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鉄道郵便を語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/04(木) 17:49:44ID:MiZNX4rv
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。

 郵便車 - Wikipedia
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
 移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
  ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
0569>>500
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2011/03/29(火) 22:19:34.26ID:pHWoxJe/
>>568 元二乗さま
余談ですが、自分も関西におりましたので「お前のカバンにも入れてくれや」の言い回し
懐かしくなります。
オユ10車内で鉛玉通し体験いいですね、マニアックで自分は好きです!
我が家にも未セットパーツがどこかにあるような。
一分間に何本出来るか競ったら面白そう。
オユ10公開、いつもスケジュールを見ながら指をくわえる状況になっておりました。
何度かある中の一回にでも参加できたらなあと考えております。
熊本鉄郵分局同窓会、泊り込みで盛況だったようです。
ビデオでとりたいくらいですが、ついていってインタビューとかしようかな・・・
だんだん集まる人も少なくなり何かしたい気持ちになってきています。
全国のOBが集まって鉄郵談義なぞできたらさぞ豪勢でしょう。

便長は寝床でプリントアウトを読んでいます。錠前や借り上げの郵便車の話も
まとまり次第書かせていただけたら幸いです。

0570元二乗
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2011/03/30(水) 20:20:04.03ID:dNiwnLOG
>>519 >>520 >>569

500さま

乗務行路や寝室のお話がありましたので私からも。昭和50年代の話です。
大阪鉄郵ではどの路線にも乗務行路番号がありました。
月間行路表が渡されると自宅カレンダーに書き込みします。
最近見たテレビで車掌の行路表が出ていましたが、郵便車ですと車掌のように行ったり来たりではなく、
行き先での折り返しは1回か2回です。
番号は基本的に2桁の数字で表し、十の桁で行きの便を示し、一の桁で帰りの便を示したので、番号を見ればどの便で行き、
どの便で戻るかが一目でわかる仕組みでした。
例:第一乗務課(東門線の大阪〜岡山・糸崎)の場合、
  行きの便 1→東門下一 2→東門下二 ・・・ 6→阪門下?
  帰りの便 1→東門上一 2→東門上二 など
  なので、「12」行路であれば東門下一で糸崎で折返し後、東門上二で戻る。
  第二乗務課(阪青線の大阪〜敦賀)の場合、
  行きの便 1→阪青下護送 2→阪青下 3→阪金下 4→阪富下 6→阪長下
  帰りの便 1→阪青上一 2→阪青上二 3→阪金上 4→阪潟上
  なので、「61」行路であれば阪長下で敦賀で折返し後、阪青上一で戻る。
といった具合です。実はもっと複雑で東門線はたいていの便で扱い便と護送便がペア連結なっていて、護送の場合は往復で4桁になる法則でしたが、
やはり一目で何に乗るのかわかるように工夫されていました。
その他、亀阪線、阪鶴線(鳥取、福知山、東舞鶴)方面の番号は忘れましたが法則に基づいて付番されていました。
さて出勤時刻ですが、行路ごとに乗る便の発時刻のだいたい1時間前になっていて、制服に着替えて乗務課に行き、確認表に押印します。
そのとき、自分の氏名と行路番号を対比する箇所に押印して担当さんに示し、指定された者が指定時刻に出勤したことを確認したもらったような記憶です。
折返し先の乗務員事務室で何をしたかは定かでありませんが、寝過ごし、事務室集合の遅刻は許されませんでした。
自分の行路を認識しておいて、帰りの便では寝室でもひとりで起きる場合もあって誰かが起こしてくれる訳ではないので、目覚まし時計をよく点検し、
カバンにもうひとつのマイ時計を持参して、時計2台に起こしてもらいました。
敦賀の22行路なんか、仮眠は3時間程度のとんぼ帰りでしたし。
二段ベッドの話ですが、糸崎も敦賀も乗務員が多いので寝室も多く、寝室単位でも一斉に寝たり起きたりではありませんから、
先に寝ていても後から来た乗務員が入る気配で目を覚ましたものです。
ここで乗務行路が関係してくるのですが、寝室の扉わきに「どのベッドが○○行路の□□担務者」とか書かれていますので、
毎回ベッドが違っても間違わずに使用していました。
一斉に寝室を使わないというのがわかりにくいかもしれませんが、ある便、例えば阪青下に乗務員が7人乗っていたとしますと、
帰りの便は人によってまちまちで、とんぼ帰りする22やら、翌日夕方まで過ごせる24やら担務者によって異なるので、
事務室に着いてもすぐ寝る人と食堂でお酒をいただいて歓談する人に分かれます。
また、24の人が翌日の夕方に阪潟上で集合すると、24の人やら44、14の人やらで総勢7人になって敦賀から乗務するという仕組みです。
その他、JRの車掌区、列車区でも、主に特急ばかり乗る組(ベテラン)から通勤電車ばかりの組があるのと同様に、鉄郵でも数字1〜5の組があって、
1なら便長クラスだったはずです。
私は5組の中で、14やら31やらいくつかのパターンが指定されていたので、月間で5種類くらいの勤務が休日をはさんでローテーションしていました。
ほか、急な変更でてんやわんやしたこと、その他ハプニングもありますが、長くなりますのでこの辺にしておきます。
0572元二乗
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2011/05/05(木) 22:07:34.09ID:rUAAB3IY
缶コーヒーBOSSのCMにオユ10が出てきます。ホームページでもちょっとPR。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/hokuriku.htm
0573回想774列車
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2011/05/07(土) 01:53:10.53ID:CYQf3gSw
確かに、背景に少し写っていますね。
ttp://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/rainbow/cm.html
0575回想774列車
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2011/05/24(火) 02:37:01.69ID:PN3U9ooz
元二乗さんが交通新聞社新書から本出したら真っ先に買いに行く。
0576回想774列車
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2011/05/30(月) 23:06:23.13ID:97BhhjIp
♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん


0577 忍法帖【Lv=4,xxxP】
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2011/06/07(火) 15:44:47.32ID:+PRtELxc
>>572 元二乗さん

ttp://www.bl.mmtr.or.jp/~idu230/his/sinbun/nimotu/36.htm

大阪〜米原間に車内区分車が3両いますが
この場合東門上りの車と大門上りの車の間の幌は繋がってたんでしょうか?

また、米原〜長岡までの車両区分車での接続待ちはどうされていたんでしょうか?
いらっしゃいましたらご教示願えれば嬉しいです
0578 忍法帖【Lv=4,xxxP】 577
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2011/06/07(火) 15:57:24.25ID:+PRtELxc
>>577
すいません、大阪で大門線は解放されて
入れ替わりに長岡行きが連結されるんで東小倉〜米原間は実質2両でした。

お詫びします。
0579回想774列車
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2011/06/08(水) 00:23:55.84ID:7nJX0qaN
突然ですが、質問させてください。
郵便車の画像を見ていると、区分室の採光窓が固体によっては
白塗りだったり、あるいはスモークっぽく見えたり、
あるいは透明のガラスのように見えるものもありますが

実際に、区分をしていた時代の車両で多かったのはどれなのでしょうか?
0580阪金下
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2011/06/11(土) 00:10:31.34ID:X80tgpuf
577さん。ありがとうございます。
これまで、阪門上と阪長下とは、郵連結する荷物列車が同じなので、
便車が直通するものと思っていました。
思いこみは怖いですね。
0581元二乗
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2011/06/12(日) 21:56:19.57ID:QSYu/dXD
>>577
このたびの荷36レは編成表を見ると見事な多層建ての郵便車連結をしています。
砕いて説明しますと
 大郵3 阪長下 大阪→米原
 四郵1 東岡上護送 岡山→汐留
 門郵1 東門上三 東小倉→汐留
 大郵1 阪門上 東小倉→大阪
が絡んでいまして、すべて乗務員が乗り、護送以外は扱便です。大阪で解放と増結がありますが
岡山米原間では編成中に郵便車は3両あるということです。貫通幌については、郵便車どうしが
連結されていてもつながっていなかったはずです。もとより、車両間を往き来するものではなく
1両ごとに別々の便であり、乗務員の仕事は独立しています。何より、貫通扉は内側から施錠して
安全を図っていました。
長くなりますと文字大杉にひっかかりますので、接続に関することは別途説明します。
0582元二乗
垢版 |
2011/06/12(日) 22:07:28.08ID:QSYu/dXD
【結束と最先引渡し】
次に接続についてご質問ですが、以前説明しました鉄道便どうしの結束というのは規定時間内に結束
指定駅を発車する他便のほか、同一列車に併結されていた複数の郵便車が、分割により先行、後続
又は別方向へ向かう便へも積み替え可能な限り結束便になり得ます。
今回の荷36レにあっては、あらかじめ岡山で東岡が加わり、大阪では阪門を切り離すと同時に阪長を
増結するという入れ換えが短時間に行われたということで、大阪では以前お話しした他便への結束
が行われています。具体的には、東岡、上三、阪門の各便から阪長に対して滋賀県長浜塩津間及び
福井県以北阪青線方面が主なものです。大阪では各便とも大量の郵袋が降ろされるので、わずかな
連絡時間で阪長宛の郵袋をホームで選別するのは駐在も大変です。そこで「最先引渡」という制度
がありまして、車内で郵袋の山を積み分けるとき、大阪鉄郵引渡のつまり他線積み替え郵袋とは別
に阪長宛は別の山にしておいて、大阪駅でドアを開けるとすぐに「阪長の最先やで」と駐在に言い
ながら引き渡すと、台車に乗せて阪長が連結される位置に持って行くわけです。そのあとで鉄郵宛、
中郵宛通常、大阪小包宛と分けながら降ろして行きます。あと、わずかながら阪門車内で岐阜県以
東のブツが出れば、同じく最先引渡にて上三に渡される場合もあります。
一方、阪長は大阪積み込みの郵袋は引込線で停車中に飲み込まれているので、入れ換えで荷36レに
連結されたあと、最先引渡のブツも追加で積み込まれ、作業開始となります。
また阪門は最先郵袋だけを降ろすと入れ換えされて引込線に入ってからぼちぼち全部のブツを降ろ
していたと記憶しています。
0583元二乗
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2011/06/12(日) 22:15:19.47ID:QSYu/dXD
>>579
連投ごめん。
当オユ10の区分室採光窓は白っぽいスリガラスです。車種により白強化プラスチックや透明ガラス
もあったかもしれません。
0584579
垢版 |
2011/06/13(月) 00:05:05.65ID:Q51Lv1Zs
>>583
元二乗さん、レスをいただきありがとうございました。
0585577  忍法帖【Lv=9,xxxP】
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2011/06/13(月) 15:06:41.63ID:VNALA7Dn
>>582
ご回答ありがとうございました。

あと阪長下の米原での入れ換えは乗務している局員の方も一緒に乗ったまま行われたのでしょうか?
また、東岡上りオユ12は「無証締切大郵袋」の扱いだけのように思うのですが如何でしょうか?

甚だ勉強不足で申し訳ありませんが、以上ご回答願います。
0586回想774列車
垢版 |
2011/06/13(月) 19:41:02.91ID:e/ZdlRSP
>>582
便乗質問です。
阪長下の米原での待ち時間中(655着1033発)、米直下が先に発車していますが(800発)、
阪長下から米直下への積替ってやってたのでしょうか?

>>585
東岡上護は、大阪で高等信の積み込みもしてたかと思いますが・・・
どうでしょう?<元二乗さん
0587元二乗
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2011/06/14(火) 02:03:08.29ID:Ad2T3iHu
>>585
順にお話していきます。
阪長下に限らず、阪潟上、阪金上下便にあっても大阪米原間は荷物列車、米原以北
は普通列車というパターンであればいずれも米原駅で入れ換えがありますが、乗務員
は乗ったまま作業を続けています。前後にしゃくられたり、連結の衝撃で作業に夢中
でも、どっち方向へ引き上げられてどこへ持って行かれるかはわかっていたものです。
次に東岡上護送ですが、搭載していたのは、四国各県、玉野、岡山等で積み込まれた
関西地区以東のブツが中心です。特に岡山以東からは締切郵袋、それも大型通常、速
達小包、普通小包を主体に積み込むようになっており、高等信は上三などの扱便に搭
載となりバランスが取られていました。東門線じたいは扱い、護送がペアで併結の列
車が多かったので、おおよそはそういう積み方をし、諸規程にも明記されていました。
一方、岡山など分局がある駅では、他線からの積替え締切郵袋にあっては、そういっ
た原則がありながらも、駅ごとの定数というものが決められていて、扱い、護送が併
結される列車では、その日の出具合によって、郵袋種別にとらわれずに積み込む場合
もあり、護送に有証郵袋が全く載らないかというとそうでもありません。特に小包の
有証などは護送でも多く入りました。
また、扱い又は護送便と締切便が併結される列車にあっては、有証郵袋は締切便に積
まずに乗務員がいる扱い又は護送便に積むことが明記されていました。
0588元二乗
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2011/06/14(火) 02:25:13.31ID:Ad2T3iHu
>>586
阪長下には乗務する機会がなかったので米直下に結束したかについてはよくわかりません。
米原で停車中に米直が先に出ますが、米原敦賀間は締切であるため乗務員が乗らず、敦賀
から敦直乗務員が乗ります。米原では、駐在により敦賀以北扱いの郵袋が積込まれたはず
ですが、阪長の高等信もかなりあるので、敦賀以北を全部積み替えますと阪長の車内はが
らがらになりそうですので結束した郵袋があったとしても限られたものだったはずです。
乗務したOBさんをさがして聞いてみますので気長にお待ち下さい。
東岡上護送の大阪以東の積込みの詳細は乗務が名古屋鉄郵の浜阪乗務員だったのと、鉄郵
駐在の差立て事務をしたことがないので詳細は不明です。高等信のほとんどは上三のほう
に積まれたと思われます。
0589回想774列車
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2011/06/14(火) 22:58:02.13ID:D1Q+WoSh
ウィルスソフト入れてるのにユキチカに感染するくらい低い確率だ...
0590回想774列車
垢版 |
2011/06/15(水) 21:11:20.56ID:mZ3Zzcop
詳しいスレですね。
部外者の知らないばかりでした。
駅のホームに郵便ポストがあったり
駅前のポストに出すと早く着くと言われてましたし。
短い停車時間に受け渡しをしているのを
うるおぼえで覚えています。
今思うと鉄道郵便はエコなんですね。
0591元二乗
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2011/06/16(木) 00:43:52.09ID:cXhoH9nh
>>590
ホームの郵便ポストは今ふうのタイプが京都駅なんかにありますね。
鉄郵の時代は大阪駅でも各ホームの柱にへばりつくような小型のポストがありまして、
駐在員が各ホームを回って集めていました。また回収頻度が1日3回なんてものでは
なく、7回前後くらいだったと記憶します。また、各地の駅前ポストについては鉄道
便の受渡しがある駅ではご指摘のとおりで相対的に市中のポストよりも早く届くとい
う定説がありました。理由は直接乗務員に渡されるからで、車内で日付印により消印
され、区分棚から差立てられますので、郵便局を介するより早く送達されたものです。
0592回想774列車
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2011/06/17(金) 21:27:40.07ID:C5x4j159
駅前のポストで出すと早く着く理由が分かりました。
結構一般の人が知っていたと思います。
ホームのポストは地方は小型で柱に付いているタイプが多かったような?
郵便の消印の下の方は
一般の郵便局は時間帯ですが
鉄道郵便は東青ナントカと略号みたいの入っていたと思うのですが

行路名??便名だったのですね。
今思えば、取っておけば良かったかなと。
0593元二乗
垢版 |
2011/06/18(土) 02:24:22.69ID:IpSKs/TM
>>592
鉄道便日付印は上から運行区間、日付、便番号(乗務員交替便は乗務区間も)が示されて
いました。日付印を紹介するサイトがありますし、オークションでも消印済み郵便物が出品
されていますね。
主な用途は郵袋送致証など各種書類に押印するためのものですが、車内引受郵便物はそれを
用いて消印したわけです。静止局(鉄郵の呼び方)の手打ち消印は金槌形ですが、便の日付
印は棒形なので、逆手に持って押印台でゴム板敷いてブツを並べて押しますので、押しにく
いものです。阪青の大阪や京都の数よりも亀阪下りの奈良なんかの方がわんさとあって手こ
ずったことを記憶しています。「郡山、早ぉさがせぇ、次やどぉ」なんて焦ってました。
0594回想774列車
垢版 |
2011/06/18(土) 03:51:55.15ID:dWaim5FF
>>593
アレは棒型でしたか。
ブツを消印するのに槌型は高速で叩けて便利なんですが
一般局の伝送・発着で使う棒型ではさぞ難しかったかと察します。

蛇足ですが、自分は一般局で伝送やってた時に、簡易記録(現・特定記録)の受領証の日付印を全て棒型印で捺す「内職」をやったことがありました。
何せ大口の顧客の受領証でしたので、捺し終わった時には手首が3日間言うことを利かない状態だったのを思い出しました。
0595元二乗
垢版 |
2011/06/18(土) 17:51:54.19ID:IpSKs/TM
>>594
棒型であった理由はおそらく携行して持ち込むのにコンパクトだということでしょう。
通称「カツ」と呼ばれていて、携行する肩掛けカバンのことを「カツ箱」と呼んでました。
中には植日付文字、ピンセット、黒印肉などが入ってまして、今でも逓信博物館には収蔵
されていて、鉄道郵便展で見ることができました。伝送発着も棒型だったですか。鉄郵、
分局の駐在でも棒型のカツでして、夜中に通路を歩いていると事務室内から「トトン、
トントン・・・」という音が長いあいだ響いてました。日付植え変えたらその日に使う送致証
なんか数十連発でまとめ押してしていたようです。
ようで、事務室の外に
0596回想774列車
垢版 |
2011/06/19(日) 00:41:16.89ID:3Nw14j0h
>>593
詳しい内容有り難うございます。
消印は郵便物におすのが第一目的じゃ、なかったのですね。
揺れる車内でおすのは、大変でなかったのでは。
0597回想774列車
垢版 |
2011/06/19(日) 14:16:53.28ID:3Fw0PyaP
一般局だと棒型持ってたのは窓口と発着、特殊かな?

>>596
通信日付印(為替印もだけど)は、郵便局の実印(公印)であり認印であり訂正印です。
今でもそれなりの効力は持ってるけど、国営時代のそれは半端じゃなかった。
0598586
垢版 |
2011/06/19(日) 17:27:54.02ID:uzpt05Cx
>>588
どもです。
とある資料に、米直下便に、高崎以南宛小包郵袋を積載云々と書かれていたので、少し気になって。
やはり時間的に難しかったのかな・・・?

>>597
その通りです<棒型
二本以上あったら、一本は星活(時刻記載部分が☆)にしてありました。
今もだっけ?

国営時代なんて、誤埴なんてやらかした日にゃ、即始末書・・・・・・
0599回想774列車
垢版 |
2011/06/19(日) 22:05:31.51ID:d19iBZGc
>>598
ウチの支店では現役です。
特定局等の窓口ではシャチハタになってるとこもありますが。
(碓氷・横川の局でシャチハタに化けたのを見たときは、ぶったまげました)
しかし、自分はここ何年も時間の所を換えた覚えがない…

日付印は郵便課の命でもあったんで、時間の部分を間違えて押印機を回したら
当事者、総務主任、お内裏様と始末書取られて、挙げ句黄色の紙で

「( ゚д゚)先日日付印の誤植が管内◯局で発生しました云々」

と、周知が回るハメに。
年賀状なんか引き受け日の日付印押印して年内に配達したら・・
0600回想774列車
垢版 |
2011/06/20(月) 16:11:46.85ID:SImdAk2o
>>598
今も★★★は現役ですな
でも、支店によっては自前(?)で回転式ゴム印を特注しているところもあって、
某支店の輸送課の印は運送記でよく見る
実は今勤務している支店も、完全に内部用だけどあるセクションで特注印使ってます


0601元二乗
垢版 |
2011/06/21(火) 04:17:35.42ID:cL4w5sg0
>>596
揺れる車内のカツ押しですが、狭い押印台にゴム板敷いた上で逆手で棒形を握って押します。
少数ならきれいに押せるんですが、どばっと持ち込まれたときにゃトランプ並べしてどどど
・・・と連続押しするので結構疲れます。黒肉はもともとべたつかないようにインク少なめに
してましたから、印影が薄いブツが多かったはずです。愛好家さんの持ち込みもありました。

>>598
米直下の長野県以南搭載は敦直乗務員の結束方でそうなっていまして、直江津で東直便に直通
したからです。少なくとも米原発の時点では、その方面の搭載はせず、94地域まででした。
0602回想774列車
垢版 |
2011/06/21(火) 13:40:17.66ID:o/sBRz68
31.11の復刻版時刻表を見てると、本文の列車名の下の方に〒マークが付いてて
巻頭に「ポスト備付主要列車」とあるけど、このマークっていつ頃なくなったんかなぁ。

ちなみに、付いてる列車と、郵便車連結区間

急行「阿蘇」東京〜門司
急行「雲仙」東京〜門司
急行「明星」東京〜大阪
急行「日本海」大阪〜青森
夜行準急 名古屋〜長野
夜行準急 上野(常磐線)盛岡
夜行準急 上野(上越線)新潟
夜行準急 函館〜旭川
急行「大雪」函館〜旭川
急行「まりも」函館〜根室
夜行準急 小樽→網走(片道)

0603回想774列車
垢版 |
2011/06/24(金) 14:26:26.85ID:X+AN0Z4O
>>601
愛好家の持ち込み?そんな事出来たのですね!
昔写真を見た事ありますが区分棚があったようなので
区分もしながらと大変だったと思います。
地方でキハユニ26?という車両を見た事があります。
運転室、郵便室、客室と分かれ1両になっていました。
0604回想774列車
垢版 |
2011/06/24(金) 17:49:07.29ID:gQke9pjv
車内消印がほしくてホームのポストから何度も手紙だしたけど
ついに手に入れることはできなかった。
0605回想774列車
垢版 |
2011/06/24(金) 20:36:42.35ID:IM/5GbVV
>>604
郵便物の積み下ろしをしている時に、郵便車内の人にお願いして渡したものだ、、。
0606回想774列車
垢版 |
2011/06/24(金) 23:36:51.03ID:di18U0qD
近江や島原なんか比較的末期まで郵便車があったがあれって護送だけですか?近江は朝一番の貴生川から該当列車に乗ったけど郵便車が付いてるよ〜っと友人と話したが興味がなかった。いま思えば勿体ない。
0607回想774列車
垢版 |
2011/06/25(土) 00:18:41.88ID:n0bnpPuJ
>>606
近江は末期まで車内区分してたはず。
島原もじゃなかったかな?

0608回想774列車
垢版 |
2011/06/25(土) 17:37:04.92ID:jTmDBaTA
>>607ありがとう
あっ乗ったのは貴生川7時1分発だったの思い出した。
0609元二乗
垢版 |
2011/06/26(日) 00:30:31.21ID:sNaihApN
>>603
ある日のこと、停車中にドアをノックした人がいたので規則上で扉は開けませんが
落とし窓開けて用件聞くと「このハガキ出して下さい」と言い同じ宛先の住所氏名
が書かれていたハガキを10枚ほど差し出しました。方向的に受けられる宛先だった
ので引受けましたが「印影をまっすぐに、ていねいに押して下さい」とのこと。
最初は「???」と思いましたが、郵趣愛好者の日付印収集目的かなと理解して
ゴム板の上に1枚1枚乗せてはまっすぐ置き、インクもしっかりつけてからきれいに
押して区分さんに手渡しました。何度かはそういう人からの手渡しがあった記憶します。
いまごろ貴重なコレクションとなっているでしょう。

>>604
ホームのポストなんですが、鉄郵、分局が集めても、受持集配局が集めても列車に直接
持ち込まれないと車内消印にならないんですね。タイミングや方向があると言いますか。
★鉄郵の場合
駅構内ポストなどから集めると事務室に持ち帰ります。大阪鉄郵の場合は駐在の部屋に
区分棚があって、消印しないまま方向別に区分します。鉄道便送達の方向は、各便にブツ
を渡す際に送致証といっしょに渡しますから車内消印となります。それ以外の大阪府など
自動車便方向や航空便方向はすべて大阪中郵に引渡しました。
★ローカル線の駅前ポストなど
案外ここに入れると車内消印が多かったです。それは、近在局が収集するのですが、鉄道
便に積み降ろしするために駅にやってきた局員がホームに行く前にポストを開けるからで
す。そのとき、積み込む列車に沿う方向のものを送致証といっしょにひもでくくり乗務員
渡しになりますが、それ以外は局に持ち帰り、局で消印されます。どちらの消印になるか
はタイミングに左右されますね。乗務中はほとんどの駅で何通か消印するブツが入りました。
これを通称で「開函」(読み方→かいかん)と言いまして、投函の対語かなと理解してい
ました。ちなみに当時はあちこちの駅に入場券など郵送依頼したことがあり、返信封筒が
よく鉄郵印で戻ってきたものです。

>>606
近江は米原貴生川便(通称べいき)、島原は諫早加津佐便ですね。59年2月以降は生き残ら
なかったですから最後まで扱便だったはずです。
0610回想774列車
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2011/06/28(火) 07:59:03.23ID:cvHOq2sM
637−21時代の富貴局へ郵袋運んでいた、五條〜富貴の路線バスがいつの間にか廃止・・・

>>609
>「開函」(かいかん)
今でも使ってるよ。局前ポスト開けるって意味で。
0611回想774列車
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2011/06/28(火) 21:26:35.80ID:Bjkr12ZI
>>609

>「このハガキ出して下さい」と言い同じ宛先の住所氏名
が書かれていたハガキを10枚ほど差し出しました。方向的に受けられる宛先だった

試験通信です、というドッキリカメラ
0612回想774列車
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2011/06/30(木) 21:36:50.88ID:JassghhX
>>610
今年の三月末に廃止になりました。
0613回想774列車
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2011/07/10(日) 07:58:19.45ID:ZIw5osTt
どっかの駅の業務用エレベーターに
〒マークがついているのがあった鉄道郵便の名残だったのだろう?
上下に開くタイプで、色は茶色だったような?
0614回想774列車
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2011/07/30(土) 11:00:33.58ID:UAO/7Uro
 ゆうパック、翌日午前中配達の地域縮小へ
 郵便事業会社(日本郵便)は29日、ゆうパックの標準配達日数を8月28日から一部変更すると発表した。
 荷物を受け付けた翌日の午前中に届けられる地域が狭まる一方、翌日中に配達できる地域が広がる場合もある。

 ゆうパックとペリカン便との統合に伴い、小包のみを積載していた運送便を、郵便物と一緒に運送することにした。
物流の効率化で年間200億円以上のコスト削減が見込めるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-00000836-yom-bus_all

  将来郵便鉄道輸送も復活するかもな、いちいちトラックで個別に輸送するよりコスト削減になるとかで
0615 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
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2011/07/30(土) 22:01:51.61ID:ckUPvZjA
コンテナ輸送はやるかも知れないよね。
0616回想774列車
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2011/07/31(日) 12:01:12.26ID:l1VTScvi
>>615
今はやってないの?
少なくとも'90年代には、やっていた時期があったよね
0617回想774列車
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2011/07/31(日) 17:19:29.30ID:52LMX96y
>>615-616
北海道−関東で翌々日午前の配達になる時は
JRコンテナの場合があるようだ。
0618回想774列車
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2011/07/31(日) 20:21:53.87ID:UurvShxV
ゆうパックは、たとえば関東−北海道間だと、航空機輸送禁止指定の荷物は、JRコンテナで運ばれている。
追跡サービスを見ていると、貨物駅最寄の支店を経由するから、わかりやすい。
0619回想774列車
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2011/08/01(月) 09:21:28.69ID:RH7wolNl
>>614
結局元の木阿弥かよ(´・ω・)
(地方便は元々郵便物のパレットと一緒に差し立ててた)

0620回想774列車
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2011/08/02(火) 00:50:04.15ID:lLuN72S9
>>619
 今の日本の政策決定階層(政治家、財界、官僚)は東京以外は無人地帯くらいにしか思っていない
田中角栄経世会亡き後は都会利権の清和会の天下だからな、政治とカネも問題もスルー
0622回想774列車
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2011/08/03(水) 00:24:45.46ID:wx5G7ztZ
上の方でレスがあるけど
コンテナ輸送は数年前の段階ではやっていたぞ
(いつぞやの「ねんきん特別便梅田駅放置プレイ事件」の時はJRコンテナに入れたまま引き取らず放置していた)

0623回想774列車
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2011/08/03(水) 00:44:45.79ID:NyckhB3X
>>622
安い郵便の遠距離輸送は今でもJR貨物だ。
岡山→新越谷 がかなり活躍している
0624回想774列車
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2011/08/03(水) 10:37:48.37ID:zXOE4QYG
もう各停タイプの郵便列車が通用しそうな地域って無いのかねぇ
定期列車にキユニなんなか繋いでさ
0625回想774列車
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2011/08/03(水) 19:51:06.47ID:t3gMZ1Bx
5トンコンテナにパレット5台しか積めないからな〜
輸送効率の悪さは1つのネック(もう1つは貨物のダイヤの悪さ)
0626 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
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2011/08/03(水) 22:36:37.91ID:9H9xe7UO
>>624
身延線、飯田線、大糸線なんかには使える予感。
0629回想774列車
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2011/08/04(木) 23:50:30.71ID:Qd8vzTuE
>>625
それは頭の悪いコンテナ業者。
普通はロール7台がピッチリ入る。
おまけに折り畳んだ青パレ2台まで付けてくる某九州地区の支店(や◯や、やず◯でよくご存じの…)もあるぞ
0630回想774列車
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2011/08/05(金) 11:45:22.86ID:Ki3CDumh
新幹線で輸送するという観念はないのだろうか?
(航空便のない東京―名古屋間をはじめとして
新潟や仙台そして盛岡などへの速達など)
0631回想774列車
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2011/08/05(金) 13:10:31.00ID:qXg1/pRG
>>630
昭和55年ごろ、構想が新聞に載ってたような(既出)?
0632回想774列車
垢版 |
2011/08/06(土) 11:48:32.10ID:Q3vdZgKN
おじゃんか。
0633回想774列車
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2011/08/06(土) 14:12:54.87ID:EuCBbsvb
>>630
手間かかるからやんないんだと思う。
今は東京駅から名古屋駅に運んでもどっちも駅前で作業してないから。
0634回想774列車
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2011/08/06(土) 16:39:27.43ID:sCQGO17l
名駅そばは分室だけど
東京中郵は…
0635回想774列車
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2011/08/06(土) 17:32:28.19ID:EuCBbsvb
>>634
今は郵便局は窓口しかやってないのはご存じだよね
0636回想774列車
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2011/08/08(月) 21:36:53.74ID:biPIk28d
>>587
>>614
関東では綾瀬便が復活するらしいですね。速コツは不明ですが。

そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
あれって袋に縫いつけられた看板を差す縁の太い枠の
せいで朱線が見えなくなるのを防ぐ意味があるらしいですね。
納得しました。

>>元二乗さん
鉄郵の場合、書留は一般・現金・簡易を分けて区分して
別把束・郵袋納入したのですか?
あと大型書留通常は航空輸送出来なかったようですが
その際の看板には大型印を押したのですか?
0637回想774列車
垢版 |
2011/08/08(月) 23:14:34.52ID:MUWc0Svx
ここってやっぱり郵趣の方も多くいらっしゃるの?
0638元二乗
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2011/08/09(火) 12:24:51.64ID:fSBz+kd9
>>636
当方の乗務では阪青線のみ書留の小郵袋納入を行い、その他の線区は小郵袋単位の扱い、
つまり開被は行ってませんでした。
さて、小郵袋を開被して区分、納入の際は一般・現金・簡易を分けて区分しておらず、
送達証において一般(現金を含む)のみ番号を記載し、簡易は通数欄の記載にとどまり
ました。
また、把束ひもによってくくることはなく、直接送達証と共に小郵袋に納入して封緘し
ました。
書留通常は当時すでに定形外であっても航空輸送しており、航空結束の際は看板に大型
印は押しません。大型印は、定型外の書留でないものだけを納入した郵袋に付けるもの
で、それ自体が無証なので無証印も併記していません。
0639回想774列車
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2011/08/09(火) 21:55:50.86ID:AGbcdM19
>>638
詳しい説明ありがとうございます。

>>小郵袋単位の扱い
それは区分口の大きな棚で紅白の巾着を混ぜて
区分する継越区分の事ですね?少し前まで統括支店では
大郵袋のスタンドを沢山並べて放り投げていました。

一般・現金・簡易は合わせ区分だったのですね。
私が入った15年前は配達記録がまだなかったころでしたので
一般・現金と簡易は分けて区分し別把束して合納でした。
送達証の書き方は元二乗さんの頃と一緒でした。
バラで直納していた点は驚きです。雑の単位数未満の場合や
ブツが痛みそうな場合はバラで直納していましたね。

なるほど。大型印の意味は当時も今も変わっていませんね。
0640回想774列車
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2011/08/09(火) 22:13:28.00ID:AGbcdM19
質問です。
郵便車には特割等大口差出のブツは出回っていたので
しょうか?切手貼りが多く出回っているイメージがあるので。
特割大郵袋は南コツや大阪中央継越だったのでしょうか?

沿線の小さな特定集配局から上って来た有証大郵袋の中身が
赤郵袋、白郵袋、大型把束、小型把束、小包、というように
全種類のブツが納入されてて到着処理がややこしかった経験は
ありましたか?
今では有証大郵袋に無証を合納する事は禁止されていますが。
0641回想774列車
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2011/08/10(水) 02:34:40.57ID:oyy2EHDl
>>636

>そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
東京地区の場合だと羽田あて、東京国際あて等、地方からの航空搭載の有証郵袋にはかなり使われてる筈。>青緑のメンコ

航空郵袋に速達以外の無証郵便を入れてたのは、90.08.06以降見かけなくなったけど
布製のメールケースが使われる以前は、超大口「別納(←ここ注意)」郵便とかで使われたりしていた。

0642元二乗
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2011/08/10(水) 02:38:08.75ID:9xO+z/U2
>>639
小郵袋単位の扱いとは、おっしゃるとおり区分口の大きな棚によるもので設備は「小郵袋
区分棚」と称します。東門線ですと特例区分のため小郵袋は開けない代わりに大郵袋を開
けていくと小郵袋が500本ほど炸裂するので、そんな棚に収まらず、床にもぶちまけて這い
つくばって送達証書くこともありました。
なお、私が乗務を離れて以降に「並赤」という郵袋が扱われており、それには書留を直に
納入されたと聞いています。

>>640
車内で特割等扱った記憶はありません。別納、後納はありましたけど、DMもまだ少数
でした。東門では大阪と姫路か岡山の間に黄色い大郵袋が締切で積まれてきて、これを
読み上げるときは「ビジネス大阪」とか言いました。但し、車内開被はまったくありま
せんでした。これがそうかもしれません。
また、沿線小規模局ですと、有証大郵袋に無証を合納はあたりまえとなっていまして、
現在は禁止というのが初耳です。ローカル便ですと、受け渡しとも1個だけというのが
普通でして、たいてい錠郵袋というのを使ってまして、標札も省略できました。
開けると、それこそ何でも入っているのですが数が少ないのでとりわけ煩雑ではありま
せんで、担務者に振り分けていきます。次の駅までに各種のブツをとりまとめて1個の
郵袋に納入して降ろすという手順ですが、こういう状態が続くのはのんびりしたもので
した。むしろ、局の規模により開被郵袋でも有証、無証、小包などが別々に入るとその
分の取扱いが多く、次の駅まで時間が少ないとバタバタしてしまいました。



0643回想774列車
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2011/08/10(水) 22:25:45.38ID:ymy0hmeN
>>641
そうですか?私は青森西やちょっと前では倉敷からしか
見た事ありませんね。うちの支店も在庫はあるそうですが
ガラガラの活字が他課に貸し出し中なので作成出来ません。
というか速達普通通常はバーコード付きじゃないとマズいから
特殊以外需要はないですね。

航空搭載地域あてに速が混じったら航空郵袋と一緒に使っても
良いんだろうけどPCで打ち出してっから今更ガラガラ使うか
どうか微妙ですな。

新東京が開局してから大きく変わったらしいですね。
無証はPケースでの差立が当たり前になったみたいで。
すみません、超大口「別納(←ここ注意)」郵便ってなんですか?
見た事ないです。
0644回想774列車
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2011/08/10(水) 23:20:02.98ID:ymy0hmeN
>>642
並赤郵袋って歴史浅いんですね!これには驚きました。
そういや「近年(15年前で)は郵袋がカラフルになった」
とかって何処かで聞いたような気がします。
逆に言えば昔は看板の表示が中身を知る唯一の手掛かり
だったのですね。
どうやら並赤郵袋が錠郵袋に取って代わったようですね。

やはり特割は静止局で利用者区分済みの上で差し出されて
いるから郵便車内では郵袋継越だったみたいですね。
オレンジのビジネス郵袋は今でも翌朝の差しで使ってます。

厳密にはパレット単位では有証と無証の合納は当たり前ですが
郵袋単位では禁則です。(特定記録と簡易書留は近年無証になった
がこれは考えない。大郵袋に○有りと青印を押す)

やはり量が少ない時は有証と無証の合納は当たり前だったのですね。
0645回想774列車
垢版 |
2011/08/10(水) 23:29:14.24ID:ymy0hmeN
では質問です。
郵袋運送記の査数欄には有証・無証・小包とあったのですか?
小包を郵袋に納入するという事自体イマイチピンと来ないもので。
つまり書留小包は有証郵袋に査数されたのですか?
そして書留小包に普通小包を合納する事もあったのですか?

速達小包は○コという看板を使用したのですか?
その際は普通小包も合納したのですか?

私は並乙郵袋が小包納入用という事位しか知らないもので。
0646元二乗
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2011/08/11(木) 22:07:16.98ID:fjLFz+vv
>>645
鉄道郵便車にあっては「郵袋運送記」が存在したかまでは便長クラスの仕事まで詳しく
踏み込んでいなかったので知り得ませんが、乗務終了時にすべての書類を便長がひとま
とめにして千枚通しで穴あけて紙ひも通して一件書類として提出するものの中にそのよ
うな一覧表があった記憶です。そこでは、郵袋数の受け払い一覧表みたいなものに通常、
小包に分けて各駅受け数、払い数が記載されていますが、有証、無証の受け、払いは乗
務員が開被、差し立てしたものの内数が( )書きもしくは別記載だったようです。
これを見ると、駅ごとの車内の郵袋の流れが一目瞭然でしたような。
小包もまた郵袋に入れるのが原則で、一部、郵袋に入らない大きさのもののみ、看板を
直接ブツに張り付けていましたがこぐ少数でした。
小包は2〜4個で郵袋がいっぱいになるので、書留小包だけが入った有証、書留とそう
でない小包が合納された有証のいずれもありましたが、読み上げ、管理には有証、無証
の区別はありませんで、通常と小包とに分けられ、結束方法はその両者で異なってきます。
車内扱いでもたまに書留小包が出ましたが、たいていは合納して小包有証の看板つけて
封かん具つけて降ろしていました。
速小はおたずねのとおり○コの印ついた看板です。普通小包との合納については、原則
しないこととなっていて、それぞれに差し立てしますが、ローカル小局では、錠郵袋に
なにもかも入れるので、その両者が合納されることはありました。
蛇足ながら、どうしてもある局宛で速小と普通小包を合納する際には通常郵袋差し立て
と報告し、看板は普通通常とするという規則が書かれていて、いちどだけ阪金下便で
福井あてに締めたことがありますが、普通通常、しかも無証というのは白看板に無証印
だけ、本来は定型は束(定型外合納可)を納めた郵袋なので、えらく角ばった普通通常
郵袋は異様に感じたものです。敦賀で交替した敦直乗務員が読み上げ点検するとき郵袋
の形状と看板の内容に「・・・(-"-;)?」となったことと思います。
0647回想774列車
垢版 |
2011/08/11(木) 23:25:11.35ID:Pp5aalHi
>>646
なるほど、郵袋運送記は支店の帳場では監査簿
(出入集計表)とともに記録する重要なもの
ですので最高責任者が管理していたというのは納得です。

書コツはごく僅かですので有証無証に分けて記載しなか
ったのでしょうね。

なるほど!看板の赤丸印の表示というのはどうやら
「中身が…だけ」という意味があるようですね。

有証一条=何でもありだから振り分けろ=看板省略ですよね。
これはかつて支店の特殊室では速達書留通常と継越赤小郵袋を
合納する時に速達書留通常を白郵袋に詰めて封緘して
大郵袋ににこの看板をつけました。

速コツと普通のコツを合納するならば表示の法則からすると
○コはダメ(中身が速コツだけじゃないため)ですから
赤十字に一条というところでしょうか?
なんだか見づらそうですねw
0648回想774列車
垢版 |
2011/08/11(木) 23:33:47.06ID:Pp5aalHi
そういえば護送便・締切便では差立局名の下に
オレンジ一条が表記されると上のレスにありますが
こういった変わった(今ではないであろう)表記
って他にどんなものがありましたか?
0649元二乗
垢版 |
2011/08/12(金) 01:13:49.39ID:FZIdFzxG
>>647 >>648
鉄郵を離れて以来、局の輸送作業に従事していないので現代との対比は語れませんが、
「有証一条、オレンジ一条」というのは当時はありません(少なくともS55年までは)
まず、書留小包が決して少数だったわけでなく、大阪小包から鉄郵に届く郵袋には封
かん付きはそれなりにありました。ただ、締切郵袋取扱い上では有証無証の区別は要
しないから書面にも書き分けしません。
唯一、乗務員開被郵袋から出てくる小包については書留は差し立て時に送達証を書き
ますし、送致証には締切欄の上に別わくで乗務員開被欄があって、ここに書き込む車内
差し立て郵袋に限っては有証、無証を書き分けました。
当時、鉄郵に準備されていた看板の印刷は次の種類がありました。
@通常有証(まっ白け)
A通常無証(@に無証印がある)
B通常速達有証(上に赤線2本)
C通常速達無証(Bに無証印がある)
D速達小包有証(○コ印あり)
E速達小包無証(Dに無証印がある)
F小包有証(赤十字)
G小包無証(Fに無証印がある)
H航空速達有証(青色)
I航空速達無証(Hに無証印がある)
自分は通常担務者で郵袋開閉、通常継越が専任でしたので乗務かばんにはこれら看板を
フルコースで準備し、乗務便の作業により数は違いますが最大200枚ほど携行しました。
また、受渡(小郵袋継越)、速達の各担務者もみずから必要な看板を準備、使用し、
通常有証、速達無証について数量が多い局宛ては通常担務を素通りして開被、差し立て
をしていました。
0650回想774列車
垢版 |
2011/08/12(金) 18:54:49.07ID:Os8+kq8i
>>649
またまた驚きです。有証一条がなかったと言う事は
封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合の大郵袋
の看板の表示はどうなのでしょうか?
ちょっと前までは並赤に納入して有証一条としていました。

さらに言えば速達通常無証が入った白郵袋と定形や大型の把束
を並郵袋に合納する場合は無証一条とならなかったのでしょうか?

なるほど!継越は有証無証の区別をしないのですね。
一理あるとます。数が合えばいいのでしょうね。

200枚とは随分な量に感じますが忙しそうな雰囲気は
伝わってきます。

○番という表示はありましたか?昔使ったらしいですが。
ちなみに鉄郵では配達区分というのはなかったのですよね?

余談ですが先輩に聞いたらビジネス郵袋というのは
昭和末期に登場した大企業の社内便を肩代わりした
ビジネス郵便を輸送するものだったそうです。
結局バイク便等に押されて定着しなかったらしいです。
0651元二乗
垢版 |
2011/08/12(金) 20:30:26.28ID:FZIdFzxG
>>650
●封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合
つまり速達書留の白又は書留の赤合納ですね。これは通常有証郵袋ですので看板は
649でいう@です。書留小郵袋が1本でも入れば何を合納しようが基本的に@。
Bはめったにありませんでした。東門、阪青の本線クラスでは、小郵袋だけで30〜
50本出る局は@で締めて他のものは合納しません。(速達無証が少量の場合は合納
もあり)また、大阪中央、京都中央など他種別のブツを合納をしてはならない局も
ありました。
●速達通常無証が入った白郵袋
速達は白郵袋のきんちゃくの口を結んだだけのものは定型は束、定型外とも原則は
合納できます。書留郵袋や書留小包が入らなければ通常無証、つまりAを付けます。
明石、相生、尾道あたりですと、受け、渡しともに小郵袋のみ有証で、普通通常と
速達を合納して無証で、というパターンが多かったです。
また、Bですが、速達を白きんちゃくに入れずそのまま郵袋に納めたもので、それ
だけの数量がある局、必ず速達のみで締めなければならない大阪、京都、神戸中郵
宛てで用いていました。合納してよい局に合納するか、それぞれ別々に締めるかに
ついては車内のブツの数量を見て受渡、速達、通常の各担務者が相談して決めてい
ました。
●定型外の納入
当時は束することなく、1通ごとにバラで郵袋に納入されていました。
ただ大阪中央の府下・市内分配では足踏み式ビニールひもくくり機では束して郵袋に
納入していたらしく、投げ込み作業がしやすいようにしていると中郵の人から聞かさ
れたことがあります。
●番号印
配達区分は全くありませんが、大阪へ向かう上り便に航空結束があるので番号印を1
〜5くらい標記したゴム印を看板と共に携行していました。何番を押すかは手元の航
空結束表を参照しながら慎重に押していたのですが、阪青上一なんか結束先が多数あ
って、ブツの出ものを見ながら、看板の色、無証であるか、何番かなどを間違えなく
するのは煩雑で米原⇒京都は神経が参ったものです。ゴム印はほかにも、大型、空印
年賀(季節限定)があり、赤鉛筆や黒の魔法えんぴつなども駆使して多種多様の看板
を車内で作ったものです。
0652 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
垢版 |
2011/08/12(金) 21:45:03.90ID:kJOLiiVy
>>641
航空便で送る速達、は今は郵袋ではなくパレットにメールボックスを積んで、それをそのまま搭載するんじゃないのかな?
0653回想774列車
垢版 |
2011/08/12(金) 22:52:36.70ID:cwG5IUGL
>>651
なるほど。通常有証の看板であっても中には速達が
含まれている可能性があったのですね。
単なる無証であっても中に速が入っている…
これも今では考えられない事ですね。
逆に言うと一条がなかったのになぜ二条はあったのか
その辺が不思議に思えますね。

大局は種別によって処理する課が異なるから量が
少なくても細かくわけるんですよね。
その辺は今でも一緒で新東京・新大阪宛ては厳密です。

ところで○代(小郵袋代用)という看板はなかったのですか?
そういうゴム印は持ってましたか?
Bの通常速達有証の看板は大量の白郵袋のみを納入した
有証大郵袋に付ける看板ですね。
書留速達通常が大量にあって白郵袋に入りきらない時は
それだけを有証大郵袋に直納して○代の二条としました。
こういう取り扱いは当時はありましたか?
0654回想774列車
垢版 |
2011/08/12(金) 23:07:23.99ID:cwG5IUGL
続きです。
大型薄物は十字把束せずに並乙に直納というわけですか。
これもまた意外です!大型区分棚を移動した時に出てきた
紙札には左上に赤い大型印が打ってありました。
それは確かにおっしゃる通り大阪府下の局差立でした。

あの番号印は航空番号のことだったのですね。
その印は押しませんが今でも番号は健在です。

どうやら鉄郵では小郵袋(並乙も?)に入るブツは
把束しなかったようですね。考えてみれば合理的ですね。
そういうバラで納入する事って今では
速達普通通常を白郵袋に納入する時だけですね。
書留は50通とかキリのいい数で紙紐で括って締めてます。

ところで空郵袋を送付する時は空印表示をする事は
分かるんですけどパレットに積んでの送付しかしたこと
がない私にはちょっとイメージが湧きません。
郵袋を裏返して10枚単位で小さく折りたたみ紙紐で括って
大郵袋に納入して○空表示の看板を付けたのでしょうか?
0655元二乗
垢版 |
2011/08/13(土) 01:34:49.09ID:rGI5iOFd
>>653

並赤とか一条というのを知らないものですが、当時は甲乙を問わず大郵袋に書留のブツを
直接入れることはなく、必ず赤白小郵袋で封緘してから入れるので○代とかいう小郵袋
代用という取扱いには接していません。

赤の二条線は看板の上のほうに水平に示されているんですが、これは結構昔からのようです。
看板棚に欠品が出たので倉庫に取りに行くと、古い段ボール箱に黄ばんだ昔の看板が数多く
ありまして、その中にも二条赤線の速達用がありました。事務の人に聞くと「それ使わんと
いて。大昔のやつやからこんど焼き捨てよか」と言ってました。いつごろのやつですかと聞
くと「さあ〜、郵便車が全部茶色のボロで姫路から蒸気で引っ張ってたころやな」という返事
でしたので、二条赤線はそれだけ長い歴史があったようです。(この人に言わせれば旧型客車
はボロなんでしょうか・・・orz)

Bの看板ですが、それ自体の出番はありませんで、有証郵袋の中身が白ばっかりということは
事実上ありません。書留小郵袋の中に速達が1通でもあれば白ですが、実際、1通もない赤も
たくさんあって、全体の中で白は3割程度です。結局、速達用はCばかりがよく売れまして、
つまりは速達担務の「バラ速締め」に大活躍です。なので棚からはCばかりが取られていくの
で品切れになりますから、売れ残ったBはどんどん無証のはんこを押されてBの代用に成り下
がるわけです。いわば何のために存在するのか気の毒な種別です。

次に郵袋のことですが、並乙というのは小郵袋とは役割が違い、あくまで大郵袋の一族でした。
なので、並甲を使うほど数量がない局、結束鉄道便あてに締め切るときに数量が少なければ使
いましたが、あまり多く入らないので、乗務にあたり渡される予備郵袋に並甲が50枚あると
しますと並乙は10枚程度です。入ってくるのはたいてい並甲なのでそれも使いますから、乙は
実に少数です。余るのでいつも予備返却に混ぜてました。

書留を小郵袋に入れるときはは束しないと申しましたが、速達を封緘なし、つまりきんちゃく
絞りで締める場合には、は束もあります。速達区分棚はオユ10など全室郵便車では狭口の定型
用と広口の定形外用がありまして、定型については区分後に10通程度があれば○速印のは束紙
(紙札)をつけては束します。それを白甲乙に納めて大郵袋に納めることはありました。

最後に空郵袋について。前述のように乗務員予備郵袋として乗務開始終了時に受け渡しします。
大阪では鉄郵が、敦賀では敦賀局が差し立てして積み込むのですが、○空の標記があります。
最も数が多く種類が多かった阪青上り一号便ですと、だいたいの記憶では
  並甲60枚、並乙10枚、航空甲10枚、航空乙20枚
  白甲30枚、白乙30枚、赤甲10枚、赤乙30枚
という感じでしたか。なお、各停の阪金上、阪潟上では錠甲1枚が入り、塩津の降ろしで使う
とまた錠が入ってくるので虎姫までは渡してはもらいのくり返しでした。なお、ひもで10枚ずつ
縛った記憶は薄いですが、小郵袋だけは別に縛っていました。
蛇足ながら、○空は乗務員予備のほか、郵袋が偏る局相互間の回送にも使われ、東門上護送便に
乗ると並甲を布ひもで20枚ずつくらいを十字に縛って「○空大阪小包」の看板付けたのが岡山から
大量に入る日があり「カスだい〜!」とか読み上げてました。空郵袋の通称が「カス」だった
もので。EF58のダイナミックな運転でよく揺れるオユ12の車内では上手な石垣積みで積み崩れを
防ぐ技術が必要でしたが、このカスがくせものでして、いわば固い枕のような形状で、これを石垣
に混ぜると他の郵袋の崩れを誘発するので苦心してました。角張った小包でしっかりした石垣を
構築してからその中の空洞にカスをぶち込んだものでした。


0656回想774列車
垢版 |
2011/08/13(土) 14:14:39.40ID:6oU1NzxV
>>655
どうやら一条という扱いは後付けのようですね。
意外です。それに代用郵袋制度も歴史は新しいとは。
作業の合理化の一環なのかもしれませんね。
○代は県下の分配の時に多用しました。
ということは小郵袋不足時に代用として用いる
「白代」「赤代」も無かったという事でしょうか?
小郵袋票札にそういう表示をした事がちょっと前まで
ありました。余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。
もしかしたら元二乗さんの時代にはまだなかった扱いかもしれません。
並赤の代用なら赤、並の代用なら白、航空の代用なら青緑等…。
○入が多いシーズンは肝を潰しましたが;

大郵袋の中身が白郵袋だけいう事はなかったんですね。
興味深いです!Bは恐らく巨大静止局での引受に使った
のかもしれませんね。お話を聞く限りでは継越過程での
出番はなさそうです。

なるほど!速達通常無証の差しでは確かに昔は○速印を
押して把束してましたね。郵便予備室で発見しました!
概ね無証は把束して有証は把束せずに小郵袋を使ったのですね。
速達通常無証は非速達との混入を防ぐために白郵袋に基本的に入れて
量が多い時は速達だけで大郵袋直納にする。今は大郵袋がケースに変わり
ましたが基本的には同じと言えます。
では速達通常無証のみを納入したきんちゃくに小郵袋票札は付けましたか?
ちなみに我が支店では付けてません。

ところで予め錠郵袋の準備数がないのは何故ですか?意外です。
有証の小郵袋を納入するために必要だったのではないのですか?
並郵袋を封緘して使っていたのですか?錠郵袋というものは過去に一回しか
見た事がないくらい私にとっては謎な存在でして。
ただ、先輩には「鍵掛けるなよw」って言われました。
0657回想774列車
垢版 |
2011/08/13(土) 16:50:08.03ID:+rHfyk6v
>>652
メールボックス…東京統括支社管内だとメールケースって言ってるけど
アレは共通の呼称じゃないのか。

今は航空地域宛の速通はメールケース納入でも〆てるけど
ウチの支店では普通にパレットケースでも差し立ててる。
また羽田で一旦区分にかけられる分(雑、とも言う)はパレットケース納入で差し立ててる。
手間がかかるんで、羽田は真っ先に「雑を先にくれ!」って言ってるけど
出さないと、結束便間に合わなかったじゃないか!って現場に直接電話がくる。
(一部東北・北海道方面の航空便には終便が早いとこもあるため)
あと、明けで雑のパレットだけで差し立てて、継ぎ越しのパレットケースだけのパレットが残ると、現場は大急ぎで

(#`Д)<臨時呼んで!臨時!

って業務企画に内線かけて臨時のトラック便を呼んでるな。


> 余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。

有証代用で赤リボンを結付てのは「取扱規定」にもある。
また、ビジネス郵便に使う場合もあって
これが「黄色」だったけど、後年この規定が「よくあさ」代用に代わった。

なお、平成元年頃の規定では、有証・速達・定型は同じ局宛のブツが3通以上ある場合
それで小郵袋または把束が作れることになっていた覚えがあるよ。
0658元二乗
垢版 |
2011/08/13(土) 21:02:21.59ID:rGI5iOFd
>>656
速達通常無証のきんちゃくには郵袋票札は不要でした。票札+封鉛は書留を納入したとき
だけです。
錠郵袋の準備数が少ないのは確かですね。有証差し立ても原則として並甲乙、航空甲乙を
使い、これに封かん具(赤リボンを郵袋ベルト金具に通してホックをはめるやつ)をつけ
ました。ですから封かん具も300本くらいカバンに入れてました。
錠郵袋は、使用できる受渡局が決まってまして、阪青ですと、近江八幡、彦根、長浜塩津
間くらいでしたか。また、数量が少なくて錠1枚に合納できる場合に使いまして、多いとき
には、別に並甲で渡してもいいわけです。上りの塩津で錠を渡すと書きましたが、塩津では
乗務員開被は錠で積んできて、その他締切が入ればそっちは並甲が何個かあります。それで
その錠を中之郷に渡すときに使うと入った錠をまた木ノ本に・・・のくり返しです。ちなみに
書留が1本もなくても、つまり無証でも錠はかけ、看板は省略しました。昼間の便ではだい
たい締切のお供もないので受渡員に「はい、いっちょう」と言って1個渡すと、受けも1個
だったりしました。
阪鶴(福知山線)の予備ですと、途中「篠山&丹南」「宮田&大山」「石生&沼貫&成松」
のように1駅で複数の局が受け渡しなんかするので錠の予備も多めに預かったと思われます。
また、錠郵袋の使用が皆無となる阪青下、阪青上一、上二、東門線各便では錠の予備はなか
ったと記憶しています。
乗務員はたいていズボンのベルトに鎖を下げていて、そこに錠郵袋の鍵、封かん具や封鉛を
切るナイフ、番号印がセットになって結着されていましたね。
0659回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 00:18:14.73ID:JnH8nzrS
>>658
なるほど。小郵袋の封緘には封鉛、大郵袋の封緘には
リボンを使ってホックをしたのですね。

なるほど!昔は送達証の有無に関わらず並郵袋は陸送に
使用し航空輸送には航空郵袋を使用するといった使い方
をしたのですね。納得です。OBの中には
「並赤でも並でもどっちでもいいんだよ!看板さえ正しければw」
と言っている人がいるのですが意味が分かりました。

無証でも錠を掛けるという点が面白いです。
錠郵袋は物数が少ない時の合納に使う事が多かった
みたいですね。
ちなみに看板省略の際は看板があるつもりで
「函南有証(無証)1」という風に授受したのでしょうか?
看板が無くても有証か無証は厳密に明記しましたか?

封鉛を切るナイフって〒マークのある赤い折りたたみ
ナイフですよね?看板を作るガラガラと一緒に今でも
あります。
0660回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 00:29:10.07ID:JnH8nzrS
続きです。
還付は専用の棚で区分したりしたのですか?
あるいは混合でよかったのですか?

余談ですが特割は扱い便ではなく締切便に積み込んだ
可能性が浮上しました!
関東では南部小包、近畿では大阪小包で集中処理して
たっぽいです。関東は今では新越谷ですが。
0661元二乗
垢版 |
2011/08/14(日) 02:31:03.01ID:6g9j/I7E
>>659 >>660
航空郵袋ですが、輸送行程で航空に積む区間がある場合は用いました。ちょっと意外ですが
その目的以外に使ったレアなケースも。郵袋がどこかに偏るという話ほしましたが、東門下
り方向の扱便では、大阪から航空郵袋が多く入ります。東京方面から飛んできた「阪糸岡山
県」「同広島県」という開被が特に多く、開けたあとの航空郵袋を全部予備返しとして糸崎
で渡します。一方、岡山、倉敷、福山、広島を締めるのには並甲が大量に要りますが大阪で
もらった並甲予備、開けた並甲を合わせても作業していると不足する予感がしてくるのです。
特に、岡山、広島両県へのバラ速が多いのが困難に拍車をかけるので、現場判断で、車内締
めする岡山、倉敷へのバラ速締めに航空甲を転用しました。まず、速達区分棚だけでは場所
が足りないのでどうするかというと、普通通常の投げ込みが一段落したら郵袋掛け9わくか
らいったん普通通常の並甲を全部外し、補助区分棚(底ぬけホッパー)も空にして郵袋に入れ、
全部を小締切室に押しやり、掛けに航空甲6枚、並甲3枚を掛け、航空には岡山、倉敷の速達
看板を3枚ずつはめ、並にも福山、広島、結束便などの看板もかけて、全部を速達処理に転用
した上で速達担務は主に定型速達を処理し通常、締切の各担務が総がかりで定型外バラ速の山を
台にぶちまけて投げ込みます。岡山、倉敷なんかすぐに袋がいっぱいになるので航空甲で締めて
いくわけです。これについては沿線局と協議が整っていたみたいで、この処理が常態化していま
した。もっとも、並甲が足りそうなときはしておらず、非常手段ということです。

錠郵袋ですが、看板省略というのは、乗務員〜沿線局の受渡しが1個で収まる場合、当該駅には
1局しか受け渡ししない、局は積み込み搬送が1列車だけである、看板がなくても局が乗務員から
受け取ったこと、またはその逆であることが明白である、という条件が整えば看板がなくても混乱
しないので省略したものと考えています。1駅で2局以上が受け渡しに来る場合、1駅1局でも、
局から1度の運び出しで、たまたま駅にほぼ同時に来る上下両方の便があるなどのケースでは扱って
いて「この郵袋どこに渡すんだっけ?」では困るのでそういう場合は看板を付けたはずです。
ナイフですがおっしゃるとおり〒マークがあって刃物がサバイバルナイフのように出し入れできる
タイプのものでした。看板作るガラガラというのはローラー回転式の印刷機のことですか?
意外と小型で、手提げ金庫みたいな機械で中に瓦せんべいみたいなはんこをはめこんでスイッチを
入れるとセットした看板に一枚ずつ印字します。事務の人がデスクでいろいろ作っていましたが、
大阪中郵宛て無証など使用頻度が高いものは看板棚に品切れがよく出るので、ゴム印で補ったり、
車内で手書きもしました。
還付って、つまり書留の宛先不明のことですか?車内ではめったに出ませんが、書留担務でしたら
それなりの処理方法に従っていたことと思います。
参考まで特割郵袋には遭遇していませんが、締切便の一般的ルールとして有証は積んではいけない
、扱いか護送に積むべしと規則に明記されていました。(無人だからでしょうか)
但し、一部区間が締切となる扱い、護送は例外だったはずです。
0662回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 17:42:39.32ID:wPb9Dct+
>>661
なるほど。極端に特定のブツが多い時は臨機応変に
例外的な処理をしたのですね。職人技です。
それにしても統括支店勤務の私は速達がずばぬけて多い
という状況には未だ遭遇した事はありませんが
多い時は神経を使いますよね。

ところで補助区分棚というのが静止局にはないので
分かりませんが普段はどうやって動作させどのように
使用したのでしょうか?

なるほど。中身と受け渡し便が確実に明白な場合は
省略できたのですね。今のJPSよりも合理的です。

その郵便カッターは特割や把束テープの開束にも
大活躍したそうです。
0663回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 17:43:26.30ID:wPb9Dct+
続きです。
はい。ローラー回転式の票札作成機です。
活字を交換する際手がよく汚れました(笑)
実は何故か「青森鉄郵」だけまだ残っています!
コレクターがいるのでしょうかね(笑)

小型普通通常の還付の事です。
還付は一般より送達優先順位が低いため
専用の棚で分けてから○還の青印を打ってPケースに
詰めているんですがそのように鉄郵でも還付は
一般と分けて後回しにするような取り扱いはありましたか?

有証の無監視はセキュリティ上問題がありますからね。
今でも特殊室外で特定記録を区分する時は防犯カメラが
ない場合を除き無人になる事は禁止されています。

年賀って区分しました?
それとも差立局はある程度溜めて締め切りを送って来たから
車内での扱いはなかったのでしょうか?
0664回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 18:18:40.09ID:wPb9Dct+
>>657
亀レスになりました;
ううん。リボンによる代用郵袋制度ややこしいから
止めて欲しいです。
翌朝バッグや同郵袋が無い小さな支店が
並赤に黄色リボンで「『翌朝』○代」と付けてきた時は
見逃しそうになってヒヤヒヤしてますorz

3通以上で小郵袋や把束が作れる時代もあったのですね。
ちょっと把束はブツが傷んで作れなそうですが。
今では小型普通通常は単位数量は10通、大型は20通、
速達と書留は5通ですよね。
トイレットペーパーの芯で無理やり把束しましょうか?(爆)
地域間便が多い統括支店ではそうしているらしいです。
0665元二乗
垢版 |
2011/08/14(日) 22:09:44.53ID:6g9j/I7E
>>662 >>663
補助区分棚というのは、全室郵便車にある設備なんですが、郵袋掛けを設置する側の
壁面にへばりついている金属製のボックスです。オユ10、11では3区画、スユ16では
4区画ありました。郵袋掛けは2列又は3列の設定で6〜12わく掛けられますが、実
際の作業では不足するので、開袋台の隣には束区分棚があり、それと補助区分棚とで
まかなっていました。つまりは、上が開いた金属わくにブツを放り込み、郵袋に納め
るときは、下についているふたに郵袋を掛け、レバーを引くと底板が抜けてブツが郵
袋に落下するのです。別名ホッパーとも呼びました。郵袋掛けの上の空間を有効に使
おうと設計されたものです。最終締めのころになるとこれの操作でバタン、バタンと
いう大きな音が車内に響きました。
看板作成機は現在も変わりないようですね。この活字ですが、神戸の瓦せんべいという
よりは、京都の八つ橋(生でない硬いほう)に似ています。出し入れするつまみがついて
いますが、手が汚れやすかったのと、交換中に不用意にスイッチを入れてつまみに手を
切られたというケガがありまして、あまり触りたくなかったものです。
小型普通通常の還付ですが、車内でめったに出ないながら、区分していて出会ったことは
あります。特に別扱いではなく、その他のブツと合わせ区分しました。むしろ、見落とし
て元の宛先に逆送りしないかと気を遣いました。
年賀ですが、差年末の引受開始時はおおまかに2けた区分してましたので、締切もあれば
開被もありましたが、ゴムバンドでは束されていて、これをばらさず、2けた指定区分局
に送付しました。正月が明けると、普通の2種はがきと同じ扱いになるので、府県雑区分、
2次県内区分、大阪市区分でもバラで登場しますので、しばらくは区分棚が真っ赤になって
いたような。これと荒巻鮭速小郵袋からしみ出る塩っ辛いにおいが風物詩でしたね。
0666回想774列車
垢版 |
2011/08/14(日) 23:25:00.05ID:g1a6zR8q
>>665
なるほど郵袋掛け上部の空間を有効活用するための
工夫なのですね。把束や大型の厚物を投げるのに
都合がよさそうです。
そういやオユ10やクモユニ143形には特殊区分棚という
のがありますがこれは何を区分するのに使ったのですか?
書留のバラの区分ですか?

あと小包区分棚というのは実際に私は見た事ないです。
郵便車の写真を見る限りでは積み方にコツがありそうですね。

確かにあのつまみって危険そうですね。
原始的な機械ですから交換中も動いちゃうんですね。

還付が少なかったのとは意外です。

年末は細かくて把束区分であり、年始の一般信との
混合時からバラの区分が始まったのですね。
普通の葉書の束は紙紐で十字にくくりますが年賀葉書
の束は太い輪ゴムで把束するだけなんですよね。

種別に関わらず2.3.4とか5.6.7といった1ケタ集合区分
って鉄郵でもあったのですか?
0667元二乗
垢版 |
2011/08/15(月) 00:52:56.92ID:0esA9rxe
>>666
どの郵便車でも特殊区分棚と通常小口区分棚とがあります。前者は広口のもので、後者は
狭口、つまり定型普通通常に使用します。さて、特殊区分単でオユ10など全室車の場合は
押印台の隣から順に小郵袋区分棚(広口)、速達区分棚(定型狭口)、同(定形外広口)
の順に並んでいました。なお、書留バラの処理は阪青線で行う場合、特殊区分棚のどこか
を割り当ててする場合と、上り便なんか余裕がなければ、反対側の通常小口棚で二次区分
が終わって余った区分口を使ってしていたはずです。
小包区分棚は網を張ったハンモックみたいなやつですね。収まりきれない場合はまとまっ
た局をさっさと締めて数を減らしてましたっけ。
葉書の束は今は紙紐で十字にくくるんですか。当時は封書、葉書とも定型は水平に2回
回して独特の方法では束をし、十字にはしてません。あのは束、10秒とたたずに蝶結び
するんですが、先に静止局で修行していたので車内で苦労せずに済みました。
なお、1桁集合区分はしたことなく、府県雑でも最低2桁区分でした。
0668回想774列車
垢版 |
2011/08/15(月) 19:56:39.59ID:NE5fd/LR
>>667
特殊区分棚は書留専用というわけではなかったのですね。

大型普通通常の棚物は把束区分棚で区分したのですか?
それとも郵便車内には小型普通通常の区分棚の下段に口の大きい
区分口があるのでそれを使ったのですか?
厚物は郵袋掛けで投げ区分ですよね?
大局には扇形区分棚があって箱型の厚物はそれで区分してます。

あの網棚は見た感じすぐに一杯になっちゃいますよね。

まとまった(年賀でない)葉書は手区分では紙紐、区分機では把束機を
使っていずれも十字把束です。ちなみに棚物定型外もOBの人は十字把束しますね。
封書だけとか葉書と封書が混合している場合は普通に水平にかます結びをします。
年賀葉書は紙紐の節約の観点からゴムバンドなのでしょうね。
うちの支店では手区分は必ず把束糸を使うようにしています。
というのも把束機では結束時間間際では行列が出来てしまって効率が悪いので
各自が棚の前で縛ってます。それに把束機は一日一回は必ずトラブルを起こします;

どうやら1桁集合区分は静止局がブツが少ない時にやるものっぽいですね。

運行についてですが分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか?
今のトラック便みたいに一旦全て統括支店に送付するのでなく
途中にある局あてのブツがあった場合はその途中の駅で締めて出したんですよね?
逆に分配局から遠ざかる場合は車内投函されたブツの中には方向が逆で
扱いに困るケースもあったのでしょうね。
「○○局は締めたからこの区分口はもっと先の区間の○○局の区分口にしよう」
というように静止局と異なり一駅ごとに区分口を変更していたのでしょうか?

大都市近郊のように鉄郵受渡局が全くない区間が長く続く場合は護送便・締切便だけ
だったのでしょうか?
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