走しているので残す価値はないと思ったのだろう。 国道線は本線と並行だから存在価値は低いけど、甲子園線や北大阪線は残してもヨカッタよね。
車庫の事がネックだったとは。つくづく惜しい。 >413
甲子園・北大阪線とも途中で本線の支線扱いにしてどこかに連絡線作っておけば武庫川線のように残っただろうに。 甲子園線と北大阪線を1500Vにしろと?複電圧車を作れと?
>>416
併用軌道線にはないし、新設軌道線もあったのは昇圧即応車だけ。 海老江付近は毎日通勤で通ってる道なんだが、こんな狭い道に路面電車が走ってたとは信じ難い。 しかし、今では野田-天六間はバスの本数も少なくなってしまいましたね・・・ >>418
大阪・なんばのなんさん通り(幅9m)には
大阪市電のメイン系統が走ってたよ
江ノ電とか新潟交通(廃止)とか、
狭い道路に路面電車はそう珍しくないかと >421
西洞院通は、市バス走ってるからまだ納得できる。
北野線沿線なら、それよりも千本中立売から北野天満宮の間だな。
リアル消防の頃にそこを市バスが走ってる風景を見ているのに、
今見ると信じられん気分になる。 >>419
バス転換後しばらくはよく利用されていたけどね。 名鉄美濃町線や土電伊野線末端区間みたいな道端に軌道を敷設する路面電車は、
かつては多かったと聞きますが、現在主流の道路中央に敷設する一般的なスタイル
との差、と言うか基準はあるのでしょうか?
無対面交通の路上に敷設する場合は中央敷設が理にかなっているとは思いますが、
それ以前の混沌とした人馬中心の交通体系では逆に道端でも良い気はします。 >>424
大抵の場合、そのような広い所に敷設する軌道は、道路の整備費一定割合も軌道会社が負担している。
都市計画道路と一体に整備する公営ならそのコストを無視出来るが、民営ではよほどの需要が見込めない限りありえない。
だから広い道路に敷設するのが理にかなうかなわないの問題ではなく、純粋に建設コストだけの問題。
美濃町線や伊野線は田舎軌道で資金力が無かっただけ。 長崎電軌が軌道補修だか道路工事だかで
線路を歩道寄りに臨時に敷設したことがあった。
その時に、飛び出しが恐いというウテシの
テレビインタビューを思い出した。
>>425
阪堺とか、道路拡張しても軌道移設工事しない事業者も
多いよね。おぜぜの問題は大きいです 地鉄笹津・射水線の市内線の乗入れダイヤはどうなっていたのかな? 保育社カラーブックス(明治村表紙ver.)を古本屋で発見。
札幌市、函館市、熊本市が近々全廃予定と記述されていたのに今も健在。
他方、安泰視されていた名鉄や西鉄(北九州線)が全廃と、
時代の流れを感じさせられた。 >>431
東海道新幹線ですら、「そのうち全廃されて高速道路になる」
などと言う馬鹿が当時いたぐらいだから。 >>431
明治村バージョンって、札幌や函館は2ページ以上割いて解説してるのに
静鉄、呉市電、山陽電軌などは写真だけ若しくは解説文だけなんだよな。
なんかものすごく偏ってる。 >>433
あれはあの当時残ってたヤツは微に入り細にうがって詳しく書いたけど、過去の遺物は簡単な説明で済ませたのが実情
じゃないのか? なるほど。
でも、あの本は冒頭から巻末まで懐古調の著述だから、
過去帳入りした路線こそ念入りに取り上げてほしかったな。 明治村ver.
大阪市電3000の写真の右端に見切れているのはトロバスか?
市電とトロバスが併走してた区間があったのか 大阪万博の頃、甲子園に住んでいたが梅田や三ノ宮に行くのに甲子園線?の金魚鉢に乗って甲子園から阪神本線で出掛けのが懐かしい。 >>436
>>437氏指摘のとおり。
あの写真の撮影場所は今市付近(守口方を望む)。
左側に営業所が僅かに写ってるのが目印。 >>437
重箱の隅ですまんが、地元民としてはつつかざるを得んw
×阪急東口〜天六
○阪急東口〜都島本通
都島車庫隣の変電所が、末期はトロリーバス用だったね。
車庫ともども、1990年頃まで残っていたけど…。 俺もやっとのことで
明治村バージョンの保育社CBを入手できた。
金150円也 ttp://www.meijimura.com/news/new155-sl.asp
調査結果次第でお別れの可能性もあるということか >>444
京都市にブルーシート掛けて放置中の市電を是非走らせて欲しい
絶対乗りに行く >445
市内線でN電を走らせた時に暴言を吐いた県庁所在地市長がいた県に
市電はくれてやらん。 >>448
その上「時代遅れの路面電車撤去決議」なるものを可決して平成の世まで生かしてたあそこか。 >>450
まあ、路面を走る電車なら、大軌があったが。。。
奈良は市街地が小さすぎるんだよなあ。 >451
実在したなら、奈良〜天理のインターアーバンみたいな
モノになったかもね。 全都道府県庁所在地で史上全く路面電車がなかったのは奈良以外は
青森 盛岡 山形 宇都宮 千葉 長野 津 鳥取 徳島 宮崎
があるね。
このうち軽便・地方鉄道などの私鉄すらなかったのが
青森 盛岡 鳥取(山形と徳島にはロープウェーがある)
雪国ゆえ鉄道での市内移動も困難だったのだろうか。