1960〜70年代の路面電車総合 1系統
廃止された都市・路線はもちろん、現存するものでもOK。
懐かしい時代のの路面電車について語ってください。 家からは旭川電気軌道で街に出かけ
帰省すると祖父に仙台市電で連れ回されたガキの
成れの果てがこの男でありますw 琴平参宮電鉄は誰も語ってくれないのでさびしい
古い雑誌をあさっても短いレポートばかりしかないよ 函館市電の500の一部に残っていた、物資不足の時代を象徴する
ジュラルミン製の吊り革… >>3
昭和38年に廃止になった路線なんで相当なオヤジでないと語れない。
路面電車ではないが、坂出と琴平を結んでいた琴平急行電鉄も資料が少ない。
同時期に不要不急路線として廃止された塩江鉄道は割合資料が残っているのに。 札幌の連接車全盛期を見たかった・・・orz
A830は岐阜で乗ってきたがあっちも路線ごと消えちゃったな 名鉄モ870は、側面の窓が開閉可能に改造されたために、
お尻が下段窓の錠にあたり、痛かった。
600V区間廃線後は、惜し気もなく解体されてたね… 何といっても阪神国道線の金魚鉢ですね。窓が兎に角大きくて、車内が非常に明るくて
外から見てもスタイルの良い電車でした。
最晩年、車の間を、ポーと言う悲しげなホイッスルを何度も鳴らしながら、ノロノロと
走っていた姿を、今でも思い出します。 大阪万博に家族で行った帰り、乗っていた軽が壊れて高速道路をあきらめ
一般道を走っていたら、豊橋で見た市内電車は、クリームと緑色だった。 >>3
国立公文書館行けよ。山のように史料があるわ。目録ネットで検索してみ。 >>11
ご親切にありがとうごさいます。でも別の鉄道調べにいったとき、戦時中の空白期
間や図面がほとんど破棄されていてがっかりしたことがあるからちっよとね 三角屋根の西鹿児島駅を出ると、花時計が迎えてくれた
火山灰が降るのによく花が咲くなあと感心したのを覚えている
鹿児島の大地に降り立って思ったのは、兎に角『暑い』ということ
汗をタオルで拭きながら西鹿児島駅前の市電停留所に向かうと、
濃緑と黄色のツートンカラーの昭和30年製の電車が低い唸りを上げて客待ちをしていた
火山灰で汚れたその車両は、冷房が付いていない
8月だというのに
側面だけではなく正面の窓も全開にして、電車は鹿児島駅方面へ走る
信号待ちで停車すると、ウィーンというモーター音だけが響く
鹿児島人はシャイなのか誰も喋らない
全開の窓からセミの鳴き声が聞こえてくる
そして、電車は再び鹿児島駅に向けて走り始める
火山灰を巻き上げながら 鹿児島市電の車内放送は、むかし西鹿児島駅前を
「にししかえきまえ」と読んでいたような気がする。 個人的に好きなのはLRTの元祖といわれた富山地鉄のデ5010
見た目は路面電車と郊外電車の合いの子みたいな車両で市内軌道にも乗り入れていた
郊外区間では最大4連で運行
>>13
道路の真ん中の電停は熱くて暑くて・・・まさに灼熱の島ヒートアイランドw >>12
戦時中の分は破棄ではなく、行政の簡素化で鉄軌道統制会に権限委任されたため。
鉄道省文書は図面は無いが内務省文書はほぼ残っている。琴平参宮電鉄は軌道区間があるから残っている可能性大。 >>15
5000形の50馬力2個の非力なモーターでは、射水線などでは
スピードやはりあまり出なかったのですか? このころの電停は酷かった。防護柵はないし屋根もない。時刻表さえもなかった。 >>19
岐阜に、そんな停留所が廃線まで動態保存されてた。 スレ違いっぽいが
>>20
美濃町線モ590を徹明町で降りるとき、鼻先を車が掠めて肝を冷やしたことがある。 自動車教習所のVTRで見たが、安全地帯が無い停留所で
路面電車が乗降のため停車中には、クルマは手前で
止まっていなければならないんだよね。
軌道内自動車通行可でも、うしろから電車が近づいてきたら
クルマは、どかなければならなかったような。
それらはルールだから、他県ナンバーとか、普段路面電車に
なじみが無いドライバーだったら、知らずに突っ込むかも。 岐阜は乗るときもどう乗っていいかわからない状態だったし、降りるときは車にひかれそうになった。
あんな怖い市電じゃ、廃線になったのもやむを得ないかな。 BS2見てたら玉電最終日や漁礁になる名古屋市電が出てきた。 そういえば昔のニュースでよく電車を魚礁としてしずめているのをみたおぼえがある
あれも環境問題で中止されたのかな >>27
いまだに嫌いな車両が出て来ると漁礁に汁!と騒ぐ漁礁厨はいるけどね。 >>20
路面電車先進国といわれるドイツにも、
意外とそんな感じの電停、多いんだよなあ・・。
もっとも乗り降りが終わるまで、クルマの交通がシャットダウンされるようなところとかもあったり。 阪神国道線は、安全地帯が無かったので、乗車時には、車掌が窓から出した赤旗
を合図に、側道から電停めがけて走っていった事を思い出します。
ちゃんと車は止まってくれたものの、怖かったですよ・・・ 路面電車の置かれた立場を象徴するような光景ですね。よくここまで復権したものです。 岡山電気軌道の清輝橋線が共同溝工事のため
路側を走ってた時期があった、なんてのももう「懐かし」では。 ビミョーにスレチかも知れんが、鉄道線の電車が路面を走る光景は迫力あったな。
ワシの記憶では山陽の兵庫〜長田間、
モハ63改め700形の走行シーンが印象的だった。
もちろんその頃はモハ63なんて知識はなかったけどね。
後は黙っていても誰かが犬山橋・・なんてのももう「懐かし」かな? 別大線の電車で岡山に行ったのがあって何度か狙ったが乗れなかった。
車体更新され見る影もないうえ、自動加速は引き継がれなかった。
松山には和歌山から来たのがいた(すでに無い)が、
いつ行っても車庫の中。ちらりと覗けた木目の化粧板の内装に萌えた。 他都市から名古屋に引越してきた者です。
昔、名古屋にも路面電車が走ってたみたいですが、その時の様子を知る方いましたら、教えて下さい。 >>35
機会があったら、地下鉄赤池駅から少し歩いたところに、
レトロでんしゃ館?(市電・地下鉄保存館)という
ちょっとした博物館があるので訪ねてみるのもいかがかと。