>>72
集配をされていますか。
私も郵便局で集配をしたくてアルバイトの門をたたいたんです
けど高校生だとどうとか言われ区分差立てから鉄郵の道へ。
便長さんは威厳があってあこがれましたね。長くいなかったので
わかりませんけど、人に聞けば課長代理相当と言われましたが
その貫禄はもっと上だと感じましたけどね。事務室の食堂で、
「便長にお茶やご飯を出すときは音を立てないように丁寧に」
とか教えられてそうしていました。

>>73
現代と違って当時は郵袋が輸送の第一線で多用されていました。
駅ホームでも地面に置かれたり、雨の日の泥、砂ほこりなどが
容赦なく付着するわけですから、車内だとわかりにくいけど
そうとうなホコリが出たはずです。それを窓のない風通しが
悪い環境で否応なしに吸うのですから、病気にもなりやすいと
言えます。排塵器があるのはオユ10など全室の扱便専用車だけ。
護送車あるいは半室、3分の1室ではそのようなものはなく
ホコリは吸うがままです。風邪をひいてなくてもマスクをしたい
ところ、誰もそうしないので吸っていました。
また、掃除機は古くは駐留軍の提案で使用したが弊害が多く
取りやめたとされています。私ら最若手は掃除担当で、ショルダー
バッグに柄を短く切った箒とチリトリを入れて携行し、作業終了時
にみんなの足元を「失礼します、失礼します」とぺこぺこ頭を下げ
ながら掃いて回ります。そして最後に大声で「ありがとうござい
ました〜〜!」と…。ゴミはわんさと出ました。それをバッグに
詰めて事務室か鉄郵のゴミ箱に捨てますが「○×乗務員」とか
「○○鉄郵差立」という標札、は束紙など全部ゴミで捨てていて
今から考えるともったいないです。
次に冷房について。確たる統計は知りませんが、晩年、郵政省
所有全室車は一部を除いてほとんど冷房がありましたが、護送車
、半室車に設備がないので、全国で3分の2は非冷房だったよう
です。作業環境は格段に違いました。エコとか弱冷という概念が
ない時代の国鉄クーラーは寒いくらいガンガン効いていましたから
冷え性の人はジャンパーを持ち込むほどで。しかし、非冷房だと
悲劇でして、窓がほとんどない、あるいは開放できないことが災い
しまして、車内は40度〜50度手前は当たり前。扇風機も温風をかき
回すのでドライヤーみたいに感じ、みんなの意見で消したことも。
まあ、これが仕事と腹をくくって乗ってました。受渡しのとき
ドアを開けるとホームの風が心地良かったですね。
あと、スユニ61など半鋼製の車よりも後に製造されたスユニ50
など全金属の車の方がもっと暑かったみたいです。