鉄道郵便を語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
郵便車 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html
古くは、車体側面に〒投函口を持つ車両があったと聞くが、
流石に実際にみたことはない。 燃費が高騰してるからまた復活させてもいいと思うんだけどね...
あんなに専用車両を作る必要性があるのかどうかは疑問だが...
(昔は宅急便とかなかったから仕方ないのか)
フランスのTGV郵便車両は有名だけど、
海外でもあんなに専用車両や専用列車が走っているのかね
日銀輸送みたくお金も運んでいたんだっけ? 外国でも、西欧では減りつつあるらしい。
郵便そのものの取扱量も減っているのだろうか。
S55ごろ、新幹線に郵便物を積載との案が出たが却下。 ヨーロッパだと、路面電車に郵便差出用のポストがついてるのを見かけるよね。合理的だと思うけど。
それはそうと、国立の郵政研修所に郵便車が保存されてて、希望すれば、中の見学もできますよ(少なくとも数年前まではできました)。有名なことなのかな? >>7
wikipediaによると、あと、
のと鉄道・能登中島駅のオユ10、
青森港・八甲田丸のスユニ50、
小樽市総合博物館のキハユニ25が保存されてるそうな。 Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ 郵便車に限らない(または必ず連結されているとは限らない)けど
なぜ、昔の大型時刻表とかには、一部主要幹線の
荷物列車の時刻が載っていたのだろう? >>12 そっかぁ!
手荷物を送るときは早めに送っておいて、駅留めにしたのかな?
郵便と関係なくてすんません >>12
荷物列車は一応、旅客列車のカテゴリーに入っていたからね。
荷物列車が国鉄の貨物局の担当になるのは末期になってから。 昭和61年に全廃されたと記憶しているが、当時郵便局でバイトしてて、
元鉄郵の職員が数名転勤していたのを覚えている。
郵袋に付ける札に「○○鉄道郵便局」というのが残っていて、
もう使わないからと数枚頂いて帰ったこともあった。 明治の鉄道郵便の授受はタブレットみたいにホームある装置にひっかけた
たまに乗務員が郵便袋ごとホームにおちたりしたそうな
逓信博物館にその装置があるそうだが倉庫の中にあるそうだ 関係ないけど、日本郵便(馴染めね〜)とマル通の統合で
ペリカン便のコンテナはどうなる? 懐かし板行き? 鉄道電話のスレもあっていいのでは?
全国どこでも駅間ならタダでした。 夜行客車列車やら、長距離客レが各地にあったのも、
特に廃止直前の末期は郵便荷物(ユニ)があったせいだとか?
客はほとんどいなくても、各駅で積み下ろしはそれなりとか >>18
国鉄と契約している旅館とかにも鉄電設置しているところもあったな
遠距離だと音が小さいとか難点もあったけど
スレ違いスマソ クモユ141
大垣夜行347Mの先頭を飾っていたな >>18
知人の父君が、国鉄の保線の下請けの責任者してたころは
非常呼び出し用なのか、自宅に鉄電がひかれていたそうだ。 30年前の東海道でEF58が牽引する青い列車や
クモユニ74をよく見たなぁ >>20
昔国鉄に勤めてた死んだ爺さんが言ってたが、
電話局の電話より国鉄の電話の方が長距離でも良く聞こえてたと言ってた。
その爺さんは戦前秋葉原で荷物の発送作業に従事してて、
入社当時似た様な駅名で乗せる列車間違えたりして良く怒られたとか言ってたw
スレチゴメン。
国鉄の鉄道電話は通信自由化の前に存在した
日本最大の専用回線網かもね。
郵便車が連結されてたかは覚えていないが、東海道線の荷物列車を
ごく短期間、EF62が担当してた時期があったね。
SG搭載してたための起用だったとか。 >>28
EF62が搭載していたのはSGではなくEG。あの頃には旧世代のマニ車・オユ車は
殆ど淘汰され、東海道〜山陽・九州方面も2000番台車で運用されていた。
EF58老朽化に伴う後任には色々検討されたとかでEF65にEG積むとか、EF70を
直流化改造するとか案もあったが結局59−2で信越本線(特に碓氷峠)の貨物列車が
なくなり余剰の出たEF62が起用されたもの。
(横川〜軽井沢間以外であればEF62以外の電機でも客レ、カモレに起用できる)
もっとも、山岳線区用のEF62は高速域の出力がEF58にも劣り、ニモレのスジは多
少寝かされた由。
結局分割民営化も元号の変更も待たないうちに郵便・荷物輸送から撤退する事になって
EF62も悉くあぼーんしてしまったけど…勿体無いなぁ〜と当時思ったものだった。 >>28
鉄道への興味が失せた頃に見たなぁ。
「あー、EF62がこんな所を‥‥EF58はいよいよか。。。」
と思ったよ。
>>19
高崎線に1982年まで1往復だけ客車普通列車が残っていたのは鉄道郵便輸送のため。
列車番号が変わっても車両自体は上野〜高崎〜長野〜長岡〜新潟へ行くのは有名な話。
1982年以降はクモユ143の増備でオユ10、11を追い出し、クモユ141とともに運用に就くが、
1984年で車中区分廃止、トラック輸送切替の暫定措置で残っていた護送便も1986年で廃止。 >>18
日本交通公社(JTB)の時刻表編集部にも鉄道電話があった。 鉄電なら…
国鉄〜JRの取引業者なら大抵はあったよ。
電通にもあった。
国鉄時代からキャンペーンを請け負っているためか。 今の様に速達を航空機で運んでいないで、
新幹線もなかった頃は、
各方面への一番早い接続列車(特急又は急行)の
郵便車側面の差出口に速達分の切手を貼って出すのが最速だった。
大きな会社の庶務課とか文書課では、
急いで届ける書類が出ると、
年配の主みたいな物知りが、時計をチラッとにらんで、
小使いさん(使いっ走りボーイさん)に、 例えば
「東京駅21時30分急行筑紫××番線、九州行き速達5通」
なんて怒鳴っていたそうだ。
それにも使える『定期入場券』をいつも持っていて。 >>34
確かにこれは早いよな。
丸の内勤務で夕方に東京中央局に走らされた事務担当者は多いはず。 大阪駅で見た、郵袋を満載した台車を何台も連結してホームの上をノロノロ走っていた光景が懐かしい。
大阪駅も改装が進んで当時の大規模駅の雑然とした雰囲気は消えつつある。 >>34
郵便車側面の差出口
これって研究している人いないのかな。形式図をみて気になっていたけど
まとまった発表て無いよね 東京、名古屋、静岡、大阪、博多、鹿児島
といった大都市の本局が駅のそばにあったのも
鉄道郵便の絡みだったのか?
>>40
昭和30年代くらいまでは一桁酷道でも未舗装があった時代だからね
遠距離に発送する手段としてトラックはまず考えられない時代
市内で集めてきた郵便物を本局に集めて大まかな方面で仕分けて列車に乗せるのが一番効率がよい
必然的に都市の代表駅そばに本局置くのは必然じゃない?
列車に乗っけておけば未仕分けの物も車内で仕分けできたわけだし >>40
そのとおり。鉄道郵便車から移送しやすい駅前に建てられていることが多い。
よく集配普通局のことを「本局」というけど、郵政の現場では言わない。
「○○中央局」はその地域の基幹となる局で、中央局をハブにして周辺各局へ輸送された。
地域間輸送の中核を担っていた。
ただ、中央を名乗っていても、地域間輸送の中継局にならない場合もある。
群馬県では前橋中央よりも高崎が中継基地となる。これは交通の便を考えれば理解できるはず。
こうした地域間中継局を「地域区分局」と呼ぶようになったのは、鉄道郵便廃止以後の話。
トラック輸送にシフトされた現在では、渋滞が激しい都市中心部よりも郊外に中継基地を置くようになっている。
東京だと新東京、名古屋だと名古屋集中(現神宮支店)、埼玉だと新越谷、宮城だと新仙台といった具合。
特に新越谷は越谷貨物ターミナルのすぐそばにあって、主にゆうパック(小包)の区分、輸送を行っている。 東京駅と東京中央郵便局の間は地下のトンネルでつながってて、ベルトコンベアーで郵袋を流してたそうな >>44
今もありますよ。局舎建て替えに伴い八重洲側のビルを借りて一時移転してますが。 東京中央郵便局の地下窓口とか、昭和初期の風情があって良かったのになあ…。 >>40
東海道だと、搬入搬出の便を考えて局は神戸方に建てられていた、というのを聞いたことがある。 東海道では郵便専用の地下通路とかがあった駅もあるね >>48
確かに東京、横浜、名古屋、京都、大阪・・・みんな神戸方にあるな >>8
保存車は結構ありまして、スユニ50だと小樽、三笠鉄道村、佐呂間駅跡などにも。
小樽はスユニ、キハユニのいずれも車内に郵便物持ったままじっと直立している
マネキンがいてちょっと同情したくなる。 まだ旅客車が全車冷房でなかった時代、郵便車に冷房がついている車両を見て、
いいなあと思ったり。 自然通風(後に通風モーター強制換気)では辛いと思った。
窓は少ないし、大事な郵便1通でも風で飛ばしたら厳罰もの。
信書の大切さは第一番の厳守事項だったとか。
車両が鋼鉄製になると、熱の篭り方は物凄い状態に。
旅客車両は夏は窓全開で扇風機も廻る。
それにしても、蒸気機関車の運転室は開けっ放しの通風だけ。
夏でもストーブの前での勤務、凄すぎる・・・。
水泳の鈴木大地君の金メダルを聞いた時、
お父上が昔SLの機関士で元々身体のつくりが違うと、妙に納得した。 >>52
車両は郵政省の予算だったから
国鉄と違い贅沢できたわな あと郵政の組合も強かったしな
一般の庁舎並みに冷房するためならAU13積ませるなんて大したことでない、と言う意識か 1M車であるクモユ141のクーラーを自車電源で動かすなんて
今考えても大変な技術だったかも。 素朴な疑問なんだけど
スユニとかキハユニみたいな合造車の場合は
国鉄の車両に間借りして郵便業務をおこなっていたのか? スユ44は、郵便車であるものの、パレット方式で、ほとんどワキみたいだった。
やはり客車タイプなのが味がありますね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています