国鉄四国総局
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
鉄模やってるけど
型式で検索して
四国以外の全国各地で使用されのフレーズを何度見た事か・・・orz
そんなかつての気動車王国、四国を大いに語りましょう。
>>83
おおthx!やはり絵入りは国鉄の専売特許だったのか…
お陰ですっきりしました。 30年前の急行全盛時代(もっと前かな?)、
急行のヘッドマークが島内で統一されたデザインで、
イラストこそ無かったが、好感が持てた。
キハ58の車掌台側だったか、ヘッドマークを付けた急行は風格があった。
185の特急、高徳線に特急という自体信じられなかったが、
落ち着いたデザインといい、ヘッドマークといい、
すっきりした印象でこれはこれで良かったし、
今の鋭い走りを見せる特急も良いが、
煙で汚れた車体、蛍光灯横に安定用電球が灯った車内、
ノッチを切った時に耳に残る線路のジョイント音とアイドリング音、
それなりに混んでいた車内・・・若年ファンに是非体験させてあげたいなぁ。
四国総局…。門鉄局みたくなつかしい響きだね。
急行うわじまと高松ー中村間の夜行快速が思い出。周遊券で宿代わり。 「周遊券」も、今となっては懐かしい。
動輪が描かれた国鉄の地紋の薄い券紙に、
墨色の活字で周遊区間までの往路の乗車券片と、
周遊区間が路線図で描かれた復路の乗車券片が、
ホチキスで留められていた。
検札で車掌さんが桜の花びらのような凹凸と穴が出来る鋏を入れてくれ、
決して愛想を振りまくわけではないが、丁重さが伝わってくる挨拶と
共に周遊券が手元に帰ってくる。
夜行だと車内が減光されていたなぁ、
結構混んでいても、お喋りする雰囲気が消えてしまう独特の世界。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
旧客もすてがたいねー
高知〜高松よく乗ったよ。
DF50とかも懐かしいね。 昨日OHK開局40周年番組で昔の高松駅の映像が映ったよ 高松駅頭で道を訊かれた。なんでも久しぶりに来たら全部一変してたと。 GWに中村駅→足摺→竜串→宿毛駅→宇和島駅と周ってきたけど足摺・竜串周辺の
バスの本数の少なさには困ってしまった。その路線バスも地元の年寄りが
ポツリポツリと利用しているだけ。
瀬戸大橋開通直後の20年前の旅行ガイドブックを見ていると足摺・竜串周辺でも
路線バスが1時間ヘッドって書いている。
思えばキハ185投入→JR四国誕生→瀬戸大橋開業→2000系開発途上で
高速道路も一部区間のみだった、この頃が四国の鉄道が一番輝いていた時代であった。
昔、急行土佐の普通車指定席券を買ったらグリーン車を使っていたわ。得した気分やったわ。 四国のは格下げだったけど、それに触発されたか
のちに九州で、座席をG車のヤツに換えたキハ58の5000代が出た。
枕カバーは白のレース模様の透明なビニール製だった。 百ゲット
>>99
JR全社で廃車済みです。どこかで保存されているかはわからんですが。 第一讃岐丸に、第三宇高丸。長い間、第三桟橋に係留されていた。
四国総局の広報課は、確か3階にあったけど、その部屋から、2隻を
見ることが出来た。 高知で途中下車という形で切符を手に入れるため、高松で入明までの切符を買おうとしたら
「入明てどこね?」と言われ、説明してもらちがあかず、仕方なく高知までの切符を買った。
国鉄時代の話だけど、駅員の知識ってそんなもんなのかな。 >>103
入明はマイナーな駅やから他県ではわからなかったのでは。しかし説明してもわからんのはアホか運賃計算が面倒くさかったか たしかに、用意されている硬券以外の切符を発行するのは面倒だったのかもしれない。
なにしろ国鉄の駅員だし、こっちもガキだったし。 >>103
四国ではないが、JR新宿で俺の前のばあさまが「みんまや」と云っても
駅員氏は「すいません、何線ですが?」と判らず、時刻表の路線地図で
ばあさまが津軽線の先端「三厩」を指さしていた。
いくら自社線でも端から端まで判らないでしょう、いいじゃないの。 >>104
それでも、仮にも「四国の表玄関」を自負する高松駅の駅員たるもの、入明という駅名ぐらいは知っておかなくてはならないだろう。
ついでに言えば、どうして高松という駅名の前に「讃」の文字が必ず入っているのか、その経緯も(謂れを知らない駅員さんが実際にいる)。
(讃)高松→高知
さりげなく乗れたスハ44。
昭和50年から63年まで13年間も海で隔てられて、わびしい思いだったであろうキハ180-1。
信越線電化で飛ばされ、四国で寿命を終えた9両のキハ57。
長崎本線電化でED76を15両新製投入→これに伴いDD51が15両、米子運転所に転属→これに伴いDF50が4両、米子より高松運転所に転入
…四国総局はPC・DC・DLの余生を送る捨て場。 思い出せないんだか、瀬戸大橋開通前の高松駅は高徳線急行と予讃線特急急行と土讃線特急急行とはホームが分かれてた? 保守
来島どっくの坪内氏が
「私に四国の国鉄を任せたら数年で黒字にしてみせますよ」的なことを
豪語していた、と誰かが言っていた。氏の威光も晩年には曇ったが… そして蔦監督の乗車していたキハ5711が事故って廃車になった。 >>109
分かれてました。
高松駅0番線ホームは、もちろん高徳線専用。 お、そうそう。
中央西線電化で高松運転所にやってきたキハ181、洋式トイレを撤去して、
そのスペースが車内販売の詰め所に様変わり。 ttp://art2.photozou.jp/pub/338/1338/photo/714675_org.v1251604055.jpg 〒マークのキユ25懐かしいな
この車両は四国だけ
末期は急行も牽引してた 徳島の鍛冶屋原線が、今も残っていたら、どうなってたんだろう。 昭和47年1月廃止。 そういや四国の国鉄→JRでそれ以降路線まるごと廃止ってないよね。 あ、小松島港線があったか…(汗)…徳島県ばっかり… 鉄ピクの最初の四国特集で面白いことが書いてあった。
四国内の夜行列車は、本土決戦に備えて日中の空襲を避ける目的で引いた貨物列車の筋が元になってるんだってさ。
四国総局最初の仕事って所なのかな。 >>115
>中央西線電化で高松運転所にやってきたキハ181、洋式トイレを撤去して、
そのスペースが車内販売の詰め所に様変わり。
キロ180-1な。洋式トイレを撤去して、 そのスペースが車内販売の詰め所に様変わりしキロ180-151となった。
さらにキロハ180-5となるんだが。 ワフ21000・22000
門
鳥栖駅常備 ワフ
21325
中には、 札
岩見沢駅常備
ロ
ワフ
122532
四
高松駅常備
ロ
ワフ
121065 もある。
特に北海道と四国に有った。違いは黄線 北海道のは、車体下側
四国のは車体中央に黄線が入っていました。
四国オリジナルのキハ58ベースの郵便車(昭和59年だったかな郵便車廃止まで走った)
で、末期には急行いよ等に連結されたみたい。1〜4号まであり、1,2が平窓タイプ、3〜4がパノラミックウィンドーとなっていて、
印象も異なる。この時代普通列車にはまだまだ冷房化も進んでなかった時代に、作業効率向上のため冷房装置標準搭載でした。
ただこれらの車両は当時の郵政省所有で、純粋な国鉄の営業車両というのとは少し異なるようでしたが、
このキユ25をはじめ、キロ28格下げの5200番台など、気動車王国四国を支えた、
気動車急行たちが懐かしいです。 四国の商店街空き店舗率(県庁所在地)
松山 16.3%
高知 14%
徳島 12.3%
高松 12.2%
商店街の衰退度
松山>>>高知>>>徳島>高松
衰退チャンピオン松山w 「つばさ」として上野から秋田に行き、間合い使用で「あおば」にも用いられていたキハ181系、
8両ほどが海を渡って四国に飛ばされて来たけれど、
”四国の東海道本線”を走破する特急列車が1往復増強(これに伴って急行「うわじま」1往復が廃止)されるにとどまったのはどうしたものか? >>133の時点で、高松運転所に所属する特急型車両は総勢5編成44両となったわけで。
最初の26両のみが新車で、のちに「しなの」のお古34両のうち8両が海越えで合流(残り26両は「やくも」に充当)。
その後に、奥羽南線電化完成に伴って485系1000番とキハ58系急行「きたかみ」になった「つばさ・あおば」のお古のうちの8両が
淋しく海越え。
キロ180−1とキハ180−1が、こんな歌を歌いながらつぶやいていたという。
流されて
http://www.youtube.com/watch?v=4HbUHKGpw_4 模型見ていたら、キユだけ天井のRが低く平べったいんで
別形式からの改造かと思いきやwikiさんは新造とな。
お客用よりも早く分散冷房のっけた事と関連でもあるのかなぁ。 宇和島〜宿毛、奈半利〜甲浦を開通させて四国環状特急を走らせよう。車両は特急はまかぜの引退キハ181を国鉄色に変えて、高松始発の右回り、左回りを1日1本ずつだ。 四国の181が44両になったのは、昭和61年11月改正前に車掌室付きキハ180が2両増えた時。 この車掌室付きキハ180形2両は、昭和61年11月改正でキロ180 200番台になった。 もう一回、岡山(快速)→宇野(連絡船)→高松(急行土佐)→高知に行きたい >>137
,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l | へえ、そうだったの?
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー'一''丶 ヽ ヽ もともと鳴門大橋は鉄道併設橋で設計されていたからな。 >>147-148
そのまま洲本まで乗りこんじゃえばいいのに >>151
俺の中学のときの地図帳には予定として点線で描かれている。 >>153
俺が小学生の時には、帝国書院の地図帳は
未成線は破線で描かれていた。 点線であったりハシゴ線であったり地図によりまちまちなんだね 急行とかに乗ると、袋もって車内を巡回しにくるオバチャン
が懐かしい。 >>157
まじっすか。あのピンクの帯のやつ。
登場時、あの一段上昇窓は、気動車に合わせたのだと思った。
7000形の全長が、急行気動車と同じなのも先祖帰り? 121系、なんかが昔と違うと思ったら、スカートが付いてた… 香川県立ミュージアムで開催されていた昭和大鉄道展に行ってきたが
サボで詫間〜多度津とか海岸寺〜多度津ってのもあって
1駅2駅って一体何目的の列車だったんだろうか?
多度津駅を開けておくためか? >>161
土讃本線の高松直通列車と接続させるためだと思う。
昔は多度津-高松間でも大部分は単線のため本数を増やせなかった。 >>116
>>117
>>118
今更こんなんにレスする俺って・・・(ry
琴平で正解
阿波池田発高松行き222レだな
DF牽引なんで、1979〜80年頃じゃないか? >>163
君は祭りを知らないのですね。
良くわかります。 >>128
まだ松山にあるよ。
塗装なんかボロボロで原型留めてないが。 >>99
四国のキロ28なんて三十年ぐらい前になくなったでしょ。
指定席格上げで、プラス300円でグリーン席座れた。 四国の駅のホームの看板は、駅名標は数回の変遷を経てるが
その他のものには、国鉄時代のものが多く残ってたりしないか? >>170
JR化直後には、レイアウトは国鉄時代のままながら
フォントが洗練された駅名標がありませんでした?
あとプラ板っぽい色付きのサボとか… >>177
無人駅の場合なんかは。
一例: (えんぎょうじぐち) あ、失礼。
>>178の場合は土讃線の「旭」駅における特殊な例。
本来なら下り方面は単に「あさくら」と表示し、
上り方面の場合ならば「こうち(えんぎょうじぐち)」と表記しているところだったはずなのに、
円行寺口駅と高知駅の間には入明駅という、もう一つの無人駅があることを考慮しての特例措置だったのであろうと思ったりもしています。
ちなみに円行寺口駅の上り方面のほうはしっかりと「こうち(いりあけ)」と表示されていましたよw 鉄道・バス含め唯一の黒字が、松山高知急行線「なんごく号」の四国総局。 突然すみません、四国の郵便・荷物車にハマってしまった者です。
キユ25とキユニ17が併結した列車ってありましたでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示お願い申し上げます。
よろしくお願いいたします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています