>>517

>>500様のお話では門鹿東線も小郵袋から書留取り出して区分、記録していたようですね。
麻ひもに鉛玉(封緘)通したやつで小郵袋の口を縛ってニッパーでつぶしました。
大阪でしたけど、阪青線の場合、当時の担当は乗務かばんにそんなの200本ほど入れて乗りました。乗務前にひも切って鉛通す作業までしたかなぁ?できてあったのが置かれていたのか?
下っぱで書留担当することがなかったのですが補助として手伝いはしました。重たい鉛ひもでしたので「おまえのかばんにも入れてくれや」とか言われて持ち込んだものでした。
阪青上一、上二では数多く締めました。京都府以西、航空結束一円が数多くありましたので。2人で送達証書いて2人で締めて、ニッパーが1個なので取り合いして、それ締めたらこんどは継越小郵袋と合わせてまた送達証2人で書いた・・・深夜の車内が目に浮かびます。
ちなみに、うちのオユ10公開日には、それの実演もやります。「敦直乗務員」という赤乙開けると現金書留が出てきます。(封筒の中身は古新聞です)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090425/090425.htm