鉄道郵便を語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
郵便車 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
>>665
なるほど郵袋掛け上部の空間を有効活用するための
工夫なのですね。把束や大型の厚物を投げるのに
都合がよさそうです。
そういやオユ10やクモユニ143形には特殊区分棚という
のがありますがこれは何を区分するのに使ったのですか?
書留のバラの区分ですか?
あと小包区分棚というのは実際に私は見た事ないです。
郵便車の写真を見る限りでは積み方にコツがありそうですね。
確かにあのつまみって危険そうですね。
原始的な機械ですから交換中も動いちゃうんですね。
還付が少なかったのとは意外です。
年末は細かくて把束区分であり、年始の一般信との
混合時からバラの区分が始まったのですね。
普通の葉書の束は紙紐で十字にくくりますが年賀葉書
の束は太い輪ゴムで把束するだけなんですよね。
種別に関わらず2.3.4とか5.6.7といった1ケタ集合区分
って鉄郵でもあったのですか?
>>666
どの郵便車でも特殊区分棚と通常小口区分棚とがあります。前者は広口のもので、後者は
狭口、つまり定型普通通常に使用します。さて、特殊区分単でオユ10など全室車の場合は
押印台の隣から順に小郵袋区分棚(広口)、速達区分棚(定型狭口)、同(定形外広口)
の順に並んでいました。なお、書留バラの処理は阪青線で行う場合、特殊区分棚のどこか
を割り当ててする場合と、上り便なんか余裕がなければ、反対側の通常小口棚で二次区分
が終わって余った区分口を使ってしていたはずです。
小包区分棚は網を張ったハンモックみたいなやつですね。収まりきれない場合はまとまっ
た局をさっさと締めて数を減らしてましたっけ。
葉書の束は今は紙紐で十字にくくるんですか。当時は封書、葉書とも定型は水平に2回
回して独特の方法では束をし、十字にはしてません。あのは束、10秒とたたずに蝶結び
するんですが、先に静止局で修行していたので車内で苦労せずに済みました。
なお、1桁集合区分はしたことなく、府県雑でも最低2桁区分でした。
>>667
特殊区分棚は書留専用というわけではなかったのですね。
大型普通通常の棚物は把束区分棚で区分したのですか?
それとも郵便車内には小型普通通常の区分棚の下段に口の大きい
区分口があるのでそれを使ったのですか?
厚物は郵袋掛けで投げ区分ですよね?
大局には扇形区分棚があって箱型の厚物はそれで区分してます。
あの網棚は見た感じすぐに一杯になっちゃいますよね。
まとまった(年賀でない)葉書は手区分では紙紐、区分機では把束機を
使っていずれも十字把束です。ちなみに棚物定型外もOBの人は十字把束しますね。
封書だけとか葉書と封書が混合している場合は普通に水平にかます結びをします。
年賀葉書は紙紐の節約の観点からゴムバンドなのでしょうね。
うちの支店では手区分は必ず把束糸を使うようにしています。
というのも把束機では結束時間間際では行列が出来てしまって効率が悪いので
各自が棚の前で縛ってます。それに把束機は一日一回は必ずトラブルを起こします;
どうやら1桁集合区分は静止局がブツが少ない時にやるものっぽいですね。
運行についてですが分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか?
今のトラック便みたいに一旦全て統括支店に送付するのでなく
途中にある局あてのブツがあった場合はその途中の駅で締めて出したんですよね?
逆に分配局から遠ざかる場合は車内投函されたブツの中には方向が逆で
扱いに困るケースもあったのでしょうね。
「○○局は締めたからこの区分口はもっと先の区間の○○局の区分口にしよう」
というように静止局と異なり一駅ごとに区分口を変更していたのでしょうか?
大都市近郊のように鉄郵受渡局が全くない区間が長く続く場合は護送便・締切便だけ
だったのでしょうか?
>>668
ご質問に順にお答えします。
●定形外の区分
普通定形外は形状にかかわらず、郵袋掛けに投げ込むか把束区分棚に入れます。
通常小口区分棚の最下段に広口の区画がありますが、あれは定形外のためでなく、
例えば、全国府県雑区分の設定の際に隣で二次区分すべきブツを広い区画として
入れやすくし、隣の二次区分担当は区分担務が府県雑をこすっている最中でも
抜き取りしやすいので、そういう使い方をしていました。また、広い区画を左右
に分けて2区画分の役目をさせる場合もありますが、双方のブツが混じらないよう
注意が必要でした。これも局、路線、担務者個人により扱いが異なりました。
●分配局区分
「分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか」の意味がわかり
にくいのですが、車内で扱うブツは極力列車の特性を生かして2桁区分を避けていた
というところです。全国の主要局からは小包、速小、大型は2桁区分による分配局宛の
締切が多数車内にありましたが、車内で出たものは、3桁5桁区分で細かく降ろしてい
きます。大阪から阪青下便方面の速小で例示しますと
・大阪中央差し立て
おおざっぱには
91⇒敦賀分 92⇒金沢鉄 93⇒富山南 94⇒直江津分 95⇒新潟 ・・・
という2桁ごとの分配局宛てに締め切られ、阪青下に搭載されても各分配局に
寄り道してから再度鉄道、自動車等で送達されます。
・阪青下車内
敦賀、福井落ちはそのまま差し立てるほか、
92、93、94⇒敦直乗務員 95、99、01⇒直酒乗務員 03⇒酒青乗務員
として締め切られて引き継ぎされますので、各乗務員は当該停車駅に基づき
結束表で定められた差し立てをしますから、分配局への寄り道は少なくなり
ます。定形外、小包でも車内で出ると同様に送達されていました。
蛇足ながら、大阪中央局でそういう差し立てなので昼間に差し出した北陸
向け速小が分配局宛て送達されるのに、そのころ姫路や明石に差し出した速小は
大阪、京都よりも数が少ない分、その方面をまとめて「阪敦(あるいは敦直、
直酒、酒青、青函)乗務員」といった看板で差し立てをされ、東門上一に乗ると
大阪駅の結束で阪青下に乗り、車内で開けられて停車駅ごとに早く届けられる
というのも事実でした。
●車内投函の扱い
郵便車からポストがなくなったのはだいぶ昔のことで、以前説明した車内消印
したブツ、つまり駐在員、受渡員から渡された駅ポスト引受け分について説明
しますと、あらかじめ送達方向が逆にならないように選別されて渡されてます
から区分口を変更などの支障はありませんでした。もっとも、誤送、誤区分に
起因する逆送が生じた場合は、とてつもなくややこしい方法ですったもんだした
ことがあります。
●都市近郊の受け渡し
確かに大阪周辺では、神戸、京都、三田、王寺までは受け渡しがなく、沿線に
集配局直近の駅があっても自動車便で中央局経由でした。でも、その間が護送、
締切というわけでなく、扱い便は作業してました。
ただ、乗務員担当区間にそぐわない京岡上下便の京都大阪間が締切扱いだったり
急行だいせんだった阪福下二⇒福下下便が大阪福知山間だけ扱いで、受渡員が
停車駅ごとに来ない深夜の福知山鳥取間では護送とし、福知山で一部乗員が下車
していました。 >>669
なるほど。しかし小型普通通常の棚と違って
把束区分棚って区分口が8つしかないので
大型の区分が難しそうですね。
合理的な使い方ですね!狭いスペースの車内で
限られた時間に区分するには二次区分の抜き取りをし易い
ようにしているんですね。静止局では区分担務の背後に
銀台車に載せたファイバーがいくつも置いてあってそこに
ぶちこんで二次区分の人はそこから塵取りみたいな入れ物
ですくい取って棚の前に持って行きます。
よく考えてみれば全国差立等という静止局みたいな
区分はありえないですね。駅設置のポストは駅駐在や分局員が
予め区分して列車の方向と車中区分に適した宛て先のブツ
だけを渡したのですから雑(10〜09)という事は無かったのですね。
二桁区分は遠い地域の静止局が差したててくる
場合に多かったみたいですね。現走行地域は細かく区分し、
受渡沿線局宛てはどんなに量が少なくても5桁区分だったのでしょうね。
区分口の変更はあまりなかったようですね。
差出口はオユ10はなかったのですか?
開袋台の上にありそうな気がしますが。
扱い便になるかならないかは大変面白いです。
例えば「70 岡山中央局」とある郵袋が大阪駅で
沢山積まれたとしてもその分配は岡山中央局でやるわけで
岡山分局、ましてや車内での区分はしなかったのですよね?
多過ぎて出来ないですよね?
続きです。
詳しく説明すると大郵袋で締めてある「70 岡山中央局」は
締切室へ直行して関与せず乗務員開被大郵袋で中身が
「70 岡山中央局」の把束や小郵袋は把束区分・小郵袋区分、
さらに想像ですが「70〜75 乗務員宛て」等の
雑は開束・開披して区分するといったスタンスだったのでしょうか?
あるいは量が極端に多くて車内で区分出来なければ静止局に任せ
車内で十分対応出来る時は車内で区分したのでしょうか?
>>670 >>671
●は束区分棚
だいたいの車両は8区画くらいで、1/2車でもあります。正確には、郵袋掛けをカバーする
ためのもので郵袋掛けよりも入る両が少ないので、多めのブツがでる宛先局を郵袋掛けで、
それよりも少なめのところは補助区分棚、は束区分棚で補うということですか。なので、
すべてに大型、は束を問わず投入しました。
●差出口
オユ10にはなく、埋めた痕跡も見あたりません。旧型オユには差入口がある車両の写真が散見
されますが、以前に廃止されました。当時のベテランの方に聞くと、ブツは押印台の前に入った
みたいですが、郵便車の進行方向を表向きに表示していないので、送達方向を意識して入れる人
と、そうでない人がいるので、後者だと、それこそ逆送、あるいは最終地引渡しとかしたそうで。
発車し始めてから追いかけて入れる人もいたそうで危険ですし、廃止は妥当でしょうね。なお、
回送中、締切中などは入れられないよう、蓋を固定できたそうです。
そうそう、敦賀で乗ろうとしたら、スーツ着た人が20通ほどの封書を手渡し「これ送って下さい」
と頼んできました。一部速達もあって、ごていねいに「は束」もしており「方向は?大阪行きです
けど」と言うと「すべて米原以遠です」との返事(笑)。受取ってカツ押すと確かにそのとおりで
した。こういう人ばかりですと、差出口が最後まであってもよかった気がします。
昔、大都市のある企業では、ブツ持って駅に駆けつけ郵便車に直接渡しする任務の社員がいたとか。
●宛先と処理
岡山の標記がある締切郵袋は、岡山分局も乗務員も開被処理することはありません。
また、は束が「70岡山県」とかいうのが車内で出ても、速達は開束区分しますが、普通定型
は束は岡山宛て送付です。当時すでに「東門、門鹿西特例区分」と言いまして、両線は受渡
局が大幅に整理され、阪糸間ですと、2桁区分拠点局のほか、明石、相生等一部の3桁局しか
停車、受渡しがありません。車内作業も普通通常小口区分、小包類処理、小郵袋開被区分は
廃止されていたので、5名乗務が基本でした。
また、車内作業に課せられた処理は駅到着に遅れないよう必死でやりましたが処理しきれない
ブツを静止局に送ることは事故、災害等を除き許されなかったので、車内作業の負担は多すぎず
少な過ぎずとなるよう、搭載数量、開被郵袋の比率があらかじめ、鉄郵駐在、静止局と協議され
ていたようです。 >>672
とても興味深く勉強になってます。大抵の疑問は解けました。
言い忘れていましたが昔は赤一条という概念が無かった
ようですがそうなると649のAのようなただの無証の看板
でも中に速達が入っているかもしれないから到着したら
すぐに開けて見なくちゃいけないから大変そうですね。
安心して後回しに出来るのは赤十字と大型印が押してある
看板ってことですかね?
なるほど!把束区分棚、補助区分棚、郵袋掛けの使い方
が大体分かりました。主に大型普通通常や定型の把束に
使用したのですね。想像ですが書留小郵袋区分が終わった後に
郵袋掛けが空いている場合には当然そこに有証大郵袋
をひっ掛けて小郵袋を投げ区分したりもしたのでしょうね。
すみません、そうなると特殊区分棚というのがイマイチピンと
来ないのですがこれは普段は大型速達通常や書留
(形状問わず)に使用したのでしょうか?
時と場合によっては小型書留通常は小型普通通常の
小口の棚で分けることもある点は以前の話で分かりました。
郵便車に投函したというのは相当昔の話だったのですか。
つまり郵便車の引受は駅のポストオンリーだったのですね。
確かに追いかける人とか絶対いそうで危ないですね(笑)
総務の文書担当が大抵手紙を駅に持ち込んだのでしょうね。
特例区分とはブツが非常に多い幹線であったようですね。
容積が大きくて嵩張るコツや量が極めて多い小型の区分を
しなかったこと等を考察すると車内作業の負担が過重に
ならないようによく協議されていた事が伺えます。
恒常的な不結束で連日監察呼び出しではたまったもん
じゃないですから当然ですよね。(巨大静止局では実際にある)
>>673
●無証の取扱い
普通通常無証の開被郵袋に速達が合納されているかどうかは、差立局と便ごとの取扱量で
おおよその判断はつきます。東門あたりは大阪、神戸、姫路、岡山・・・とどこでも速達無証
を別に締めて積んでくる局が多かったので普通通常無証には入りませんが、相生、三原など
便により数量が少なければ合納していました。とにかく、開被する際には、入っているかも
しれないという先入観で見てますから、白郵袋が出れば、真っ先に速達担務に手渡したと
いうことです。
●開被の優先度
大阪など開被を多く引き渡す局では、開被だけをとっても納入方法を仕分けして乗務員が
多くの開被に優先順位をつけられるようにしていました。例えば東門下便を例にあげ中郵
第二普通課から鉄郵経由で渡される郵袋に限って示しますと
「東門下○」「阪糸乗務員兵庫県」「阪糸乗務員岡山県」「阪糸乗務員広島県」
といった看板で入ってきます。取り決めで神戸のブツは入っていないのですが、明石以西
は入ってきますので、下○、兵庫県を先に開き、処理が進むに従って岡山県、広島県の順に
開けば、処理遅れなどはなくなるということです。これは、速達、有証でも同様なので
各担務が作業数量を勘案しながら順序を決めて開被処理していました。
なお、東門下五は姫路で姫広下二に結束するので岡山県のブツは姫路までに仕分けて姫広に
「土居野馳間」を結束させなければならず、岡山県も兵庫県と同時くらいに開いていた上、
明石を通過する足が速い便だったので、てんてこまいでした。郵袋掛けをバラ速に転用し、
航空郵袋で岡山締めなどしたのもこの下五でやっていたことでした。
他の線区で出る開被小包も後回しにできるわけでなく、乗ると早速開いていましたし、
大型印の乗務員開被は皆無で、無証を開くと大型も混じっていたということで。
逆に車内では大阪、晴海の大型は差し立てました。
●郵袋掛けの用途
郵袋掛けはほとんど、普通通常のみで使いましたから、以前述べましたバラ速使用も例外
でした。小郵袋に使うことはなく、あちらは小郵袋区分棚の前で記録が済むと10本1は束
にして、押印台の前の床に置かれますので、私ら通常担務が数を数えて送達証と一致する
ことを確認して送達証に自分の番号印を押して締めました。このとき、降ろす局名やブツ
量を判断して、無証との合納をするかどうかも判断します。なので、締める前の小郵袋は
床に並べられていたということで、もたもたしていると歩く場所がなくなりました。
●特殊区分棚
先に述べたとおり、小郵袋区分棚、速達区分棚(定型、定形外)の総称が特殊区分棚と
いうことです。なお、特例区分に適合した車両も現れ、オユ14やスユ16の一部はこれの
専用に作られ、定型小口用、小包ハンモックをなくして特殊用を増やし、中央部に郵袋
掛けと補助区分棚を増設していたので、そちらはバラ速専用に使用できました。 >>674
なぜ白郵袋に速達を納入するのか意味が分かりました。
速達を目立たせるためなのですね。
そんな事しごく当たり前で恐縮ですが。
速達無証が一緒に上がってこなかった場合は
入っているものとみて必ず開被してチェックしたのですね。
速達小包じゃなくても速やかに開被したのですね。
大型の取り扱い、とても面白いです。
小郵袋は10本1把束で床に置いて査数したんですね。
特殊区分棚というのは総称だったのですね。
どうやら線区によって地方によって郵便車のレイアウトは
異なる場合もあるようですね。
看板の差立番号って記載しましたか?
現在の看板には何故かありません。 今、そこの空欄は自分のナンバリングやガチャ判(回転印)を押してるな。
90.08.06以降の入局者でスマソ >>676
乗務員は差立番号欄に便名のゴム印を押しました。
乗務前にある程度あてずっぽの枚数を押しておいて足らなかったら車内で押した記憶が。
>>678
なるほど。確かにうちの支店でも特割が大量に到着した日や
物調の時には便名を手書きで書いている事があります。 >>677
自分のナンバリングといえば自分の印鑑を
票札に押してくる統括支店と押してこない統括支店が
ありますが本来は押さなきゃいけないのでしょうかね?
因みにうちの統括支店はゆうパック関係の課は押しませんが
郵便関係の課は押印することになっています。
>>680
本来はどっちでもいい代物。
押してる支店は、差し立てパレットが誤結付なくラインにちゃんと並べてあるか
それを確認した、という意味で押してるんだが
今は押したら押したで、やらかした担当者ホイホイになってるからな…
(誤送されてきたパレットのメンコの写しが到着支店からファックスで送られてきて、『誰だ、こりは?』って事に)
ウチでは支店で作った用紙に押印して、それをボックスに入れて、更に透明のデスクマットみたいなのを入れてるよ。 >>592
そういやユニット窓はガタがきたり隙間風が生じる場合は交換できるんじゃないの?
今まで交換したという話は聞いたことがないが 新潟上野間で、笹団子の速達小包区分した方いませぬか。 >>684 昭和50年代の例規に、「笹団子を内容とする速達小包の取扱いについて」として、
区分方法がちゃんと載っていました。
9月25日にオユ10公開です。当日は穴水駅でのと鉄フェスティバルもあります。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/110925p/110925p.htm 小ネタを1つ
現在発売中のビックコミックオリジナルに、ストーリーに鉄郵が絡んだ作品が掲載。
20日になると次号が発売されてしまうのでお早めに。 >>689
あれは大した事ないよ。
それより、郵政職員が国労組合員(国鉄職員)と乱闘って、まずくね?
国労は今でもあるんだし。 >>690
国労と旧全逓はむしろ立場が近そうだが‥
もっともこれが共産系の派閥になると分からんが
ちなみに昔全逓の協賛バザーで「こくろうキャラメル」を買った事があるw スレチだが
>>691
マル生スト後の昭和54年の4.28の大処分で、多数の若手幹部が懲戒処分、解雇食らってから
全逓は闘争方針を当局との対話による労使協調路線へと、しょっぱい方向にシフトしたんだよ。
もちろん4.28処分者に対する支援、国労との協調姿勢ってのもしばらく見せてたけど
連合発足以降、総本部は国労支援そっちのけで対抗組合の全郵政との歩み寄りを模索し始めた。
(尤も、やってることが一緒だから仲良くしようや、ってのもあったけど)
そうした方が組合員のためになるって判断したからだね。
それで、民営化後になって全逓と全郵政はアレ、国労?知らん、と。
日本郵政グループの労組は、民営化後も複数あるじゃん。
共産党系の組合、何て言ったかな? >>692
その全逓から分裂して、最後まで国労闘争支援と4.28の支援をしたのが郵政ユニオン。
大体今はJP労組(旧全逓+全郵政)で)90%。その他少数組合が10%(以上は本務者=正社員、非正規を入れると一番パイパン(未加入)が多い)
関係ないけど、昨日の反原発集会、JRは国労や東労組、JR貨物労組や動労千葉の旗やのぼりはみたけど、JP労組は見なかった。
郵産労・郵政ユニオンはいたようだ。 参加できる訳ないじゃん。>JP労
ご存じのようにミンスのお得意様っつか、大支持労組だし。
話の腰がまた折れるけど、俺がいる支店(局)の鉄郵出身者はゴルフ大好きな人が多くて
安い月給で働いてる筈の人間が、何でそんなブルジョワな趣味持ってんだとしばらく幻滅したことがある。
ロッカーには要らないアイアン捨ててあるし、仕事で使う手鉤がアイアンのシャフトの再利用だったりw そんな議論よりオユ10みにいってやれよ
昨日後悔してたろ 客車急行列車や長距離鈍行に連結されていてこそのオユ10だったしなぁ。
青い車体に表示された赤い「〒」マークが美しかったほどだった。
曇りガラスの〒マークもかっこよかったな。
上野駅ホームの台車上の郵袋についた赤十文字マーク札をみて、日赤が郵便を使って
物資を運んでいるのかと思った。
古い「日赤看護婦」記念切手の深緑基調と腕章の赤十字との色合いが、郵袋と結付された赤の十文字札との色合いとが
実によく似ていたこともあったから。 切手は正しくは、日本赤十字社創立75年 です(昭和27年発行) >>697
穴水の鉄道フェスティバルと湯乃鷺駅と「花咲くいろは」の車内放送と一緒にまとめて見て来ましたが何か
だいぶ外板がくたびれてきているのが辛いところだな
穴水のNT800みたいに綺麗にしてあげたいんだろうけど厳しいなあ 上野駅発着の鉄道郵便が消えたのは昭和57年11月。
それから間もなくのこと、
北陸方面行寝台特急列車の最後部の荷物車両をホームから覗いてみると、郵袋が。
よく見ると「ビジネス」などという票札がついていました。
>>651
お久しぶりです。
定型外の納入についてですが現在でも新大阪支店継越の
大型は十字把束となっています。
先日大阪市・大阪府内各局宛ての大型薄物が多かったので
十字把束するようにと課代から指示がありました。
そして普段新大阪からくる切手証紙貼付の大型も2桁区分の
十字把束でケースに納入されて到着しています。
どうやら大阪は特殊な地域のようです。
前置きが長くなりましたが鉄郵では定形外はバラで
郵袋に納入すると書いて下さいましたが
その際は並乙に納入したのですか?それとも量が多ければ
並甲にも納入したのですか?並甲だと到着局での取揃えが
大変じゃないかなと思いましたもので。
>>702
当時は鉄郵に限らず、定形外の郵袋納入に把束という概念がありませんでした。
使用郵袋は中身もそこそこ入りますので、大半が並甲でした。到着局の作業を見聞き
した限りでは、台の上で取りそろえるという感じではなく、プラかごにぶちまけて
郵袋掛けに投入、あるいは定形外専用の区分棚で処理していたようです。 >>703
なるほど。薄物は小型と違って並甲で到着しても
取り揃えずにそのまま棚で区分したのですね。
小型と違って取り揃えなくても速やかにと区分出来る
レベルだったのでしょうね。
一旦ファイバーに移してから投げ区分というのは今でも
うちの支店は速達の厚物やレターパック等の継越区分でやっています。
>>702
十時把束は基本パレットバラ積みのはず。
(十時把束のみで)バラ積みする数量が無い場合、十時把束をケース納入しているのかと。
今でも、水路便で送る定形外はバラで並甲に納入してますよ。
定型と速達通常と合納で。
赤線一条引っ張ってこないけど<某77支店
>>703
水路便では今でもよく見かける光景ですw
>>705
なるほど、パレット直積みってバルクだけじゃなくて
切手貼りでもありましたっけ?
あと横神継越の大型薄物も十字把束のケース納入ですよね。
そうなんですか?
水路便ってPケース使わないんですね。
赤線一条引っ張らないとは古風ですね。
古風でいいですなぁ
茶色くなった省監修の「必携」そのものです。 >>706
アレはね…
Pケース使うとガサバってしまって
結束した分のゆうパックが全部積めなくなるんで使わないんだ。
でも島しょの差し立てやると、数って大事だなって解るんでいい仕事だな…って思うよ。 >>708
確かにPケースは場合によっては嵩張って
邪魔になりますよね。空ケースをパレに積んでも
いつでもに新東京に送れる訳でもないし。
小生の支店は夕方の特集で普通通常が多い時は
並郵袋に納入してくるように協定で決まっています。
>>709
後半ですが
「特集が多い時間帯は折ケースも邪魔になるので
並郵袋に納入するように特定局との間の協定で
決まっているようです。」の間違いでした;
>>393
晴海は大型専門の差立集中局だったようですが
東京中央でも大型の差立はやってたのですね。
部署までは分かりませんが神田・京橋・渋谷以外の
東京都区内各局引受の大型普通通常の都外差立と
神田・京橋・渋谷引受の近県差立を担っていたようです。
想像ですが小規模局からの雑の郵袋は開被して棚でバラを区分、
大規模局からの郵袋は2桁締切になっていて郵袋を区分して
コンテナに積載したのでしょうね。
意外でした。
東京中央はなんでもやる本当に大きな局だったのですね。
新東京は東京中央と東京輸送(含む東陽C)と晴海の寄せ集めだったから、
できた当初はいろいろと大変だったらしい 東京中央にできないものはコンピュータ郵便の引受ぐらいだったと思う。
一円未満の切手の交換って銀座支店に引き継がれたんだっけ?スレ違いスマソ 国際電電の丸の内分室などというものも入っていたし。
内国電報は扱っていないが、国際電報は「中央郵便局へ行けば」って感じ。 少し前に特割の話が出ていたので挙げときます。
特割は300km以上の長距離輸送の場合は
時代に関わらずコンテナ輸送が原則だったようです。
それ以下は自動車便輸送。
従って鉄道郵便車に積載されることはなかったようです。 新越谷って何だとOBに聞かれて、
ホッコツの復活だと言ったら妙に合点された。 >>715
新越谷ってJPSの実験台にされた所じゃなかった? >>717
あれは新越谷じゃなくって越谷じゃなかったけ?
今新越谷ってコツやってるの?埼玉ターミナルに移管した? >>717
それはただの越谷ですね。
>>718
浦安と新越谷は今はコツやってません。
>>715
バルク(特割)の区分は北部小包でもやっていたのですか?
銀座以前は南部小包だと聞きましたが。 それは簡易鋼製化したからじゃないの?
郵便車固有の事情ではありません。 能登中島の公開は厳しいのかな‥
マジンガーZ&花いろトレインと一緒に見に行きたいのだけど 転載だけどネタ投下
ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1295865224/から
630 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2012/05/19(土) 17:52:59.32 ID:5Dp/IzVS
>>629
宇野行きには「大荷」の徳島、松山行きがついてたよ。
「郵」はどこのだったのかな、覚えなし。
632 名前: 回想774列車 投稿日: 2012/05/20(日) 22:19:58.53 ID:ydCGNT08
>>630
松山郵政じゃないの?
実際の路線はどこなのでしょう?
鉄道模型板に載っていた
RMライブラリーから郵便客車ネタが出るらしい
ttp://www.amiami.jp/top/detail/detail?gcode=BOK-07701&page=top
>>720
お客を乗せるわけじゃないから、別に広くなくても構わないと考えたのでは? 東京中央と東京駅が地下で繋がっていた所は
今はどうなっているのだろうか?
鉄道郵便無くなって潰したのかな? 房総地区で活躍したクモハユ74はハの部分で客扱いしたかしなかったか文献によりまちまちだが実際はどっちだったのだろう。
>>730
コンクリで蓋いだだけらしいから、機材運んで発掘作業してみたら?
当局が許可するかわからないけど 地上部にはホーム上のエレベーターしかないはずだからなぁ 新幹線や特急列車で郵便を運ぶという発想は思いつかなかったのか?
こうすれば速達化出来たのに
TGVでは郵便車があるが >>736
既出だが1980年ごろ郵便コンテナ積載を検討という
新聞記事を見たような気がする。 小型荷物を新幹線で運ぶサービスはあったけど。もう廃止されたみたいだが。
新幹線は速いけど、夜間に運転しないのが支障となっているからでは?
昼間に集配して、主に夜間に長距離輸送するわけだろ。
朝、新幹線が走り始めるのを待つより、夜間にトラックで高速道路走らせた方が早くつく。 大概○○中央郵便局はターミナルの駅前にあって
県内郵便の取りまとめや鉄道郵便を担当していた
自動車輸送に取って変わられ取りまとめも新東京や
横浜集中のように郊外の局に移って行った 特急列車に郵便車を連結して速達化を図るという発想は思いつかなかったのか? >>749
日本の在来線特急は欧州ならせいぜい快速列車程度の速度だからね、戸口から戸口の車には叶わないだろう
TGVみたいに新幹線なら可能性があったかもしれないけど、人運んだほうが儲かるからね >>748
面白いのは東海道山陽系統で、沿線の各中央郵便局が下り方にあったこと
東京・横浜・静岡・名古屋(後の駅前分室)・京都・大阪
広島(後の広島東)・博多(中央局では無いが)と揃っている
(微妙に「下り方」から外れているのもあるが)
けど神戸中央は駅から近いけど違うんだよな
岡山はよく分からん 横浜中央郵便局は鉄道郵便があった頃の名残はあるのかな? 少なくとも見える範囲にはない
荷物用エレベーターもないし、郵便局〜ホームの地下通路が昔あったとしてもその後の工事で分断されてる 分断されていたとしても、人知れず地下通路が残っていたら胸熱だな。 で、その地下通路を歩いて行くと、途中で水が溜まっていてその先で崩落している
これは、俺が廃道をJeepで探しまくっていた時の経験だが、かなり参るぞww よく考えたら、通路残ってても郵便局側しかねーな
なぜなら駅側は南口コンコース&通路で全部掘り返されてる にしてもスカイツリーに移転とは今の郵政にしては大出世じゃねえか ていぱーくって大手町の博物館か?あそこには鉄道関係の資料あるのかな? ていぱーくは普段はあんまり鉄道郵便関係の展示はないね。
何年か前に特別展やってた。 >>761
ありがとうございます。
これによると、鉄道関係の資料はあまりなさそうですね。 >>751
それで東海道山陽の郵便・荷物車は下関方に連結されてたのね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています