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鉄道郵便を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/04(木) 17:49:44ID:MiZNX4rv
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。

 郵便車 - Wikipedia
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
 移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
  ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
0069回想774列車
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2008/09/29(月) 22:27:12ID:NwNLIaIZ
年賀のときは増結とかあったのでしょうか?
007066
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2008/09/29(月) 22:28:12ID:z6UA0RQF
>>68
おお!!早速の極めて詳しいレス、ありがとうございます。よく分かりました。
感謝です。

「元二乗」さんは、荷物列車の乗務員さんだったのでしょうか。
国鉄OBの車掌さんに聞いた話では、荷物列車は夜間走るものは手当てが付き、
喜んで乗務を志望したとか。また、乗務は2人だったけど、業務は実質一人でこ
なし、もう一人は冬場はSGで温まる暖房器で焼酎を温めて飲むのが楽しかった・・・・・・とも。
いかがでしょうか。
0071元二乗
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2008/09/30(火) 00:25:54ID:QBc0kH48
>>69
年賀はがきは年末の物増時期に出回りますが、小包などの増加が激しくて増車
措置が取られている中、大した容積増加ではありませんでした。言い換えれば
郵便物全体が増えているため、臨時便、臨時増結、拡張契約、貨車コンテナ
増便、自動車臨時補完とあらゆる手段で対応していました。
>>70
私は郵便車乗りでした。小荷物乗務がお話のとおりならいいですね。手当は
よかったですが、仕事は厳しかったですよ。
0072回想774列車
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2008/09/30(火) 22:44:42ID:UOQ/9Ax5
>>71
ありがとうございます。
実は私は集配勤務なのですが、こうして大先輩のお話を聞けるのは本当に貴重です。
鉄郵といえば、鬼の便長という話をよく聞きますが、便長は局の役職でいうとどの位置にあるのでしょうか。

007366
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2008/09/30(火) 22:46:27ID:17Q9hofA
>>71
郵便車に乗務されていましたか。

ところで、郵便車内部は、郵袋開封時にホコリが立つため、排塵器と掃除機が
備え付けられていたそうですが、実際に郵袋はそんなにホコリが立つものなの
でしょうか?

また、郵便車でも冷房付きは、作業環境は格段に改善されていましたか。
0074元二乗
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2008/09/30(火) 23:39:08ID:QBc0kH48
>>72
集配をされていますか。
私も郵便局で集配をしたくてアルバイトの門をたたいたんです
けど高校生だとどうとか言われ区分差立てから鉄郵の道へ。
便長さんは威厳があってあこがれましたね。長くいなかったので
わかりませんけど、人に聞けば課長代理相当と言われましたが
その貫禄はもっと上だと感じましたけどね。事務室の食堂で、
「便長にお茶やご飯を出すときは音を立てないように丁寧に」
とか教えられてそうしていました。

>>73
現代と違って当時は郵袋が輸送の第一線で多用されていました。
駅ホームでも地面に置かれたり、雨の日の泥、砂ほこりなどが
容赦なく付着するわけですから、車内だとわかりにくいけど
そうとうなホコリが出たはずです。それを窓のない風通しが
悪い環境で否応なしに吸うのですから、病気にもなりやすいと
言えます。排塵器があるのはオユ10など全室の扱便専用車だけ。
護送車あるいは半室、3分の1室ではそのようなものはなく
ホコリは吸うがままです。風邪をひいてなくてもマスクをしたい
ところ、誰もそうしないので吸っていました。
また、掃除機は古くは駐留軍の提案で使用したが弊害が多く
取りやめたとされています。私ら最若手は掃除担当で、ショルダー
バッグに柄を短く切った箒とチリトリを入れて携行し、作業終了時
にみんなの足元を「失礼します、失礼します」とぺこぺこ頭を下げ
ながら掃いて回ります。そして最後に大声で「ありがとうござい
ました〜〜!」と…。ゴミはわんさと出ました。それをバッグに
詰めて事務室か鉄郵のゴミ箱に捨てますが「○×乗務員」とか
「○○鉄郵差立」という標札、は束紙など全部ゴミで捨てていて
今から考えるともったいないです。
次に冷房について。確たる統計は知りませんが、晩年、郵政省
所有全室車は一部を除いてほとんど冷房がありましたが、護送車
、半室車に設備がないので、全国で3分の2は非冷房だったよう
です。作業環境は格段に違いました。エコとか弱冷という概念が
ない時代の国鉄クーラーは寒いくらいガンガン効いていましたから
冷え性の人はジャンパーを持ち込むほどで。しかし、非冷房だと
悲劇でして、窓がほとんどない、あるいは開放できないことが災い
しまして、車内は40度〜50度手前は当たり前。扇風機も温風をかき
回すのでドライヤーみたいに感じ、みんなの意見で消したことも。
まあ、これが仕事と腹をくくって乗ってました。受渡しのとき
ドアを開けるとホームの風が心地良かったですね。
あと、スユニ61など半鋼製の車よりも後に製造されたスユニ50
など全金属の車の方がもっと暑かったみたいです。
0075回想774列車
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2008/10/01(水) 00:44:43ID:VR9tjJui
郵便線路って 上6補
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nenga/1212875122/

ここの過去ログに鉄郵の話がよく出てくる。

青函の乗務員は船内でそのまま区分していたから、
電源の関係上郵便車の位置は決まっていたのでは?
0076元二乗
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2008/10/01(水) 01:21:33ID:YtILdS8z
>>21
クモユ141にはあこがれました。いちど乗りたかったけど
東門線では東阪上下便、東名上下便に使用していてうちの
局は担当外だったので。ガキヤ347Mで旅行中、停車駅ごとに
寝ないで先頭付近の郵袋積卸しを見学してましたっけ。
ちなみに大垣〜大阪は単独で「荷×××M」という列車番号。
運転手と車掌の2人だけ国鉄、あとのお客は全員鉄郵という
ユニークな列車でした。
007766
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2008/10/02(木) 21:17:36ID:y8qfa7/f
>>74
これはまた貴重な経験談、ありがとうございます。

郵袋もかなりホコリがたつようですね。また、非冷房の車両は夏場はそんなに
暑くなるのですか・・・・・・信書が飛ばないように「網戸」みたいなものは
取り付けられなかったのでしょうか。冷房車はありがたいですが、逆に効き過ぎ
ですか。

掃除機は、以前、丸の内の郵便局で販売されていた「郵便輸送変遷史」に、進
駐軍の提案で試験的に電気式真空掃除機を配備したとの記述がありましたが、
やはり試験的なものに終わったのですね。
0078回想774列車
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2008/10/03(金) 00:48:31ID:fw57gGyd
年末年始に郵便会社のアルバイトをしてみ。
部屋中ホコリだらけで顔を拭けば真っ黒になる。
0079回想774列車
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2008/10/03(金) 01:13:57ID:aFFXw6AO
 かつては長距離の荷物と鈍行とが一部区間でも併結されているのが珍しくなかった。
とりわけ東北本線でのED75牽引時。
0080元二乗
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2008/10/05(日) 19:54:04ID:7CT+xFdj
>>77
網戸ですか。人情としてはつけてほしかった気もします。
ただ、旅客車両全般に採用されていなかったのは、耐久性に
劣ることではないですか。劣化したり列車の振動などにより
穴があき、素材がくたばって破れるという悪循環で経費も
かかり建造物とは違って使われてこなかったのでしょう。
郵便車だと、車内でも郵袋の積卸しのため、郵袋やら鉄製
の標札差しが車内の壁や天井に激しくあたりますから、
網戸だとひとたまりもなく破れたでしょう、荷物車同様に
鉄格子が設置されていたのもガラスを保護するためでした。
0081回想774列車
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2008/10/06(月) 04:21:42ID:Lr7s1BvZ
非冷房郵便室は素人目にも窓がないので暑いだろうとは想像に難くないね
0082回想774列車
垢版 |
2008/10/06(月) 12:18:10ID:8/lWkgRT
今でも伝送、特殊室の作業は鉄郵の名残がある。
読み上げも「100番銀座」「番無し銀座」と読むし、
○代、赤バッテンも現役。
0083回想774列車
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2008/10/06(月) 14:13:52ID:VOIgPJx5
特殊室の空間っていい意味でも悪い意味でも昔の名残があるよね。
0084元二乗
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2008/10/06(月) 22:33:33ID:AcIKIBa9
>>16
大昔に郵袋の通過授受をやっていた話。落っこちた人がいたんですか。
欧米に習って、急行が通過する駅で沿線の局と受渡ししたそうですが
おっしゃるとおり、大変危険な作業で落ちた以外に地上員も死亡した
り重軽傷を伴う事故がしばしば発生して取りやめたようです。
海外の郵便車では保存されているもので網や投下アングルを装備した
ままの車両もあり、グッズの絵はがきには授受シーンを描いたものも。
しかし衝撃的だったのは、先日、日本鉄道保存協会総会で、来賓の
イギリス保存鉄道協会会長の講演の中で、現在も動態保存の郵便車で
通過授受の実演をしており、パワーポイントの画像に感激。懇親会で
通訳を入れて会長に尋ねると2両の郵便車が車内も美しく維持されて
走っているとのことで、牽引はおそらく蒸機でしょう。
ドイツでもそうですから。今すぐイギリスに渡りたいですね。
しかし、カネと時間が(泣)
0085回想774列車
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2008/10/06(月) 22:54:38ID:GJKmQVkZ
>>84
以前蒸気機関車スレで紹介された英国蒸機のyoutube動画にありますた。 >郵袋の通過授受

スユ30やマユ31等戦前製郵便車の荷物扉は通過授受用に下半分だけを開くことができる構造ですね。
0086元二乗
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2008/10/07(火) 00:14:19ID:5vyx1Xl3
>>85
そういや、古い郵便車で側扉が不自然な形のやつがありますね。
008766
垢版 |
2008/10/07(火) 20:54:59ID:U+tyVRz3
>>80
なるほど、網戸では耐久性に難がありますね。納得しました。

そういえば、郵便車も荷物車も、窓の保護棒だけでなく、天井の照明にも
保護枠が取り付けられていましたね。
0088回想774列車
垢版 |
2008/10/07(火) 21:54:35ID:bxC0HuAJ
家に、1980.10改正の幹線鉄道郵便線路時刻表が転がってる………
0090元二乗
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2008/10/08(水) 01:05:37ID:gmAG2/iK
>>87
郵袋室にはたしか天井の蛍光灯にも保護枠がありました。私が勤務
していたころはまだまだ輸送量が多くて車内は飽和状態でした。
本線では大半の便は小包など容積の多い郵袋をどんどん積んで
くるので天井に届くまで積み上げ、さらには天井の空間にまで押し
込んでいましたので、蛍光灯も内圧で割れないように保護していま
した。本線の護送で郵袋の山に登って、下から飛んでくる郵袋を押
し込む作業中には不覚にも保護枠や網掛けフックに後頭部をぶつけ
たことがあり、とても痛い思い出です。
0091回想774列車
垢版 |
2008/10/08(水) 01:14:04ID:x0QpNrp6
南海にも郵便車があったね。
古い電車を改造したのが。
0092回想774列車
垢版 |
2008/10/10(金) 21:36:56ID:OhupBDBS
>>89
同意。ただ本当に見てみたいのは75年あたりのやつだな。53.10で合理化が行われ、
57.2で分室廃止、59.2で取扱便廃止だからね・・。
0093元二乗
垢版 |
2008/10/13(月) 20:09:58ID:Sl5Bpscg
>>37
郵袋の台車、私も押していましたよ。なつかしいシーンを再現
したくて台車を手に入れて郵便車に郵袋積込みしています。
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/080920/080920.htm
の4枚目の画像です。
009588
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2008/10/14(火) 14:46:55ID:BGX+QK27
>>89
のんびり待っててくれw
0096元二乗
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2008/10/16(木) 02:54:23ID:DkadFGWv
>>85
動画、探しました。
http://www.youtube.com/watch?v=LDy8BcEkEug
http://jp.youtube.com/watch?v=DGwn0VfHszk
http://jp.youtube.com/watch?v=ymnh04By7CI&feature=related
どうも私の聞き違いでイギリスの郵便車は2両ではなく2鉄道の
ようで、ごろごろいますね。牽引もきかんしゃトーマスあり、SL、DL
何でもありのようで。同じ線路を前進後退と結構派手にやってます。
0097回想774列車
垢版 |
2008/10/22(水) 23:51:35ID:WyIf2BrR
それにしても能登線の甲駅に放置されていたオユ10はどういう経緯であそこへ行ったんだろう‥
北陸筋で運用を終了したなら、わざわざ能登線の奥の方まで疎開留置することも無かったろうに。

それが幸いして、結果として保存されるようになったんだろうけど。
0098元二乗
垢版 |
2008/10/23(木) 00:23:55ID:nMaOuv0g
>>97
これは、鉄道郵便が廃止された年の61年12月、能登線廃止後に転換
する第三セクターのと鉄道が保存活用するため引取る話が持ち上が
ったため、長駆青森から能登線甲駅に回送されて留置されたと判断
されます。後の状況からするとそうとしか判断できず、でなければ
どこかで解体されてしかるべき車両がわざわざ奥能登に置き場所を
求めなくてよいわけです。しかも運用されていたのは、東京北海道間
ですからなおさらそう感じます。
生き残った要因のひとつは、のと鉄道が保管し続け、しかも線路保守
機械等の留置線として使用していた甲駅側線の先端で、置いていても
支障がなかったことから13年間の長きにわたり存置されていました。
その後「ふるさと鉄道保存協会」が譲渡を受け保存活動を開始して
現在に至るものです。
0099回想774列車
垢版 |
2008/10/24(金) 01:37:39ID:tyn7ROHk
>>98
元二乗様レスサンクスです。

保存の計画があったのでしょうか。それにしても天竜浜名湖鉄道の様な20系寝台車とかでもなく郵便車、というのは
なかなか「渋い」選定ですね。


職場で、「同業者」の上司とその話になったことがあります。
郵政局か本省の担当者が「とりあえずあの当たり(甲駅)にでも留置しとけや」と手配だけしておいて、担当者の人事異動のドサクサで
いつの間にか忘れられたのでは‥?という推測を立てた事があったのですが‥

恐らく今となっては真相は「藪の中」と言うことですね。
一度見に行ってみたいものです。
0100元二乗
垢版 |
2008/10/24(金) 17:39:41ID:jBx5b6Qw
>>99
そうですね。時系列で述べますと
 61年10月 鉄道郵便廃止
   12月 オユ102565を国鉄能登線甲駅に回送
 62年4月 国鉄能登線がJR西日本に
 63年3月 JRからのと鉄道に転換
となります。調べによるとオユ10はいったん郵政省から旧国鉄に移籍
していて、のと鉄道が発足する以前に設立されていた「のと線運行対
策準備会」が国鉄から買い取ったものだそうです。準備会が同車を選定
した経緯などは不明ですが、廃車後に引き取り手が決まらないまま留置
するなら青森でも函館でも周辺に留置するところはいくらでもあるはずで
わざわざ甲駅まで回送したことからすると、準備会からの指名なり内定
があったものと考えられます。 
日ごろは外観しか見れませんが次回一般公開は来年4月下旬の予定です。
下記のホームページで告知しますので、いちど来て車内作業を体験して
下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/hokuriku.htm
0101回想774列車
垢版 |
2008/10/25(土) 01:13:57ID:MCmtjebJ
オハユニ61の郵便投函口に7円のハガキを投函した日を思い出した。
0102元二乗
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2008/10/25(土) 19:45:00ID:BxawpdUj
>>101
先日オハユニ61に横川鉄道文化村で対面しました。かつては投函口が
あったのですね。どこの駅で投函されましたか? 
0103回想774列車
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2008/10/25(土) 21:23:52ID:7TKvLKDw
オユの青い側面に、チョークで、
積んだ郵袋の数を計算していたのを、
思い出す。
010497/99
垢版 |
2008/10/25(土) 23:06:54ID:dFVnbjE+
二乗様たびたびのレス感謝です。

オユ10が郵政省から国鉄に管理換えされていたのは意外でした。廃車の手続きの関係でしょうか。
なるほど渡す側(旧国鉄)も貰う側(のと鉄道)も担当者がコロコロ変わっていたら話が有耶無耶になっていそうな感じですね。

それにしても郵便車なら宮原区(あるいは向日町区?)や当たりにもありそうな感じですが、なぜわざわざ東北筋のオユ10を持ってきたのか‥
ただ単に状態のいいオユ10が青森当たりにしか無かっただけかもしれませんが‥

いちど公開に合わせて訪れてみたい物です。ありがとうございました。
0105回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 00:02:57ID:HwR9nR8E
>>102
昭和40年代の和歌山線和歌山市発の王子行き。カマは和歌山機関区のシゴハチ。オハユニは天ワカでした。亡き祖父が和歌山機関区の機関士でよく乗りました。列車が混んでいる時に、顔馴染みの郵便乗務員に郵便室に乗せてもらったのも、遠い日の思い出です。
0106元二乗
垢版 |
2008/10/26(日) 01:06:37ID:Hhl9NX1t
>>105
私が現役のちょっと前にオハユニは衰退していて、五能線、城端線、
小浜線あたりが最後の活躍の場でした。保存車両のオハユニに入った
ときは「よくこんな狭い車内で作業をしたもんだ」とか思いました。
おっしゃるのは国鉄和歌山線で、郵便線路としては王寺和歌山線、
縮めて「王和線」でした。そうですか、C58が牽引、郵便室にもお乗り
になったとは…。東京直通の寝台車を連結した列車もあったはずです。
私が鉄郵にいたときの王和線はキハユニ16とかいうのが走ってまして
ファンにはちょっとした人気者でした。
いろいろ苦労はあったみたいですが、今でもSL牽引郵便車で作業したい
と思うことはあるし、保存郵便車を引っ張ってもらいたいというのが
実感です。ドイツやイギリスではどちらも実現まっただ中なのですが。

>>103
うちのオユ10にも黒板はあるのですけど、つやがなくなってほとんど
使っておらず、業務上のメモはホワイトボードに書きます。でも、
チョークを備付けてこんど書いてみましょう。積込み郵袋数は少ない
ですけど。

>>104
私もいまだ疑問でして、東北からわざわざ持って来なくても宮原あたり
にごろごろいたのでは。状態など車齢の若いものでよいものはあった
はずです。乗務していて一番よかったスユ16なんか残してほしかった
ものです。空気バネ台車で20系天の川に颯爽と連結されてました。
でも、軽量客車の後期のものは、風雨にさらされると劣化も早く、
同じように保存を続けていたらオユ10と比べてどれだけ持ちこたえた
かは疑問です。あれだけあった郵政省所有車でも、オユ10で2両、
スユ15で1両が車体をとどめている以外は、知る限りでは、キユ25が
レストランに転用されたとか、オユ14が下関の港で車体が3つに分断
されたがすでにないとか、もっと残ってないものかと残念に思います。
それでも数奇な運命に左右されながらも能登で生きているオユ10に
ぜひ会いにきてやって下さい。車中継送区分作業の小道具はそろえて
いますので、作業をみんなで存分にしてやるとやつも喜ぶと思うの
ですけど。
0107回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 03:21:29ID:yAenS7y6
>>106
ご教示有難う御座います。王子じゃなく王寺でした。キハユニ16ですか!なっかしいです。電気式キハ09の改造車でしたよね?あとキハユ15の4号車にはよく乗りました。加太越えのデゴイチを撮りに行く時、湊町発亀山行の一番列車の先頭はいつもキハユ15の4でした
0108回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 07:40:21ID:+Pr0gG+F
揚げ足取るようで悪いがキハ09は機械式でも郵便車に改造もされてないのだが。
キハ08 09は61系客車改造
0109回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 11:41:56ID:0dd2buEr
>>108
鋼体化客車改造の気動車ははじめ、キハ40、キハ45だったものを形式改称した2代目でキハ45がキハ09になったはず。キハユ二16の種車は電気式キハ45000?だったでしょうか.を改称した初代のキハ09だったような?
0110回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 12:23:26ID:lR6cN3T9
109です。手持ちの資料を漁りました。とんでもない勘違い。初代キハ09の改造はキハユニ15でした。皆さんおさがわせすみません。


0111元二乗
垢版 |
2008/10/26(日) 19:03:23ID:4+APY+0E
>>107
キハユニ16に続き、キハユ15の話題になりましたね。あれを初めて
見たのは加太越えを撮影した帰りに、加太駅に新性能電車モドキの
いびつなマスクの車両が先頭で現れたときで、前半分は見事に窓が
ない車両にカルチャーショックを受けたものでした。後年、四国で
あれの同類マスクに見慣れるまでは、キハ先頭車のスタイルから
大きく逸脱した中間改造車は好きになれず、播但線のキハユニ26に
すごくあこがれていたものです。(中学生がそういうものにあこが
れてどうするのか) 加太でも郵便局員の積込みに視線が釘付けに
なり、乗り損ねるところでした。
そして、その8年後にそこの路線を乗務することになります。関西
本線は郵便では「亀山大阪線」(通称かめはん)でして、当時は
客貨分離のあとで、主要幹線同様に荷物列車で、何両かの荷物車の
真ん中にスユニが連結されてその半分の郵便室で暑い中奮闘しました。
ここでベテランの皆さんにキハユ15について聞くと、
・昔全部客車のころは郵便車は客車列車についていたが気動車になると
 変なやつ(キハユ)が連結され始めた
・夏に乗ると客車よりもえぐい暑さで、エンジンの熱気が薄っぺらい床を
 通して車内でこもる。床が焼けてるかと思った。
・大阪の受渡し駅は客車時代を通じて湊町だった。荷物列車になってから
 貨物駅の百済になって行くのも面倒になった。
ということでした。資料によると6両が改造で作られ、4号だけ亀山に
配置だった以外は後にキユニに再改造されたとか。4号はキハユのまま
昭和53年に廃車されています。国内では「ハユ」タイプは少なく、使い
勝手が悪かったみたいです。
0112回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 23:20:00ID:P9CSzRCe
郵政省持ちでもないゲテモノ珍車に乗務させられるのは大変だったんですなあ
0113回想774列車
垢版 |
2008/10/26(日) 23:30:31ID:odS3C+wO
>>111
キハユ15.本当に格好いいといえる車じゃなかっですね。しかし、35系の編成のなかでは唯一のクロスシート車なので加太通いの際の指定車でした。同行の友人は、郵便室の仕切りドアをみては、ここはトイレだ!タレベン室と書いてある。と毎回同じギャグをとばしてましたっけ。
0114元二乗
垢版 |
2008/10/27(月) 02:46:37ID:aJX/rMZi
>>112
ゲテモノの最たるものが「代車」でした。先に小荷物車代用の話で触れ
ましたが、郵便車にはそれほど予備車がなく、国鉄所有の合造車とて
必要数ぎりぎりだったのか検査等で工場に入ると、代わりに代用される
いろいろなものと遭遇しました。冷房がない、使い勝手が悪いというか
作業が困難な車も遠慮なく登場し、車内に踏み入って「これでどう作業
するのか」と不安になったこともあります。画用紙に描いた郵便マーク
をセロテープで貼っていたのがご愛嬌でしたね。
0115回想774列車
垢版 |
2008/10/27(月) 04:30:04ID:Q+6YBTnH
線区はどこだったか、思いだせないんですが、車はキハ26だったかな?室内の半分をアーコデオンカーテンで締め切り郵便マークを貼り付けたのを見た様な記憶が有るんですが、これもその一つですか?
0116元二乗
垢版 |
2008/10/27(月) 19:56:11ID:aJX/rMZi
>>115
おっしゃるキハ26は立派な(?)代車です。たぶん日ごろはキユニが
使われた線でしょうが検査か何かでキハを代用したものと思われます。
【代車の作り方教室〜〜^^;】
・代車を選ぶ
 予備の荷物車、客車などから選定する。
・鉄道郵便局への通知
・区分棚の設置
 車庫に保管していたと思われるビニール製簡易区分棚を必要数準備し
 車内の網棚等にロープで結んでぶら下げる。
・表示
 簡単な〒マークを車両両側面に最低1カ所ずつ。たいていは画用紙に
 赤色で〒と書いてセロテープなどで窓の内側から貼付。
…こうして作られた代車が組成されますが、局には通知されている
はすが、乗務員は点呼の都度、代車になるなど聞かされた覚えはなく、
ホームに現れるのを見た一同は、あぜん、がっかり、おもしろそう^^;
(私)など、評価はさまざまでした。ものによっては開いた口がふさが
らない歴史的に滑稽なシロモノもありまして。
通勤、旅行中などで客室側に乗り合わせたのでしたら、カーテンごしに
郵袋読み上げの声など聞こえたのではないでしょうか。それは実に貴重
な経験でしたね。
0117回想774列車
垢版 |
2008/10/28(火) 02:25:44ID:iiPJHKIQ
久々に古いアルバム開いてみました。(和歌山客車区にて)
オハユニ61の側面の投函口のアップもありました。当時中学生の私ですがマニアだったのですね。なぜ、こんな写真が?と言う様なものもあり、懐かしさいっぱいです。
あと、43系(切妻、採光窓あり、台車はTR47型式は読めません)の郵便車には、投函口は見当たりません。
0119元二乗
垢版 |
2008/10/29(水) 02:18:40ID:yEZWvVkQ
>>117
けっこう昔の郵便車にカメラを向けられていたのですね。
私が乗り始めのころ、年末繁忙期の臨時便にスユ42だったか予備車
だった旧式の郵便車が運用に入りました。年配の面々がその車両で
昔話をしたとき「今は塞いどるけどここにポストがあったんや」と
押印台を示して解説してくれました。もっとも本線を早く廃止した
のか、ローカル運用のオハユニに遅くまで投函口が残っていたかも
しれませんね。
0120回想774列車
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2008/10/29(水) 06:01:50ID:YKFrqguN
>>119
特に郵便車を追いかけた訳では無いんですが、祖父の家に近かった客車区でよく遊びました。区の方でも国鉄職員の孫なので寛容にみて頂いた様でした。
特に今で言う所の旧客が好きで、和歌山客車区は、うってつけの場所でしたね。私にとって43系は急行用、10系軽量客車は新型客車でした。
0121元二乗
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2008/10/30(木) 00:47:27ID:GdHHMDZ6
>>120
何か似たような話になりますが、私は某準大手私鉄の親戚が多く、
社宅に行くと親や叔父叔母のしゃべりにたいくつして、近所の車
庫に行き、●●と■■の親戚やというと寛容に入らせてもらって
いました。そこの電動貨車と連れの貨車に乗って遊んでいるうち
国鉄荷物電車に興味関心ができ、その荷電のへこんだ側扉に愛着
が出るとついに郵便小荷物車両のとりこになった次第です。
SLや夢の超特急0系、ブルートレインなど、撮影はしましたが
イマイチ無関心でした。高校のときアルバイトを始めたのが郵便
局で、差立てという、金属わくに掛けられた郵袋にブツを投げこ
んでいっぱいになると袋締めをして発着口に運ぶ仕事で、列車の
時刻が近づくと「東門上一」とか便名を書いて送り出すのです。
このときが鉄道郵便車に近づく第一歩だったと言えます。
0122元二乗
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2008/11/07(金) 14:14:18ID:N7gP6qOf
>>63
東武のクハユ「準急小川町行」に興味を引かれ調べました。
東武東上線は「東京寄居線」という路線名で、昭和46年10月1日に
廃止されています。ひと目見たかったですね。
ちなみに伊勢崎線は「東京伊勢崎線」、昭和41年10月1日に廃止。
私鉄荷物電車が衰退して久しいですが、郵便輸送の撤退はずっと
以前だったことがわかります。
0123回想774列車
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2008/11/10(月) 11:27:19ID:C7tmmi/5
元二乗さんって、阪青線で大阪敦賀、東門線で大阪糸崎に乗務していた方ですか?
0124元二乗
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2008/11/10(月) 12:31:40ID:w/diZm3I
>>123
はい、そのとおりです。
0126元二乗
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2008/11/10(月) 16:55:46ID:w/diZm3I
>>125
担当のことにあまり触れてなかったですが、>>111で亀阪線に乗っ
ていたことをちょっと。阪青線、亀阪線は第二乗務課、東門線は
第一乗務課でした。途中で一乗→二乗に移籍してます。
0127回想774列車
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2008/11/12(水) 21:34:28ID:VPrjef9j
荷物車も小包を輸送してたから郵便車の仲間。
0128回想774列車
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2008/11/14(金) 18:34:52ID:6bqrOPVz
便名を記入するのに、東門1と東門一を使い分けていたのですかね?
0129元二乗
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2008/11/14(金) 21:50:59ID:FjUdySVe
>>128
だいたいの現場では、正式な便名で表記していたはずです。
数字は漢数字が正しく「東京門司間上り一号便」の場合は送り
がなの「り」は省かれ「号便」も省略されるので「東門上一」     
と表記し、郵袋標札もそのように書きます。鉄道郵便局や乗務員
事務室に掲示された時刻表にも便名はそのように表記されていた
と記憶しています。なお、例外もあって「阪潟上り乗務員」とい
う標札で積み込まれたり、一律の決まりはなかったような。
車内でも乗務員によりメモに「東門上3」と書いたり人によって
まちまちでしたが、書類には漢数字で書いていたはずです。
その他大きな鉄道郵便局では便名を表示する看板に独特の書き方
があったのですが長くなりますのでこのへんで。
0130 ◆MJkrHBg8Ik
垢版 |
2008/11/15(土) 05:22:58ID:HiOicERL
>>129
締め切り護送便に使うメンコ(票札)ってのは差し立て局名下にオレンジ色の太線が入ったものでしたっけ?
自分が某特A局の郵便課に勤務してた頃、平成の4年アタマぐらいまで
「パレット票札」として代用されていた覚えがありましたが。
0131元二乗
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2008/11/15(土) 21:22:11ID:KWr2gV1M
>>130
私が在籍したS55年くらいまでメンコにオレンジ線が入ったのは
見た覚えがなかったです。
鉄郵(駐在)の差立て実務をほとんど知らないのですが、当時パ
レット締切便の専用台車に乗せられた郵袋を見てもオレンジ線
には気づきませんでしたしね。
どなたか鉄道便に差立てした局の方の証言がほしいものです。
0132回想774列車
垢版 |
2008/11/15(土) 23:54:07ID:HlUZKtDj
今現在のカラー管理でいえば、オレンジ色は特割、特特に使ってはいますが。
0133回想774列車
垢版 |
2008/11/22(土) 07:07:31ID:l83QB+QJ
おら、借り上げとるぞ!

えー…
0134回想774列車
垢版 |
2008/11/24(月) 23:07:39ID:p1GXaiRi
昔、京都駅とか大阪駅のホームには荷物専用のエレベーターがあって、上下に
開閉するドアでした。ドアには大きく「危険」と表示されていて威圧感があり
ました。一度、このエレベーターに乗りたくて仕方なかったです。
0135回想774列車
垢版 |
2008/11/25(火) 19:39:20ID:fDNDyov6
列車がストライキで止まった時はどうしてたのかな?
0136元二乗
垢版 |
2008/11/25(火) 21:06:04ID:yEtC/MZ3
>>134
このドア、最初は不気味に感じました。駐在勤務でいちばん最初
に乗ったときは、郵袋を満載の鉄車を押す先輩アルバイトの横を
くっついて歩き、ホームでも様子を見ているだけの「見学」でし
て。そのとき、初体験した感想は、とにかく遅いということ。デ
パートのそれと比べるからか知れませんが、雑居ビルなどのエレ
ベーターも乗った経験がなく、自分でボタン操作をしたことがな
かったのでボタンを押したかったのですがやらせてもらえず、次
の列車になって鉄車を初めて押し、郵袋の積み卸しを経験。次の
出勤日あたりで、教えてもらいながらボタン押しをやらせてもら
えるようになりました。でも安全確認を担当する人がいて、その
合図で「閉」を押せとか教えられた覚えがあります。
心残りなのは、加古川あたりにあった線路をまたぐ「テルファ」
を経験できなかったこと。鉄車が頭上を揺れながら移動するのは
迫力がありました。
>>135
私が乗務中にはストで運休(ウヤ)の覚えはありませんでしたが、
南九州の雨で上りがやたら遅れて来るので糸崎で連絡を受け、
仮眠前から遅れて出るかも知れないが待機は定刻にとか言われ、
結局定刻に来ると判明して駅に向かったことがあります。
それまでは国鉄もストが多く、聞いたところでは、ニュースで
早合点したりせず、本局に電話で問い合わせるなどの心構えを
持つようにしていたことで、特に連絡がなければ定刻に出勤し
て待機するようにとのことでした。基本的にはストの情報があ
っても要求が妥結すれば運転再開もあります。まあ、走り出し
たら終着までは走っていたようですが、途中で打ち切られ、鉄
郵サイドもどえらい目に遭わされた話も聞きました。最悪の場
合は、乗務員は便乗帰局、ブツは自動車派遣撤収とか。また、
滞貨防止のため、臨時自動車便、内海航路便代行とか措置が決
められていたようですが、経験せずじまいでした。

0137134
垢版 |
2008/11/26(水) 21:29:39ID:SmzxMw9b
>>136
このエレベーター、乗られていましたか。うらやましいです。

ちなみにエレベーターの構造規則として、荷物用のエレベーター以外は、ドア
は上下に開閉する方式のものは造れないとのことで、人用のものは必ず左右に
開閉し、安全確保のため、ドアに挟まれたら感知するセーフティーシューが設
けられています。

上下に開閉する方式のものはセーフティーシューの代わりに光電管式の安全
装置が設けられているとのことで、おそらくこの駅のエレベーターにも付いて
いたのでしょうね。
0138元二乗
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2008/11/27(木) 02:47:35ID:TzmqdKAT
>>137
上下に開閉する扉なので、鉄車や人がまたいでいるとき閉まると
確かに危険です。なので、ついつい扉から距離を置くように鉄車
も奥へ押し込み、身体も扉から意識的に離していました。
鉄車1台に人が10人くらい同時に乗れましたが、危ないと感じた
のは職員がぞろぞろ乗る途中にボタンに手が当たって閉めてしま
わないかということで、昨今のエレベーターのボタンは少しへこ
んでいるとかタッチパネルのような感じなのに対して、荷物用の
ボタンは直径4センチほどの黒いプラスチックで操作盤からぐい
と突き出ていまして、「開」「閉」と書かれて出っ張っていたの
で不用意に触れると閉まらないかと気を遣いました。その光電管
式安全装置の存在は知らなかったです。とにかく
  ・エレベーターで扉を閉めるときに注意する
  ・鉄車をホームから落とさない
  ・仮眠ベッドで寝過ごさない
の3箇条を自分で勝手に決め厳守していました。
0139回想774列車
垢版 |
2008/12/10(水) 23:56:29ID:xSEMqqSd
東京北局の郵便車、根室まで2昼夜かけて走ってたよね。
4回ほど便名変えて。

東京南局の奴は長崎だっけ?
0140回想774列車
垢版 |
2008/12/11(木) 14:20:02ID:cPEq22vk
東青、青函、函旭、旭根かな?
0141元二乗
垢版 |
2008/12/11(木) 18:32:58ID:aoBc22ym
函館以北は函滝、滝根でした。石勝線開業後に函札、札根に変っています。
0142139
垢版 |
2008/12/11(木) 23:57:24ID:6s7Mhwpm
>>141
大阪局の郵便車は阪青〜青函〜函旭でしたっけ。
ニセコで函館〜札幌を走ってたような…
0143元二乗
垢版 |
2008/12/12(金) 00:47:34ID:eV2MRqgo
>>142
乗務当時は路線名が「阪青線」で、郵便物処理は青函乗務員宛
の作業はありましたが、青森から先の運用は把握、研究してい
ませんでした。青函航送されていたのは確かで、車体のサボは
「大航」と書かれていました。ものの本も調べましたが函館か
ら先の運用はわからず、どなたかご存じないものかと。
0144139
垢版 |
2008/12/12(金) 05:18:06ID:EQmL9oMk
>>143
S55.10改正の幹線郵便線路時刻表を持ってるので
ちょっと調べてみます。


下りは確か「きたぐに」〜連絡船〜「ニセコ」〜荷レだったような…
0145139
垢版 |
2008/12/12(金) 08:34:46ID:J8CS6kHb
>>143
ちょっと調べてみました。

大阪局の郵便車の運用はこんな感じ。
大阪2210【阪青下】(501レ)1710青森035【青函下一】(1便)425函館620【函旭下一】(121レ)1946旭川
旭川615【函旭上一】(122レ)1948函館040【青函上一】(2便)430函館1255【阪青上二】(502レ)827大阪

「ニセコ」に連結は、東京北局の郵便車でした。
隅田川1816【東青下二】(荷35レ)729青森【青函下二】(167便)1340函館1434【函滝下】(101レ)
2004札幌2139(417レ)2312滝川2324【滝根下】615釧路643(441レ)1026根室

根室1130【滝根上】(442レ)1453釧路2130(418レ)448滝川456【函滝上一】632札幌1020(104レ)
1603函館040【青函上二】(2便)430青森738【東青上一】(荷42レ)405隅田川


501/502レは急行「きたぐに」
101/104レは急行「ニセコ」
417/418レは急行「狩勝7号/8号」
0146元二乗
垢版 |
2008/12/12(金) 22:03:40ID:eV2MRqgo
>>145
ありがとうございます。古きよき時代ですね。
ニセコの車が狩勝に繋がれるなんて。意外に感じたのが、「狩勝     
くずれ」と呼んでいた441レ〜442レの郵便車がオユだったので、
輸送量にしては1両まるまるなんて恵まれてるなと思ったもので
す。別保という駅から小高い雪山を登り、駅に発着する列車を俯
瞰撮影したことありますが、おまけにコキやらの貨車も連結され
たすごい混合列車だった記憶があります。まぁ、そこだけスユニ
にするのも運用のロスだから根室まではるばる走らせたのでしょ
うね。
0147回想774列車
垢版 |
2008/12/13(土) 11:14:27ID:+MKJHCZW
素人質問かも知れないけど、青函連絡船に郵便車が積み込まれたとき、中の職員はそのまま車内にいて
仕分け作業を継続していたのでしょうか? それとも、船内に移動していたのでしょうか?

冬の航海だと結構船が揺れたので、作業するにしても、結構危険そうな気がしますが・・・

0148回想774列車
垢版 |
2008/12/14(日) 01:35:55ID:5Libxnrh
>>147
洞爺丸事故から旅客を客車に乗せたままの航送はやめているから
郵便車もやめてるんじゃないのかなぁ‥と推測。

それとか天候不順時のみ客室に上がるとか?と言ってみる。
0149元二乗
垢版 |
2008/12/14(日) 01:45:07ID:M/16v1fL
>>147
はい、お答えします。「青函乗務員」は国内で唯一、船内で作
業していました。もっとも、聞くところによると、船底の車両
甲板はディーゼルエンジンの排気ガス防止と火災防止のため、
停止させられていたため、夏場は冷房が使えず蒸し風呂状態だ
ったと思われます。冷房車に限って扇風機はないし、風通しも
望めないし、大変だったでしょう。ともかく、その車内で区分
作業をしていたはずです。航行はたしか3時間50分だったか、
でも青森又は函館のホームで乗ってから対岸の駅で降りるまで
ならもっと長時間でしょうし、船が動き出すのが感じられたの
か、汽笛が聞こえたのかなど、興味は尽きません。ちなみに文
献によると、同航路は開設以来、郵便積載をしていたらしいが
戦争中断を経て、昭和23年から再開、と言っても青森、函館で
郵便車の郵袋をいったん貨車に積替えて船内に押し込み、船倉
内に設けられた郵便室で乗務員が貨車から出した郵便物を処理
していたというものです。しかし、駅での積替えと貨車の押し
込みに時間がかかり、貨車から郵便室までブツをかついで往復
したり、室内がエンジン騒音、排気採光不良で大変な環境で能
率も上がらなかったことから昭和29年に郵便車航走が実現して
スピードアップと環境改善が図られたということです。
なお、外国では旅客を乗せたまま連絡船に押し込み航走すると
ころもありますが、青函航路では洞爺丸沈没事故なんかあって
実施に踏み切れなかったと聞いています。その点、青函乗務員
は航行する船内で郵便車に乗ったまま移動したので、一種独特
の乗務であったと言えます。もっとも、高波で船が揺れると列
車の走行で揺れるのとは違った感覚があったでしょう。
危険と言えば列車の揺れもずいぶん悩まされたもので、積み上
げた郵袋がくずれるわ(私の積み上げ技術の欠如)、ポイント
通過の横揺れで車内でこけたことも数知れずです。
0150139
垢版 |
2008/12/14(日) 08:48:30ID:jAoPQB1U
せっかくなので、西方向のロングラン運用を。
東京南局と鹿児島局の郵便車は、東京汐留駅〜鹿児島駅のロングラン運用がありました。

東京南局
汐留【東門下一】(荷31レ)720東小倉822【門鹿西下一】1821西鹿児島
鹿児島【門鹿西上一】(荷2032レ)2032東小倉2140【東門上五】2155汐留

鹿児島局
鹿児島1926【門鹿上二】(荷2038レ)150熊本220(荷34レ)621東小倉710(荷32レ)1045汐留
汐留1900【東門下三】(荷37レ)1830東小倉2308(荷2037レ)916鹿児島

>>146
釧路〜根室を結ぶ唯一の貨物列車でもありました<441/442レ
ある意味で、国鉄側と郵政側の都合が一致した・・・みたいなw
0151147
垢版 |
2008/12/14(日) 11:09:14ID:coWf/sx1
>>149
ご説明下さり有難うございました。

走行中の列車やポイント通過でもそれだけ苦労されたのであれば、荒天下の航海での
車内作業は想像を絶しますね。トイレも船内では使用出来ないでしょうし。
0152回想774列車
垢版 |
2008/12/14(日) 11:26:22ID:g2T6vOFt
関係ないけど郵便番号7桁化より前って鉄道での輸送前提に
番号(上2桁の地域番号)振られてたような・・・。
岩手県久慈郵便局が03(青森輸送局)扱いだったり、
栃木県足尾郵便局が37(高崎郵便局)扱いだったり・・・。
他にもいろいろあったな。
0153回想774列車
垢版 |
2008/12/14(日) 13:38:13ID:h3enkUMH
>>146
441/442レ懐かしいな
確か郵便+荷物+客2にコキが2両くらい付いていたな。コキには緩急車もなかった。
0155元二乗
垢版 |
2008/12/14(日) 22:28:29ID:M/16v1fL
>>150
東門に乗っていて、車両が九州に直通していることはある程度聞
いていましたが、便名は東門、門鹿西と門司で区切られ、所属乗
務員も替わりますので、作業手順は門司で全部降ろしてもよいよ
うなものでした。実際、東小倉で駅落ち(門司局、東小倉分局な
ど)と門鹿東あて以外を乗せたまま鹿児島方面に向かったものと
折り返しなどで全部降ろしたものとあったのではないかと思われ
広島鉄郵の方に糸崎事務室でお会いしていたので聞いておけばよ
かったと悔やまれます。まぁ、そこまで勉強熱心ではなかったし
自分の作業習得が精一杯でしたし、30年後にこんなカキコをする
なんて夢にも思わないし。
ひとつ、上り護送の車内で興味本位で大阪小包あての郵袋山(笑)
に登って差立局をよく拝見していると主要局は言うにおよばず、
どこの局もあるわあるわで、高千穂、三角、吉松などのローカル
局のほか、福伊上一、諫加上二なんて乗務員締めもざくざくあっ
て、それぞれの郵袋がどんな旅をしてここに積まれているのかと
思いをはせたものです。
0157回想774列車
垢版 |
2008/12/15(月) 12:51:08ID:bGzQ/nW5
>>147
既にレスがついていますが、そのまま船内で区分していました。
区分後、郵便車からデッキに上がって休息を取っていたので、
どこかに専用の出入り口があったはずです。
冬場の天候不順時は、連絡船に搬送後、直ちに区分作業に当たっていました。
時化の時は竜飛岬を通過するまでに終了させないと区分どころの話ではなく、
それこそ大変な騒ぎであったといいます。
しかも青函は、青森函館それぞれに最近区間が設定されていたので、
受渡欠便を防ぐために、あるいは状況によっては各便長判断で、
青函乗務員宛郵袋の作成時に何らかの判断が働いたかもしれません
(阪青酒青、東青盛青はともに青鉄持ちなので事情は聞き伝えていたはず)。

>>149
冷暖房はともかく、車内灯の電源確保のため、
郵便車の位置はある程度固定されていたではないかという指摘があります。

>>152
そうです。
9-XXは鉄道局で車内継走区分していました。
0158元二乗
垢版 |
2008/12/15(月) 13:48:46ID:Taar0BvN
>>157
青函に乗ってらした方には申し訳ないが、途中でバタバタした受
け渡しがないので、最初にドバッと作業したら後はのんびりした
乗務かと思っていましたが、それはそれで大変な乗務だったこと
がわかりました。下りの場合、青森駅ホームで乗り込むと、車内
には盛青又は酒青からの引き継ぎブツが大量にあって、あと青森
積込みが加わるのですが、扱い便だけに竜飛岬までに片づけるの
は容易だったかどうか、当時の方々に伺いたいものです。すべて
片づけてデッキで休息となれば、天気のいい日などは気持ちよか
ったでしょう。
阪青下便で青函宛の作業と言えば
★速達小包
04〜09の北海道あては「青函乗務員」で締め切って敦直乗務員に
引き継ぐ
★締切郵袋
広い方の締切室に積まれていて、北海道はいちばん奥に積み上げ
て石川〜青森の山と仕切るために網掛けする(これを網内と呼称)
網内は敦直、直酒、酒青乗務員は一切再点検せず、自局受けの北
海道も網内に追加していく、各便長は網内の送致証を青函宛に作
成して引き継ぐ
というものでした。阪青下護送の締切りも同様。青函にとっては
推定で締切が200〜300はあったのではないかと思われ。これをす
べて読み上げて積み上げ、開被郵袋の各種郵便物も処理するのは
短時間では大変かと思われます。阪青ではしていた小郵袋の開封、
書留区分、封鉛までしていたらこれまた手間のかかることです。
さて、私にはちょっと難しいのですが、青函から先の最近区域区
分を盛青、酒青が青函宛郵袋作成時に便長判断で…というのは?
函館での結束便は青函各便によって決まっていますから、函旭下
便と函江下便あての郵袋を青森までに締めておき、青函では継送
で済むようにするということでしょうか。
0159139
垢版 |
2008/12/15(月) 20:24:10ID:UbF6B787
>>157
秋田県と青森県(岩手県山形県もだっけ?)は8-xxも鉄郵で車内継送でしたよね、確か。
0160回想774列車
垢版 |
2008/12/15(月) 21:35:07ID:BBHlPPPW
>>157
車両甲板から客室に通じる通路はありました >どこかに専用の出入り口

洞爺丸型には客車航送用(連合軍専用列車〜洞爺丸事故まで一等車の航送実施)に
客車から船内に出入りできる簡易的なホームと連絡通路が設けられていたほか、
十和田丸(T)・津軽丸型でも客車航送の復活を想定してそれらの準備工事は施されていました。
0161回想774列車
垢版 |
2008/12/15(月) 21:44:56ID:JoFXL+xS
そういえば洞爺丸事故の殉職者には郵政職員も入っているんですよね…
(引き上げられた郵便には事故に遭った旨の付箋をつけて配達したとか)
北陸トンネル火災の時は乗客の誘導したり、確か山陽線では郵便車が全焼したり、
鉄道事故にまつわるご難もいろいろと…
0162回想774列車
垢版 |
2008/12/15(月) 21:53:29ID:Kk8jW2Qv
>>161
東北線ではPFに追突されたオユ10とかもいたし。
0164回想774列車
垢版 |
2008/12/19(金) 15:20:04ID:OzWN2VcJ
>>157
連絡船内での郵便車や荷物車の留置位置となると、一番奥に留置するのが基本だったようです。
緩衝機付きの連結器とエアブレーキの栓、そして車内暖房供給用の管と電源が用意されていました。
上の甲板(普通船室)へ上る階段もありますね。
>>160
車両甲板から客室に通じる通路は、普通船室の食堂の付近に1か所ありますね。(津軽丸型の場合)
他には、士官室や船員室等につながる乗組員用の階段が数か所あったようです。
0165回想774列車
垢版 |
2008/12/20(土) 00:54:57ID:ehnhjoSs
>>159
8-**を継走区分していたのは、02岩手、01秋田、03青森、04函館。
岩手は花巻以南が029、釜石・山田線以北が028。
秋田は奥羽線秋田以南019、羽越、奥羽線を018。
青森は青森以東を039、以西を038。
函館は長万部以南が049、以北が048。

岩手は単純に番号が足りなかったのです。
0166回想774列車
垢版 |
2008/12/20(土) 21:17:58ID:O4Nggtv2
追加。
07〜09は、
078が深川以北、079が釧路線。
088が釧路線音別以東、089が厚内以西。
最近まで道内では、08帯広と08釧路で区分特定があったはずです。
098は宗谷線、099が石北線、名寄線は「イトモンベツ」以南と渚滑線。


0167回想774列車
垢版 |
2008/12/25(木) 12:03:22ID:dw9JyIwn
というか、3桁区分の下1桁が9の地域は、基本的に鉄道郵便線路絡みの局な訳で。
0168回想774列車
垢版 |
2008/12/25(木) 20:06:05ID:EHcX52nr
とみせかけていくつか例外もある。
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