>>147
既にレスがついていますが、そのまま船内で区分していました。
区分後、郵便車からデッキに上がって休息を取っていたので、
どこかに専用の出入り口があったはずです。
冬場の天候不順時は、連絡船に搬送後、直ちに区分作業に当たっていました。
時化の時は竜飛岬を通過するまでに終了させないと区分どころの話ではなく、
それこそ大変な騒ぎであったといいます。
しかも青函は、青森函館それぞれに最近区間が設定されていたので、
受渡欠便を防ぐために、あるいは状況によっては各便長判断で、
青函乗務員宛郵袋の作成時に何らかの判断が働いたかもしれません
(阪青酒青、東青盛青はともに青鉄持ちなので事情は聞き伝えていたはず)。

>>149
冷暖房はともかく、車内灯の電源確保のため、
郵便車の位置はある程度固定されていたではないかという指摘があります。

>>152
そうです。
9-XXは鉄道局で車内継走区分していました。