筑波鉄道
1987年3月31日に惜しまれつつ廃止された筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線)。
あれから21年。そろそろあの頃を思い出してみませんか?
常総線のキハ310の中には、種車の国鉄キハ17系時代に
台車がDT22にはきかえられているものがあった。 >>67
キハ 600更新前以外は非貫通のキハばかりだった鹿島を除き関鉄系列の気動車には必ず貼って有った。
漏れもそのステッカーは5年前位の水海道イベントで購入した。 筑波鉄道は楽しい路線でした。今もあったら(会社はあるが)鹿島以上に注目されていたでしょう。
筑波号・・・旧客(スハ43他) 12系 14系
昭和58年ごろ乗りました。上野から関門のEF81 302に牽かれ土浦へ
そのまま筑波鉄道の1番ホームへと転線してから筑波鉄道のDD501に付替え
筑波へ向かいました。12系客車でしたが殆んど乗客はいませんでした。
最後の乗り入れ・・・キハ58・28
昭和61年9月頃に真壁地区の園児輸送目的でキハ58系6両編成が乗り入れた
そうです。車両は水戸区の車両です。2台エンジンの旅客車が筑波線を走ったのは
初めてかな?
筑波山号・・・キハ25?
日立から岩瀬経由で筑波へ乗り入れた、筑波山号という列車があったそうです。
詳細はわかりませんが、キハ25系数連が入ったそうです。
水戸線乗り入れ・・・キハ500・800
筑波線の気動車も小山や笠間へと乗り入れを行っていました。
水戸線内では単独ではなく、国鉄車との併結運転で乗り入れたそうです。
下館で真岡線の気動車に併結されたかも知れませんね。現在、鉄道博物館や
佐久間レールパークに保存されているキハ11と筑波線の気動車と併結された
可能性はあります。(キハ11 25・26は新製時から真岡所属)
そのほかにも乗り入れがあったようです。
キハ751〜754、755がいた頃の朝の常総線は押さえておくべき
だったと禿しく後悔。 筑波鉄道の気動車は、最後までドアか、半自動ドアでした。閉めるのは、車掌が操作していましたが。
駅に着いたときは、車掌がロックを解除して旅客が手で開けていました。乗車する客も手で開けていました。
ドアに、手で開けてください。と書いてありました。 筑波山より中継…
今日廃線跡のリンリンロード脇の県道を車で走ってたら厨学生の兄ちゃんが帰宅途中だった。 ところで、TX開業して走り始めた、TXつくば駅〜岩瀬の急行バスはどうして失敗したんだろう。
真壁あたりの人が都内に出るのには便利だったろうに。
今現在、「筑波鉄道の代替バス」として機能してるのは、土浦〜筑波ぐらいか・・・
筑波〜真壁は1日数本だし、真壁〜岩瀬は廃止になっちゃったし・・・ 真壁の住人は、筑波鉄道があったころは、鉄道で東京に日帰りで行くことが出来た
けど、今は、どうしているのかな。 >>74-75
全員「クルマ」使うんだよ。
つくばまで車で行ってもいいし、そのまま常磐道乗って東京まで出てしまうのだって普通。
真壁・岩瀬急行は開業した頃はそれなりに乗っていたが
暫くしたら空気輸送になっちゃった。 かくして加平付近の渋滞は解消されないのであった。
って、茨城のクルマはどこまで行くのやら。 鹿島鉄道なんかは、車庫が石岡ではないところにあれば
ヲタが少しは収益に貢献したのに…って焼け石に水だろうけど… 筑波鉄道で好きだった車両は元江若鉄道のキハ511
あの顔つきが可愛かったし、車体と菱枠型台車の組み合わせがチグハグでたまらんかった。
車体の側面が同じような岡山のオバQがあったけどアスベの関係でアボーンになってしまったらしい。 キハE531系
車体はキハE120系と同じ車体で、
走行用エンジンはカミンズDMF14HZAが
2台搭載された軽快気動車の2エンジン車。
変速機はDW14B-Bで、変速1段・直結2段の
多段式で、コンバータは3段6要素。
走行性能は、例えば50km/hでの動輪周引張力は、
約2,800kgであり、キハ58系の約1,200kg、
キハ65系の約1,600kgと比較して大幅に向上しており、
30‰の登坂において、補機負荷100%・乗車100%でも
60km/h以上を出すことができる。 TXは他と乗り入れないならなぜ狭軌で作ったんだろう?
歴史の亡霊?…板違いなのでsage >>83
狭軌でも160km/h出せるから別に問題ないってところでは 筑波や鹿島も最高速度は65km/h。当時の車両性能と駅間距離ではそれ以上の速度を出すのは無理。
乗り降りの少ない駅は快速運転しても良いとは思っていたが駅付近の踏切遮断タイミングが短くなるので問題になる。 筑波線は短尺レールが使用されていましたね。
そのため、単行でもトトントトンという忙しない
ジョイント音を立てながら走っていました。 筑波山ハイキングした後に、真壁駅から乗ったな。
夕方ごろ駅に着いたけど、ずっと列車来なかった。夜もとっぷり更けた頃、ヘッド
ライトが現れ、向かいのホームに見たこともない丸い顔の列車が停まった。
まもなくこちらにも列車が来たけど、何も変哲がない普通の気動車でガカーリしたよ。
あの丸い顔の列車は国鉄払い下げのキハ42000と知ったのは、ずっと後のこと。
それから数年後、やはり筑波山の登山の後、行楽時期のせいか長編成の列車が入って
きたけど、なんと2両目に見たこともない両端にバスケットを付けた車両が連結されて
いた。乗りたいと思ったものの子供の悲しさ、親に連れられ普通型の車両に。
こちらも相当後から、北陸鉄道から来た1両だけの珍車キハ541と知った。
この2つの思い出は強烈で、いつか模型で再現したいと思っている今日この頃・・・ 筑波線にキハ54系という2エンジンで、顔は211系の気動車が走っていたっけ? >>キハ541を、国鉄キハ54と同形だと思っているの?
だとしたら、そいつは大間違いだよ。
キハ541は、北陸鉄道で戦後生まれながら、ある意味旧き善き時代の味を残したて
造られた最後の車 バスケットカー でキハ461(元々キハ 04で原形に近い)と共に
最期の筑波鉄道で 宝物だった車だよ。
それは、何時ものルルーシュ=糸色望の荒らしだからさぁ。
現代の大平荒しを思い出してしまったのは何かの幻覚かな。 >>89
筑波鉄道廃止後、キハ541は引き取られる予定があったんですね。 >>91 違う?と云うか、保存の話しは挙がったか知らない。
ただ記念乗車券には、絵柄や図面選ばれているから、会社も価値は認めていたと思う。
だから、お役御免休眠後も廃業迄潰されなかった。
ちなみに、東武の78みたいな顔した キクハ10は、廃業間近の時期に潰された。 あの、キクハ10って、本来は何処向けに製造された車両なんだろうなあ・・・。 >>93 キクハ10は、さあ 初のトルコン車キハ48000(コイツも組合問題で既に
実用可能になっていた総括機能が付けられなかったヘタレだが、)落成後に、
古典的客車スタイルで造られ不可解に思われているが、未だ製作時点では
常総筑波鉄道もそういう事情もあり、気動車による長編成列車に踏み切れるか
多客時は、客車列車対応か決断に踏みきれなかったんじゃないの?
西の江若なんか戦後は、ディーゼル機関車の方が新車多いしねぇ・・・・
ちなみに、キクハ10潰している時、傍にいたベテランの整備担当の方の話しでは、
エンジンを付けて気動車化してみた所、振動が酷くどしょうもなかった。と語っていた。
・・・つまり 当初から気動車化なんて余り想定していなかったのでは?
まぁ精々電車改造気動車より、軽くしてエンジンスペース床下に開けて
おけば好都合だ位の考慮では?
ちなみに、俺の葬式鉄(コレも最終日ではない)行動はコレが、最初で最後。
なんか違うヨと、思ったから。 >>94
キクハ10って、日車の仕掛品を引き取ったものって聞いているけど・・・。
電車型気動車といえば、常総線のキハ40086も、謎の車両だよなあ・・・。 >>94 そうだったのですか?その事実は知らない。
確かに云われてみれば、アレだけ振って湧いた様に貫通だしね。
40086も仕込み品では、時期が時期だけに造っておけば、何処でも
買うと・・・パッと想い浮かばないのだが、日鉄自のこの時期、
この類似車方々にあると思わない?西武(旧武蔵野とか)
もしかして、マイナーメーカー日鉄自が、貯えていた資材を高率良く活用し
何処の会社にも売れそうな自社規格車を造りをシェア拡大を目論んだとか?
とにかく何処か、類似知りません?
見込み品といえば、茨交 茨城 ナハニフ21・22も東武電車スタイルで経緯が謎だな。 >>95
電車スタイル気動車は千葉の小湊キハ5800が残ってるね!
あと千葉には国鉄キハ10があるんだけど・・・ キハ821タイプ
>>97
国鉄キハ10て 鹿島臨海キハ1001のこと?
>101
そういうことではなく、キクハ10の主要寸法と小田急1650増備車の寸法を比較し、製造所と製造年を勘案してみるべし。 >>102 なる程ねっ・・・小田急から御殿場線乗入れ用の2個エンジン ディーゼルカー
購入の際 余力があるからと、漠然と付け合わせ程度の選択で購入した訳では
ないのね・・・
しかし ホハ1001→キサハ53→キハ511→キクハ1が 小田急1650と同形であるとは、
経緯・先入観等鑑みると、にわかに信じ難いな。先入観とは恐いものだ。
・・・此の事例に関わらず、琴電の譲渡車などで全く別物に見えた、車種同士が
同じカラーを、まとうと以外と似たイメージの車だった事に気付いたりした。
模型造りの時注意せねば・・・
>>103
2エンジン車は他に元南海のキハ755があったね!
潰されたキクハ10の屋根裏の木枠に「小田急1650」何やら書いてありましたけど
オタのイタズラ???
>>104 キクハ10の件 それは、初耳だね。
オタで当時そこ迄知識、意味深な事する人いるのかな?
現場に居合わせていながら、気付かなかった俺は、ダメダメだな。
こういう事こそ、古参の技工オッサンに尋ねるべきだった・・・後悔。
此のスレは結構 昔の千城県の非電化に明るい人が多いみたいだから
ちょっと 近隣の他所に話しずらさせて下さい。
原形が国鉄04で後年嫁ぎ先で2枚窓顔にされた 鹿島キハ411・412と
新潟交通クハ37まぁこちらは、電車だが・・・・の顔を見比べてみたかった。
廃止になった 茨城交通茨城線の大学前付近に戦後 茨交・常総筑波・鹿島
の3社が共同出資して設立した 関東車輌って どういうメーカー?
何故解消したの、何気に3社以外の工事 関東大手私鉄(確か東急?)
に戦災国電叩き直しだしたりしているし・・・何か知っている人教えて!
それと、京成は何故 茨交には、手出さなかった(手出せなかった)の?
水戸に百貨店開く位だから、テリトリーと考えていたと思うのだけど・・・ >>105
常総筑波は赤字経営対策で京成と東武の資本を受け入れ
のち労働対策から京成の支援強化を要請。
鹿島参宮は労使紛争が起きている状況の中、霞ヶ浦観光開発への
足がかりとして資本参加。
常総筑波と鹿島参宮では京成の資本参加した経緯が異なっている。
茨城交通はそういうスキがなかったのではないかと。
それにして、労使対立から大手私鉄に資本参加を要請した事業者って多いね。
北陸鉄道や秋北バス・十和田観光電鉄などなど・・・。
>>106 有難うございます。
常総筑波は、当初は京成だけに頼らず、東武も頼り二股かけて植民地支配を、一応
回避するつもりだったのかな?
こういう、労務問題解決の為の資本参加って 具体的に何するの?
当然資金を投入するのだと思うが、経営を安定させ従業員の賃金に
反映させるの?それとも、人員派遣で強硬派退治の治安出動? 東武は駄目だね!
余計な御世話だけど、この前、新宿からスペーシア乗ったんだけど
普通に抜かれるような速度の特急で2時間もかかってる。
あと、常総線が複線なのに野田線は未だに単線てどうしてなの? >>87
筑波線の原型42000…
ってキハ705ぐらいしかないよな?
あのころの筑波線って他の関鉄系三路線に比べて情報が少なくない?
初代キハ300とか400とかさらには新宮鉄道から来た付随車とか謎。 >>109
87ですが、保育社の「関東鉄道」によると、やはりキハ705以外に該当なさそうです。
ただキハ613は常総線所属とのこと。
87の件は昭和40年前半の頃だったので、それ以後に転属したのではないかと。
>>110
書類上かと思っていたのですが、キハ705はキハ07の原型で筑波線を僅かの期間走行したのですね!
ディーゼル特急に登場する「キハ04 23」はキサハ41801になり
真鍋で廃車されました。
関東鉄道を構成した各線の、車輌の転配キャッチボールを調べたら面白そうな気がする
のだけど、良い文献知りませんか? >>112
湯口さんですら匙投げたくらいだから・・・。 >>112
それ以前に関鉄グループで過去に車両が何両いたかしってるかい? 国鉄系だけでも
40000系:1両
41000系:13両
42000系:11両
10系:9両
(20系:8両)
30系:39両
0系を購入というかどうかは微妙だけどどんだけ大量購入してるんだw そりゃ即答は出来ないよ。
リアルに知らない時代もあるから、文献を漁らないとね。
ただ大体流転するは、我々の好きな「ガラタクタ機械式が原形の車」じゃん。 >>113
湯口さん、最盛期の水海道工場に出入りしてたりしたんだよな。
そういう人でも把握しきれないのが、ローカル私鉄のややこしいところで。
沿線住民で定点観測や動向把握のできる人ならともかく、なかなか難しいよな。 お前ら筑波鉄道の現役時代知らないくせに
知ったかぶってんじゃねーぞ^^ >>118 じゃあ 常総筑波時代 知っているのですか?
私は、そこ迄古い時代を知らないから興味を持っているんですよ。
かろうじて、トルコンにされちゃつた 竜ヶ崎のキハ41301とかは、
知っているよ。
興味のある事を、話しあう事が何故いけないのですか?
取り敢えず 関鉄時代は、既に此の手世界に目覚めていた。
但 餓鬼だから、地元に住まない私は、交通費に制約があり実見は少ない。
みなはん、仲良くせなあかんよ!
正月にな水海道へ行ったらキハ301あるやんか! 筑波走っとたやつ 驚いた
おっちゃんに聞いたらな、倉庫やて
筑波線は、中学の時に怪我をして通学で使っていて、乗り心地は揺れるというより
上下に飛び跳ねるといった具合、降車する時は扉を開けて降りていました。
高校のころ、土曜日は水戸発15時ごろの客車で帰ってきてたなぁ、なんて思い出します。
廃線の時に進学して20年ぶりに帰ってきて、不便になってしまったと思っています。 ↑ 水戸発15時ごろは水戸線です。岩瀬乗り換え筑波線。 ↑ 水戸発15時ごろは水戸線です。岩瀬乗換え筑波線 >>124
昔の列車は台車のバネがしっかりしていなかったため、
ガシャンガシャンという揺れで、東北本線や東海道本線などで
時速80キロを超える速度を出すと、荒波をもまれる船のようでした。 旧雄鉄車の一部は、アーチバー台車だったからなぁ・・・ キハ821も揺れたね! 特にブレーキを掛けたら・・・
DT19型台車は枕バネにゴムブロックを使っているからかな?
スレチだが鹿島臨海の臨港線1000がキハ10。筑波線よりは線路状態は良かったがやはり揺れた。
特にギヤーが減っていたのか起動時のショックが大きかった。 南部縦貫のキハ104はキハ58か何かのDT22に交換したので幾分乗り心地が良かった!
そういえば、このキハ104が入線後に廃車になってしまったキハ103という旧筑波鉄道の
気動車がありましたね。
確かに揺れた記憶があるなあ
土浦駅を出てすぐに無人扱いの車両を車庫で切り離しをするのはなぜ? >>132
それは車両の入換えのためですよ!
上り、土浦行きの列車は車両の入換えの際、真鍋信号所で回送車両を併結してから土浦に行き、上り列車として走ってきた車両を回送車両とし、真鍋で
併結した回送車両を筑波・岩瀬方面の下り列車として運用していました。これは全国でも珍しいですね!
>>131
「はつかり」に運用されていたキハ81系を、キハ82系との混結改造の際に台車の交換が必要となり、
余剰となった空気バネ台車をキハ58系に転用、玉突きでキハ10系に転用したそうな。 >>133
いつもかどうかはわからないけど、いつか銚子電鉄に行ったら
朝の700の2連を切り離すのに仲之町〜銚子で同じ手法を使ってた。 >>134
つくば博のとき走った、キハ58系エキスポライナーのキロ28にキハ81の台車
を付けていた車両もありましたね!
>>135
他線との接続駅に車庫がない場合、この手法が使われていた所が他にもあるかも
知れませんね! >>136
該車は確か、キロ28 2112だった。 水戸行きの58系の急行ときわに昔乗ったわ
はつかりのL特急青森行きが走り、旧型客車が常磐線を走っていたね 水戸線の旧客から常磐線の旧客に関東鉄道経由で乗り換えた。
両方ともEF80牽引だったが、とくに後者のスハフ42のすべるような
乗り心地がわすれられない。ノッチオフが気になる程度。
関鉄は初めて見るキハ310が来た。民鉄なのに3扉両開きにびっくりした。
って、それ常総線… >>140
筑波鉄道のキハ821は貫通路に手すりを付け、標識灯に円盤を付けたぐらいの
改造で使用しましたが、常総線のキハ310は車体が載せ替えられていてキハ17系
の面影がありません。現在のキハ310を見るとエンダメや電池ボックスに種車から
の機器が使用されているのが確認できる位です。
基幹形式のキハ17が現存していないのが残念ですね。 >>141 片運転台だから仕方がないよ!! でも、島鉄にはキハ17の最初期型があったんだが・・・
キハ461のように保存してあったら九州の博物館に保存されたかも?
>>142 そうは云っても 鹿島に居たキハ04だってキハ411・412として
片運連結側貫通に化けたんだから買って欲しかったな。
鹿児島交通に居た キハ300は、国鉄の キハ10登場以前 キハ17両運版
として出たそうでまた 車幅も国鉄のモノより狭かったそうだけど、乗入れ先
の西鹿児島とかで両者を見比べた写真とか撮れた人いるのかな? 411と412は小美玉市内の保育園で保存されていたけど状態が悪化して崩落の危険性もある事から解体されたよ。
まあ石岡機関区に有った頃から余り良い状態ではなかったが… 大宮の鉄博に展示してある元461は記憶に間違いなければ遠州鉄道を経由して筑波に転入して来た個体で遠州時代に元キハ04ではあったがDMH17Cを搭載して急行運転に対応していたらしい。 >>143 >>144
キハ411とキハ412はアスペの関係もあるんだろうな… 岡山のオバQも解体された。
鹿児島交通のキハ300は全長も短かったんだよ!
実は国鉄キハ17系シリーズは車種によって窓ピッチが異なるんだ!
キハ17・16・11・12・51よりもキハ10・18・50は窓ピッチが広いんだよ!
だから本家よりも早く生まれたキハ300はキハ17をお手本にして両運化したから全長が短いのさ!
てっぱくのキハ11より南縦のキハ10の方がシートピッチが広い分 快適かも?
>>145
雑誌を読み返したら確か・・・北陸鉄道能登線時代にDMH17B換装したとのこと。
キハ461・キハ462は関東鉄道系ではキハ41000が淘汰されている中、転入してきたんだけど
トルコンを装備しており、おまけに自動扉で強力(?)エンジンが付いていたから購入したんだと思う。
平坦線の筑波線では車重が軽いキハ461はエンジンに余力があり。オリジナルのDMF13にもどされました。
>>146 色々有難うございます。
>>145 147 最後まで最も原形に近い姿を保てたキハ461と その連れ?で
途中離脱の キハ461 更に 北鉄能登時代には、機械式のままだった為
嫁げず離脱の1両を入れて キハ5211〜5213の3両 で遠州鉄道が二俣線乗入れ
用に購入したと昔の鉄ピクに書いてあるね。
但乗入れ先の国鉄が 「老朽車」だからと当初難色を示したと・・・・
当の乗入れ用車輌供給先である国鉄が難色を、示すなんて いくら大きいむ組織
で担当現場が異なるむとは云え、国鉄と云う組織は、カオスだな。
そもそも それ程問題ある車ならこんなに後年迄残る筈もないのだが・・・・
国鉄の傲慢ぶりが伺い知れる。
あと北鉄能登線には、経緯が異なるが やはり41000払い下げで
荷台を付けられたキハ5201居たが、コイツも再就職出来なかった。
関鉄を、始めとする 千葉城私鉄 の成り振り構わぬ中古買い付けが、
昭和30年代から活発化していたらもっと面白い車が集まって趣味的には
楽しい事になっていたかも・・・
訂正 ゴメン 連れの キハ461 ×→キハ462 ○ ねっ恥。 >>149
確かに。相棒の462は漏れが筑波鉄道の現場にお邪魔し始めた廃止一年前には姿が無かった様な危ガス。
確か庫線の脇に解体が始まったキクハ 11?が放置プレイ状態だったと記憶しているのだが撮影したネガを友人に譲渡したので正確には分からない。 >>146
鉄博の41308は博物館入りするのにかなりの鋼板を交換したらしく、つくば市さくら交通公園で保管されていた頃の車体を構成していた鋼板は殆ど取り替えしたと思う。
小美玉市内の保育園に保管されていた車両はステップが腐食して扉が外れたままの状態で解体止む無しだった。 >>148
機械式のまま残っていたキハ5213(旧国鉄キハ04 1)はパチンコ屋で利用され、平成?年まであったそうですね!
金沢市内にあったキハ5201は屋根が抜け落ち解体されてしまいました。
北陸鉄道キハ5301(筑波鉄道キハ541)は福島のドライブインに引き取られる予定であったけど結局解体されてしまいました。
能登線で活躍した車両はてっぱくのキハ41307と魚の住み家?として海に沈められた車両だけではないでしょうか。
>>151
キハ462は昭和56年廃車
>>152
腐食しやすい裾部分の鋼板はほとんど交換されているそうですね!
その他、てっぱくで確認したら扉と戸袋窓の間にあるシルヘッダーのリペットの間隔が狭くなっている部分が
ありますが、登り台入口部分だけが原型を保っています。
でもなにはともあれ保存会の方に感謝しなければ・・・ 最初期の量産型気動車を残してくれてありがとう!! >>153 日本海で魚礁になった能登線の車って
キハ5162?・・・元三岐キハ7(前身不詳?)後年の大型車購入で、ごく短期間使用
三岐から安く買い叩けみたいだから、大事にしてもらえなかったのか?
キハ5102・・・戦前からのプロパー
コハフ3002・・・元芸備 大型化の為芸備が試行錯誤していた初期の怪しい
平面四枚窓ガソリンカー 微妙に違う兄弟 尾道キ61 小湊ハフ50
俺は、この辺りの変態車好きです。江若と違って大型化に苦労した点とか・・
以上3両かな 大型客船や戦艦ならともかく肉薄のガソリンカーでは、もう
グサグサどころか、崩壊しているだろうな・・・日本海の寒い海の底で・・・
可哀想に 特に流れ者の キハ5162は・・・
キハ5151は、元国鉄40000も 機関外されて後に 魚礁にされたの?
コイツ確か、購入にあたり近車で改造整備でしょ・・・謎?だ。
俺は、北鉄の新車購入等→日車 の先入観も、ある為か気動車で
あることもあって、不自然な取引に感じてしまう。 >>146 なるほど、金型の関係もあって今回は天賞堂から発売される17系は17・11・12だけなんだな!!
私はキハ10を筑波鉄道のキハ821にしたかったが、次回の製品t化に期待してるぞ!!
種車の出所が北鉄だったんでそんな流れに…まあ許したってや。 廃車車両の発生品(キハ760の台車)は竜ケ崎線のキハ531に流用されたそうですね。
つくばエクスプレス延伸を 茨城県央9市町村長
水戸やひたちなかなど茨城県央9市町村長による懇話会が21日、水戸市五軒町の水戸芸術館で開かれ、
つくばエクスプレス(TX)の県央地域への延伸を求めて活動することなどを決めた。
懇話会では、交通網の整備、観光客誘致の推進、行政間の相互応援の推進の3つのテーマを協議。
新たな交通網としてTXの延伸を実現させ、首都圏から人を呼び込むことを目標に掲げた。
今後、ルートなどの詳細を話し合い、関係機関に要望していく方針。
観光誘致の推進策では、地域横断的な旅行プランを研究し紹介する「県央地域首長懇話会
広域観光研究会(仮称)」の設置を決定。1日目に笠間で陶芸体験し、2日目に大洗の海を楽しむ
「陽春のよくばりコース」など、車利用の観光客が1泊2日で県央地域を楽しめるよう、
体験メニューを豊富に盛り込んだプラン17案を提示している。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/ibaraki/090122/ibr0901220225002-n1.htm
TXは関鉄より人事面とかで西武の影響大きいよね。
まぁ 地域性より企業体力なんだろうけど・・・・
TX設立・開通等が、昭和40年代迄なら、
琵琶湖沿岸開発で京阪と江若の覇権で争ったみたいに、
京成や東武とTXの影響行使の布石で関鉄で争ったかな? 常総に戻った?キハ 500は結局数年使われただけでキハ 800やキハ 900と共に軽量化が仇となって2100・2200型の導入となった。 >>159
キハ531は元江若車の車体載せ替えじゃなかったか? 確か今残っているキハ 532以外は元江若組じゃなかった? >>164
そのとおりです!! どの雑誌で読んだか忘れましたけど、程度の良い台車に履き替えたそうです。
廃車体を確認したんですが、江若特有の菱枠型台車下部にアングル補強がしてありませんでした。
元江若の筑波鉄道キハ511には台車にアングル補強がしてありましたね!!