筑波鉄道
1987年3月31日に惜しまれつつ廃止された筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線)。
あれから21年。そろそろあの頃を思い出してみませんか?
筑波鉄道にキハ58が乗り入れたことがあったらしいけど、
団体?それとも筑波号の代走?
筑波号代走には14系客車があったね。 真鍋機関区検修庫内に有った貼り紙
「部品の節約」
エコ重視な会社だったらしい。 >>268
真鍋地区の園児輸送にキハ58系で真壁まで運転されたそうです。
土浦 キハ58(150)+28(2392)+58(1038)+28(2446)+58(117)+28(2372) 真壁
これが筑波鉄道最後の乗り入れ車で私はキハ58117にあじがうら号で乗車した事が
あります。
>>270
ありがとうございます。団体でしたか。
この車番は水戸機関区のものみたいですね。 今も残ってたら、首都圏に近いボットン便所駅が多数残存する鉄道として注目されただろうに >>272
どれも水戸機関区所属で急行ときわ・奥久慈・あじがうらで使われていた車両達ですね!!
これらのキハ58系は現存しませんが、最後の元常磐無線車だったキハ282371が去年は
健在でしたね。筑波山の麓を走るキハ58見たかった・・・
今日てっぱくへ行ってキハ41307(旧筑波鉄道キハ461)に乗車しました。
木目調の内装が素晴らしいですね! これを残してくれた保存会の方に感謝。感謝。 木目調とは何事だ,「調」とは!
あれは正真正銘の木目ではないか!!
いや昔は木で出来てるってのが古くさく思えて,
木目が見えないようにペンキで塗りつぶした車両なんかもあったわけだからねえ。
木目が生きているってのは貴重ではある。
まあ,内装もともかく車両自体の価値が貴重だと>>275も言っているんだろうけどね。 >>276
失礼しました。本物のニス塗りの内装ですね!
キハ41307は遠州鉄道に払い下げ後、内装をペンキ塗りにされたそうですよ。
部分的に張り替えたあと(床板や天井)は見られますが、今までペンキによって
保護されていたんですね!! いゃ〜 貴重です。 今や真壁はバスでさえ走ってない地区となってしまった。
(平日朝夕一本の通学バスをのぞく)
おかげで、歴史的建造物が多い真壁地区の観光がしにくいし、繁盛しない。 今日、新・消えた轍 関東が発売され思わず買ってしまいました。
筑波鉄道など廃線になったローカル私鉄が載っており良い資料になりますよ!
旧土浦駅舎時代は改札のすぐ脇に筑波線の券売機があったっけな
ただ何故か雨引までしかなくて
筑波線回りで岩瀬まで行くときは出札で切符買ってた >>278
もうバスもないのか
鉄道利用者としては忘れられた街になってしまったな
大昔筑波山からの下山した時に真壁の町歩いたけど、子供心にも石材ばかり目立つ街と思った
東野鉄道の黒羽も同じ印象だけど、今も鉄道のあった時のまま時間が止まっているような気がする 1987年に筑波大学を受験するとき筑波鉄道を利用したけど、とてつもなく
ボロだった、という記憶しかない
それから十数年たってふとテレビで「筑波鉄道跡廃線トレッキング」の話を
していたのを見て「え〜あそこ廃線になったんか!」と驚いた(当時関西在住)
新土浦駅、廃止後もしばらく駅舎も含めてそのまんま残っていたね。
バス停名称も廃止後長らく『新土浦駅前』のままだった
今は『関鉄本社前』だっけ? 規制で書きこめなかった。スマソ。
数年前に通った時は「関鉄本社前」だったから現在もそうじゃないかい。
停留所の名前はそうそう変えるものでもないだろうし。 他スレで、筑波鉄道に広告車があったがどうだか話題になってた。 >>286
現在てっぱくに保存されているキハ461(キハ41307)は車体に広告が張られた
時期がありました。 ファン184参考
てっぱくのバスが東海博物館へ最近移動したのでキハ41307の後ろがゆったりしました。
部屋の片づけしていたら「加波山たばこ神社 キセル祭り記念乗車券」
が出てきた。表紙の「筑波山とたばこ畑をバックに走るキハ810」も懐かしいが
裏表紙の「つくば博を成功させよう」のキャッチフレーズとコスモ星丸、
CABIN`85も時代を感じさせるね。 >>269
「これ無くても走るべ?」
「んだな、外すべ」
こうですか分かり(ry >>289
今、同じタイトルで売り出したら、ニュー速民大喜びだなw
↑元小田急1650?
常総線は知ってるが、筑波線にもあったのか。 昭和2年製の木造客車。
三河鉄道と阪和電鉄に譲渡された車両は、実際に電車に改造された。
三河→名鉄に行った車は、某著名サイトで見たことがあるが、
なかなかの仕上げですね。時代が時代なら人気を集めていたかもしれない。 上大島のとこの床屋だかは廃止後すぐに線路あったとこに建ったような記憶があるけど、あの土地はどう言う経緯で床屋の物になったの?
>>297
あの辺、廃止直後に道路拡張で立ち退きがあったから、その代替じゃないかな? 筑波鉄道は小湊鐵道と同様、貧弱な線路である上に、レールの継ぎ目の間隔が短いため、
単行でもトトントトンといった感じの忙しないジョイント音を立てながら走っていました。
制限速度は小湊鐵道と同じく65キロだったかな。 鉾田線でも平成まで生き延びたのに
なんで筑波線は早々に白旗揚げちゃったのかなあ・・・
工夫次第でもう少し続けられたように思いたいね。 ニュータウン鉄道の助成金使って、
途中から分岐して、つくばセンターへ至る
支線を、妄想していたことがあるよ。 >>301
鉾田線は、百里基地への燃料輸送があったから生きながらえることができた。 >>300
短尺レールはジョイント音のテンポが速いから速度は遅くても速く感じたな!
>>301
旅客数では筑波線の方が上だったけど、貨物が無かったのが・・・
>>303
パイプラインが腐ってなきゃ今も生き残っていたのに・・・
>>302
TXの土浦・石岡・筑波山への延伸計画はどうなってしまったのだろうか? 筑波鉄道初乗車の日に廃止が表明されたのが思い出、真壁の車庫もアッサリと見学させてくれた、あと乗り合わせた大人な鉄が列車内で地元の煎餅と地元のカップ酒を楽しむのが趣味と言ってのが印象的で今やおれも同じ趣味。 関東鉄道時代に上野駅から筑波号に乗って家族で筑波駅まで行った。
土浦でかわいいDLに付け替えるのが何とも面白かった。
当日は大変な好天で、筑波山の頂上から関東平野が一望でき本当に
楽しい一日だった。
当時は東京の荻窪に住んでいたが、ビルの4階ぐらいなら筑波山や加波山が
よく見えた。現在はまず無理な話。それだけ空気が澄んでいたことになる。
あの時代に戻れるなら戻ってみたい気分。 >>234
懐かしの鉄道パノラマコレクションという写真集が発売になりました。
筑波山の麓を走る筑波線??
トレイン今月号にも筑波線が載っています。 >>285
現在も関鉄本社入口だよ。
筑波鉄道の名残は筑波山口行きか下妻行きの途中の北条駅入口くらいだろ。 >>309
鉄道の名残というのは結構遅くまで残るんだな!
俺は廃線跡を散歩したりするんだが、茨城交通茨城線の石塚駅周辺は駅前通りの
商店街の雰囲気が残っているし、東野鉄道の黒羽駅の農業用倉庫は現役で
鉄道のあった場所が確認出来るよ。まぁどちらも廃線直後から比べるとバスの
便が激減してしまっているけどね。 >>311
筑波駅舎は改装したんですよね?
次の上大島駅は道路になってしまい全く面影が無い。
酒寄駅はホームの土盛りに駅名表の柵が健在ですね。
炭鉱生まれのDCに乗るのが楽しみでした。
車体は国鉄と同じで、台車が菱枠と言う昔そのままが面白かったですね。
それにしても、幌を使わなかったのが不思議でしたね。
それが祟っちゃったのが取手の事故でしたが。 >>313
キハ760型ですね。あと元江若鉄道のキハ511が菱枠台車を履いており
こいつも車体とのチグハグさがたまらない。
貫通幌を採用しなかったのは分割併合に手間を省く為だったのでしょうね。
キハ900の連結面にさえ幌無かったですからね。
幌が付く様になっても非常用通路ってシール貼ってます。
昔の炭鉱鉄道の資金力と言うか、実力って凄かったんですね。
国鉄と同じ車を作れたんだから。
ところで、千鉄管理局内は昼間節電ダイヤで殆ど走らない事も予想されます。
関東鉄道で昼寝しているキハ30系を借りて昼間走らせれば良いのに。
昼間なら三両編成程度で間にあっちゃいますし。
病院行く年寄りが困ってますよ。 >>315 もうJR東日本の首都圏で内燃動力車免許持っているヒトって結構少ないんじゃないかな?
三セク出向者活用の手段もあるが・・・。
場所は動労千葉のホームグランドだぜ 結構面倒臭いことになるぞ。 >>319
モノクロで、曇り空の下を走る古い型の車両なんて良いですね。
出版やってますが、その様な声はあるんです。
でも権利面が色々ややこしくて、コスト的に合わない事が多いのです。
私としては「坂東」的な、北関東独特の雰囲気漂う本を出したいんですがね。 からっ風にタイホーンが聴こえるは最高ですね。
遠い過去にタイムスリップしたような気分になります。
RMライブラリーで「筑波鉄道」が出版される事を何時も期待しています。 ホームの傍らに葉を落とした木があって、車掌が交換列車を待っている。
雲が低く垂れこめて寒々とした雰囲気が伝わってくる・・・なんて写真を見た事があります。
写真からエンジンのカランカランと言う音さえ聞こえてくる様な、そんなの良いですよね。
二両編成で形式も大きさも違う凸凹編成・・・それがまた良かったです。 私もRMライブラリーで「筑波鉄道」が出版されることを何回を期待しています・・・ 一瞬RMライブラリーで「筑波鉄道」が出版されるのかと
勘違いしてしまった・・・orz
>>322
もしかしてかって保育社より出版された「私鉄の車両シリーズ」の
関東鉄道・筑波鉄道・鹿島鉄道の真壁駅でのカットかな?
違っていたら申し訳ないが当該のカットも近い雰囲気があってなかなか良いよ。 >>324
確か鉄道ピクトリアルの古い時代ので見た記憶があります。
ご指摘のカットも良いですよね。
常総線と異なり筑波線は関東の北って感じが良いですね。
電気車刊行会に過去の写真をデジタル化して配信しませんかと聞いた事がありますが
全く関心は無いとにべもない返事でした。 58年頃のピク関東地方のローカル私鉄はカラー写真は少ないけど
なかなか良かった。中古本は高くて、昔交通博物館でコピーしてもらった。 朝日新聞「世界の鉄道」で1974年から3年連続で掲載されたのローカル私鉄特集もよかった
これで地方中小私鉄にハマったな
筑波鉄道は、末期と大きく変わらない車両構成ながらまだ旧塗装だった >>327
朱色とクリームのツートンカラーに茶色とクリームラインが入った
旧関東鉄道色もいいですね !!
キハ760型は関東鉄道筑波線を旧湧別鉄道時代(キハ49200Y)のホワイト地に赤帯の塗装で
走れました。
上大島駅のホームの一部を発見 !!
今まで完全に道路になってしまったと思ってた。 俺は当時、国鉄ばかり夢中になっていて筑波鉄道は乗らずに終わってしまった。
今考えると後悔しているけど、実際に乗った方の感想をお聞かせ下さい。
もし タイムトラベル(パラレルワールド)が可能だったら今から30年前の
昭和56年当時に戻り筑波鉄道を訪問したい・・・
僕は一度も筑波鉄道に乗った事がない
それが今現在の夢
因み筑波鉄道に関しては写真や資料が国鉄車両や路面電車 SLに比べて極端二少なすぎ
に感じます >>331
レスありがとう。
その当時に戻れたら、キハ461のキハ04 キハ541バケットカー キクハ11トレーラー
国鉄乗り入れつくば号が現役でしたね。
>>330
若い頃はどうしても華やかな国鉄に憧れる
歳を経て地方私鉄の魅力がわかった頃には既に廃線orz
自分もまた例外ではなく国鉄原理主義だったため筑波鉄道には3度しか乗っていない
最後はキハ821、岩瀬駅で見かけたとき18キップ使用中だったので躊躇したけど、やっぱり乗っておいて良かった
小学校3年生のときに、高井薫平氏の写真を見て以降、ローカル私鉄ひとすじの自分って一体・・・。 >>333 >>334
ありがとう。
キハ821は元国鉄キハ10ですね。その当時は先に廃線もしくは廃車になった
加悦鉄道キハ1018や鹿島臨海キハ1000以外の元国鉄キハ10系は現役でした。
あと私鉄タイプとして鹿児島交通キハ300がありましたね。
大先輩でいます高井薫平氏や湯口徹氏のローカル私鉄の写真は何時見ても
その当時のローカル私鉄の雰囲気が伝わってくるような錯覚を覚えます。 ぜひ鉄道図書刊行会は手持ちの写真を公開すべきですよ。
あそこの鉄道車両巡りが一番古い車両写真集になるはずです。
常総筑波鉄道時代の写真も多いし、中には客車の写真もあります。
元雄別のキハ760に乗りましたが、塗装は関東鉄道色に変わってました。
車体はキハ21と同じで台車は古式蒼然たる菱枠とか言うのでしたが。
真鍋機関区もローカル色豊かで、保存鉄道的に機関車や貨車も集めていたら
休日は凄い人出になったんじゃないですかね。
今の季節が特に良いのですが、曇り空が似合う感じがします。
坂東と言う土地柄、平将門や俵藤太が駆け巡った古来から変わらぬ風の冷たさが
たまらない旅情を掻き立てます。
常総筑波鉄道という社名も凄かったですが、それと合併した鹿島参宮鉄道って社名も
また凄かったですね。 >>336
レスありがとう。
キハ760や元江若鉄道キハ511などは近代的な車体に古典風な菱枠台車の
チグハグな組み合わせはたまりませんね。
以前関東鉄道のイベントで元筑波鉄道の社員とお話したことがありますが、
関東鉄道4路線の内、風景には乏しいですが、クロスシート車が集中配置され
観光路線的な筑波線が最もローカル色が強かったと聞いたことがあります。
保存に関しては関東鉄道はもとより、真鍋機関区があった地元土浦市も保存には
残念ながら関心がなかったようです。それに比べ元々保存鉄道的な加悦鉄道や
現在もSLを運行する大井川鉄道は素晴らしい限りです。
鹿島参宮鉄道は鹿島神宮を目指していたんですけどね。現在も天津小湊を目指していた
小湊鉄道など目的地まで開通が果たせなかった鉄道てありますね。
お話されました。 先週末ちょっと紅葉の盛りには早かったけども筑波山行って来たんだけど
中々の賑わいだったよ。
車利用が大半だったけども関鉄バス利用者も結構多かった。
筑波鉄道が現役だったころはこの時期の筑波駅の賑わいもなかなかだったんだろうかな。 >>338
はじめまして。
関鉄関係者から聞いた話では、筑波線はモータリゼーション以前では多くの
観光客でごった返すほどにぎわったそうですが、それ以降乗客が減り続け
筑波鉄道時代は筑波山観光の斜陽化などにより国鉄からの乗り入れ列車「筑波」も
社線内で6両編成にも関わらず空気を運ぶような列車だったそうです。
それでも単行運転が主だった当時は普段よりは乗客が多く、賑わいをみせたようです。 >>339
御教示どうもありがとうです!
参考になりました。 社線内はロッド付きDLに牽かれる「筑波」、
どのくらいのスピードで走ったのでしょうね… >>341
どれ位のスピードかは知らんけど、土浦〜筑波間を約40分かけて走った。
DD501は6両の客車を450馬力しかない2基エンジンで車輪を空転させながら走ったんだろうな。
アップダウンが無い平坦線だから牽引出来たんだろう。
<<339
記憶が正しければ、社史に昭和34年製造のキハ500、504形がデビュー時はシーズンになるとホームからはみ出るくらいの乗客により、列車に積み残しが出て、増便もできない状況により駅内は惨憺たる状況だったようです。
状況を駅長が会社に訴えたところ、新車5輌をもって対応すると回答があって増備に至ったと記載されていたように思います。(記憶違いがあったらすみません)
新車が入っても、その頃は線内の通勤ラッシュもありながら、国鉄の要請で体よく新車を小山乗り入れさせられ、車輌のやりくりも大変だったんでしょうね。
晩年、60年頃に5月の連休に乗った際ですら2輌の列車は混雑が激しく、揺れも加わって大変な思いをして筑波に着いた記憶があります。
笠間乗り入れの計画もあったし、小山にも直通した。
乗り入れ列車は白菊って愛称だったかな。
国鉄は天皇陛下で何でもかんでも思いのまま。
だから笠間乗り入れ用の車両を作ったらもうそれは止めたとか言われたらしい。
筑波線乗り入れ列車に常磐線日立発、水戸線経由で岩瀬から筑波線に乗りいれた
「筑波山」という列車があったそうです。使用車両は国鉄旧客あるいはキハ25が
使われたそうです。この列車に詳しい方おりませんか? >>336 昔(もう20年近く前) 売り切れになった
当時の鉄道図書刊行会に私鉄車両めぐり特集1・2の増刷の予定有無とお願いを、
したが、無碍なく「再販の予定はありません!」の回答だったよ。
発行しても捌くのに苦労するのだろうな。昭和52年頃発行して昭和の末くらいまで、
鉄ピク通常号の余白にしばしば広告が出ていたから・・・・
どうしても速やかに入手したいならヤフオクしかないんじゃないかな?(アマゾンは検索したことはない!!あまりに古いものは、扱わないみたいだし・・・)
もっとも鉄ピク黎明期の号掲載の私鉄車両めぐりを含む記事は アーカイブで最近扱うから
古本屋での法外な価格高騰がすすめば、それなりに資料を供給する手段は、採算を勘案して考慮してくれるんじゃないかな?
まあ アマゾン等ネットで二束三文で出されると無理だが・・・。 >>343
国鉄水戸線での車両不足の事情などいろいろ大変みたいだったようですね。
土浦から小山まで通して乗車した方は当時は多かったんではないでしょうか?
キハ500型は国鉄車両と総括制御が出来なく、社線の運転手と協調運転したそうです。
キハ800型からは総括制御可能になったそうですが、その後乗り入れが中止になりました。
筑波線は短尺レールですから菱枠台車の車両はショックが吸収しきれず揺れが
激しかったんでしょうね。
>>341
ビコム社のビデオで特集「懐かしの鉄路」に筑波鉄道の映像を見た記憶があります。
何号かは忘れましたけど、キハ760やキハ810の他、DD501牽引のつくば号が登場します。
常陸小田駅を汽笛を鳴らしながらゆっくり通過するシーンは良かったですよ。 筑波鉄道の廃止前後の時期に茨城新聞社でも
写真集かビデオを出していたような・・・。
その頃のジャーナル誌に広告が載っていたような気がする。 >>348
茨城新聞社の「さよなら筑波鉄道」は模型店で以前中古で購入しました。
あと昔ロコモデル国鉄館で買ったPRO企画「消えゆく筑波鉄道」を持っています。
2作品とも筑波鉄道末期に撮影されたものであり、キハ461やキハ541は登場しますが、
走行映像はありません。
新たに筑波鉄道の映像や写真集を期待して20年以上経ってしまいましたけど
そろそろ出てきて欲しいですね。
>>349
やっぱりありましたよね!茨城新聞社のビデオ。
2作品ともご所有とは・・・。
羨ましいですなぁ!
>そろそろ出てきて欲しいですね。
激しく同意ですな。 筑波鉄道の常陸藤沢駅から筑波学園都市まで新線が建設されていれば、
全線廃止にはならずにすんだかも・・
もしくは筑波学園都市が筑波鉄道沿線に建設していれば良かったのに
そう思います
これが現実なら大切な税金で必要無い筑波エクスプレス建設しなくて済んだのに
これこそ税金の無駄使い
たた茨城県や千葉県、東京 神奈川は将来大地震の危険性があるので災害の為にそのお金を使って欲しかったです
又筑波学園都市のある土地自体将来大地震危険性があるので
日本で唯一地震や災害と無縁な場所 群馬県高崎 前橋地区に
首都機能事移転させるべきと思います。
そこに筑波エキスプレスのような高速鉄道を造るべきです TXにどのくらい税金が投入されたんだろ。
群馬といえば嬬恋村鎌原(泣 税金の無駄使いは筑波エキスプレスばかりではない
瀬戸大橋 秋田長野新幹線 東北新幹線(盛岡から青森間)九州新幹線
中部国際空港 関西空港 東京湾アクアライン 臨海副都心 諫早湾干拓他
こんな税金の無駄使いをした為に日本が財政難になり景気回復が絶望的 必要の無い鉄道や
新幹線を造れたかったら JRグループが全額負担して作ってもらいたい
JR東や東海 東京メトロは使える電車をメンテが面倒と言って簡単にスクラップにしている。お金があるのだから自分たちのお金で勝手に鉄道を建設
すればいい。国鉄の債務を国民に押し付け大量に新車を作っている。
国鉄 営団地下鉄の民営化は本当に間違えだった
もし筑波学園都市が筑波鉄道沿線に建設されていたら 筑波鉄道や鹿島鉄道が存続していた。
俺も本当に1980年代に戻って筑波鉄道や鹿島鉄道に乗車したい 後10年早く生まれていればいいと後悔しています
ですが筑波鉄道に関するビデオや書籍は極端に少な過ぎです
>>354 既存の設備がそのまま流用できれば良いけど、
昨今要は、みんな面倒くさがり(改修改良・改造工事の手間を惜しみ)そして結果を急ぐからこうなるんだよ。
無論新規作成のほうが儲かるし、楽だという関係者の利権も見逃せない。 中学の頃よく真鍋の車庫へ見学に行き、事務所で見学者名簿に記入すれば誰でも見学できました。
お目当てのキハ04やバケットカーは何時も車庫の片隅に置かれていましたけど、時々出入りしていた
キハ04の保存会の方とお話したりと楽しい一日を過ごせました。
現在は鉄道博物館でキハ41307として筑波鉄道唯一の保存車両で当時を偲ぶ事ができます。 >>354-355
2ちゃんに人生の愚痴をぶつけるなよ
哀れを誘うぞ >>354
某社の8000系みたいに配電盤が火を吹くまで使い倒せという訳ですね、わかりません。 >>359 また極端な事を・・・
経済性を考えれば、新規取替えが最善なのは承知だよ。
でもね、そういう安易なことばかりで、何処も(大手も)鉄道会社の工作技術力は確実に衰えていっているよ。
ウチの会社もそう。もう破損部品を鋼材から作製したりとかは出来ない。
完全に定期検査作業以外もう出来ない。
事情にもよるけど、京阪みたいに 使えるものは活用して 或る程度モノを大事にするべきじゃないかな?(ウチは生半可に手入れしたのが祟って 個体差が酷くなり失敗)
もしかして 他社から つくばに、出されたヒト?
鉄道の工作技術力が衰えたのは 全て国鉄の民営化が原因
国鉄が在った時代は各社とも技術力を保持するため 人を育てた
その為 国鉄が存在した時代は鉄道車両を安易に廃車にはしなかった。
特に1980年代は日本が戦後63年の間で一番 元気が良い時代
その時代に残念なことに筑波鉄道は廃止された。
モノを大事にする文化は日本の伝統文化 これらを国をあげて守らないと日本地図から鉄道が消える
鉄道車両の寿命は50年 鉄道車両は乗り物の中で一番寿命が長い >乗り物の中で一番寿命が長い
平均寿命を教えてもらいたいんだが 日本の鉄道が一番元気だった時代が、80年代・・・・
それには異論だな。
やはり昭和30年代(1955−64)年でしょ。
先端技術の一番の発信元であ国鉄も昭和39年以降赤字転落 以後労使紛争で混迷の70年代へ
国鉄ではなくても、まだ自動車普及せず道路網も整備されていなかった為 車輌メーカー主導の技術革新も進んだ。
エカッフェ鉄道展やアジア各国首脳を招いて鉄道技術会議を開いたりとかあった。
真壁の機関区にお邪魔した時、機関区の方が
「ウチの車は北国育ちが多いから寒くなると調子が出てくるんだよ」とタバコを
くゆらせてたのを思い出します。 >>366
キハ760やキハ810は道産子だから暖房がよく効くもんで稼働率高かったね!!