鉄道郵便を語るスレ
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郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
郵便車 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
>>931
のと鉄道に引き取られたのは結果としてオユ10で良かった。
車体そのものはオユ14かスユ16の方が新しくて良かったかも知れないが甲駅廃止で能登中島駅への線路上移転や最近の修復車庫移動はコイルバネ台車であったから可能だった。
空気バネ台車の車両で廃車後20年近く台車を整備せず屋外留置していたら空気が抜けて甲駅から動かせなかった可能性が高い。 小学校の社会科の授業でNHK教育テレビの「はたらくおじさん」で
郵便車内の仕分作業の風景を見た記憶がある
窓が極端に少なく夏は蒸し風呂のような暑さの中、
また揺れる車内での作業は画面を見ただけでもわかるくらいだった
感想文で毎日届く郵便は作業員さんのご苦労の賜物みたいな文章を書いた 30年前、郵便局でバイトしていた時、上席クラスの職員に鉄道郵便のこと聞いたら、乗務経験有りで何でも教えてくれたな。キツかったらしいが、良い思い出だったって。 大昔話だけど地方の支店や支社に赴任していた時、
本社に送る急ぎの書類がある時は、
東京・上野行きの郵便車が付いた上り急行列車の時間を意識して、
それまでに仕上げて駅に持っていき、
入場券で入って郵便車外壁に差し出し口があるポストに投函したな。 風で郵便物が飛ぶから暑くても窓を開けることが出来なかった
おかげで郵便車だけクーラーの搭載が早かった >>3
亡くなったんじゃなかった?
>>4
郵便車に投函口が付いていたのは、戦後の一時期だったらしい。
逆方向の郵便物を入れられることが多いので、なくしたとの事。 郵政省所有車は早くから冷房が付いたが、合造車での区分作業とか地獄だわな >>945
戦後の一時期と言っても
昭和35年位まではあったのでは?
上野発の夜行急行列車の後ろに
荷物車と郵便車が連結されていて、
今は「四季島」の乗車ホームになっている、
狭いホームがそれらへの荷扱いのホームで、
手荷物や小荷物の他に
北海道向けの日刊全国紙がターレーに曳かれた荷車に満載で、
発車時間ギリギリで機械の様に動く人夫さんが手鉤を使って
秒速で積載作業をしていた。 東京の神田神保町の秦川堂書店は
古地図関連の充実で有名だけど、
鉄道関連の図書も多い。
鉄道郵便のもあったよ。 オユもマニも分類は客車
郵便や小荷物輸送が旅客部門と言われても、すぐには理解できんかった オユや大部分のマニが客車と言われて、車体の見た目から納得したけどな。
スニやワキ、マニ44は納得できなかったけど。 パレット車の場合、客車と貨車の一番大きな違いは連結器周辺
ワキだと連結器の横にBP管ぐらいしか出てなかったのが、マニはSGやEG、MRに電話線ツナギ箱なんかも並んでたから
実物を見れば一発で違うと分かったんだが、走ってる路線が限られてたから俺はNゲージでしか見たことがなかった
昔のNゲージにはエアーホースなんか付いてなかったから、マニとワキの何が違うのかよくわからなかった
実際、荷物専用列車だとワキが混結されてたこともあったようだし >>956
>実際、荷物専用列車だとワキが混結されてたこともあったようだし
確かにワキを連結した荷物専用列車は見た事がある。
確か、青函連絡船で航送して札幌方面までだった様な記憶が。
貨車と同様に封印して行き先に貨車と同じ行き先の札を入れて。
途中で降ろし載せをしないから代用で使ったのかも。
荷物車の乗務員室が無い分余計に載せられるしね。
その頃は客車でも貨車でも
直通のブレーキ空気管しか付いていなくて、
ジャンパーも無かった様な記憶が。 ワキにもSG、EGの引通されたやつがあった
スニは完全にパレット専用荷物車だったけど、ワキはパレット以外の一般貨物も積めるよう車内の構造が少し違ってた
しかし廃車までほぼ荷物輸送にしか使われなかった 昭和50年代以降、全車はごく一部を除いて冷房化されたけど、半車や三分の一車の仕分け室の冷房化は構想無かったのかな? 電車の場合、昭和56年のクモユニ143と下回りが同じクモユ143(冷房車)には
冷房に使えるMGを積むことはできてたので無理というわけではないね
ただ、昭和50年代後半製造のクモユニは身延線(富甲線)・飯田線(豊辰線)用
同時新製の旅客車も非冷房で、郵便線路も閑散線ということで冷房不要と判断されたかもしれない
その後、普通客室の冷房化が進んでいた東京発着線で使用するクモユニ74・82を代替することがあれば
冷房ついた可能性はあるでしょうね… 昭和50年代
地方私鉄・路面電車・路線バスなどで一気に普及
家庭やマイカーなどもクーラー付が当たり前に
その頃、国鉄は幹線系と地方線区で露骨に差別していた >>968
50年代前半と後半で違うぞ。
車もクーラーはオプションだったり、当初は、自力で別付けだった。
国鉄も東京圏は昭和50年代後半にかなり冷房化が進んだが、
地方では車両によってアンバランスがあった。 >>968
家にはクーラーあるけど電気代がもったいないからめったにつけない。ちびまる子ちゃんの父親も「クーラーは電気代高くて…」と言ってる。クーラーそのものより電気代が痛い 電気代節約のためにクーラーを付けない選択肢が数年前まではあったが
これだけ暑くなったらクーラー付けないのは自殺行為に等しい
贅沢してるわけでないのにカネがかかる世の中になってしまった 鉄道〒全盛当時の疑問
駅から仕訳区分局までは、どうやって輸送してたのかな
トラック輸送?
車内で仕訳区分してその県の主要局には、いかずに
停車駅ごとに(大体、市単位とか)に〒物を積み降ろしていたのかな? 名古屋とか東海道線の主要駅だと、中央郵便局が駅の大阪寄りで郵便車の連結位置も大阪寄りだったりね 親玉でもある東京の中央郵便局からしてあの位置(現JPタワー)だったからね
そういえば荷客分離で荷物列車が汐留発になったあとの最寄の郵便局ってどこだったっけ? (S)39.10で各荷物駅に分室を設置して、ほとんど移管
汐留駅に汐留分局、隅田川駅に隅田川分局をそれぞれ設置
53.10で減量・合理化のため、東京駅発着で残っていた3往復を廃止し、東京駅での取り扱い終了・東京分室廃止
同様に上野駅発着の郵便車も隅田川駅発着へ変更し、上野分室規模縮小(上野分室が廃止になるのは57.11)
H2.8 汐留部門を全て江東区新砂へ移転し、汐留(廃止時の名称は東京輸送郵便局)廃止 >>979
天の川と12系十和田の廃止で命脈尽きたってとこですかね?上野分室 クロネコヤマトや佐川がドライバーの働き方に託つけて取扱いを減らすと
再度鉄道郵便が脚光を浴びることも……あるかな? >>981
鉄道はいくら頑張っても家の前までは届けてくれない 南海電鉄にもかつてモユニ1041という荷物室と郵便室の合造の郵便荷物電車があり、
郵便室内では仕分け作業なども行われていた 南海電鉄にもかつてモユニ1041という荷物室と郵便室の合造の郵便荷物電車があり、
郵便室内では仕分け作業なども行われていた >>981
どっちかというとアマゾンみたいな企業の存在の方が問題の本質だと思う >>979
東京輸送局・東陽センターがないな。
車内区分扱い廃止後はここか汐留、あと羽田局に人員が移動してh2.08.06を待つ訳だが
東陽センターは東西線東陽町駅の真上、今の深川局のところにあった。 記念切手にしたって売らずに使っちゃった方が得ですよと言われてしまうこのご時世じゃなぁ マニアには垂涎の的だが
いかんせんニッチな趣味だからな このスレッドは1000を超えました。
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