鉄道郵便を語るスレ
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郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
郵便車 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
>>189
クモハユ74はまったく奇妙な存在ですね。001は当初は区分棚を
着脱式とし側窓もつぶさずクモハとしていたみたいです。
これならキハ20の600台のようなアコーデオンカーテン付の郵便
荷物代用車の同類です。まあ後の改造で窓をつぶして区分棚を
固定したみたいですけど。
キハユニ15と言えば私は郵便線路でなかった三木線列車に連結
されているのを?と思ってのぞきこむと小荷物がころがってま
して荷物室との仕切りは開放していましたね。まだ三木駅など
着発個数は多かったみたいですけど今は廃線です。 >>183
>♪今日も元気に 郵便体操をいたしましょう!
なつかしいなあ。
私の郵政現役はバブル期と重なるので、鉄道,船舶輸送前提の
システムから道路,航空輸送前提のシステムへの変革期でしたね。
集中局の駅の近くから高速インターの近くへの移転、各鉄道郵便局
の輸送郵便局への改称、遠距離定型郵便物の船舶から航空への転換
とか・・・。
「投げ」作業やってて「青森鉄局」「長野鉄局」とかの付箋
見て「ふーん相当紙余ってるんだね」と思った記憶が・・・。
以上当時の東京中央郵便局第一郵便部第二郵便課(全国からの東京都区の
郵便番号上2桁10〜13宛担当)勤務の元バイト君でした。
追加です。こうなると鉄道とは全然関係ないですが・・・
当時の東京中央郵便局では区分機が入れるのも取り出すのも
人力でした。入れるのは入れるだけだから楽だけど、
取り出す方は番号別の箱が満杯になるとブザー鳴って区分機が
止まってしまうのでそれとの戦いでした・・・。入れる方も
バイト君だとそれなりに加減してくれるけど、相手が正規職員の場合は
加減がないので大変だった記憶が・・・。
当時現場責任者の課長補佐さんに「じゃ、あんた区分機やって」
と言われるのを何よりも恐れてました。
あれっていったん抜き取りが始まると無限反復横飛びの地獄なんだよね。 >>191
>>♪今日も元気に 郵便体操をいたしましょう!
>なつかしいなあ。
>
民営化された今も健在です。
カセットテープが延び延びになってヘタってるので、そろそろMP3で行こうかと。 >>194
ウチの課じゃ無理だなぁ。>mp3ファイル化
だいいち、ジサマばっかりで存在すら知らないwww
せいぜいCD化してCDプレーヤー寄越せって言う程度だよ。
>>196
それを携帯に保存して各自再生する、と。 >>194 支社によるのかな。
おれの周辺局(当時)では5〜6年前だったか、廃止の文書が出たって事で、
速攻でラジカセと共に処分された。
>>198 ぐぐったら見つけたよ。
ttp://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/bc/836809e/bc/8c19/%cd%b9%ca%d8%c2%ce%c1%e0.mp3?BCxsYcJBAqvU9Ug7 鉄道郵便局の業務開始前にもいたしたんでしょうか?
>今日も元気にいたしましょう 前から思ってたんだけど、イントロが♪カローラ2に乗ってに聴こえるの俺だけかな >>202
こう思うんだ、♪カローラ2に乗って、の作者の方がパクッたんだと。
流れ豚切るけど、鉄道郵便全盛期の年賀状って、どういう輸送体制だったのかな?
>>205
>>71に少し述べていますが、補足すると年末繁忙期の輸送体制と
しては小包等の増量に対応した輸送力増強が図られており、年賀
状そのものはあまり容積が大きくなく、定型高等信の輸送力の中
で送達されていました。ただ、特徴的なのは2ケタ区分で分配局
に送付して再分配という定形外や小包と同様の送達をしていたと
思われ、郵便車内でもゴムバンドで固定された把束単位で差立て
するもので、年明けに他の定型とごっちゃになるまでは車内での
1通ごとの区分は行わなかったと記憶しています。
意外に列車内には多く積まれていなくて、考えられるのはビジネ
スがらみがなく、一般の郵便物と比較して近距離への差出しが相
対的に多いのか、自動車便へのウエイトが高かったのでは。
余談ながら、年賀状を甘くみると痛い目にあったもので、郵袋は
並乙、航空乙など小さめですが、ゴムバンドでくくられた紙の固
まりで石のようなものですから比重がやたら重くて不用意に足元
に落とすと大けがするから要注意でした。もっとも夏の東門線で
揖保そうめん、鴨方そうめんの木箱が小包で出回り、郵袋を落と
してけがをした経験がありましたから年賀状ではセーフでした。
夏の風物詩と新年のあいさつ、共に侮るとけがのもとです。 高等信という言葉の意味を知る社員も少なくなったなあ。 >>207
そうですか。今はこの用語は使っておりませんか… 私も長年、
郵政から離れておりますもので。
鉄郵当時、格の上下で言うのはおかしいが、第1種定形などは高
等信であることから、そうでない速達小包よりは格上だったはず
です。というのも高等信が空輸するところを速達小包だと鉄道輸
送したり2ケタ区分で分配局中継で流れるので到達が遅くなった
りという具合で。 今でも通常配達で物量が多いときは「切手が貼ってあって消印が打ってあるのは今日中に配れ」って
言う時がありますが…
最近は日時が指定されている小包の方が送達に厳しくなりました。 会社名は伏せてお送りします、っても珍しい速達小包じゃあ
すぐに他人にバレるわなぁ>ヒサ○大黒堂w しかも差出人は社長名w >>210
>ヒサ○大黒堂
局員に知られるようお送りします >>212
有名女子アナの裏ビデオと称して、
その女子アナがニュースキャスターやってるのを録画したのを
代引きで売り付ける「代引き詐欺」ですね。わかります。
なつかすぃ…
俺ら伝送小包担当やってて、還付で返ってきたそのニセモノの配達証書いてたけど
小包番号だけでも半端ない数に… >>207
あまり使わないねえ。一般信はまだ一部生きていますが。 >>213
一時期発着に持ち戻りやら受取拒否やらの代引きが山のようになってたなぁ ピクトリアルの5月号が郵便・荷物輸送特集。
ネタ絶賛募集中だと。
鉄道雑誌だとどうしても鉄道側の視点になりがちだけど、郵便側の視点が入るとより面白くなるんじゃないかと。
これ逃すとこの分野が特集されることはほぼ絶望的と思われるので、
このスレ常駐の元鉄郵さん所蔵の資料はどんどん提供してほしいな。
(最後はクレクレでスマソ)
…もしや、すでに編集部から執筆依頼が来てたりして 鉄郵時代の区分細則、年賀区分細則、晴海北コツ南コツの
区分規定なら手元にあるけど。 いよいよ1月24日、25日にオユ10公開です。
ぜひ来てくださ〜〜〜い (^o^)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090124p/090124p.htm >>220
行きたいな〜〜
死ぬまでには行きますので
オユ10腐らせないで下さいね。 >>220
オユ10も見たいし牡蠣も食いたいが
今週末は雪が心配‥
そもそも寒そう‥ >>218
してもいいが、全部で1500頁は超える代物。
何か聞きたいことある? トリビアを一つ。
大型書留通常のみを納入した郵袋は、航空便差立ができなかった。
>>220
オユ公開ですが、24日は150人ほど。ほとんどがかき祭のお客
さん。25日は大雪でのと鉄道もほとんど運休となり、中止とし
ました。 >>228
仮に能登半島で冬場に公開しても暖房が引けないから
鉄郵体験したら寒くないですかね?
何処かからスチームを引き込めたら面白そうですが、さすがに無理ですかね‥ >>229
そうですね。スチームの湯気が台車下から上がればイメージ抜群
ですが、現在はスチーム管が機能しませんので、暖房するなら発
電機を回して電気ストーブでも使えば電気暖房ってところですか
ね。ただ、1日めもこごえる程寒かったというわけではなくて、
作業を楽しんでいたら1日は過ぎました。車内で何もせずじっと
していると寒いでしょうが、何かと身体を動かさなければ忙しい
ところです。むしろ、真夏のツアー見学が大変な暑さで、お客
さんも長居せずに車外へ出て行く方もいまして… クーラーだ
けでも何とかしたくて家庭用の設置とか意見も出ましたが車両
の原型を崩すとの意見が大勢を占めて見送っています。 >>230
工場で使うスポットクーラーで窓から冷風入れたらどう? つか備え付けのクーラーはもう死亡してんのかねぇ、
外部から電源を取るだけで動きそうな気もするが。
さすがに発電エンジンは死んでるだろうが、クーラーなんてそう簡単に壊れんよ。 >>231
車両にそれしている所って、京阪男山ケーブルですね。八幡市の
駅に停車中に「ひえゾウくん」とかいうゾウの形のクーラーがあ
って車内に冷風を送っているのでイメージはわかります。
問題はいちばん暑い作業室に開閉できるまどがないことで、一時
は壁をぶち抜いて配管して家庭用クーラーも考えたんですが否決
となりました。スポットクーラーで郵袋室や休憩室の窓から冷風
を入れても作業室に届きませんで。何より車体を写真撮影される
方も多くいて、廃車体活用の建造物みたいになりがちなところが
相容れず、暑さは我慢して、非冷房郵便車を肌で体験することに
落ち着いた次第です。
>>232 >>233
クーラーはガス抜けを通り越して死んでいます。床下エンジンも
です。何より内部の腐食で雨水が浸透し、錆び色の雨漏りがぽた
ぽた床にしたたる状態であったため、錆び止め剤を充填して、ビ
ニールシートをかぶせて固定するという工事をしました。
多額の金があれば、走行機器の修復と動態化、次にクーラー回復
ですけど、夢のまた夢。 >>234
ありゃりゃ、腐食はどうにもなりませんね、
暖房なら小型のダルマストーブでも持ち込めば簡単だと思うけど、
冷房は色々困難そうですね。 あの汗だくになって郵袋を振り回すのが良いのです。
長郵袋を復元できませんかねえ。 自慢にはなりませんが、夏場のツアー見学日には何かと車内の整
理に長時間いると大汗でして、昔の非冷房車乗務をいやでも思い
起こさせます。9月の公開にお越しいただくと暑い日になること
が多いので1日汗だくで作業を楽しんでいただけます。 >>236
長郵袋は新巻きジャケとかの長尺小包を納入すんのに使ってた椰子だよな?
おいらもバイトから数えて20年以上現場にいるけど、見ないな。
並甲、並赤、航空郵袋なら飽きる程見るけど。
>>238
三ヶ月位前に初めて見かけた…
長甲郵袋
なんじゃこりゃ!
と思いながらも大型締めて島流し
@長崎 >>239
なんと…
でもうpは叶わないよなぁ。
お勤め乙だす。
さて、出勤すっか。 >>240
乙です。
並乙なら時々見かけますが…
スレ違いスマソ 合造車の場合、トイレはどうしてたのでしょうか?
スユニ50は郵便室と荷物室のあいだにトイレがあるからいいとして。
キユニ28みたいに郵便室・荷物室・トイレの順に、
室内が配置されている車両は、荷物室を通してくれたのかと?。
あと、キハユニ26みたいにトイレへ行くのには、
客室を通っていったのでしょうか? 生理現象については今より昔の方が寛容だったと思う。
モンスタークレーマーも居なかっただろうし >>244
スユニに乗ったときは郵便室と一体になっていて使いやすかった
が、亀阪線の荷物専用列車で他にも荷物車が何両かあったから、
荷物室側の国鉄乗務員が使うことは皆無でした。
キユニみたいな構造だったら困りものですが、荷物室を通しても
らわないとね。もっとも通してほしいと頼めば拒否されることは
なかったでしょうが、誠に勝手ながら輸送中の郵便車は国鉄職員
の立入りは御法度モードでした。(例外はあったかも) >>246
>誠に勝手ながら輸送中の郵便車は国鉄職員
の立入りは御法度モードでした。
いや、モードではなくご法度。
郵便法第10条の「信書の秘密の厳守」に抵触する恐れがあるため。 国鉄職員が郵便室に入るのは禁止でも、
郵政職員が荷物室に入るのはOKだったとか?
今でも郵便車両は便乗禁止だね。 保守カキコ
>>249
確かに収集とかに使っている軽四のワゴンにも「便乗禁止」と書いてますな
所でオハユニ61みたく
[客室|WC|郵便室|荷物室]
な構造で荷物室に乗務しているニレチさんがトイレに行きたいときは、やっぱり郵便室を通ったのだろうか
まあオハユニ61を使っているようなローカル線だったら、原則はあっても郵政側も少々は目をつぶっていたかもしれんが
>>250
「便乗禁止」と書いてある車両は地域によって違うのかな。
東京支社管内だとNitteiのトラックや取集車で見かけるけど、
関東支社管内だと見かけない。
支店で小包配達用に使う軽4車両(事業支店所有車)にも書かれていない。
>荷物室に乗務しているニレチさんがトイレに行きたいときは、やっぱり郵便室を通ったのだろうか
書留の査数中に入って気まずい思いをした荷物車掌さんは多いはず。
でも鉄道局員と国鉄乗務員の仲が悪いとは思えず、休憩中は一緒にタバコ吸ってたりとかしてたんじゃないの?
郵便の現場も、元鉄道局員とか国鉄から転職してきた職員がほとんど退職しちゃってるうえに、
59.2も組合の昔話になってしまっている。 >>250
というかオハユニ、クハユニ、キハユニなどは、車掌の車内巡視に問題は生じない
のでしょうか?
これらの車両では、郵便室を通行しないと客室に出られません。
実際キハユニ26に乗車したときも、郵便室の扉が開いて車掌が客室に入って来て
いました(郵便室に鍵さえかかっていなかったような気が) >>251
>郵便の現場も、元鉄道局員とか国鉄から転職してきた職員がほとんど退職しちゃってるうえに、
おまいは知らないだろうけど、
当時20代前半でさっさと見切りつけて国鉄から転職してきた人も多いから
郵便の現場にはまだ結構な数いる筈だぞ。
ただあんまり過去の話をしたがらない人が多いけどな。 いるね。国鉄末期に配転の一環として郵政に試験を受けて転職した人。
不思議なのは精算事業団からきた人もいる。 >>256
いいかも知れないけど
入局当時まだ30代前半ぐらいの人だと…
( ´ー`)。oO放送大学の学生やってて、いつもスク休(スクーリング休暇)とってた
塩浜操出身のOさん、元気かなぁ…
国鉄以外の私鉄で輸送していた線路って、どういう線路があるんだろ?
俺が知ってるのは、米原貴生川線(近江鉄道)くらい。
南海電鉄と近鉄に郵便車があったそうだけど。
島原鉄道もあったのかな?
島原鉄道にキハ4500改造のキユニがありましたね…
あれってブレーキの方式的に他とつなげられなかったのではないかと
思うのですが単独で走っていたのかな?それとも実用には供されず?
それ以前は小柄なキサユニ?があってキハ55に牽かれてたそうですが
(終点では機回ししてたんだろな)… >>259
島原は知らんけど
1両くらいならブレーキ無しでもおkかと
実際それでトロッコ車両牽いて走ってる所もあるのだし 関係ないけど、澪つくし号って常用ブレーキは牽引する電車(SME方式)に
依存してるんだな。非常ブレーキは効くだろうけど。
ユ101号ってことでお許しを…では本題へ… 199−**は鉄道郵便で運んでいましたが、189にも鉄道郵便で
運んでいたのですか?? >>210
実家にいた頃、姉貴宛に変わった郵便物が来た。差出人は印刷だけど
毛筆で書いてあり、いったい誰なのかとすごく興味を持った。
電灯にすかしてみると、ヒサ○大黒堂の文字が。
姉貴が痔だってばれた瞬間だった。
ブルトレに郵便車が連結しなかったか・・・。
速達性から良さそうにみえるが。 >>265
今になって思えば阪福等の一部区間は航空便の代用で使えたかもしれませんね。 >>263
189あたりの「9」は鉄郵とは関係はない。地域によって移動局の子番号としたところと、
静止局として付定したところがある。
>>266
単に郵袋搬入の時間がとれるかどうかだったのでは?東門線での郵袋数を
想像すると、国鉄側がいい顔をしなかったように思う。
>>264
いつも新聞テレビ欄に広告の出ていた大黒堂。
いたづらで中学の同級生に送りつけてやった。 >>267
パレットなら可能だったのでは?
電源車の床面積的に無理かもしれんけどw 現行の【翌朝10時】は飛行機頼みだけどブルートレイン便が活用出来れば引き受け可能エリアが広がったかもしれない…
某郵便局の解体を巡ってすったもんだしてる鳩山さんが
鉄道郵便車にもちょっかい出してくれたら嬉しいんだけどな。 駅傍の本局って地下通路でつながってたんだよね?
まだ残ってるんだろうか・・・
専用軌道もあったとか >>276
そこの出身者@今年定年、の人曰く
地下通路はだいぶ前、昭和50年代にはコンクリで埋められたそうな。
まぁ、漏れもあすこを活用して翌朝搭載とかって妄想こいたこともあったけど
考えてみたら取り扱い方とか設備投資とか大問題ありすぎるし
ただでさえ赤出してる商品のために元もとれないようなことする訳ないんだよな… >>278
確かに微妙・・・
個人的には、寿都鉄道に無認可郵便車があったって事と、
米原貴生川線の時間が載ってた・・・くらいかな? 結局このスレの偉い人たちも資料提供しなかったみたいだし
大した記事が集まらんかったのかもね
それを微妙とか文句付けるのは筋違いかと 今回の特集、郵便に限った話じゃないけど「輸送」って言ってる割には車両(の分類)の話メインなんだよね。
運用とか、システムとしての視点からもうちょっと取り上げてほしかった。
システム話じゃ売れないのかもしれないけど。
>>278
買って読んだけど…このスレの住人には物足りない特集だと感じた。
ピクのアーカイブセレクション「国鉄客車開発記」に載ってた郵便車に関する記事の方が読み応えがあった。
たぶん、原稿募集の段階で思ったよりもネタが集まらず編集部も困惑したんだろうな。
結局、写真原稿しか集まらなくて車両特集になっちゃったんだろうね。
現在の鉄道コンテナを用いた郵便・小包輸送の話も少し触れても良かった。
さすがにそれをやると鉄道趣味雑誌の範疇を逸脱しそうだし。
ちなみに鉄道博物館のライブラリーでも鉄道郵便に関する書物は少ない。
逓信総合博物館の資料室に行って漁ればいろいろ出てくるとは思うんだけど。 テーマの持つボリュームからすると優に2分冊になってもいいように思ったけど、
やや掘り下げが少ない感じ。車両の紹介は確かにこのスレの住人の方はわかりきった情報
といえるが、広範な読者を対象とする趣味誌である限り仕方ない面もあると思う。
できれば、以前食堂車従業員の手記のようなものがあったように、このスレの方のように
現場に関わった方の苦労話があったら面白かったと思った。
ただ収穫だったのは、クモハユ74の就役時は一般乗客にも開放されていたという点、
これは発見だった。 このスレ面白いですね
自分は集配なんですが、職場のベテランの方の鉄郵時代の話は興味深い話ばかりです
最近は仕事もきつくて鉄郵魂もそろそろ限界だなぁなんて言ってますけどねぇw >>258
乗務していたころの路線図(S53)ですとおっしゃる米原貴生川線
のほか諫早加津佐線(島原)もあり、いずれも扱便を運行してい
ました。しかし、S.59.2.1で両線とも廃止となっています。
それより少し前ですと
大阪和歌山線(南海) S.47.9.25廃止
伊集院枕崎線(鹿児島交通) S.50.3.10廃止
がありました。
近鉄については手持ちの資料ですと郵便車は相当古く
柏原河内長野線(長野線) T.14.3.31廃止
しか判明しません。
参考まで近鉄は昭和50年代も郵袋の託送便を走らせていまして
大阪では鉄郵はノータッチで、中郵が上本町駅に差出して荷物
札をつけて伊勢や沿線の局、積替えで名古屋、上野などにたぶ
ん高等信だけを運んでいました。亀阪線や名和線よりも速度が
速いので経費は高いが活用されていました。
車両は鮮魚荷物電車で鮮魚商さんや他の小荷物といっしょに乗
っていたのでしょうか。
その他、託送だといろいろな私鉄や国鉄荷物車、路線バスなど
で郵便物輸送をしていたようです。
>>276
大阪駅の場合、中央局地下と駅地下通路で結ばれていたけど、現
在はブロック塀で仕切られているみたいで。
専用軌道があったのは東京ですな。
>>280
ところがうちのメンバーに寄稿要請ありまして22-24ページを担当
しました。 能登中島のオユ10のクーラー直すのってどれくらいかかるの?
しかしクソ重たいエンジン積んでる割には「オ級客車」なんだよね。
新性能客車だって発電エンジン搭載車両は「ス級」だろうに。
座席の有無がそんなに影響するのだろうかな。
マニ50みたいな軽い車両もあるからいいのか
でもあれエンジンないよな。 >>287
クーラーは修復不能。乗っかってるだけ。 >>287
>>288
オユ10のクーラーってキハ58のクーラーと同じ形式だったような…
廃車から載せ換えできないかなぁ?
発電機もキロ28と同じような出力だから、重量は大した事はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています