筑波鉄道
1987年3月31日に惜しまれつつ廃止された筑波鉄道(旧・関東鉄道筑波線)。
あれから21年。そろそろあの頃を思い出してみませんか?
現在のつくば駅とは別の場所に筑波駅があったらしいが、古すぎてわからん。
というより、筑波鉄道単独でなく茨城県の廃線すべてを対象とするスレにしたほうがよかったのでは? 3。
鉄博にいったキハ461は、機械式変速機までは
復元されてなかったorz 筑波鉄道線跡はほぼ自転車道として残っているだけでもありがたい。
旧筑波駅は筑波山口(さんぐち)バスターミナルとして残っている。
TXつくば駅(つくばセンター)からバスで行けるし。 駅は
土浦→新土浦→虫掛→常陸藤沢→田土部→常陸小田→常陸北条→筑波
→上大島→桃山→椎尾→真壁→樺穂→東飯田→雨引→岩瀬
だったかな? >>4 いいこと聞きました。サンクス。
もともと旧筑波駅の駅舎はモダンな造り(モルタル?)でしたね。
お隣り常総線の騰波ノ江は解体される(た?)けど
まだ筑波鉄道の「味がある」木造駅舎って残ってるのでしょうかね。
私鉄車両めぐり特輯?によると、1960年代後半に、
常磐線に乗り入れるための
筑波線の交流電化計画がおきたらしい。
そのころは筑波山とかは観光ブームで、列車とバスを乗り継ぐ
需要もけっこうあったのでしょうね。 おっさんしか懐古できないスレだな。
>>2
禿同。でないと使い切れないよ。 >>4
IDがJRQ…この板ではJNRだったらよかったのに。 廃線直前に大学の鉄研連中で真鍋機関区を訪ねた。
許可をいただき、構内で車両の写真を撮っていると機関区裏の女子高のチャイムが鳴り休み時間となる。
窓が一斉に開けられ、我々に向けて品のない罵声が浴びせられる。
10分程罵倒に耐えていると再びチャイムが鳴り、静寂が戻ってきた。
私立土浦第一女子高( ゚Д゚)逝ってよし >>9
それは災難でしたね。
そのじょしこーせー連中も、
今は立派な「あたしンちの母」化してると思うとぞっとしないね。 >>9
ネタ?一斉に窓を空けて外にいる人に罵声を浴びせる学校なんて聞いたことないぞ。
事実ならその学校危なすぎるだろ。 過去に筑波線撮りに来たついで?に、あらぬ方向に
レンズ向けてきたヤツでもいたんじゃないの 茨城の県道で欠番になってる345〜349は筑波鉄道の停車場線らしいね。
345 北条停車場線
346 筑波停車場線
347 椎尾停車場線
348 真壁停車場線
349 樺穂停車場線
いずれも市道降格
343 木崎雨引停車場線と344 真鍋停車場線は現役。 >>12
仮にそうだとしても9で言われてることは異常だぞ。
一斉に窓を開けて罵声って、本当にあるなら相当危ない学校だな。 ネタを書込んだ様に言われてるけど事実だよ。
真鍋に撮影に来たヲタが罵声の被害に遭っていた。
そんな学校、潰れるどころかつ○ば国際大学高校という名前で御健在。場所も変らず。 話がはずれるが、場所にもよるけど、
むかしの高校生には中には柄がよろしくないのがいたんだよ。
朝の列車のある車両が1校で貸し切り状態、
それだけなら今でも珍しくない(通学手段確保のために残されてるローカル線も多い)が、
甚だしくは車内は喫煙し放題とかの無法地帯だったりした
(もちろん筑波線とかの民鉄の話ではないが)。
そのような理由で駅の禁煙タイムとか始まったのも
全国でも宇都宮あたりが最初だったかと。 漏れ、当時付き合った彼女がそこの高校だったんだけど。 >>18
ひどい・・・
それに比べてTXは平和だな。電車に乗ってもそんなDQNは見かけないし
つくば駅に行っても全くDQNっぽいのがいない。 いま、あそこのあたりの高校は、送迎バスが主体だからね。
えらい長距離走るやつもある。古河とか水戸とか。 つくばから古河行きはないぞ!
水戸行きは朝夕にTMライナーがあるが。 今でも筑波鉄道が廃止なんてもったいなかったと思う。
昭和62年廃止当時はまだ筑波博覧会の余韻も残っていて筑波地域は活気あったし。
常磐線も土浦までは20分ヘッドで電車あって東京の通勤圏だったし。
廃止一年前には国鉄からキハ30系買ったばかりだし。
筑波山のふもとに駅あったから観光客も多かったし。
せめて土浦ー筑波間だけならもう少し我慢すれば存続できたはずだよ。
TXとどこかに接続駅もうけてれば安泰だったのに・・・。
>>22
路線バスの話じゃないよ。高校の送迎バスの話だよ。 >>23
わるいけど幻想でしょう。
つくば万博→バス→常総線のルートですら一体何人が使ったのやら。 廃止の3ヶ月位前から急に廃止厨が増えて「こんなに毎日乗ってりゃ廃止にならなかったのに」と言う意見が…スレ違いだが鹿島でも一緒の意見が。
廃止の一年前にキハ30を購入したのは北海道組のキハ811か812がダンプと踏切事故を起こして無残な姿を晒していた。
最初から常総に転用目的であの車になったと聞いている。 でもまあ、廃線の頃、たしかに土浦〜筑波だけ残せないか・・という話も出たらしい。
代替バスも藤沢(高岡)まで15分に1本、北条まで時間2本、筑波まで時間1本だったからね(今は減っていると思うけど)。
ところが、筑波から先はがた減り。最近、ついに真壁以北のバスは無くなって、真壁〜筑波も1日1〜3本という状態だからね。
まあ、客の数だけ数えたら、鉾田線より、土浦〜筑波のほうが乗っていたのは事実だろうな。
ただなあ・・・残しておいても、商業の中心が学園都市とか郊外に移っちゃって土浦市街はガタガタになっちゃったからなあ・・・・。
一回乗りに行ったけど、景色がひたすら畑ですげー退屈だった記憶がある
土浦の隣に車庫があって、切り離しが面白かった。 昔、宇都宮学園も上から物が降ってきたり、罵声を浴びたりするがらの悪い学校だったな
電車でタバコ吸ってる高校生、昔多かったねえ キハ21と見せかけて台車が菱枠だったキハ761-763
窓配置はキハ20だけど窓がキハ22のような1段窓のキハ811-812
乗ってみたかったorz やっぱDD 501ロッドのチャカチャカ音だっぺ。漏れは筑波では聞けなかったけど鹿島でDD 901は聞いた。 あったな。5月頃上野から確か臨時の12系快速が乗り入れてきてDD501がひっぱてたな!
やはり観光路線として存続できたろ。あのサイクリングロードは将来鉄道に復活できるようにしてあるんではなかったっけ? >>34
一時期14系座席車になった事があったよね、それにキハ58・28系も
患部を切除しなかったために死に至った典型例だと思っております。 確か快速【つくば】で終点の岩瀬を通過する【つくばね】と言う紛らわしい名前の電車急行が有った。
小田か北条あたりがニュータウン開発とか当時してたら廃線は免れていたかもしれない。 関鉄は距離が違うとは言え竜ヶ崎線のワンマン化は早かったが筑波は終始車掌乗務。
北条や筑波、真壁などの主要駅以外の交換駅でも結構委託販売で切符を売っていた。 鉾田線→鹿島鉄道も、素人考えじゃあ部分的に
残せたんじゃないかと思うが、実際はそうはならなかった。
沿線に宅地が開けたとかでKR-500を買って増発したくらいだったのに。 >>41
石岡〜常陸小川だけ・・ということになろうが、現状、バスの本数は1時間に2本で
土浦〜常陸藤沢のバスの本数の半分なんだよなあ・・・。
そりゃ残せないのも当然と思う。 >>42
そうですか…いまはバス路線の末永き活躍を祈るのみです。 つくば科学万博のついでに筑波鉄道に乗ったんだが、乗車区間は、
土浦−筑波で、バスに乗り換えて、ロープウェー→ケーブルカーと
乗ったんだ。そして筑波から土浦へ帰った。そのとき乗らなかった
筑波−岩瀬は、未乗のまま廃止になって、今でも漏れは後悔してい
る。
何時も乗車する時は新土浦からで真鍋機関区に車を停めさせて頂いていた。
確かまだ営業中でキクハ511だったと思うが車体の天井部分が駐車場に転げていた。
最終日前は乗らずにただひたすら撮り捲っていた。
キハ 504だったと思うがこの車も特別塗装となり筑波山が車体に描かれていた。 花火大会のときも虫掛駅あたりからは結構見れたんでは? 土浦駅ー筑波さんぐち間バスで鉄道風の切符を販売して懐かしむ
ことはできないのだろうか。復活は無理としても懐かしむイベントが
あってもよいのではないか。 >>40
鹿島鉄道もワンマン化はおそかったからね。
筑波鉄道現役時は鹿島鉄道も全区間車掌乗務だった。
龍ヶ崎線は距離が短いからワンマン化も早かった。 龍ヶ崎線は途中駅が1つしかないから、ワンマン化しやすかった
ってのもあるんだろう。
以前同線には、朝だけ3両編成があった。
車掌というか運転士兼務の人が菜っ葉服姿で放送してた。
ここが茨城県の私鉄の想い出を語るスレでよいということなら、
日立電鉄のワンマンカーも懐かしい。
全国でも導入は早かったほうのはず。
旧型電車の頃は、お賽銭箱然とした木?の運賃箱が
置いてあるだけで、両替機もなかった。
でも、無人駅での乗り降りは少ないか、あっても定期券所持客が
多いらしく、さほど困っていなかったように見えた。
営団車に置き換わってからはついに一度も乗らずじまいだった。 というか、鉄道線のワンマン化1号が龍ヶ崎線。2位が電鉄。 当初岩瀬〜宇都宮も計画してたらしいね。
ただ、トンネルとか鬼怒川橋梁とかで多額の費用が必要になるから断念したそうだ。 >>35
14系もありましたね。写真でしか見たことなかったけど。
しかしキハ58は写真すら無い。多分、急行「ときわ」の
車両だろうけど。 投下
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4737242 真鍋での車両交換がおもしろかったね。旧真鍋駅で臨時停車して土浦行きの後ろに1両増結(締め切り)。戻ってきたところで後ろを切り離す。同じような方法はいまでも銚子でやってるかな。 JRと関鉄共同でバスは花火競技会の専用チケットはあるみたいだけど硬券ではないみたい。
硬券そのものを作ろうとすると改札鋏やストッカー、ダッチングマシーンも必要になるし結構復活設備に金が掛かるからやらないと思うよ。 常総線のキハ310の中には、種車の国鉄キハ17系時代に
台車がDT22にはきかえられているものがあった。 >>67
キハ 600更新前以外は非貫通のキハばかりだった鹿島を除き関鉄系列の気動車には必ず貼って有った。
漏れもそのステッカーは5年前位の水海道イベントで購入した。 筑波鉄道は楽しい路線でした。今もあったら(会社はあるが)鹿島以上に注目されていたでしょう。
筑波号・・・旧客(スハ43他) 12系 14系
昭和58年ごろ乗りました。上野から関門のEF81 302に牽かれ土浦へ
そのまま筑波鉄道の1番ホームへと転線してから筑波鉄道のDD501に付替え
筑波へ向かいました。12系客車でしたが殆んど乗客はいませんでした。
最後の乗り入れ・・・キハ58・28
昭和61年9月頃に真壁地区の園児輸送目的でキハ58系6両編成が乗り入れた
そうです。車両は水戸区の車両です。2台エンジンの旅客車が筑波線を走ったのは
初めてかな?
筑波山号・・・キハ25?
日立から岩瀬経由で筑波へ乗り入れた、筑波山号という列車があったそうです。
詳細はわかりませんが、キハ25系数連が入ったそうです。
水戸線乗り入れ・・・キハ500・800
筑波線の気動車も小山や笠間へと乗り入れを行っていました。
水戸線内では単独ではなく、国鉄車との併結運転で乗り入れたそうです。
下館で真岡線の気動車に併結されたかも知れませんね。現在、鉄道博物館や
佐久間レールパークに保存されているキハ11と筑波線の気動車と併結された
可能性はあります。(キハ11 25・26は新製時から真岡所属)
そのほかにも乗り入れがあったようです。
キハ751〜754、755がいた頃の朝の常総線は押さえておくべき
だったと禿しく後悔。 筑波鉄道の気動車は、最後までドアか、半自動ドアでした。閉めるのは、車掌が操作していましたが。
駅に着いたときは、車掌がロックを解除して旅客が手で開けていました。乗車する客も手で開けていました。
ドアに、手で開けてください。と書いてありました。 筑波山より中継…
今日廃線跡のリンリンロード脇の県道を車で走ってたら厨学生の兄ちゃんが帰宅途中だった。 ところで、TX開業して走り始めた、TXつくば駅〜岩瀬の急行バスはどうして失敗したんだろう。
真壁あたりの人が都内に出るのには便利だったろうに。
今現在、「筑波鉄道の代替バス」として機能してるのは、土浦〜筑波ぐらいか・・・
筑波〜真壁は1日数本だし、真壁〜岩瀬は廃止になっちゃったし・・・ 真壁の住人は、筑波鉄道があったころは、鉄道で東京に日帰りで行くことが出来た
けど、今は、どうしているのかな。 >>74-75
全員「クルマ」使うんだよ。
つくばまで車で行ってもいいし、そのまま常磐道乗って東京まで出てしまうのだって普通。
真壁・岩瀬急行は開業した頃はそれなりに乗っていたが
暫くしたら空気輸送になっちゃった。 かくして加平付近の渋滞は解消されないのであった。
って、茨城のクルマはどこまで行くのやら。