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並赤とか一条というのを知らないものですが、当時は甲乙を問わず大郵袋に書留のブツを
直接入れることはなく、必ず赤白小郵袋で封緘してから入れるので○代とかいう小郵袋
代用という取扱いには接していません。

赤の二条線は看板の上のほうに水平に示されているんですが、これは結構昔からのようです。
看板棚に欠品が出たので倉庫に取りに行くと、古い段ボール箱に黄ばんだ昔の看板が数多く
ありまして、その中にも二条赤線の速達用がありました。事務の人に聞くと「それ使わんと
いて。大昔のやつやからこんど焼き捨てよか」と言ってました。いつごろのやつですかと聞
くと「さあ〜、郵便車が全部茶色のボロで姫路から蒸気で引っ張ってたころやな」という返事
でしたので、二条赤線はそれだけ長い歴史があったようです。(この人に言わせれば旧型客車
はボロなんでしょうか・・・orz)

Bの看板ですが、それ自体の出番はありませんで、有証郵袋の中身が白ばっかりということは
事実上ありません。書留小郵袋の中に速達が1通でもあれば白ですが、実際、1通もない赤も
たくさんあって、全体の中で白は3割程度です。結局、速達用はCばかりがよく売れまして、
つまりは速達担務の「バラ速締め」に大活躍です。なので棚からはCばかりが取られていくの
で品切れになりますから、売れ残ったBはどんどん無証のはんこを押されてBの代用に成り下
がるわけです。いわば何のために存在するのか気の毒な種別です。

次に郵袋のことですが、並乙というのは小郵袋とは役割が違い、あくまで大郵袋の一族でした。
なので、並甲を使うほど数量がない局、結束鉄道便あてに締め切るときに数量が少なければ使
いましたが、あまり多く入らないので、乗務にあたり渡される予備郵袋に並甲が50枚あると
しますと並乙は10枚程度です。入ってくるのはたいてい並甲なのでそれも使いますから、乙は
実に少数です。余るのでいつも予備返却に混ぜてました。

書留を小郵袋に入れるときはは束しないと申しましたが、速達を封緘なし、つまりきんちゃく
絞りで締める場合には、は束もあります。速達区分棚はオユ10など全室郵便車では狭口の定型
用と広口の定形外用がありまして、定型については区分後に10通程度があれば○速印のは束紙
(紙札)をつけては束します。それを白甲乙に納めて大郵袋に納めることはありました。

最後に空郵袋について。前述のように乗務員予備郵袋として乗務開始終了時に受け渡しします。
大阪では鉄郵が、敦賀では敦賀局が差し立てして積み込むのですが、○空の標記があります。
最も数が多く種類が多かった阪青上り一号便ですと、だいたいの記憶では
  並甲60枚、並乙10枚、航空甲10枚、航空乙20枚
  白甲30枚、白乙30枚、赤甲10枚、赤乙30枚
という感じでしたか。なお、各停の阪金上、阪潟上では錠甲1枚が入り、塩津の降ろしで使う
とまた錠が入ってくるので虎姫までは渡してはもらいのくり返しでした。なお、ひもで10枚ずつ
縛った記憶は薄いですが、小郵袋だけは別に縛っていました。
蛇足ながら、○空は乗務員予備のほか、郵袋が偏る局相互間の回送にも使われ、東門上護送便に
乗ると並甲を布ひもで20枚ずつくらいを十字に縛って「○空大阪小包」の看板付けたのが岡山から
大量に入る日があり「カスだい〜!」とか読み上げてました。空郵袋の通称が「カス」だった
もので。EF58のダイナミックな運転でよく揺れるオユ12の車内では上手な石垣積みで積み崩れを
防ぐ技術が必要でしたが、このカスがくせものでして、いわば固い枕のような形状で、これを石垣
に混ぜると他の郵袋の崩れを誘発するので苦心してました。角張った小包でしっかりした石垣を
構築してからその中の空洞にカスをぶち込んだものでした。