1960〜70年代の路面電車総合 1系統
廃止された都市・路線はもちろん、現存するものでもOK。
懐かしい時代のの路面電車について語ってください。 >>225
函館市交通局と秋田市交通局がいつできたか?って話なんだが・・・・。 >226
確かに、秋田は1941年、函館は1943年に市営化されてるね。
だったら、もーちょっと書きようがあると思うんだけどね。
>戦中の公営化が函館とか秋田、新規開業が川崎市。
というように。 >>228
1行目に「公営交通が生まれている」とあるし、
元となった>>218は「路面電車の公営化」だから問題ないんじゃないか?
民営の路面電車が公営化された経緯は、
莫大な運賃収入を行政の財源にしようとして市が買収したケースと、
にっちもさっちもいかない路面電車を半ば救済の意味も込めて市営化したケースがある。
前者は神戸や横浜、後者は今話題の秋田。
昔から秋田の路面電車は儲かってなかったんだよ。
>233
それがあったか。
これは県の失敗を民間で救済した例だな。 戦時中の交通統合では、他の交通機関を含めても、公営から民営は富山と八戸市営バス→南部鉄道(戦後に返還)の2例だけだものね。 しかしそんな富山でも営業規模は最盛期の半分くらいになってるよね。
路面電車という業態がそもそも今にそぐわなくなってきてるといえるのでは。 >238
富山市営のまま昭和40年代前半で廃止になった場合の姿を想像してみた。
都電6000形コピーが主力で、ツーマンのまま廃止になった姿が浮かんできた。
異論反論、歓迎申上候。 >240
射水線や笹津線の乗り入れはなかっただろうな。 今鉄ピクの174号みたら茨城交通水浜線の部分廃止の記事があって、富山・岡山・南海和歌山が車両を買おうとしたが仙台が1両300万円で129〜138を買ったとある。
記事には
・平時は20〜40分ダイヤだったが最終日は無料で捌ききれずに20分ごとに増発&続行運転
・茨城交通発足時には会社収益の65%を稼いでいたが昭和30年以降は赤字転落
・昭和38年度は営業係数188
・残りの水戸駅前〜浜田は35分間隔、浜田〜大洗が70分間隔で昭和42年度までに廃止予定
と貴重な情報が。
同号には「札幌の誇り/躍進する札幌市電」という札幌市電の成長を載せた記事もある。 水浜は既に昭和30年で赤字転落だったのか。
厳しいのうう。 >243
水浜は全線単線が致命的だった。
複線なら都心は5〜10分おきにするなどして市内線として残ったかもしれない。 昭和30年といえばまだモーターリぜーション前だから、
その時点で赤字を出すようでは、戦争が無ければとっくの昔に廃止でしょうな。
世の弱小鉄軌道は戦争のおかげで延命したと思われる例も多いしね。 >>246
そうか?
名鉄も昭和30年代までは鉄道が赤字続きで、
バスに食わしてもらっていた時代がある
地域事情とかわかってなかったら結論は出せないだろ しかし30年以後も地味にではあったが新車を投入していってたよね。
特に最後期の2,3両は中々のハイレベル車ではなかったかな。
赤字になっても一応、攻めの経営をしてたってことなのかな。 でもポツンポツンと入れてただけでしょ。
一方で保守状態の悪い戦前製の木造単車も多く走らせていたわけだし。
市内電車の利便性は頻発運転の実現で初めて確保できるもの。
その点で>>244氏の指摘の通り、肝腎の中心部区間が単線では
早晩寿命は決まっていたような。。。。 昭和39年。俺の親父はセドリックカスタムを購入し近所のみんなから羨望のまなざしで見られていた。まだマイカーが珍しいころ しかも朝の続行運転は、交換設備の有効長よりも多い車両を走らせて、
かなりややこしい行き違いをしていたそうだし。 スレからずれるが、茨城県の鉄道発展を妨げたのは地磁気観測所と思う。
あれさえなければ水戸電鉄も当初計画通り電車で開通できただろうし、関東鉄道なども電化でき、常磐線も直流電化で早期電化できた可能性が高い。
保育社カラーブックスの「路面電車」って覚えてる人います? >>253
わしが別大線電車のある広告看板に気付いて過去他スレでちょっとした話題にw (年齢が知れるが)
昭和30年代に札幌市電の北部地域への延伸で、
何故か気動車を採用、形は他の路面電車と同じで
屋根側面中央部にエンジン排気口があって、
発動機特有のモクモクボッボッが特に発車加速時には見られた。
他の都市では気動車路面軌道は無かったのだろうか? >>256
「徳川」の広告ですね。
確かにあれは公共交通機関のモノとしてはw >>258
戦前の岡崎市内線とかに例は有るけど、
戦後は札幌と花巻電鉄(鉄道区間のみか?)位かも? 札幌市の非電化区間は電化するほどの需要はないが、市中心部に車両を直通させて利用客の便を図りたいために
札幌は雪が無くて、道路事情が良ければバスでも良かったんじゃないかと思う。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
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札幌の路面ディーゼルカーが泥んこ道の中の併用軌道をゆく写真
を見ましたが、舗装するより線路敷いたほうが安上がりだったのかな? 昔は電化されてる路面電車の周りでも未舗装であることが多かったらしいよ。 北海道固有の事情として春先は道路が泥濘化して底なし沼状態になるので、
道路の改良が終わるまでは簡易軌道の類も廃線にはできなかった。
日本の道路の舗装率がぐんぐん上昇するのは昭和30年代末からじゃないかな。 >>266-267 どうも。
不意に散水車を思い出しました。
函館市では交通局章入りの特装自動車を保有していました。
舗装は済んでいたのにいっときの車粉公害の対策で残されていたのかな? >>267
舗装の普及はもっと遅いよ。日本列島改造論のあたりから。昭和40年代半ばでも未舗装道路なんて大都市でも普通に有ったよ。 旭川電気軌道千代田下車徒歩十五分の所に住んでいましたが
周辺では本格的なアスファルト舗装は電車通りだけで
家の近くまで来る枝線が廃止後にやっと簡易舗装になりましたっけ。 都電が荒川線だけになり77年に登場した7000形更新車、子供心にスゲーカッコイイ!って興奮した。
それまで路面電車に全く関心のなかった俺をこの道に引き込んだ偉大な存在。
軽快電車も語りたいが80年登場でギリギリアウト残念。 >>271
あの電車の登場は衝撃的でしたね〜それで荒川線乗りに行く気になった。
乗ってびっくり、つりかけ式。路面電車ではふつう
だと知るのは後の話。モーターも床の蓋から類推すると2ケ
なのも新鮮な驚きでした。 以降の路面電車の新型は熊本の舶来品まであれの亜流だったな(名鉄除く)
スレ違すまん >>271-273
ギリギリ70年代かもしれんが、そういう新車の話は路車板の現行スレでやってくれんか。
スクエアデザインだの軽快電車だの超低床だのと言った話はここの住人には興味ないから。 興味ある奴だっているだろ
何で自分の興味ない話題は排除したがるのかなあ? いや個人的には7000形更新車は以後の路面電車デザインを変えた名車だと思うし、しかも現役。
それを懐かしネタにされるのがちょっと許せなかったんで。
でも現役車両の思い出話なら路車板でもスレ違いではないと思う。
俺も言い方悪かった。謝る。ごめんなさい。
ただ今まで都電7000更新車の話題が全くあがらなかったのも事実。
ここでその話を振ってもレス返す奴は少ないと思うよ。
>>271と>>272は軽快電車世代だと思うので、路車板の路面電車・LRVスレの方が語り甲斐があると思う。
お〜い誰か>>271>>272にレス返してやってくれ〜 では次スレは「1960〜90年代(プレ超低床車)の路面電車総合」で つか普通に「懐かしの路面電車総合」でいいでしょ
西鉄や名鉄の末期もこれで無問題 名鉄の岐阜市内線と言えばピクだったかのバッナンバーよむと
明治村に保存するN電をイベントで市内線走らせたら、当時の市長だか県知事が
明治の古くさいものを走らせるのは何事かと激怒して一日で終了させたとか
新聞にもなったからホントのことだろう 土佐電鉄600形の連結運転って冷房改造後も市内線とかでやってたっけ?
そんな仕様のNゲージ模型が出るんだが。 >>281
違う違う、もっと昔。
>>280は明治村開業イベントかなんか、とにかく昭和40年代の話。
岐阜ナントカ博は昭和63年くらいだったかな? >>280
なんじゃそりゃw
岐阜の頭て今も昔もDQNばかりかwww 平成の今、昭和をレトロと懐かしがる風潮があるが、
昭和時代に明治レトロとありがたがる事はなかったのか…
大正レトロが現役な地だったからかな? >>286
>>285に答えが出てるよ
とりあえず岐阜人には 自動車=善、電車=悪 位の認識しかないと思われ というより高度成長期には、とにかく古いものを排除しようとする風潮が
今では考えられんほど強かったんよ。
「時代遅れ」という言葉は、ほとんど死刑宣告に近いものだった。
だからこの頃に全国の路面電車が大量死したわけで、
何だかんだ言いつつも岐阜市内線を残した岐阜なんて、まだマシと言える。 バブル期に昭和レトロは流行らなかったし、景気のいい時はみんな前を向くもの。
未来に期待が持てない時代だから後ろ向いて良かった時代を懐かしむ。
30代なんでバブル期の雰囲気と似たようなものかなと思ってる(違ってたらすいません)。
岐阜が残ったのは名鉄の経営だったからで、市営だったらあっさり廃止されてた気がする。
ふと思ったんですが、当時の鉄道ファンの中にも路面電車は時代遅れだから地下鉄やモノレールに
置き換えるべきといった派閥(というか論調・意識)があったんでしょうか。
世間や識者の論調はそうでしょうけど、鉄道ファンの中での路面電車存廃論議。
環境とかバリアフリーの概念のない時代、存続を唱えた方々はさぞ肩身が狭かったでしょうね。
高松吉太郎氏が「路面電車変遷史」だったっけ?あれの中で
札幌市電を評して、雪国だから地下鉄に置き換わるのもしかたがない
というようなことを書いていた。半ばあきらめていたのでしょう。
あと、滅びゆくものを追いかけるのが趣味の層もいたのでは。 大阪の場合は、局の幹部が市電が元々なかったアメリカ都市とか
欧州でも市電が撤去された都市にしか視察に行かなかったらしい
で、市電がなくても地下鉄があればほら、このとおり
とかさせてたらしい。 まぁNYやロンパリはそれより前に廃止してたからしかたないかと。
独でも西ベルリンにはすでに無かったしハンブルクも縮小してた。
結果論かもしれないけど大都市での流れを
中都市にまで適用したのはどうかと。 >>292
大都市ぶりたかったのでは?
おらっちは中都市なんかじゃねえやい!みたいな。
で、都市によっては分不相応な地下鉄を持ちたがって、と。 六大都市の軌道廃止の基本方針は間違いではなかったが、それ以下の中核都市の路面電車の保護政策の空白は痛かったな。
積極的に新車を投入し続けた都市もあるのですが、自由競争の下では生き残る術は無かった。
総合交通政策の中で軌道というものが眼中にない時期が長すぎましたな。
ところで当時の自治省が、政令指定都市の指定にあたり自治体の交通部門の赤字幅縮小を迫り、具体策として軌道の廃止を指導したという説は本当ですか?
仙台市がこの指導に乗って理想的な軌道網を廃止にして棒一本の地下鉄にしたそうで・・・。 それが事実なら、函館市や鹿児島市なんてとっくになくなってるし、そもそも地下鉄を作る方が赤字が増えるんだが。 北九州市のモノレールも同じ政令指定都市の条件としての指導らしいんです。
あれほどの輸送量を誇った路面電車網に行政の支援が無さ過ぎだとは思いませんか?
行政指導では、名古屋市関係者の回想録の中で興味深い記述を呼んだ事があります。
市の南部では当面地下鉄整備の計画はないし、高速道路は関東関西の後回しだしで時間的な空白があったそうです。
なにしろ道路幅が広いので、市当局としては中央線の各駅をターミナルに線路の向こう側、市の南西方向の路線網は当面維持する方針だったのだそうです。
そこを自治省が指導に入り、財政悪化の主な原因は軌道事業にあるとして整理を迫った・・・・とか。 名古屋の基幹バスができたときにTVで、中央走行を指し「なにかに
似てませんか、そう路面電車ですね」とマイクが市の担当者にふられ
「今なら(市電を)無くしていなかったですね」と答えさせていた
のも懐かしい。 >>280
岐阜の役所関連って昔からバカばっかだったんだな。 伝説となった岐阜市議会の「廃止決議」は数十年間有効で、行政の支援を止め続けましたからね・・・・。
存廃の議論が盛んになってきたころ、そもそもなぜ岐阜の路面電車の設備って悪すぎるの?と市の人も不思議に思って調べたら原因がこれw
そりゃ廃止を望むものに予算はつけない罠。 都内の山手線内側(特に西部)なんか、バス路線まで廃止続きでスッカスカになり、陸の孤島エリアが増えた。
地下鉄だと「痒いところに手が届かない」微妙な不便さだしクルマは駐車場難、チャリも毎回は持ってけない。
結局歩かされる距離が増えた。都電全盛期の路線図を見てると正直便利そうで羨ましい。
あの広大な都電路線網を剥がしまくったのは愚の骨頂ではないか。「クルマもキチンと規制する」という簡単な事が何故出来なかったのか。 道路が限られた資源なら、人しか運べない路面電車より人も物流もこなせる自動車に譲り、地域や時間によって通行できる種類の車両を規制する方が合理的だし、
軌道系交通は郊外電車と結びつけて地下へ流すという効率的な手段が選択できたのだから、東京に関して言えば都電を廃止したのは凄く真っ当な選択だと思うが。
あの狭い地域に千万単位になる位人口が急増し、今なお増えつづけているんだから、快適さが犠牲になるのは仕方ないし、
あれだけのネットワークのある交通が「痒いところに手が届かない」というのは最早贅沢。東京23区で半径1キロ以内に駅の無い所にすんでいる人は殆んど居ないだろう。
東京23区と大阪市以外では駅が無いのがごく普通。 >292
ロンドンはもともと路面電車より先に地下鉄があったので、廃止するのはやむをえないかと。
イギリス全般の傾向として、旧型2階建てで進化しない都市が大半だったのもあるだろう。 でもなあ・・・。
パリとかニューヨークの都心部の方が、もっと鉄道密度は高いからなあ・・・。 >301
旧都電エリアでその後の地下鉄整備が放置されたのは大まかに言うと
1)南部(特に東西方向はほぼ放置)
2)北西部
3)城東地区(南北方向が手薄)
4)神田・秋葉原周辺
で、4)はやむをえないとしても1)〜3)はかなり長期間放置されている。
大阪はなんだかんだで鶴町地区以外は大体地下鉄を整備したし、バスと地下鉄の運賃体系も連携が取れている。
駅も梅田以外は改札外乗換が皆無。
地下鉄自体がメトロと都営に分かれている上に駅自体の乗換が不便なのは都電の代替とさえ言いがたい。 >307
当時は乗り継ぎ概念自体消滅していたからな。
運賃値上げしてでも時間制(2時間15円など)にしたら話は変わったかもしれない。 戦中に乗り換え均一を中止した都市が多かったと思いますが
東京もそうでしたか? 微妙にスレチですが… まさにそうです。他方、定期券はずっと乗り換え均一でした。
運転系統も概して戦前より短く、ラッシュ時のみの延長運転なんてのもあり
定期利用客優先の戦中・戦後体制のままだったと見られそうですね。 ありがとうございます。
荒川線に、月に何日しか開かない定期券売り場がありましたが
そういう箇所は、昔からあったのでしょうか。
あと必ずしもまだ懐かしくなっていないのかもしれないのですが、
各地の市内電車の定期券には、台紙に月別の色分けされたシールを
貼るものもありましたが、調べると面白そうです。 >>311
全国的に市内電車バスの定期と言うのは買った日から一ヶ月有効ではなく、月初めから一ヶ月有効と言うパターンが多かったので、月初めのみ営業の窓口は都電以外でも有ったよ。 結局、戦後はアメリカ型の自動車最優先政策が跋扈したから路面電車は消滅したようなもの。
路面電車を走らせるなんて現代日本にはそぐわない、遅れた都市というレッテルを張られたから
地方都市もどんどん廃止していった。
岐阜や北九州あたりはその考えが今でも息づいていたから90年代や21世紀に入っても行政主導で廃止を続けた。
そのわりには昨今の欧米におけるライトレール復活ブームを受け入れようとはしないけどな。 北九州は自動車優先というより、バス優先。
西鉄はバスの運行ノウハウがずば抜けて集積されている(反面、鉄道運行ノウハウがない)し
製鉄業の衰退で、連節電車を動かさなきゃならんほどの輸送量もなくなったため、ああなったのも仕方が無い。 名古屋の路面交通もバス優先ですね。
路面電車みたく中央レーンをバス専用にして停留所も電停スタイル。
ガイドウェイバスも初導入したりと、クルマ社会が進んだ故にマイカーのメリットデメリットをよく理解して、都心へのマイカー流入を減らそうとしてる。 >>314
北九州はクリーン都市・環境都市・高齢化都市なんだから路面電車を残してもよかっただろうて。
代替バスである1番系統とかそれなりに入れ替わりながらも客乗っているしな。
小倉地区一方通行解除と引き換えに路面電車廃止というのも意味不明だったし。 世界でもちょっと先例がないほどの短期間に大都市への人口移動が起きていたわけで、
大量輸送機関の整備に追われて中量輸送機関まで予算が廻らなかった、としか言いようがないね。
中量輸送機関まで予算をつければよかったというのは後知恵だよ。そんな余裕はない。
とか何とかいうとあの高速道路は不要だったとかレスする人がいそうだけどw、1960年代や1970年代の
日本で限られた予算を何に使えばもっとも高い経済成長が実現するのか?という問を与えられたら、
中量輸送機関の整備なんて間違い以外の何物でもなかろう。 >>316
現実には、砂津〜黒崎の路面電車を廃止して代替バスにしたらば客が増えたわけで。
この点でも、西鉄に集積されているバス事業者としてのノウハウが生かされた形になった。
理念だ何だといっても、オペレータが西鉄である限りは、廃止という流れは変わらなかった。
鉄軌道事業にやる気のない鉄道事業者だったのが一番悲劇なんだよな>北九州
バス最優先だもんな 久しぶりに京都へ帰ったら、梅小路公園入口で保管してた市電が全て姿消してた。
どこへ消えた? 豊鉄って鉄にとっては面白みがないんかな?
この板も鉄道路線板も総合もさっぱりスレが無いし話題も無い。 路線が単純
歴史的な謎も少ない
車両も他社のお古が主力で独自性が無い
仕方ないかと
つーか現役の豊橋レベルの軌道って殆んど話題になっていないから豊橋のせいだけではないが。
そもそもこの板自体過疎だしw 豊橋といえば、赤岩口の車庫以外にも途中に留置用?の引込み線が
あったような。これくらいの規模のところでは珍しい。
今は知らんけど80年代にはまだあった。
ってか運動公園前新線開業以来奥まで乗ってないorz 変化がないので話題にならないだけで、面白いよ。あの路線長でこれだけ乗客がいるのも珍しい。
国道一号線を外れて奥のほうへ行くと、まるで福島交通の軌道線ってこんな感じか?と思うような田舎になる。
元都電だけはいただけないが、他が古いので専ら元都電が走り回っている。それが趣味的にはつまらんと言えばつまらん。
引込み線は真ん前に切符売り場があるので奥をのぞきこむのが躊躇われる。丸見えなのに心理的ガードの固さでは日本一かもw