筑波鉄道
1987年3月31日に惜しまれつつ廃止された筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線)。
あれから21年。そろそろあの頃を思い出してみませんか?
筑波鉄道の事を書籍で紹介して欲しいと思います。あまりにも資料が少なすぎです。 キハ800は国鉄気動車と総括制御ができたんだ…
…って、それ常総筑波になってからの話だっけ… 宇都宮延長が実現していれば廃止されてなかっただろうな。 >>235
関東鉄道以前の常総筑波鉄道時代(昭和30年代)でしょうね!
小山乗り入れの途中の下館から真岡線の気動車と併結したそうです。
最初に乗り入れたキハ500型は国鉄気動車とは制御回路が異なり社線の運転手との
協調運転を行ったそうですがキハ800型登場によりその点は解消されました。
現在てっぱくや東海博物館行きになった元真岡線のキハ11は落成時から廃車まで
ずーと真岡所属だったのでキハ500型やキハ800型と併結したんでしょうね! 俺は、何処か戦前からの流れを汲んだ社形デーゼルカーのキハ800は最終型のように思えて
それ以降の車は、あまり興味ないなー。
まあ、大分交通の600や常総線の45002みたいなハーフは、好きだが・・・。 4ごめん42002だな。
後年703になり、 42001に顔片方持っていかれたりステップ切り等
側面の弄られたり時代の変化に翻弄され可哀相な車だったよな。
大分で若手として数年モテまくっただけで、生涯の大半を狭い世界の紀州で弄られず
普遍で退屈で孤独に近い環境で枯れるまで長年働いた603.604と
どちらが、幸せだったのかな? 代替バスさえ廃止になる時代が来るとは、さすがに筑波鉄道廃止のときは予想できなかったなぁ。 >>243
車が無いと不便な沿線は紅葉マークであふれかえっている!
今の高齢者はほとんど免許もっているからな・・・
少子化の追い打ちを掛けるようにバスの経営も厳しいだろう 真鍋でスクラップになった車両達はどんなものに再生されたんだろう?
土浦駅構内に僅かに残っていた筑波線の線路が撤去されてしまいました 土浦駅の@番線は筑波線だった。常磐線下り水戸方面がA番線、中線があって
上りB番線、C番線。@よりもっと西側に通運用の側線があった。 >>248
西側の側線に続くポイント部分が撤去されたようです。
この側線は貨車を置いたり、季節臨の筑波号を牽引するEF80・81や
筑波線DD501の入れ替え・留置などに使用したようです。
ところで上野からの下り筑波号は土浦駅2番線到着後一旦停車してから筑波線の
1番ホームへバックで推進してから機関車の付け替えを行っていたようですが
筑波からの上り筑波号はどのように入れ替えを行っていたのでしょうか?
ご存知の方がおりましたら教えてください。
30年位前なので、記憶が怪しいですが、
1.筑波線から常磐線に進入
2.そのまま土浦駅には入らず、水戸方向の待避線?へバックで進入
(この部分は記憶が曖昧です。)
3.待避線で十数分停車して機関車交換
4.土浦駅常磐線上りホームへ到着
だったような気がしますが、、、。
筑波鉄道の架線柱のない車窓の開放感が懐かしいですね。>筑波号 ベットタウンと化した昭和60年代の土浦なら土浦ー筑波間だけなら存続できたはずだ。 今の土浦駅周辺のゴーストタウンぶりを見ると無理じゃね >>250
ありがとうございます!
筑波線のホームは行き止まりで機回し線があっても一度スイッチバックしなければ
ならず電気機関車を前後付け替える必要がありますね。謎が解けました。 筑波鉄道の思い出は、今となっては、廃止記念で発売された、ジグゾーパズルonly
もう少し写真とか撮っておけば良かったです。 筑波鉄道を走った現存車両
キハ41307・・・キハ461として昭和58年頃まで使用され筑波鉄道廃止前の昭和60年に
廃車になりました。国鉄要請により水戸機関区に展示されたり話題になり
ました。鉄道廃止後、唯一の保存車両としてつくば市で保存されそのあと
鉄道博物館へ譲渡され現在に至ります。
キハ301・・・キハ812の事故代換え車両として国鉄キハ30を購入しました。筑波仕様には
国鉄大宮工場で施工したそうです。鉄道廃止後、常総線へ転属して長く
活躍しましたが、現在水海道で倉庫(?)で放置状態です。
DD502・・・筑波鉄道DD501が不調時に臨客筑波号の代わりを務めたそうです。現在水海道で
冬眠中です。これを使用したリバイバル列車筑波号を運転してほしい!!
デッキ付き機関車に人が乗っている写真を見たことがあるけど
キハ541(バケットカー)に乗れたのかな? >>256
DD502は水戸線経由の下館-岩瀬か土浦で回送したんだろう 自動販売機の中でタバコとかジュースなどを売っている人たちは、
どのようなローテションで入れ替わっているのでしょうか?
またトイレや食事はどうしているのでしょうか?
あと給与体系などについても知りたいです。
よろしくお願いしま 加波山鉄道が実現していたら。今でも非電化でトコトコ走っているのだろうか。 >>261
直流電化が難しい地域だから(変電所を増やせば解決する可能性もあるが・・・)
非電化の可能性は高いだろう! 交流電化だと車両のコストがかかるもんね。 >>262
筑波鉄道は当初電化計画もあって電装可能な客車を導入した。 >>263
でも、当時から直流電化はできなかった。
チャットで、女性だと名乗る人が本当に女性かどうかを確認するために、いくつか質問をして大体の確証を得たい場合、どのような質問をしたら効果的かを教えてください。
当然ながら答えも教えてください。
>>256 DD502の補修パーツとして
DD501のバランスウエイトやロッド類が今でも
水海道基地に残されていますよ 筑波鉄道にキハ58が乗り入れたことがあったらしいけど、
団体?それとも筑波号の代走?
筑波号代走には14系客車があったね。 真鍋機関区検修庫内に有った貼り紙
「部品の節約」
エコ重視な会社だったらしい。 >>268
真鍋地区の園児輸送にキハ58系で真壁まで運転されたそうです。
土浦 キハ58(150)+28(2392)+58(1038)+28(2446)+58(117)+28(2372) 真壁
これが筑波鉄道最後の乗り入れ車で私はキハ58117にあじがうら号で乗車した事が
あります。
>>270
ありがとうございます。団体でしたか。
この車番は水戸機関区のものみたいですね。 今も残ってたら、首都圏に近いボットン便所駅が多数残存する鉄道として注目されただろうに >>272
どれも水戸機関区所属で急行ときわ・奥久慈・あじがうらで使われていた車両達ですね!!
これらのキハ58系は現存しませんが、最後の元常磐無線車だったキハ282371が去年は
健在でしたね。筑波山の麓を走るキハ58見たかった・・・
今日てっぱくへ行ってキハ41307(旧筑波鉄道キハ461)に乗車しました。
木目調の内装が素晴らしいですね! これを残してくれた保存会の方に感謝。感謝。 木目調とは何事だ,「調」とは!
あれは正真正銘の木目ではないか!!
いや昔は木で出来てるってのが古くさく思えて,
木目が見えないようにペンキで塗りつぶした車両なんかもあったわけだからねえ。
木目が生きているってのは貴重ではある。
まあ,内装もともかく車両自体の価値が貴重だと>>275も言っているんだろうけどね。 >>276
失礼しました。本物のニス塗りの内装ですね!
キハ41307は遠州鉄道に払い下げ後、内装をペンキ塗りにされたそうですよ。
部分的に張り替えたあと(床板や天井)は見られますが、今までペンキによって
保護されていたんですね!! いゃ〜 貴重です。 今や真壁はバスでさえ走ってない地区となってしまった。
(平日朝夕一本の通学バスをのぞく)
おかげで、歴史的建造物が多い真壁地区の観光がしにくいし、繁盛しない。 今日、新・消えた轍 関東が発売され思わず買ってしまいました。
筑波鉄道など廃線になったローカル私鉄が載っており良い資料になりますよ!
旧土浦駅舎時代は改札のすぐ脇に筑波線の券売機があったっけな
ただ何故か雨引までしかなくて
筑波線回りで岩瀬まで行くときは出札で切符買ってた >>278
もうバスもないのか
鉄道利用者としては忘れられた街になってしまったな
大昔筑波山からの下山した時に真壁の町歩いたけど、子供心にも石材ばかり目立つ街と思った
東野鉄道の黒羽も同じ印象だけど、今も鉄道のあった時のまま時間が止まっているような気がする 1987年に筑波大学を受験するとき筑波鉄道を利用したけど、とてつもなく
ボロだった、という記憶しかない
それから十数年たってふとテレビで「筑波鉄道跡廃線トレッキング」の話を
していたのを見て「え〜あそこ廃線になったんか!」と驚いた(当時関西在住)
新土浦駅、廃止後もしばらく駅舎も含めてそのまんま残っていたね。
バス停名称も廃止後長らく『新土浦駅前』のままだった
今は『関鉄本社前』だっけ? 規制で書きこめなかった。スマソ。
数年前に通った時は「関鉄本社前」だったから現在もそうじゃないかい。
停留所の名前はそうそう変えるものでもないだろうし。 他スレで、筑波鉄道に広告車があったがどうだか話題になってた。 >>286
現在てっぱくに保存されているキハ461(キハ41307)は車体に広告が張られた
時期がありました。 ファン184参考
てっぱくのバスが東海博物館へ最近移動したのでキハ41307の後ろがゆったりしました。
部屋の片づけしていたら「加波山たばこ神社 キセル祭り記念乗車券」
が出てきた。表紙の「筑波山とたばこ畑をバックに走るキハ810」も懐かしいが
裏表紙の「つくば博を成功させよう」のキャッチフレーズとコスモ星丸、
CABIN`85も時代を感じさせるね。 >>269
「これ無くても走るべ?」
「んだな、外すべ」
こうですか分かり(ry >>289
今、同じタイトルで売り出したら、ニュー速民大喜びだなw
↑元小田急1650?
常総線は知ってるが、筑波線にもあったのか。 昭和2年製の木造客車。
三河鉄道と阪和電鉄に譲渡された車両は、実際に電車に改造された。
三河→名鉄に行った車は、某著名サイトで見たことがあるが、
なかなかの仕上げですね。時代が時代なら人気を集めていたかもしれない。 上大島のとこの床屋だかは廃止後すぐに線路あったとこに建ったような記憶があるけど、あの土地はどう言う経緯で床屋の物になったの?
>>297
あの辺、廃止直後に道路拡張で立ち退きがあったから、その代替じゃないかな? 筑波鉄道は小湊鐵道と同様、貧弱な線路である上に、レールの継ぎ目の間隔が短いため、
単行でもトトントトンといった感じの忙しないジョイント音を立てながら走っていました。
制限速度は小湊鐵道と同じく65キロだったかな。 鉾田線でも平成まで生き延びたのに
なんで筑波線は早々に白旗揚げちゃったのかなあ・・・
工夫次第でもう少し続けられたように思いたいね。 ニュータウン鉄道の助成金使って、
途中から分岐して、つくばセンターへ至る
支線を、妄想していたことがあるよ。 >>301
鉾田線は、百里基地への燃料輸送があったから生きながらえることができた。 >>300
短尺レールはジョイント音のテンポが速いから速度は遅くても速く感じたな!
>>301
旅客数では筑波線の方が上だったけど、貨物が無かったのが・・・
>>303
パイプラインが腐ってなきゃ今も生き残っていたのに・・・
>>302
TXの土浦・石岡・筑波山への延伸計画はどうなってしまったのだろうか? 筑波鉄道初乗車の日に廃止が表明されたのが思い出、真壁の車庫もアッサリと見学させてくれた、あと乗り合わせた大人な鉄が列車内で地元の煎餅と地元のカップ酒を楽しむのが趣味と言ってのが印象的で今やおれも同じ趣味。 関東鉄道時代に上野駅から筑波号に乗って家族で筑波駅まで行った。
土浦でかわいいDLに付け替えるのが何とも面白かった。
当日は大変な好天で、筑波山の頂上から関東平野が一望でき本当に
楽しい一日だった。
当時は東京の荻窪に住んでいたが、ビルの4階ぐらいなら筑波山や加波山が
よく見えた。現在はまず無理な話。それだけ空気が澄んでいたことになる。
あの時代に戻れるなら戻ってみたい気分。 >>234
懐かしの鉄道パノラマコレクションという写真集が発売になりました。
筑波山の麓を走る筑波線??
トレイン今月号にも筑波線が載っています。 >>285
現在も関鉄本社入口だよ。
筑波鉄道の名残は筑波山口行きか下妻行きの途中の北条駅入口くらいだろ。 >>309
鉄道の名残というのは結構遅くまで残るんだな!
俺は廃線跡を散歩したりするんだが、茨城交通茨城線の石塚駅周辺は駅前通りの
商店街の雰囲気が残っているし、東野鉄道の黒羽駅の農業用倉庫は現役で
鉄道のあった場所が確認出来るよ。まぁどちらも廃線直後から比べるとバスの
便が激減してしまっているけどね。 >>311
筑波駅舎は改装したんですよね?
次の上大島駅は道路になってしまい全く面影が無い。
酒寄駅はホームの土盛りに駅名表の柵が健在ですね。
炭鉱生まれのDCに乗るのが楽しみでした。
車体は国鉄と同じで、台車が菱枠と言う昔そのままが面白かったですね。
それにしても、幌を使わなかったのが不思議でしたね。
それが祟っちゃったのが取手の事故でしたが。 >>313
キハ760型ですね。あと元江若鉄道のキハ511が菱枠台車を履いており
こいつも車体とのチグハグさがたまらない。
貫通幌を採用しなかったのは分割併合に手間を省く為だったのでしょうね。
キハ900の連結面にさえ幌無かったですからね。
幌が付く様になっても非常用通路ってシール貼ってます。
昔の炭鉱鉄道の資金力と言うか、実力って凄かったんですね。
国鉄と同じ車を作れたんだから。
ところで、千鉄管理局内は昼間節電ダイヤで殆ど走らない事も予想されます。
関東鉄道で昼寝しているキハ30系を借りて昼間走らせれば良いのに。
昼間なら三両編成程度で間にあっちゃいますし。
病院行く年寄りが困ってますよ。 >>315 もうJR東日本の首都圏で内燃動力車免許持っているヒトって結構少ないんじゃないかな?
三セク出向者活用の手段もあるが・・・。
場所は動労千葉のホームグランドだぜ 結構面倒臭いことになるぞ。 >>319
モノクロで、曇り空の下を走る古い型の車両なんて良いですね。
出版やってますが、その様な声はあるんです。
でも権利面が色々ややこしくて、コスト的に合わない事が多いのです。
私としては「坂東」的な、北関東独特の雰囲気漂う本を出したいんですがね。 からっ風にタイホーンが聴こえるは最高ですね。
遠い過去にタイムスリップしたような気分になります。
RMライブラリーで「筑波鉄道」が出版される事を何時も期待しています。 ホームの傍らに葉を落とした木があって、車掌が交換列車を待っている。
雲が低く垂れこめて寒々とした雰囲気が伝わってくる・・・なんて写真を見た事があります。
写真からエンジンのカランカランと言う音さえ聞こえてくる様な、そんなの良いですよね。
二両編成で形式も大きさも違う凸凹編成・・・それがまた良かったです。 私もRMライブラリーで「筑波鉄道」が出版されることを何回を期待しています・・・ 一瞬RMライブラリーで「筑波鉄道」が出版されるのかと
勘違いしてしまった・・・orz
>>322
もしかしてかって保育社より出版された「私鉄の車両シリーズ」の
関東鉄道・筑波鉄道・鹿島鉄道の真壁駅でのカットかな?
違っていたら申し訳ないが当該のカットも近い雰囲気があってなかなか良いよ。 >>324
確か鉄道ピクトリアルの古い時代ので見た記憶があります。
ご指摘のカットも良いですよね。
常総線と異なり筑波線は関東の北って感じが良いですね。
電気車刊行会に過去の写真をデジタル化して配信しませんかと聞いた事がありますが
全く関心は無いとにべもない返事でした。 58年頃のピク関東地方のローカル私鉄はカラー写真は少ないけど
なかなか良かった。中古本は高くて、昔交通博物館でコピーしてもらった。 朝日新聞「世界の鉄道」で1974年から3年連続で掲載されたのローカル私鉄特集もよかった
これで地方中小私鉄にハマったな
筑波鉄道は、末期と大きく変わらない車両構成ながらまだ旧塗装だった >>327
朱色とクリームのツートンカラーに茶色とクリームラインが入った
旧関東鉄道色もいいですね !!
キハ760型は関東鉄道筑波線を旧湧別鉄道時代(キハ49200Y)のホワイト地に赤帯の塗装で
走れました。
上大島駅のホームの一部を発見 !!
今まで完全に道路になってしまったと思ってた。 俺は当時、国鉄ばかり夢中になっていて筑波鉄道は乗らずに終わってしまった。
今考えると後悔しているけど、実際に乗った方の感想をお聞かせ下さい。
もし タイムトラベル(パラレルワールド)が可能だったら今から30年前の
昭和56年当時に戻り筑波鉄道を訪問したい・・・
僕は一度も筑波鉄道に乗った事がない
それが今現在の夢
因み筑波鉄道に関しては写真や資料が国鉄車両や路面電車 SLに比べて極端二少なすぎ
に感じます >>331
レスありがとう。
その当時に戻れたら、キハ461のキハ04 キハ541バケットカー キクハ11トレーラー
国鉄乗り入れつくば号が現役でしたね。
>>330
若い頃はどうしても華やかな国鉄に憧れる
歳を経て地方私鉄の魅力がわかった頃には既に廃線orz
自分もまた例外ではなく国鉄原理主義だったため筑波鉄道には3度しか乗っていない
最後はキハ821、岩瀬駅で見かけたとき18キップ使用中だったので躊躇したけど、やっぱり乗っておいて良かった