鉄道郵便を語るスレ
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郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
郵便車 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
>>619
今の日本の政策決定階層(政治家、財界、官僚)は東京以外は無人地帯くらいにしか思っていない
田中角栄経世会亡き後は都会利権の清和会の天下だからな、政治とカネも問題もスルー 上の方でレスがあるけど
コンテナ輸送は数年前の段階ではやっていたぞ
(いつぞやの「ねんきん特別便梅田駅放置プレイ事件」の時はJRコンテナに入れたまま引き取らず放置していた)
>>622
安い郵便の遠距離輸送は今でもJR貨物だ。
岡山→新越谷 がかなり活躍している もう各停タイプの郵便列車が通用しそうな地域って無いのかねぇ
定期列車にキユニなんなか繋いでさ 5トンコンテナにパレット5台しか積めないからな〜
輸送効率の悪さは1つのネック(もう1つは貨物のダイヤの悪さ) >>624
身延線、飯田線、大糸線なんかには使える予感。 >>625
それは頭の悪いコンテナ業者。
普通はロール7台がピッチリ入る。
おまけに折り畳んだ青パレ2台まで付けてくる某九州地区の支店(や◯や、やず◯でよくご存じの…)もあるぞ 新幹線で輸送するという観念はないのだろうか?
(航空便のない東京―名古屋間をはじめとして
新潟や仙台そして盛岡などへの速達など)
>>630
昭和55年ごろ、構想が新聞に載ってたような(既出)? >>630
手間かかるからやんないんだと思う。
今は東京駅から名古屋駅に運んでもどっちも駅前で作業してないから。 >>634
今は郵便局は窓口しかやってないのはご存じだよね >>587
>>614
関東では綾瀬便が復活するらしいですね。速コツは不明ですが。
そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
あれって袋に縫いつけられた看板を差す縁の太い枠の
せいで朱線が見えなくなるのを防ぐ意味があるらしいですね。
納得しました。
>>元二乗さん
鉄郵の場合、書留は一般・現金・簡易を分けて区分して
別把束・郵袋納入したのですか?
あと大型書留通常は航空輸送出来なかったようですが
その際の看板には大型印を押したのですか?
>>636
当方の乗務では阪青線のみ書留の小郵袋納入を行い、その他の線区は小郵袋単位の扱い、
つまり開被は行ってませんでした。
さて、小郵袋を開被して区分、納入の際は一般・現金・簡易を分けて区分しておらず、
送達証において一般(現金を含む)のみ番号を記載し、簡易は通数欄の記載にとどまり
ました。
また、把束ひもによってくくることはなく、直接送達証と共に小郵袋に納入して封緘し
ました。
書留通常は当時すでに定形外であっても航空輸送しており、航空結束の際は看板に大型
印は押しません。大型印は、定型外の書留でないものだけを納入した郵袋に付けるもの
で、それ自体が無証なので無証印も併記していません。 >>638
詳しい説明ありがとうございます。
>>小郵袋単位の扱い
それは区分口の大きな棚で紅白の巾着を混ぜて
区分する継越区分の事ですね?少し前まで統括支店では
大郵袋のスタンドを沢山並べて放り投げていました。
一般・現金・簡易は合わせ区分だったのですね。
私が入った15年前は配達記録がまだなかったころでしたので
一般・現金と簡易は分けて区分し別把束して合納でした。
送達証の書き方は元二乗さんの頃と一緒でした。
バラで直納していた点は驚きです。雑の単位数未満の場合や
ブツが痛みそうな場合はバラで直納していましたね。
なるほど。大型印の意味は当時も今も変わっていませんね。 質問です。
郵便車には特割等大口差出のブツは出回っていたので
しょうか?切手貼りが多く出回っているイメージがあるので。
特割大郵袋は南コツや大阪中央継越だったのでしょうか?
沿線の小さな特定集配局から上って来た有証大郵袋の中身が
赤郵袋、白郵袋、大型把束、小型把束、小包、というように
全種類のブツが納入されてて到着処理がややこしかった経験は
ありましたか?
今では有証大郵袋に無証を合納する事は禁止されていますが。
>>636
>そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
東京地区の場合だと羽田あて、東京国際あて等、地方からの航空搭載の有証郵袋にはかなり使われてる筈。>青緑のメンコ
航空郵袋に速達以外の無証郵便を入れてたのは、90.08.06以降見かけなくなったけど
布製のメールケースが使われる以前は、超大口「別納(←ここ注意)」郵便とかで使われたりしていた。
>>639
小郵袋単位の扱いとは、おっしゃるとおり区分口の大きな棚によるもので設備は「小郵袋
区分棚」と称します。東門線ですと特例区分のため小郵袋は開けない代わりに大郵袋を開
けていくと小郵袋が500本ほど炸裂するので、そんな棚に収まらず、床にもぶちまけて這い
つくばって送達証書くこともありました。
なお、私が乗務を離れて以降に「並赤」という郵袋が扱われており、それには書留を直に
納入されたと聞いています。
>>640
車内で特割等扱った記憶はありません。別納、後納はありましたけど、DMもまだ少数
でした。東門では大阪と姫路か岡山の間に黄色い大郵袋が締切で積まれてきて、これを
読み上げるときは「ビジネス大阪」とか言いました。但し、車内開被はまったくありま
せんでした。これがそうかもしれません。
また、沿線小規模局ですと、有証大郵袋に無証を合納はあたりまえとなっていまして、
現在は禁止というのが初耳です。ローカル便ですと、受け渡しとも1個だけというのが
普通でして、たいてい錠郵袋というのを使ってまして、標札も省略できました。
開けると、それこそ何でも入っているのですが数が少ないのでとりわけ煩雑ではありま
せんで、担務者に振り分けていきます。次の駅までに各種のブツをとりまとめて1個の
郵袋に納入して降ろすという手順ですが、こういう状態が続くのはのんびりしたもので
した。むしろ、局の規模により開被郵袋でも有証、無証、小包などが別々に入るとその
分の取扱いが多く、次の駅まで時間が少ないとバタバタしてしまいました。
>>641
そうですか?私は青森西やちょっと前では倉敷からしか
見た事ありませんね。うちの支店も在庫はあるそうですが
ガラガラの活字が他課に貸し出し中なので作成出来ません。
というか速達普通通常はバーコード付きじゃないとマズいから
特殊以外需要はないですね。
航空搭載地域あてに速が混じったら航空郵袋と一緒に使っても
良いんだろうけどPCで打ち出してっから今更ガラガラ使うか
どうか微妙ですな。
新東京が開局してから大きく変わったらしいですね。
無証はPケースでの差立が当たり前になったみたいで。
すみません、超大口「別納(←ここ注意)」郵便ってなんですか?
見た事ないです。 >>642
並赤郵袋って歴史浅いんですね!これには驚きました。
そういや「近年(15年前で)は郵袋がカラフルになった」
とかって何処かで聞いたような気がします。
逆に言えば昔は看板の表示が中身を知る唯一の手掛かり
だったのですね。
どうやら並赤郵袋が錠郵袋に取って代わったようですね。
やはり特割は静止局で利用者区分済みの上で差し出されて
いるから郵便車内では郵袋継越だったみたいですね。
オレンジのビジネス郵袋は今でも翌朝の差しで使ってます。
厳密にはパレット単位では有証と無証の合納は当たり前ですが
郵袋単位では禁則です。(特定記録と簡易書留は近年無証になった
がこれは考えない。大郵袋に○有りと青印を押す)
やはり量が少ない時は有証と無証の合納は当たり前だったのですね。 では質問です。
郵袋運送記の査数欄には有証・無証・小包とあったのですか?
小包を郵袋に納入するという事自体イマイチピンと来ないもので。
つまり書留小包は有証郵袋に査数されたのですか?
そして書留小包に普通小包を合納する事もあったのですか?
速達小包は○コという看板を使用したのですか?
その際は普通小包も合納したのですか?
私は並乙郵袋が小包納入用という事位しか知らないもので。
>>645
鉄道郵便車にあっては「郵袋運送記」が存在したかまでは便長クラスの仕事まで詳しく
踏み込んでいなかったので知り得ませんが、乗務終了時にすべての書類を便長がひとま
とめにして千枚通しで穴あけて紙ひも通して一件書類として提出するものの中にそのよ
うな一覧表があった記憶です。そこでは、郵袋数の受け払い一覧表みたいなものに通常、
小包に分けて各駅受け数、払い数が記載されていますが、有証、無証の受け、払いは乗
務員が開被、差し立てしたものの内数が( )書きもしくは別記載だったようです。
これを見ると、駅ごとの車内の郵袋の流れが一目瞭然でしたような。
小包もまた郵袋に入れるのが原則で、一部、郵袋に入らない大きさのもののみ、看板を
直接ブツに張り付けていましたがこぐ少数でした。
小包は2〜4個で郵袋がいっぱいになるので、書留小包だけが入った有証、書留とそう
でない小包が合納された有証のいずれもありましたが、読み上げ、管理には有証、無証
の区別はありませんで、通常と小包とに分けられ、結束方法はその両者で異なってきます。
車内扱いでもたまに書留小包が出ましたが、たいていは合納して小包有証の看板つけて
封かん具つけて降ろしていました。
速小はおたずねのとおり○コの印ついた看板です。普通小包との合納については、原則
しないこととなっていて、それぞれに差し立てしますが、ローカル小局では、錠郵袋に
なにもかも入れるので、その両者が合納されることはありました。
蛇足ながら、どうしてもある局宛で速小と普通小包を合納する際には通常郵袋差し立て
と報告し、看板は普通通常とするという規則が書かれていて、いちどだけ阪金下便で
福井あてに締めたことがありますが、普通通常、しかも無証というのは白看板に無証印
だけ、本来は定型は束(定型外合納可)を納めた郵袋なので、えらく角ばった普通通常
郵袋は異様に感じたものです。敦賀で交替した敦直乗務員が読み上げ点検するとき郵袋
の形状と看板の内容に「・・・(-"-;)?」となったことと思います。
>>646
なるほど、郵袋運送記は支店の帳場では監査簿
(出入集計表)とともに記録する重要なもの
ですので最高責任者が管理していたというのは納得です。
書コツはごく僅かですので有証無証に分けて記載しなか
ったのでしょうね。
なるほど!看板の赤丸印の表示というのはどうやら
「中身が…だけ」という意味があるようですね。
有証一条=何でもありだから振り分けろ=看板省略ですよね。
これはかつて支店の特殊室では速達書留通常と継越赤小郵袋を
合納する時に速達書留通常を白郵袋に詰めて封緘して
大郵袋ににこの看板をつけました。
速コツと普通のコツを合納するならば表示の法則からすると
○コはダメ(中身が速コツだけじゃないため)ですから
赤十字に一条というところでしょうか?
なんだか見づらそうですねw
そういえば護送便・締切便では差立局名の下に
オレンジ一条が表記されると上のレスにありますが
こういった変わった(今ではないであろう)表記
って他にどんなものがありましたか?
>>647 >>648
鉄郵を離れて以来、局の輸送作業に従事していないので現代との対比は語れませんが、
「有証一条、オレンジ一条」というのは当時はありません(少なくともS55年までは)
まず、書留小包が決して少数だったわけでなく、大阪小包から鉄郵に届く郵袋には封
かん付きはそれなりにありました。ただ、締切郵袋取扱い上では有証無証の区別は要
しないから書面にも書き分けしません。
唯一、乗務員開被郵袋から出てくる小包については書留は差し立て時に送達証を書き
ますし、送致証には締切欄の上に別わくで乗務員開被欄があって、ここに書き込む車内
差し立て郵袋に限っては有証、無証を書き分けました。
当時、鉄郵に準備されていた看板の印刷は次の種類がありました。
@通常有証(まっ白け)
A通常無証(@に無証印がある)
B通常速達有証(上に赤線2本)
C通常速達無証(Bに無証印がある)
D速達小包有証(○コ印あり)
E速達小包無証(Dに無証印がある)
F小包有証(赤十字)
G小包無証(Fに無証印がある)
H航空速達有証(青色)
I航空速達無証(Hに無証印がある)
自分は通常担務者で郵袋開閉、通常継越が専任でしたので乗務かばんにはこれら看板を
フルコースで準備し、乗務便の作業により数は違いますが最大200枚ほど携行しました。
また、受渡(小郵袋継越)、速達の各担務者もみずから必要な看板を準備、使用し、
通常有証、速達無証について数量が多い局宛ては通常担務を素通りして開被、差し立て
をしていました。 >>649
またまた驚きです。有証一条がなかったと言う事は
封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合の大郵袋
の看板の表示はどうなのでしょうか?
ちょっと前までは並赤に納入して有証一条としていました。
さらに言えば速達通常無証が入った白郵袋と定形や大型の把束
を並郵袋に合納する場合は無証一条とならなかったのでしょうか?
なるほど!継越は有証無証の区別をしないのですね。
一理あるとます。数が合えばいいのでしょうね。
200枚とは随分な量に感じますが忙しそうな雰囲気は
伝わってきます。
○番という表示はありましたか?昔使ったらしいですが。
ちなみに鉄郵では配達区分というのはなかったのですよね?
余談ですが先輩に聞いたらビジネス郵袋というのは
昭和末期に登場した大企業の社内便を肩代わりした
ビジネス郵便を輸送するものだったそうです。
結局バイク便等に押されて定着しなかったらしいです。
>>650
●封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合
つまり速達書留の白又は書留の赤合納ですね。これは通常有証郵袋ですので看板は
649でいう@です。書留小郵袋が1本でも入れば何を合納しようが基本的に@。
Bはめったにありませんでした。東門、阪青の本線クラスでは、小郵袋だけで30〜
50本出る局は@で締めて他のものは合納しません。(速達無証が少量の場合は合納
もあり)また、大阪中央、京都中央など他種別のブツを合納をしてはならない局も
ありました。
●速達通常無証が入った白郵袋
速達は白郵袋のきんちゃくの口を結んだだけのものは定型は束、定型外とも原則は
合納できます。書留郵袋や書留小包が入らなければ通常無証、つまりAを付けます。
明石、相生、尾道あたりですと、受け、渡しともに小郵袋のみ有証で、普通通常と
速達を合納して無証で、というパターンが多かったです。
また、Bですが、速達を白きんちゃくに入れずそのまま郵袋に納めたもので、それ
だけの数量がある局、必ず速達のみで締めなければならない大阪、京都、神戸中郵
宛てで用いていました。合納してよい局に合納するか、それぞれ別々に締めるかに
ついては車内のブツの数量を見て受渡、速達、通常の各担務者が相談して決めてい
ました。
●定型外の納入
当時は束することなく、1通ごとにバラで郵袋に納入されていました。
ただ大阪中央の府下・市内分配では足踏み式ビニールひもくくり機では束して郵袋に
納入していたらしく、投げ込み作業がしやすいようにしていると中郵の人から聞かさ
れたことがあります。
●番号印
配達区分は全くありませんが、大阪へ向かう上り便に航空結束があるので番号印を1
〜5くらい標記したゴム印を看板と共に携行していました。何番を押すかは手元の航
空結束表を参照しながら慎重に押していたのですが、阪青上一なんか結束先が多数あ
って、ブツの出ものを見ながら、看板の色、無証であるか、何番かなどを間違えなく
するのは煩雑で米原⇒京都は神経が参ったものです。ゴム印はほかにも、大型、空印
年賀(季節限定)があり、赤鉛筆や黒の魔法えんぴつなども駆使して多種多様の看板
を車内で作ったものです。 >>641
航空便で送る速達、は今は郵袋ではなくパレットにメールボックスを積んで、それをそのまま搭載するんじゃないのかな? >>651
なるほど。通常有証の看板であっても中には速達が
含まれている可能性があったのですね。
単なる無証であっても中に速が入っている…
これも今では考えられない事ですね。
逆に言うと一条がなかったのになぜ二条はあったのか
その辺が不思議に思えますね。
大局は種別によって処理する課が異なるから量が
少なくても細かくわけるんですよね。
その辺は今でも一緒で新東京・新大阪宛ては厳密です。
ところで○代(小郵袋代用)という看板はなかったのですか?
そういうゴム印は持ってましたか?
Bの通常速達有証の看板は大量の白郵袋のみを納入した
有証大郵袋に付ける看板ですね。
書留速達通常が大量にあって白郵袋に入りきらない時は
それだけを有証大郵袋に直納して○代の二条としました。
こういう取り扱いは当時はありましたか?
続きです。
大型薄物は十字把束せずに並乙に直納というわけですか。
これもまた意外です!大型区分棚を移動した時に出てきた
紙札には左上に赤い大型印が打ってありました。
それは確かにおっしゃる通り大阪府下の局差立でした。
あの番号印は航空番号のことだったのですね。
その印は押しませんが今でも番号は健在です。
どうやら鉄郵では小郵袋(並乙も?)に入るブツは
把束しなかったようですね。考えてみれば合理的ですね。
そういうバラで納入する事って今では
速達普通通常を白郵袋に納入する時だけですね。
書留は50通とかキリのいい数で紙紐で括って締めてます。
ところで空郵袋を送付する時は空印表示をする事は
分かるんですけどパレットに積んでの送付しかしたこと
がない私にはちょっとイメージが湧きません。
郵袋を裏返して10枚単位で小さく折りたたみ紙紐で括って
大郵袋に納入して○空表示の看板を付けたのでしょうか?
>>653
並赤とか一条というのを知らないものですが、当時は甲乙を問わず大郵袋に書留のブツを
直接入れることはなく、必ず赤白小郵袋で封緘してから入れるので○代とかいう小郵袋
代用という取扱いには接していません。
赤の二条線は看板の上のほうに水平に示されているんですが、これは結構昔からのようです。
看板棚に欠品が出たので倉庫に取りに行くと、古い段ボール箱に黄ばんだ昔の看板が数多く
ありまして、その中にも二条赤線の速達用がありました。事務の人に聞くと「それ使わんと
いて。大昔のやつやからこんど焼き捨てよか」と言ってました。いつごろのやつですかと聞
くと「さあ〜、郵便車が全部茶色のボロで姫路から蒸気で引っ張ってたころやな」という返事
でしたので、二条赤線はそれだけ長い歴史があったようです。(この人に言わせれば旧型客車
はボロなんでしょうか・・・orz)
Bの看板ですが、それ自体の出番はありませんで、有証郵袋の中身が白ばっかりということは
事実上ありません。書留小郵袋の中に速達が1通でもあれば白ですが、実際、1通もない赤も
たくさんあって、全体の中で白は3割程度です。結局、速達用はCばかりがよく売れまして、
つまりは速達担務の「バラ速締め」に大活躍です。なので棚からはCばかりが取られていくの
で品切れになりますから、売れ残ったBはどんどん無証のはんこを押されてBの代用に成り下
がるわけです。いわば何のために存在するのか気の毒な種別です。
次に郵袋のことですが、並乙というのは小郵袋とは役割が違い、あくまで大郵袋の一族でした。
なので、並甲を使うほど数量がない局、結束鉄道便あてに締め切るときに数量が少なければ使
いましたが、あまり多く入らないので、乗務にあたり渡される予備郵袋に並甲が50枚あると
しますと並乙は10枚程度です。入ってくるのはたいてい並甲なのでそれも使いますから、乙は
実に少数です。余るのでいつも予備返却に混ぜてました。
書留を小郵袋に入れるときはは束しないと申しましたが、速達を封緘なし、つまりきんちゃく
絞りで締める場合には、は束もあります。速達区分棚はオユ10など全室郵便車では狭口の定型
用と広口の定形外用がありまして、定型については区分後に10通程度があれば○速印のは束紙
(紙札)をつけては束します。それを白甲乙に納めて大郵袋に納めることはありました。
最後に空郵袋について。前述のように乗務員予備郵袋として乗務開始終了時に受け渡しします。
大阪では鉄郵が、敦賀では敦賀局が差し立てして積み込むのですが、○空の標記があります。
最も数が多く種類が多かった阪青上り一号便ですと、だいたいの記憶では
並甲60枚、並乙10枚、航空甲10枚、航空乙20枚
白甲30枚、白乙30枚、赤甲10枚、赤乙30枚
という感じでしたか。なお、各停の阪金上、阪潟上では錠甲1枚が入り、塩津の降ろしで使う
とまた錠が入ってくるので虎姫までは渡してはもらいのくり返しでした。なお、ひもで10枚ずつ
縛った記憶は薄いですが、小郵袋だけは別に縛っていました。
蛇足ながら、○空は乗務員予備のほか、郵袋が偏る局相互間の回送にも使われ、東門上護送便に
乗ると並甲を布ひもで20枚ずつくらいを十字に縛って「○空大阪小包」の看板付けたのが岡山から
大量に入る日があり「カスだい〜!」とか読み上げてました。空郵袋の通称が「カス」だった
もので。EF58のダイナミックな運転でよく揺れるオユ12の車内では上手な石垣積みで積み崩れを
防ぐ技術が必要でしたが、このカスがくせものでして、いわば固い枕のような形状で、これを石垣
に混ぜると他の郵袋の崩れを誘発するので苦心してました。角張った小包でしっかりした石垣を
構築してからその中の空洞にカスをぶち込んだものでした。
>>655
どうやら一条という扱いは後付けのようですね。
意外です。それに代用郵袋制度も歴史は新しいとは。
作業の合理化の一環なのかもしれませんね。
○代は県下の分配の時に多用しました。
ということは小郵袋不足時に代用として用いる
「白代」「赤代」も無かったという事でしょうか?
小郵袋票札にそういう表示をした事がちょっと前まで
ありました。余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。
もしかしたら元二乗さんの時代にはまだなかった扱いかもしれません。
並赤の代用なら赤、並の代用なら白、航空の代用なら青緑等…。
○入が多いシーズンは肝を潰しましたが;
大郵袋の中身が白郵袋だけいう事はなかったんですね。
興味深いです!Bは恐らく巨大静止局での引受に使った
のかもしれませんね。お話を聞く限りでは継越過程での
出番はなさそうです。
なるほど!速達通常無証の差しでは確かに昔は○速印を
押して把束してましたね。郵便予備室で発見しました!
概ね無証は把束して有証は把束せずに小郵袋を使ったのですね。
速達通常無証は非速達との混入を防ぐために白郵袋に基本的に入れて
量が多い時は速達だけで大郵袋直納にする。今は大郵袋がケースに変わり
ましたが基本的には同じと言えます。
では速達通常無証のみを納入したきんちゃくに小郵袋票札は付けましたか?
ちなみに我が支店では付けてません。
ところで予め錠郵袋の準備数がないのは何故ですか?意外です。
有証の小郵袋を納入するために必要だったのではないのですか?
並郵袋を封緘して使っていたのですか?錠郵袋というものは過去に一回しか
見た事がないくらい私にとっては謎な存在でして。
ただ、先輩には「鍵掛けるなよw」って言われました。
>>652
メールボックス…東京統括支社管内だとメールケースって言ってるけど
アレは共通の呼称じゃないのか。
今は航空地域宛の速通はメールケース納入でも〆てるけど
ウチの支店では普通にパレットケースでも差し立ててる。
また羽田で一旦区分にかけられる分(雑、とも言う)はパレットケース納入で差し立ててる。
手間がかかるんで、羽田は真っ先に「雑を先にくれ!」って言ってるけど
出さないと、結束便間に合わなかったじゃないか!って現場に直接電話がくる。
(一部東北・北海道方面の航空便には終便が早いとこもあるため)
あと、明けで雑のパレットだけで差し立てて、継ぎ越しのパレットケースだけのパレットが残ると、現場は大急ぎで
(#`Д)<臨時呼んで!臨時!
って業務企画に内線かけて臨時のトラック便を呼んでるな。
> 余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。
有証代用で赤リボンを結付てのは「取扱規定」にもある。
また、ビジネス郵便に使う場合もあって
これが「黄色」だったけど、後年この規定が「よくあさ」代用に代わった。
なお、平成元年頃の規定では、有証・速達・定型は同じ局宛のブツが3通以上ある場合
それで小郵袋または把束が作れることになっていた覚えがあるよ。 >>656
速達通常無証のきんちゃくには郵袋票札は不要でした。票札+封鉛は書留を納入したとき
だけです。
錠郵袋の準備数が少ないのは確かですね。有証差し立ても原則として並甲乙、航空甲乙を
使い、これに封かん具(赤リボンを郵袋ベルト金具に通してホックをはめるやつ)をつけ
ました。ですから封かん具も300本くらいカバンに入れてました。
錠郵袋は、使用できる受渡局が決まってまして、阪青ですと、近江八幡、彦根、長浜塩津
間くらいでしたか。また、数量が少なくて錠1枚に合納できる場合に使いまして、多いとき
には、別に並甲で渡してもいいわけです。上りの塩津で錠を渡すと書きましたが、塩津では
乗務員開被は錠で積んできて、その他締切が入ればそっちは並甲が何個かあります。それで
その錠を中之郷に渡すときに使うと入った錠をまた木ノ本に・・・のくり返しです。ちなみに
書留が1本もなくても、つまり無証でも錠はかけ、看板は省略しました。昼間の便ではだい
たい締切のお供もないので受渡員に「はい、いっちょう」と言って1個渡すと、受けも1個
だったりしました。
阪鶴(福知山線)の予備ですと、途中「篠山&丹南」「宮田&大山」「石生&沼貫&成松」
のように1駅で複数の局が受け渡しなんかするので錠の予備も多めに預かったと思われます。
また、錠郵袋の使用が皆無となる阪青下、阪青上一、上二、東門線各便では錠の予備はなか
ったと記憶しています。
乗務員はたいていズボンのベルトに鎖を下げていて、そこに錠郵袋の鍵、封かん具や封鉛を
切るナイフ、番号印がセットになって結着されていましたね。
>>658
なるほど。小郵袋の封緘には封鉛、大郵袋の封緘には
リボンを使ってホックをしたのですね。
なるほど!昔は送達証の有無に関わらず並郵袋は陸送に
使用し航空輸送には航空郵袋を使用するといった使い方
をしたのですね。納得です。OBの中には
「並赤でも並でもどっちでもいいんだよ!看板さえ正しければw」
と言っている人がいるのですが意味が分かりました。
無証でも錠を掛けるという点が面白いです。
錠郵袋は物数が少ない時の合納に使う事が多かった
みたいですね。
ちなみに看板省略の際は看板があるつもりで
「函南有証(無証)1」という風に授受したのでしょうか?
看板が無くても有証か無証は厳密に明記しましたか?
封鉛を切るナイフって〒マークのある赤い折りたたみ
ナイフですよね?看板を作るガラガラと一緒に今でも
あります。
続きです。
還付は専用の棚で区分したりしたのですか?
あるいは混合でよかったのですか?
余談ですが特割は扱い便ではなく締切便に積み込んだ
可能性が浮上しました!
関東では南部小包、近畿では大阪小包で集中処理して
たっぽいです。関東は今では新越谷ですが。 >>659 >>660
航空郵袋ですが、輸送行程で航空に積む区間がある場合は用いました。ちょっと意外ですが
その目的以外に使ったレアなケースも。郵袋がどこかに偏るという話ほしましたが、東門下
り方向の扱便では、大阪から航空郵袋が多く入ります。東京方面から飛んできた「阪糸岡山
県」「同広島県」という開被が特に多く、開けたあとの航空郵袋を全部予備返しとして糸崎
で渡します。一方、岡山、倉敷、福山、広島を締めるのには並甲が大量に要りますが大阪で
もらった並甲予備、開けた並甲を合わせても作業していると不足する予感がしてくるのです。
特に、岡山、広島両県へのバラ速が多いのが困難に拍車をかけるので、現場判断で、車内締
めする岡山、倉敷へのバラ速締めに航空甲を転用しました。まず、速達区分棚だけでは場所
が足りないのでどうするかというと、普通通常の投げ込みが一段落したら郵袋掛け9わくか
らいったん普通通常の並甲を全部外し、補助区分棚(底ぬけホッパー)も空にして郵袋に入れ、
全部を小締切室に押しやり、掛けに航空甲6枚、並甲3枚を掛け、航空には岡山、倉敷の速達
看板を3枚ずつはめ、並にも福山、広島、結束便などの看板もかけて、全部を速達処理に転用
した上で速達担務は主に定型速達を処理し通常、締切の各担務が総がかりで定型外バラ速の山を
台にぶちまけて投げ込みます。岡山、倉敷なんかすぐに袋がいっぱいになるので航空甲で締めて
いくわけです。これについては沿線局と協議が整っていたみたいで、この処理が常態化していま
した。もっとも、並甲が足りそうなときはしておらず、非常手段ということです。
錠郵袋ですが、看板省略というのは、乗務員〜沿線局の受渡しが1個で収まる場合、当該駅には
1局しか受け渡ししない、局は積み込み搬送が1列車だけである、看板がなくても局が乗務員から
受け取ったこと、またはその逆であることが明白である、という条件が整えば看板がなくても混乱
しないので省略したものと考えています。1駅で2局以上が受け渡しに来る場合、1駅1局でも、
局から1度の運び出しで、たまたま駅にほぼ同時に来る上下両方の便があるなどのケースでは扱って
いて「この郵袋どこに渡すんだっけ?」では困るのでそういう場合は看板を付けたはずです。
ナイフですがおっしゃるとおり〒マークがあって刃物がサバイバルナイフのように出し入れできる
タイプのものでした。看板作るガラガラというのはローラー回転式の印刷機のことですか?
意外と小型で、手提げ金庫みたいな機械で中に瓦せんべいみたいなはんこをはめこんでスイッチを
入れるとセットした看板に一枚ずつ印字します。事務の人がデスクでいろいろ作っていましたが、
大阪中郵宛て無証など使用頻度が高いものは看板棚に品切れがよく出るので、ゴム印で補ったり、
車内で手書きもしました。
還付って、つまり書留の宛先不明のことですか?車内ではめったに出ませんが、書留担務でしたら
それなりの処理方法に従っていたことと思います。
参考まで特割郵袋には遭遇していませんが、締切便の一般的ルールとして有証は積んではいけない
、扱いか護送に積むべしと規則に明記されていました。(無人だからでしょうか)
但し、一部区間が締切となる扱い、護送は例外だったはずです。 >>661
なるほど。極端に特定のブツが多い時は臨機応変に
例外的な処理をしたのですね。職人技です。
それにしても統括支店勤務の私は速達がずばぬけて多い
という状況には未だ遭遇した事はありませんが
多い時は神経を使いますよね。
ところで補助区分棚というのが静止局にはないので
分かりませんが普段はどうやって動作させどのように
使用したのでしょうか?
なるほど。中身と受け渡し便が確実に明白な場合は
省略できたのですね。今のJPSよりも合理的です。
その郵便カッターは特割や把束テープの開束にも
大活躍したそうです。
続きです。
はい。ローラー回転式の票札作成機です。
活字を交換する際手がよく汚れました(笑)
実は何故か「青森鉄郵」だけまだ残っています!
コレクターがいるのでしょうかね(笑)
小型普通通常の還付の事です。
還付は一般より送達優先順位が低いため
専用の棚で分けてから○還の青印を打ってPケースに
詰めているんですがそのように鉄郵でも還付は
一般と分けて後回しにするような取り扱いはありましたか?
有証の無監視はセキュリティ上問題がありますからね。
今でも特殊室外で特定記録を区分する時は防犯カメラが
ない場合を除き無人になる事は禁止されています。
年賀って区分しました?
それとも差立局はある程度溜めて締め切りを送って来たから
車内での扱いはなかったのでしょうか?
>>657
亀レスになりました;
ううん。リボンによる代用郵袋制度ややこしいから
止めて欲しいです。
翌朝バッグや同郵袋が無い小さな支店が
並赤に黄色リボンで「『翌朝』○代」と付けてきた時は
見逃しそうになってヒヤヒヤしてますorz
3通以上で小郵袋や把束が作れる時代もあったのですね。
ちょっと把束はブツが傷んで作れなそうですが。
今では小型普通通常は単位数量は10通、大型は20通、
速達と書留は5通ですよね。
トイレットペーパーの芯で無理やり把束しましょうか?(爆)
地域間便が多い統括支店ではそうしているらしいです。
>>662 >>663
補助区分棚というのは、全室郵便車にある設備なんですが、郵袋掛けを設置する側の
壁面にへばりついている金属製のボックスです。オユ10、11では3区画、スユ16では
4区画ありました。郵袋掛けは2列又は3列の設定で6〜12わく掛けられますが、実
際の作業では不足するので、開袋台の隣には束区分棚があり、それと補助区分棚とで
まかなっていました。つまりは、上が開いた金属わくにブツを放り込み、郵袋に納め
るときは、下についているふたに郵袋を掛け、レバーを引くと底板が抜けてブツが郵
袋に落下するのです。別名ホッパーとも呼びました。郵袋掛けの上の空間を有効に使
おうと設計されたものです。最終締めのころになるとこれの操作でバタン、バタンと
いう大きな音が車内に響きました。
看板作成機は現在も変わりないようですね。この活字ですが、神戸の瓦せんべいという
よりは、京都の八つ橋(生でない硬いほう)に似ています。出し入れするつまみがついて
いますが、手が汚れやすかったのと、交換中に不用意にスイッチを入れてつまみに手を
切られたというケガがありまして、あまり触りたくなかったものです。
小型普通通常の還付ですが、車内でめったに出ないながら、区分していて出会ったことは
あります。特に別扱いではなく、その他のブツと合わせ区分しました。むしろ、見落とし
て元の宛先に逆送りしないかと気を遣いました。
年賀ですが、差年末の引受開始時はおおまかに2けた区分してましたので、締切もあれば
開被もありましたが、ゴムバンドでは束されていて、これをばらさず、2けた指定区分局
に送付しました。正月が明けると、普通の2種はがきと同じ扱いになるので、府県雑区分、
2次県内区分、大阪市区分でもバラで登場しますので、しばらくは区分棚が真っ赤になって
いたような。これと荒巻鮭速小郵袋からしみ出る塩っ辛いにおいが風物詩でしたね。 >>665
なるほど郵袋掛け上部の空間を有効活用するための
工夫なのですね。把束や大型の厚物を投げるのに
都合がよさそうです。
そういやオユ10やクモユニ143形には特殊区分棚という
のがありますがこれは何を区分するのに使ったのですか?
書留のバラの区分ですか?
あと小包区分棚というのは実際に私は見た事ないです。
郵便車の写真を見る限りでは積み方にコツがありそうですね。
確かにあのつまみって危険そうですね。
原始的な機械ですから交換中も動いちゃうんですね。
還付が少なかったのとは意外です。
年末は細かくて把束区分であり、年始の一般信との
混合時からバラの区分が始まったのですね。
普通の葉書の束は紙紐で十字にくくりますが年賀葉書
の束は太い輪ゴムで把束するだけなんですよね。
種別に関わらず2.3.4とか5.6.7といった1ケタ集合区分
って鉄郵でもあったのですか?
>>666
どの郵便車でも特殊区分棚と通常小口区分棚とがあります。前者は広口のもので、後者は
狭口、つまり定型普通通常に使用します。さて、特殊区分単でオユ10など全室車の場合は
押印台の隣から順に小郵袋区分棚(広口)、速達区分棚(定型狭口)、同(定形外広口)
の順に並んでいました。なお、書留バラの処理は阪青線で行う場合、特殊区分棚のどこか
を割り当ててする場合と、上り便なんか余裕がなければ、反対側の通常小口棚で二次区分
が終わって余った区分口を使ってしていたはずです。
小包区分棚は網を張ったハンモックみたいなやつですね。収まりきれない場合はまとまっ
た局をさっさと締めて数を減らしてましたっけ。
葉書の束は今は紙紐で十字にくくるんですか。当時は封書、葉書とも定型は水平に2回
回して独特の方法では束をし、十字にはしてません。あのは束、10秒とたたずに蝶結び
するんですが、先に静止局で修行していたので車内で苦労せずに済みました。
なお、1桁集合区分はしたことなく、府県雑でも最低2桁区分でした。
>>667
特殊区分棚は書留専用というわけではなかったのですね。
大型普通通常の棚物は把束区分棚で区分したのですか?
それとも郵便車内には小型普通通常の区分棚の下段に口の大きい
区分口があるのでそれを使ったのですか?
厚物は郵袋掛けで投げ区分ですよね?
大局には扇形区分棚があって箱型の厚物はそれで区分してます。
あの網棚は見た感じすぐに一杯になっちゃいますよね。
まとまった(年賀でない)葉書は手区分では紙紐、区分機では把束機を
使っていずれも十字把束です。ちなみに棚物定型外もOBの人は十字把束しますね。
封書だけとか葉書と封書が混合している場合は普通に水平にかます結びをします。
年賀葉書は紙紐の節約の観点からゴムバンドなのでしょうね。
うちの支店では手区分は必ず把束糸を使うようにしています。
というのも把束機では結束時間間際では行列が出来てしまって効率が悪いので
各自が棚の前で縛ってます。それに把束機は一日一回は必ずトラブルを起こします;
どうやら1桁集合区分は静止局がブツが少ない時にやるものっぽいですね。
運行についてですが分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか?
今のトラック便みたいに一旦全て統括支店に送付するのでなく
途中にある局あてのブツがあった場合はその途中の駅で締めて出したんですよね?
逆に分配局から遠ざかる場合は車内投函されたブツの中には方向が逆で
扱いに困るケースもあったのでしょうね。
「○○局は締めたからこの区分口はもっと先の区間の○○局の区分口にしよう」
というように静止局と異なり一駅ごとに区分口を変更していたのでしょうか?
大都市近郊のように鉄郵受渡局が全くない区間が長く続く場合は護送便・締切便だけ
だったのでしょうか?
>>668
ご質問に順にお答えします。
●定形外の区分
普通定形外は形状にかかわらず、郵袋掛けに投げ込むか把束区分棚に入れます。
通常小口区分棚の最下段に広口の区画がありますが、あれは定形外のためでなく、
例えば、全国府県雑区分の設定の際に隣で二次区分すべきブツを広い区画として
入れやすくし、隣の二次区分担当は区分担務が府県雑をこすっている最中でも
抜き取りしやすいので、そういう使い方をしていました。また、広い区画を左右
に分けて2区画分の役目をさせる場合もありますが、双方のブツが混じらないよう
注意が必要でした。これも局、路線、担務者個人により扱いが異なりました。
●分配局区分
「分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか」の意味がわかり
にくいのですが、車内で扱うブツは極力列車の特性を生かして2桁区分を避けていた
というところです。全国の主要局からは小包、速小、大型は2桁区分による分配局宛の
締切が多数車内にありましたが、車内で出たものは、3桁5桁区分で細かく降ろしてい
きます。大阪から阪青下便方面の速小で例示しますと
・大阪中央差し立て
おおざっぱには
91⇒敦賀分 92⇒金沢鉄 93⇒富山南 94⇒直江津分 95⇒新潟 ・・・
という2桁ごとの分配局宛てに締め切られ、阪青下に搭載されても各分配局に
寄り道してから再度鉄道、自動車等で送達されます。
・阪青下車内
敦賀、福井落ちはそのまま差し立てるほか、
92、93、94⇒敦直乗務員 95、99、01⇒直酒乗務員 03⇒酒青乗務員
として締め切られて引き継ぎされますので、各乗務員は当該停車駅に基づき
結束表で定められた差し立てをしますから、分配局への寄り道は少なくなり
ます。定形外、小包でも車内で出ると同様に送達されていました。
蛇足ながら、大阪中央局でそういう差し立てなので昼間に差し出した北陸
向け速小が分配局宛て送達されるのに、そのころ姫路や明石に差し出した速小は
大阪、京都よりも数が少ない分、その方面をまとめて「阪敦(あるいは敦直、
直酒、酒青、青函)乗務員」といった看板で差し立てをされ、東門上一に乗ると
大阪駅の結束で阪青下に乗り、車内で開けられて停車駅ごとに早く届けられる
というのも事実でした。
●車内投函の扱い
郵便車からポストがなくなったのはだいぶ昔のことで、以前説明した車内消印
したブツ、つまり駐在員、受渡員から渡された駅ポスト引受け分について説明
しますと、あらかじめ送達方向が逆にならないように選別されて渡されてます
から区分口を変更などの支障はありませんでした。もっとも、誤送、誤区分に
起因する逆送が生じた場合は、とてつもなくややこしい方法ですったもんだした
ことがあります。
●都市近郊の受け渡し
確かに大阪周辺では、神戸、京都、三田、王寺までは受け渡しがなく、沿線に
集配局直近の駅があっても自動車便で中央局経由でした。でも、その間が護送、
締切というわけでなく、扱い便は作業してました。
ただ、乗務員担当区間にそぐわない京岡上下便の京都大阪間が締切扱いだったり
急行だいせんだった阪福下二⇒福下下便が大阪福知山間だけ扱いで、受渡員が
停車駅ごとに来ない深夜の福知山鳥取間では護送とし、福知山で一部乗員が下車
していました。 >>669
なるほど。しかし小型普通通常の棚と違って
把束区分棚って区分口が8つしかないので
大型の区分が難しそうですね。
合理的な使い方ですね!狭いスペースの車内で
限られた時間に区分するには二次区分の抜き取りをし易い
ようにしているんですね。静止局では区分担務の背後に
銀台車に載せたファイバーがいくつも置いてあってそこに
ぶちこんで二次区分の人はそこから塵取りみたいな入れ物
ですくい取って棚の前に持って行きます。
よく考えてみれば全国差立等という静止局みたいな
区分はありえないですね。駅設置のポストは駅駐在や分局員が
予め区分して列車の方向と車中区分に適した宛て先のブツ
だけを渡したのですから雑(10〜09)という事は無かったのですね。
二桁区分は遠い地域の静止局が差したててくる
場合に多かったみたいですね。現走行地域は細かく区分し、
受渡沿線局宛てはどんなに量が少なくても5桁区分だったのでしょうね。
区分口の変更はあまりなかったようですね。
差出口はオユ10はなかったのですか?
開袋台の上にありそうな気がしますが。
扱い便になるかならないかは大変面白いです。
例えば「70 岡山中央局」とある郵袋が大阪駅で
沢山積まれたとしてもその分配は岡山中央局でやるわけで
岡山分局、ましてや車内での区分はしなかったのですよね?
多過ぎて出来ないですよね?
続きです。
詳しく説明すると大郵袋で締めてある「70 岡山中央局」は
締切室へ直行して関与せず乗務員開被大郵袋で中身が
「70 岡山中央局」の把束や小郵袋は把束区分・小郵袋区分、
さらに想像ですが「70〜75 乗務員宛て」等の
雑は開束・開披して区分するといったスタンスだったのでしょうか?
あるいは量が極端に多くて車内で区分出来なければ静止局に任せ
車内で十分対応出来る時は車内で区分したのでしょうか?
>>670 >>671
●は束区分棚
だいたいの車両は8区画くらいで、1/2車でもあります。正確には、郵袋掛けをカバーする
ためのもので郵袋掛けよりも入る両が少ないので、多めのブツがでる宛先局を郵袋掛けで、
それよりも少なめのところは補助区分棚、は束区分棚で補うということですか。なので、
すべてに大型、は束を問わず投入しました。
●差出口
オユ10にはなく、埋めた痕跡も見あたりません。旧型オユには差入口がある車両の写真が散見
されますが、以前に廃止されました。当時のベテランの方に聞くと、ブツは押印台の前に入った
みたいですが、郵便車の進行方向を表向きに表示していないので、送達方向を意識して入れる人
と、そうでない人がいるので、後者だと、それこそ逆送、あるいは最終地引渡しとかしたそうで。
発車し始めてから追いかけて入れる人もいたそうで危険ですし、廃止は妥当でしょうね。なお、
回送中、締切中などは入れられないよう、蓋を固定できたそうです。
そうそう、敦賀で乗ろうとしたら、スーツ着た人が20通ほどの封書を手渡し「これ送って下さい」
と頼んできました。一部速達もあって、ごていねいに「は束」もしており「方向は?大阪行きです
けど」と言うと「すべて米原以遠です」との返事(笑)。受取ってカツ押すと確かにそのとおりで
した。こういう人ばかりですと、差出口が最後まであってもよかった気がします。
昔、大都市のある企業では、ブツ持って駅に駆けつけ郵便車に直接渡しする任務の社員がいたとか。
●宛先と処理
岡山の標記がある締切郵袋は、岡山分局も乗務員も開被処理することはありません。
また、は束が「70岡山県」とかいうのが車内で出ても、速達は開束区分しますが、普通定型
は束は岡山宛て送付です。当時すでに「東門、門鹿西特例区分」と言いまして、両線は受渡
局が大幅に整理され、阪糸間ですと、2桁区分拠点局のほか、明石、相生等一部の3桁局しか
停車、受渡しがありません。車内作業も普通通常小口区分、小包類処理、小郵袋開被区分は
廃止されていたので、5名乗務が基本でした。
また、車内作業に課せられた処理は駅到着に遅れないよう必死でやりましたが処理しきれない
ブツを静止局に送ることは事故、災害等を除き許されなかったので、車内作業の負担は多すぎず
少な過ぎずとなるよう、搭載数量、開被郵袋の比率があらかじめ、鉄郵駐在、静止局と協議され
ていたようです。 >>672
とても興味深く勉強になってます。大抵の疑問は解けました。
言い忘れていましたが昔は赤一条という概念が無かった
ようですがそうなると649のAのようなただの無証の看板
でも中に速達が入っているかもしれないから到着したら
すぐに開けて見なくちゃいけないから大変そうですね。
安心して後回しに出来るのは赤十字と大型印が押してある
看板ってことですかね?
なるほど!把束区分棚、補助区分棚、郵袋掛けの使い方
が大体分かりました。主に大型普通通常や定型の把束に
使用したのですね。想像ですが書留小郵袋区分が終わった後に
郵袋掛けが空いている場合には当然そこに有証大郵袋
をひっ掛けて小郵袋を投げ区分したりもしたのでしょうね。
すみません、そうなると特殊区分棚というのがイマイチピンと
来ないのですがこれは普段は大型速達通常や書留
(形状問わず)に使用したのでしょうか?
時と場合によっては小型書留通常は小型普通通常の
小口の棚で分けることもある点は以前の話で分かりました。
郵便車に投函したというのは相当昔の話だったのですか。
つまり郵便車の引受は駅のポストオンリーだったのですね。
確かに追いかける人とか絶対いそうで危ないですね(笑)
総務の文書担当が大抵手紙を駅に持ち込んだのでしょうね。
特例区分とはブツが非常に多い幹線であったようですね。
容積が大きくて嵩張るコツや量が極めて多い小型の区分を
しなかったこと等を考察すると車内作業の負担が過重に
ならないようによく協議されていた事が伺えます。
恒常的な不結束で連日監察呼び出しではたまったもん
じゃないですから当然ですよね。(巨大静止局では実際にある)
>>673
●無証の取扱い
普通通常無証の開被郵袋に速達が合納されているかどうかは、差立局と便ごとの取扱量で
おおよその判断はつきます。東門あたりは大阪、神戸、姫路、岡山・・・とどこでも速達無証
を別に締めて積んでくる局が多かったので普通通常無証には入りませんが、相生、三原など
便により数量が少なければ合納していました。とにかく、開被する際には、入っているかも
しれないという先入観で見てますから、白郵袋が出れば、真っ先に速達担務に手渡したと
いうことです。
●開被の優先度
大阪など開被を多く引き渡す局では、開被だけをとっても納入方法を仕分けして乗務員が
多くの開被に優先順位をつけられるようにしていました。例えば東門下便を例にあげ中郵
第二普通課から鉄郵経由で渡される郵袋に限って示しますと
「東門下○」「阪糸乗務員兵庫県」「阪糸乗務員岡山県」「阪糸乗務員広島県」
といった看板で入ってきます。取り決めで神戸のブツは入っていないのですが、明石以西
は入ってきますので、下○、兵庫県を先に開き、処理が進むに従って岡山県、広島県の順に
開けば、処理遅れなどはなくなるということです。これは、速達、有証でも同様なので
各担務が作業数量を勘案しながら順序を決めて開被処理していました。
なお、東門下五は姫路で姫広下二に結束するので岡山県のブツは姫路までに仕分けて姫広に
「土居野馳間」を結束させなければならず、岡山県も兵庫県と同時くらいに開いていた上、
明石を通過する足が速い便だったので、てんてこまいでした。郵袋掛けをバラ速に転用し、
航空郵袋で岡山締めなどしたのもこの下五でやっていたことでした。
他の線区で出る開被小包も後回しにできるわけでなく、乗ると早速開いていましたし、
大型印の乗務員開被は皆無で、無証を開くと大型も混じっていたということで。
逆に車内では大阪、晴海の大型は差し立てました。
●郵袋掛けの用途
郵袋掛けはほとんど、普通通常のみで使いましたから、以前述べましたバラ速使用も例外
でした。小郵袋に使うことはなく、あちらは小郵袋区分棚の前で記録が済むと10本1は束
にして、押印台の前の床に置かれますので、私ら通常担務が数を数えて送達証と一致する
ことを確認して送達証に自分の番号印を押して締めました。このとき、降ろす局名やブツ
量を判断して、無証との合納をするかどうかも判断します。なので、締める前の小郵袋は
床に並べられていたということで、もたもたしていると歩く場所がなくなりました。
●特殊区分棚
先に述べたとおり、小郵袋区分棚、速達区分棚(定型、定形外)の総称が特殊区分棚と
いうことです。なお、特例区分に適合した車両も現れ、オユ14やスユ16の一部はこれの
専用に作られ、定型小口用、小包ハンモックをなくして特殊用を増やし、中央部に郵袋
掛けと補助区分棚を増設していたので、そちらはバラ速専用に使用できました。 >>674
なぜ白郵袋に速達を納入するのか意味が分かりました。
速達を目立たせるためなのですね。
そんな事しごく当たり前で恐縮ですが。
速達無証が一緒に上がってこなかった場合は
入っているものとみて必ず開被してチェックしたのですね。
速達小包じゃなくても速やかに開被したのですね。
大型の取り扱い、とても面白いです。
小郵袋は10本1把束で床に置いて査数したんですね。
特殊区分棚というのは総称だったのですね。
どうやら線区によって地方によって郵便車のレイアウトは
異なる場合もあるようですね。
看板の差立番号って記載しましたか?
現在の看板には何故かありません。 今、そこの空欄は自分のナンバリングやガチャ判(回転印)を押してるな。
90.08.06以降の入局者でスマソ >>676
乗務員は差立番号欄に便名のゴム印を押しました。
乗務前にある程度あてずっぽの枚数を押しておいて足らなかったら車内で押した記憶が。
>>678
なるほど。確かにうちの支店でも特割が大量に到着した日や
物調の時には便名を手書きで書いている事があります。 >>677
自分のナンバリングといえば自分の印鑑を
票札に押してくる統括支店と押してこない統括支店が
ありますが本来は押さなきゃいけないのでしょうかね?
因みにうちの統括支店はゆうパック関係の課は押しませんが
郵便関係の課は押印することになっています。
>>680
本来はどっちでもいい代物。
押してる支店は、差し立てパレットが誤結付なくラインにちゃんと並べてあるか
それを確認した、という意味で押してるんだが
今は押したら押したで、やらかした担当者ホイホイになってるからな…
(誤送されてきたパレットのメンコの写しが到着支店からファックスで送られてきて、『誰だ、こりは?』って事に)
ウチでは支店で作った用紙に押印して、それをボックスに入れて、更に透明のデスクマットみたいなのを入れてるよ。 >>592
そういやユニット窓はガタがきたり隙間風が生じる場合は交換できるんじゃないの?
今まで交換したという話は聞いたことがないが 新潟上野間で、笹団子の速達小包区分した方いませぬか。 >>684 昭和50年代の例規に、「笹団子を内容とする速達小包の取扱いについて」として、
区分方法がちゃんと載っていました。
9月25日にオユ10公開です。当日は穴水駅でのと鉄フェスティバルもあります。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/110925p/110925p.htm 小ネタを1つ
現在発売中のビックコミックオリジナルに、ストーリーに鉄郵が絡んだ作品が掲載。
20日になると次号が発売されてしまうのでお早めに。 >>689
あれは大した事ないよ。
それより、郵政職員が国労組合員(国鉄職員)と乱闘って、まずくね?
国労は今でもあるんだし。 >>690
国労と旧全逓はむしろ立場が近そうだが‥
もっともこれが共産系の派閥になると分からんが
ちなみに昔全逓の協賛バザーで「こくろうキャラメル」を買った事があるw スレチだが
>>691
マル生スト後の昭和54年の4.28の大処分で、多数の若手幹部が懲戒処分、解雇食らってから
全逓は闘争方針を当局との対話による労使協調路線へと、しょっぱい方向にシフトしたんだよ。
もちろん4.28処分者に対する支援、国労との協調姿勢ってのもしばらく見せてたけど
連合発足以降、総本部は国労支援そっちのけで対抗組合の全郵政との歩み寄りを模索し始めた。
(尤も、やってることが一緒だから仲良くしようや、ってのもあったけど)
そうした方が組合員のためになるって判断したからだね。
それで、民営化後になって全逓と全郵政はアレ、国労?知らん、と。
日本郵政グループの労組は、民営化後も複数あるじゃん。
共産党系の組合、何て言ったかな? >>692
その全逓から分裂して、最後まで国労闘争支援と4.28の支援をしたのが郵政ユニオン。
大体今はJP労組(旧全逓+全郵政)で)90%。その他少数組合が10%(以上は本務者=正社員、非正規を入れると一番パイパン(未加入)が多い)
関係ないけど、昨日の反原発集会、JRは国労や東労組、JR貨物労組や動労千葉の旗やのぼりはみたけど、JP労組は見なかった。
郵産労・郵政ユニオンはいたようだ。 参加できる訳ないじゃん。>JP労
ご存じのようにミンスのお得意様っつか、大支持労組だし。
話の腰がまた折れるけど、俺がいる支店(局)の鉄郵出身者はゴルフ大好きな人が多くて
安い月給で働いてる筈の人間が、何でそんなブルジョワな趣味持ってんだとしばらく幻滅したことがある。
ロッカーには要らないアイアン捨ててあるし、仕事で使う手鉤がアイアンのシャフトの再利用だったりw そんな議論よりオユ10みにいってやれよ
昨日後悔してたろ 客車急行列車や長距離鈍行に連結されていてこそのオユ10だったしなぁ。
青い車体に表示された赤い「〒」マークが美しかったほどだった。
曇りガラスの〒マークもかっこよかったな。
上野駅ホームの台車上の郵袋についた赤十文字マーク札をみて、日赤が郵便を使って
物資を運んでいるのかと思った。
古い「日赤看護婦」記念切手の深緑基調と腕章の赤十字との色合いが、郵袋と結付された赤の十文字札との色合いとが
実によく似ていたこともあったから。 切手は正しくは、日本赤十字社創立75年 です(昭和27年発行) >>697
穴水の鉄道フェスティバルと湯乃鷺駅と「花咲くいろは」の車内放送と一緒にまとめて見て来ましたが何か
だいぶ外板がくたびれてきているのが辛いところだな
穴水のNT800みたいに綺麗にしてあげたいんだろうけど厳しいなあ 上野駅発着の鉄道郵便が消えたのは昭和57年11月。
それから間もなくのこと、
北陸方面行寝台特急列車の最後部の荷物車両をホームから覗いてみると、郵袋が。
よく見ると「ビジネス」などという票札がついていました。
>>651
お久しぶりです。
定型外の納入についてですが現在でも新大阪支店継越の
大型は十字把束となっています。
先日大阪市・大阪府内各局宛ての大型薄物が多かったので
十字把束するようにと課代から指示がありました。
そして普段新大阪からくる切手証紙貼付の大型も2桁区分の
十字把束でケースに納入されて到着しています。
どうやら大阪は特殊な地域のようです。
前置きが長くなりましたが鉄郵では定形外はバラで
郵袋に納入すると書いて下さいましたが
その際は並乙に納入したのですか?それとも量が多ければ
並甲にも納入したのですか?並甲だと到着局での取揃えが
大変じゃないかなと思いましたもので。
>>702
当時は鉄郵に限らず、定形外の郵袋納入に把束という概念がありませんでした。
使用郵袋は中身もそこそこ入りますので、大半が並甲でした。到着局の作業を見聞き
した限りでは、台の上で取りそろえるという感じではなく、プラかごにぶちまけて
郵袋掛けに投入、あるいは定形外専用の区分棚で処理していたようです。 >>703
なるほど。薄物は小型と違って並甲で到着しても
取り揃えずにそのまま棚で区分したのですね。
小型と違って取り揃えなくても速やかにと区分出来る
レベルだったのでしょうね。
一旦ファイバーに移してから投げ区分というのは今でも
うちの支店は速達の厚物やレターパック等の継越区分でやっています。
>>702
十時把束は基本パレットバラ積みのはず。
(十時把束のみで)バラ積みする数量が無い場合、十時把束をケース納入しているのかと。
今でも、水路便で送る定形外はバラで並甲に納入してますよ。
定型と速達通常と合納で。
赤線一条引っ張ってこないけど<某77支店
>>703
水路便では今でもよく見かける光景ですw
>>705
なるほど、パレット直積みってバルクだけじゃなくて
切手貼りでもありましたっけ?
あと横神継越の大型薄物も十字把束のケース納入ですよね。
そうなんですか?
水路便ってPケース使わないんですね。
赤線一条引っ張らないとは古風ですね。
古風でいいですなぁ
茶色くなった省監修の「必携」そのものです。 >>706
アレはね…
Pケース使うとガサバってしまって
結束した分のゆうパックが全部積めなくなるんで使わないんだ。
でも島しょの差し立てやると、数って大事だなって解るんでいい仕事だな…って思うよ。 >>708
確かにPケースは場合によっては嵩張って
邪魔になりますよね。空ケースをパレに積んでも
いつでもに新東京に送れる訳でもないし。
小生の支店は夕方の特集で普通通常が多い時は
並郵袋に納入してくるように協定で決まっています。
>>709
後半ですが
「特集が多い時間帯は折ケースも邪魔になるので
並郵袋に納入するように特定局との間の協定で
決まっているようです。」の間違いでした;
>>393
晴海は大型専門の差立集中局だったようですが
東京中央でも大型の差立はやってたのですね。
部署までは分かりませんが神田・京橋・渋谷以外の
東京都区内各局引受の大型普通通常の都外差立と
神田・京橋・渋谷引受の近県差立を担っていたようです。
想像ですが小規模局からの雑の郵袋は開被して棚でバラを区分、
大規模局からの郵袋は2桁締切になっていて郵袋を区分して
コンテナに積載したのでしょうね。
意外でした。
東京中央はなんでもやる本当に大きな局だったのですね。
新東京は東京中央と東京輸送(含む東陽C)と晴海の寄せ集めだったから、
できた当初はいろいろと大変だったらしい 東京中央にできないものはコンピュータ郵便の引受ぐらいだったと思う。
一円未満の切手の交換って銀座支店に引き継がれたんだっけ?スレ違いスマソ 国際電電の丸の内分室などというものも入っていたし。
内国電報は扱っていないが、国際電報は「中央郵便局へ行けば」って感じ。 少し前に特割の話が出ていたので挙げときます。
特割は300km以上の長距離輸送の場合は
時代に関わらずコンテナ輸送が原則だったようです。
それ以下は自動車便輸送。
従って鉄道郵便車に積載されることはなかったようです。 新越谷って何だとOBに聞かれて、
ホッコツの復活だと言ったら妙に合点された。 >>715
新越谷ってJPSの実験台にされた所じゃなかった? >>717
あれは新越谷じゃなくって越谷じゃなかったけ?
今新越谷ってコツやってるの?埼玉ターミナルに移管した? >>717
それはただの越谷ですね。
>>718
浦安と新越谷は今はコツやってません。
>>715
バルク(特割)の区分は北部小包でもやっていたのですか?
銀座以前は南部小包だと聞きましたが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています