>>105
私が現役のちょっと前にオハユニは衰退していて、五能線、城端線、
小浜線あたりが最後の活躍の場でした。保存車両のオハユニに入った
ときは「よくこんな狭い車内で作業をしたもんだ」とか思いました。
おっしゃるのは国鉄和歌山線で、郵便線路としては王寺和歌山線、
縮めて「王和線」でした。そうですか、C58が牽引、郵便室にもお乗り
になったとは…。東京直通の寝台車を連結した列車もあったはずです。
私が鉄郵にいたときの王和線はキハユニ16とかいうのが走ってまして
ファンにはちょっとした人気者でした。
いろいろ苦労はあったみたいですが、今でもSL牽引郵便車で作業したい
と思うことはあるし、保存郵便車を引っ張ってもらいたいというのが
実感です。ドイツやイギリスではどちらも実現まっただ中なのですが。

>>103
うちのオユ10にも黒板はあるのですけど、つやがなくなってほとんど
使っておらず、業務上のメモはホワイトボードに書きます。でも、
チョークを備付けてこんど書いてみましょう。積込み郵袋数は少ない
ですけど。

>>104
私もいまだ疑問でして、東北からわざわざ持って来なくても宮原あたり
にごろごろいたのでは。状態など車齢の若いものでよいものはあった
はずです。乗務していて一番よかったスユ16なんか残してほしかった
ものです。空気バネ台車で20系天の川に颯爽と連結されてました。
でも、軽量客車の後期のものは、風雨にさらされると劣化も早く、
同じように保存を続けていたらオユ10と比べてどれだけ持ちこたえた
かは疑問です。あれだけあった郵政省所有車でも、オユ10で2両、
スユ15で1両が車体をとどめている以外は、知る限りでは、キユ25が
レストランに転用されたとか、オユ14が下関の港で車体が3つに分断
されたがすでにないとか、もっと残ってないものかと残念に思います。
それでも数奇な運命に左右されながらも能登で生きているオユ10に
ぜひ会いにきてやって下さい。車中継送区分作業の小道具はそろえて
いますので、作業をみんなで存分にしてやるとやつも喜ぶと思うの
ですけど。