>>107
キハユニ16に続き、キハユ15の話題になりましたね。あれを初めて
見たのは加太越えを撮影した帰りに、加太駅に新性能電車モドキの
いびつなマスクの車両が先頭で現れたときで、前半分は見事に窓が
ない車両にカルチャーショックを受けたものでした。後年、四国で
あれの同類マスクに見慣れるまでは、キハ先頭車のスタイルから
大きく逸脱した中間改造車は好きになれず、播但線のキハユニ26に
すごくあこがれていたものです。(中学生がそういうものにあこが
れてどうするのか) 加太でも郵便局員の積込みに視線が釘付けに
なり、乗り損ねるところでした。
そして、その8年後にそこの路線を乗務することになります。関西
本線は郵便では「亀山大阪線」(通称かめはん)でして、当時は
客貨分離のあとで、主要幹線同様に荷物列車で、何両かの荷物車の
真ん中にスユニが連結されてその半分の郵便室で暑い中奮闘しました。
ここでベテランの皆さんにキハユ15について聞くと、
・昔全部客車のころは郵便車は客車列車についていたが気動車になると
 変なやつ(キハユ)が連結され始めた
・夏に乗ると客車よりもえぐい暑さで、エンジンの熱気が薄っぺらい床を
 通して車内でこもる。床が焼けてるかと思った。
・大阪の受渡し駅は客車時代を通じて湊町だった。荷物列車になってから
 貨物駅の百済になって行くのも面倒になった。
ということでした。資料によると6両が改造で作られ、4号だけ亀山に
配置だった以外は後にキユニに再改造されたとか。4号はキハユのまま
昭和53年に廃車されています。国内では「ハユ」タイプは少なく、使い
勝手が悪かったみたいです。