>>147
はい、お答えします。「青函乗務員」は国内で唯一、船内で作
業していました。もっとも、聞くところによると、船底の車両
甲板はディーゼルエンジンの排気ガス防止と火災防止のため、
停止させられていたため、夏場は冷房が使えず蒸し風呂状態だ
ったと思われます。冷房車に限って扇風機はないし、風通しも
望めないし、大変だったでしょう。ともかく、その車内で区分
作業をしていたはずです。航行はたしか3時間50分だったか、
でも青森又は函館のホームで乗ってから対岸の駅で降りるまで
ならもっと長時間でしょうし、船が動き出すのが感じられたの
か、汽笛が聞こえたのかなど、興味は尽きません。ちなみに文
献によると、同航路は開設以来、郵便積載をしていたらしいが
戦争中断を経て、昭和23年から再開、と言っても青森、函館で
郵便車の郵袋をいったん貨車に積替えて船内に押し込み、船倉
内に設けられた郵便室で乗務員が貨車から出した郵便物を処理
していたというものです。しかし、駅での積替えと貨車の押し
込みに時間がかかり、貨車から郵便室までブツをかついで往復
したり、室内がエンジン騒音、排気採光不良で大変な環境で能
率も上がらなかったことから昭和29年に郵便車航走が実現して
スピードアップと環境改善が図られたということです。
なお、外国では旅客を乗せたまま連絡船に押し込み航走すると
ころもありますが、青函航路では洞爺丸沈没事故なんかあって
実施に踏み切れなかったと聞いています。その点、青函乗務員
は航行する船内で郵便車に乗ったまま移動したので、一種独特
の乗務であったと言えます。もっとも、高波で船が揺れると列
車の走行で揺れるのとは違った感覚があったでしょう。
危険と言えば列車の揺れもずいぶん悩まされたもので、積み上
げた郵袋がくずれるわ(私の積み上げ技術の欠如)、ポイント
通過の横揺れで車内でこけたことも数知れずです。