筑波鉄道
1987年3月31日に惜しまれつつ廃止された筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線)。
あれから21年。そろそろあの頃を思い出してみませんか?
常総に戻った?キハ 500は結局数年使われただけでキハ 800やキハ 900と共に軽量化が仇となって2100・2200型の導入となった。 >>159
キハ531は元江若車の車体載せ替えじゃなかったか? 確か今残っているキハ 532以外は元江若組じゃなかった? >>164
そのとおりです!! どの雑誌で読んだか忘れましたけど、程度の良い台車に履き替えたそうです。
廃車体を確認したんですが、江若特有の菱枠型台車下部にアングル補強がしてありませんでした。
元江若の筑波鉄道キハ511には台車にアングル補強がしてありましたね!!
私鉄車両 関東鉄道では元江若のキハ531・キハ521・522・キハ511に付いているのが
確認できます。 >>166
多分、ウイングバネのDT19やDT21では床下機器やステップに当たるんだろうね。同じTR29系列なら問題ないし。 >>166 筑波鉄道廃止後、車両たちは2年半ぐらい放置状態だったと思うが、キハ461 キハ301 キハ503〜キハ505を
除き、買い手が付かず解体されてしまった。(常総線転属後キハ503〜キハ505も状態悪化で解体)
その時、使えるエンジンなどは常総線や鉾田線へ持っていったかも知れないね??
DD501のロッドは、現在も水海道車両区の検修棟の外で放置プレイ中。 >>170
廃止後、即売会でヘッドライトなど売られたそうだ 赤字でも、残しておけば、復活させて欲しい!鉄道が安全で、確実です。 >>174 廃止しても 必ず必要になるその時迄と・・・・越後交通長岡線みたいに
残して置くの?・・・結局諸設備の老朽化で危険になり撤去されたらしいが・・・
こういう放置温存って当座の撤去費用はかからないけど、固定資産税とか、バッチリ
課税は、されているんだよね。・・・地域により不動産価値が違うだろうから
一概に判断しがたいけど、結してお徳でもないよね。ましてや今は北京五輪みたいな
国際社会の変動で影響やすい御時世だから線路なんか勝手に盗まれそうだし・・・
何処の現場でも気動車の機関積み替えは行っていてどの車体にどの機関を積み替えたとかは判らないらしい。
下手をすると元々C機関の車両にB機関を積み直しをしたりしていた。BもCも基本的な行程と内径は同じなので燃料噴射穴を最終改良型のC規格にしている。 >>177 そうかな?挙げとりする訳じゃないけど
エンジンは、主要部品だからリンクでも検査表みれば、前の定期の前どの車
に付いていたか?位解ると、思うよ。勿論、車両そのものだつて、改造名義
とか、トリックの場合もあるけど、エンジンそのものの機番・その時期の
入場車両記録とか、虱つぶしすれば だいぶ解ると思う。 但、今はこういう
ご時世だから、当事者も調査協力は、多分嫌がるな。
前所有者を転々してきた車、部品などは、いい加減な社が(当時は、許された。)
、介在すると つじつまが合わないこともあると思う。
かく云う私も、前任担当者のいい加減な記載で、経年部品の交換が必要なのに
、何故換えなくては、いけない!!と予算・資材担当に虐められた事があるよ。
・・・流石に1両分丸々交換だと劣化破損・不良で誤魔化しきれなかつた。
暫く当該品を、手入れ保留にして他の車の手入れ資材発注時水増しして、当該
車の部品を手当てした。・・・・希少車じゃなくて、助かった。下手すりゃ
一筆ものだ。 此処のスレの車両ではないのだが廃車になった個体が側線に放置されていて、機関本体がないので質問したら当時現役だった個体に載せたとの証言が責任者から出た。
実車に乗った際に排気音が同型の個体と微妙に違い多分この車両に?と言う推測は付いたのだが、>>180氏の言う刻印などの特定する鍵までは当時でも現場では余り良い顔をしなかったので調査しなかった。 筑波鉄道の映像を観てみたいんだけど、茨新の「さよなら筑波鉄道」の他に
あったの?
昭和51年頃、当時の彼女と二人で乗り鉄デートしました。
普通に常磐線で土浦まで行って乗り換えて終点まで行って
水戸線乗って、東北本線乗って帰って来ました。
水戸線も赤い電機の引く旧型客車だったような覚えが・・ この列車は筑波鉄道、快速列車宇都宮行きです
途中新土浦、常陸小田、常陸北条、筑波、真壁、岩瀬〜 JR東日本・筑波線だったら分かるが、
キハ110系の快速つくば号かな?
筑波線→水戸線→宇都宮線への乗り入れもするから大変だな・・・。
何故気動車列車かというと、筑波線は電化されていない。
水戸線のデッドセクションの問題のため。 常総筑波鉄道筑波線時代は小山まで乗り入れしてたぞ!!!
土浦を出発したキハ500・800が岩瀬で水戸線に入り、下館で真岡線の気動車と併結して
小山へ乗り入れた。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
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屋根にラヂオのアンテナがついてたヤツなかったっけ? >>207
筑波にあったの?
島原はついていたけど >>208
筑波でないけ特急「しもだて」に付いていたような・・・ 岩瀬←キハ461+キハ821+キハ812+キハ761+キハ511+キハ541→土浦
どのキハに乗ってみたい? >>210
おれはキハ461とキハ511とキハ541だな。 >>213
元江若鉄道のキハ511やキハ761は車体と台車のチグハグ差がたまらないね!!
キハ450系?
キハ40 2000番台を北海道仕様のキハ400系と同じ改良した気動車か?
冷房は付いているが、発電セットがあるため、車重がキハ66並みに重くなり、
水戸線や宇都宮線でしか走れない。筑波線で走ったら、路盤の弱さが災いし、
両毛線並みの激しい振動だろ。 >>210
おれはキハ821に乗ったぞ! 相模線の相武台下〜橋本間で
タラコ塗装のキハ10 47だったな。
そうか!じゃあ俺両方で乗ってるかも。
ってか筑波鉄道的にはあまり面白くない車両なんだろうけど
それにしか乗れなかった… 求む!!
筑波鉄道を復活させる会
TXつくば駅〜旧筑波駅(北条から筑波はりんりんロード買収利用)を結び筑波山観光に繋げろ!
社名は「常急電鉄株式会社」
路線名は「常急筑波線」とする!!!!!!!!!! 先日筑波山にいったけど、あそこにローカル線が走ってると
かなり絵になる風景だね。山中には、筑波駅とか、酒寄駅とかの
標識がまだ普通にのこってたよ。
TX筑波から延伸できないかね。まあ沿線の日常需要は絶望的だけど、、
都心からも遠く無いしイベント列車で採算とれないかな。
久留里線キハ30 98郡山から出場!
筑波鉄道ぽい台車のグレーが大宮で整備したキハ301を思い出します。
へ〜、色指定をまずったか、
今は灰色に塗る決まりなんですかね、んなこたぁないか? >>222
筑波鉄道とはヘッドライトなど同タイプのキハ30ですね!
細部を見るとおでこのシルバーや塗り分けの位置が微妙に異なりますが懐かしいw
キハ301の方は現在も水海道で眠っているのかな? 岩瀬の駅を通ったが、予備知識が無いと私鉄が来ていたことは今ではわからない。 もし筑波鉄道が存続していたら・・・キハ30大国になったんだろうか >>226
観光路線の関係からセミクロスシート車が集中配置されているので
高崎や真岡のキハ20を購入してたかもしれないね! >>227
どこでも見かける新潟トランシスの軽快ディーゼルカーでしょ 自治体の資本がはいり、「つくば鉄道」を名乗らされていたりして。 そういえば筑波鉄道の駅って結構貨物側線ある駅多かったけど、貨物列車の画像見たことないな 「分社化」する前には貨物の営業をやめていたのでは。 >>231
分社化も少しの間だけ土浦ー真鍋間の石油輸送が残っていたような。
真鍋によくタキが止まっていたような。 筑波鉄道の事を書籍で紹介して欲しいと思います。あまりにも資料が少なすぎです。 キハ800は国鉄気動車と総括制御ができたんだ…
…って、それ常総筑波になってからの話だっけ… 宇都宮延長が実現していれば廃止されてなかっただろうな。 >>235
関東鉄道以前の常総筑波鉄道時代(昭和30年代)でしょうね!
小山乗り入れの途中の下館から真岡線の気動車と併結したそうです。
最初に乗り入れたキハ500型は国鉄気動車とは制御回路が異なり社線の運転手との
協調運転を行ったそうですがキハ800型登場によりその点は解消されました。
現在てっぱくや東海博物館行きになった元真岡線のキハ11は落成時から廃車まで
ずーと真岡所属だったのでキハ500型やキハ800型と併結したんでしょうね! 俺は、何処か戦前からの流れを汲んだ社形デーゼルカーのキハ800は最終型のように思えて
それ以降の車は、あまり興味ないなー。
まあ、大分交通の600や常総線の45002みたいなハーフは、好きだが・・・。 4ごめん42002だな。
後年703になり、 42001に顔片方持っていかれたりステップ切り等
側面の弄られたり時代の変化に翻弄され可哀相な車だったよな。
大分で若手として数年モテまくっただけで、生涯の大半を狭い世界の紀州で弄られず
普遍で退屈で孤独に近い環境で枯れるまで長年働いた603.604と
どちらが、幸せだったのかな? 代替バスさえ廃止になる時代が来るとは、さすがに筑波鉄道廃止のときは予想できなかったなぁ。 >>243
車が無いと不便な沿線は紅葉マークであふれかえっている!
今の高齢者はほとんど免許もっているからな・・・
少子化の追い打ちを掛けるようにバスの経営も厳しいだろう 真鍋でスクラップになった車両達はどんなものに再生されたんだろう?
土浦駅構内に僅かに残っていた筑波線の線路が撤去されてしまいました 土浦駅の@番線は筑波線だった。常磐線下り水戸方面がA番線、中線があって
上りB番線、C番線。@よりもっと西側に通運用の側線があった。 >>248
西側の側線に続くポイント部分が撤去されたようです。
この側線は貨車を置いたり、季節臨の筑波号を牽引するEF80・81や
筑波線DD501の入れ替え・留置などに使用したようです。
ところで上野からの下り筑波号は土浦駅2番線到着後一旦停車してから筑波線の
1番ホームへバックで推進してから機関車の付け替えを行っていたようですが
筑波からの上り筑波号はどのように入れ替えを行っていたのでしょうか?
ご存知の方がおりましたら教えてください。
30年位前なので、記憶が怪しいですが、
1.筑波線から常磐線に進入
2.そのまま土浦駅には入らず、水戸方向の待避線?へバックで進入
(この部分は記憶が曖昧です。)
3.待避線で十数分停車して機関車交換
4.土浦駅常磐線上りホームへ到着
だったような気がしますが、、、。
筑波鉄道の架線柱のない車窓の開放感が懐かしいですね。>筑波号 ベットタウンと化した昭和60年代の土浦なら土浦ー筑波間だけなら存続できたはずだ。 今の土浦駅周辺のゴーストタウンぶりを見ると無理じゃね >>250
ありがとうございます!
筑波線のホームは行き止まりで機回し線があっても一度スイッチバックしなければ
ならず電気機関車を前後付け替える必要がありますね。謎が解けました。 筑波鉄道の思い出は、今となっては、廃止記念で発売された、ジグゾーパズルonly
もう少し写真とか撮っておけば良かったです。 筑波鉄道を走った現存車両
キハ41307・・・キハ461として昭和58年頃まで使用され筑波鉄道廃止前の昭和60年に
廃車になりました。国鉄要請により水戸機関区に展示されたり話題になり
ました。鉄道廃止後、唯一の保存車両としてつくば市で保存されそのあと
鉄道博物館へ譲渡され現在に至ります。
キハ301・・・キハ812の事故代換え車両として国鉄キハ30を購入しました。筑波仕様には
国鉄大宮工場で施工したそうです。鉄道廃止後、常総線へ転属して長く
活躍しましたが、現在水海道で倉庫(?)で放置状態です。
DD502・・・筑波鉄道DD501が不調時に臨客筑波号の代わりを務めたそうです。現在水海道で
冬眠中です。これを使用したリバイバル列車筑波号を運転してほしい!!
デッキ付き機関車に人が乗っている写真を見たことがあるけど
キハ541(バケットカー)に乗れたのかな? >>256
DD502は水戸線経由の下館-岩瀬か土浦で回送したんだろう 自動販売機の中でタバコとかジュースなどを売っている人たちは、
どのようなローテションで入れ替わっているのでしょうか?
またトイレや食事はどうしているのでしょうか?
あと給与体系などについても知りたいです。
よろしくお願いしま 加波山鉄道が実現していたら。今でも非電化でトコトコ走っているのだろうか。 >>261
直流電化が難しい地域だから(変電所を増やせば解決する可能性もあるが・・・)
非電化の可能性は高いだろう! 交流電化だと車両のコストがかかるもんね。 >>262
筑波鉄道は当初電化計画もあって電装可能な客車を導入した。