当たり。
各県内で完結する運用のみ考えられていたため、当初は投入県内にちなんだカラ
ーだったのだが、使用している色は宇高連絡船の各隻に用いられているものと同。
でもそのままなら今頃だと広域運用に不都合だった可能性がある。
キハ54の松山?集中配置など当初は考えられていなかったからな。

思えば国鉄最末期の四国は明るさに満ちていたと思う。
電化に加えキハ185系の導入、県庁所在地付近での本数の増加など、ワクワク感
が漂っていたものだった。国鉄最終日に当時中学生で松山から謝恩フリーきっぷ
で四国4県を一周したのだが、高松駅で見た当時新型の121系電車を見た時の瞬
間が信じられない。
「あ、これが国鉄で一番新しい電車なんだ。本当に、
四国の国鉄にも電車が走るようになったんだな」と凄く感動したものだったよ。
今まで、電車と言えば伊予鉄、それ以外は遠い彼方のもののイメージがあっただ
けにそれが覆らされたな。一方で夜に覗いた高松築港駅で見た琴電の電車の古さ
も強烈な印象だったが。
あれから20年、JR四国の現状を見ると切なくなるなあ。