消えた機関区
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稚内から鹿児島まで主要な駅には機関区があったよね。 >>521
そのようで。
てっきり支区かと思ってた。 >>524
あそこの駐泊所、いい雰囲気だったなあ。炭台もあって転車台もあって。
小さな詰所も・・・。
小海線の撮影を終えて上りの急行「アルプス」に乗りながら窓を開けると
一仕事終えてきたC56がのんびり休んでいるのをスナップできたっけ。
あるときは2両もいたな。ダイヤの関係だろうか しかし電気機関車やディーゼル機関車を運転士が運転しているのはわかるが、蒸気機関車を運転している人の職名が運転士というのは何か間違っている
機関助手の仕事は今では運転士がやっているが、職名が運転助手じゃシャレにならん 明治時代に日本鉄道の機関助士たちが、当時の「火夫」という職名を改める要求を掲げ
ストライキかなんかをしたという話を思い出した。 蒸機時代の機関区、あちこち行ったなあ。みなさん親切だった。
数十両配置の大機関区もよし、数両のこじんまりとした機関区もまたよし。
かつては幹線の大機関区で大型機がたくさん配置していたが、電化は DL化などで
支線用の数量だけになってしまっていたところはなんかわびしかったけど。 機関区だけでなく、駅員も保線区員も踏切手も操車掛もみんな親切でやさしかった
子供だったせいもあるんだろうが
ただ、東北のひとのなまりがえげつなくてほとんど会話にならなかった覚えがある >>529
私には「んだ」しかわからなかった津軽弁 >>529
手作りのガリ版刷りの配置表とか「機関車の動くまで」のイラスト入り手書きの紙とか、ヘルメットをかぶり裏に「運転士」とか描かれていたお古の腕章を付けると
いっぱし区員になったつもりになったよね。
「おい坊主、運転室に乗って石炭くべてみるか?」とか言われたり。 >>530
蒸機末期は新左翼が労組に入ってきて反合闘争とかで内ゲバやったり、
構内をシュプレヒコールしながらデモしたり、助役に暴行したり
カマにスプレーで書きなぐったり
していたからあまりいい覚えがない >>534
たしか、まったく無いはず。
転車台は本牧に移転、D51と一緒に展示されてるが。
あの機関区が総撤去されたのは、たしか1986年(昭和61年)以降じゃなかったかな?
1985年(昭和60年)には機関区の横(1号線)から扇形庫を覗き込んだことがあるが、
既に扇形庫の中は線路がところどころ剥がされていた記憶がある。
まだスカイビルの展望レストランも在ったな。 横浜機関区廃止後、機関区付近で解体準備中の大量のDD51を発見!
眺めていたら、解体業者さんから250万円で買わないか?と持ちかけられたのはいい思い出。
輸送料別だけど、といわれたので断念。 素人相手に随分と吹っ掛けたられたな。
国鉄末期だったら電車が20万円そこそこ、機関車でも20万円からだったな。
それでも買い手がさほど居なかったのは、輸送費が本体代を遥に超えてる為、
置いておく敷地が無いなどだった。 「場所と輸送料があれば蒸気機関車がもらえる。タンク機なら置けるかな?」と言ってたジイ様を思い出した。
結局、デフを切り取った鉄板に取っ手を付けてもらった「鉄板焼き用鉄板」だけが家に来た。
今でも納屋にあるはず。 >>538
昭和46年47年頃だったかな?国鉄が廃車になった蒸気機関車を無償(タダ)であげると新聞で広告打っていた覚えが。
ただし運搬費用は実費と記載されていた覚えが。
解体費用をかけるより、無償で引取って貰える方が良いみたいなことが書いてあったような。
どれだけ応募があったか判らないが、ここ30年位の保存歴を某HPで見ると、そんなに引取手が居なかったんだろう。 >>537
確か、コンテナは一時期タダだった気がする。
でも、やはり輸送費はかなりかかるので、躊躇する人間が多かったとか。
(一般で倉庫や物置小屋として使われたのを見たことがある。
確か、当時陸送20qで8万円とか何とかと、雑誌で見た。) >>543
コンテナを購入した学校があって、その中で生徒が熱射病で亡くなってしまうという痛ましい事故もありましたね スレチだし前にもどこかに書いたけど、33年前のある日、
西鹿児島の駅前に「引越は国鉄コンテナで」と書かれたコンテナの現物が置いてあった。
昼間に見に行くと、扉が開いていて、中で職員が引っ越しの受付をしていた。
年度末で入学・就職・人事異動のシーズンだったのだ。 >>545
あのコンテナは、九州各地を巡回して営業してたんだよ。 高島機関区の跡地から出てきた車輪が今もオブジェとしてみなとみらいの道路に置かれていますね。 >>549
あの車輪、関東大震災時の被災車輌一部。 >>543
空のコンテナ輸送運賃20`で8万はぼったくりだな
現在なら一般貨物で運賃8万貰おうと思ったら大型で最低500`は走らんとあかん 稲沢はなんで愛知機関区なんて名前になっちゃったんだろう きっと区名札を「愛」にしたかった奴が当時の担当幹部に居たんだよ
直江好きかは知らんけど あれだけの規模だった高島機関区だから、みなとみらいになった今もレールの1本くらい残ってないのかな?
同じ神奈川県の大船と藤沢の間にあった貨物の施設も跡形もない。 高島高島ってしつこい奴がいるが、
高島機関区は昭和22年の時点で改称して横浜機関区になってる
あと、横浜機関区自体の規模は決して大きくはない
操車場がでかいだけ
レールが残ってないのかとかくだらん質問を繰り返す馬鹿
みなとみらい地区に実際いってみろ、もしくはグーグルマップでも見ろ
東海道本線の貨物線が東高島方面から地下くぐって(このトンネル出入口
付近に昔の高島貨物駅の上屋ホームがあった)桜木町に抜けてる以外は
鉄道の痕跡は皆無
高島機関区は高島貨物駅とは隣接してるが別地区、高島操車場はまた別
っていうか再開発の時代すら知らない奴にいってもしかたないな まあ良いじゃねえか、本人は必死に探そうとしてるみたいだし。
横浜機関区の忘れ形見は本牧公園に移設された転車台位じゃないか?
後は無いだろ。 >>555
ただ、乗務員と車両を分けたとき 乗務員区に 稲沢を取られただけでは やっぱり末期の竜華に一票。
ED60、EF15、EF58、DD13。
3942446699139147170、呪文のように今でも言える。 あの辺で昔のレールが残っているとしたら新興地区くらいじゃないか? >>544
風の子学園のC20の事?
あれは事故ではなく事件
わざとコンテナの中に放り込んだからあんな事になった
Wikipediaによると現場のコンテナはまだそのまま置いてあるらしい >>518
名古屋第一・姫路第一はともかく、広島機関区にもECウテシ配置されてたの? 勝浦機関区の運転区化後、木原線はそのまま勝浦運転区が担当していたのかな? 竜華の近所の食堂に鉄チャンの大将がおって
いろんな機関車の写真とかを店内に貼り出してたなあ
機関区の職員の皆さんも食事に来てたのかな 鳥取機関区、後に、西鳥取運転区、今は鳥取鉄道部になった。
米トリ 西武の所沢にあったのは、機関区ではなく検車区だった。 大手私鉄最後の機関区は東武
杉戸(既出)、坂戸、館林
杉戸の建屋も区画整理のため遂に解体された
坂戸は相変わらず保線関係の機材置場?
館林は電車の更新改造作業場 竜華機関区の動画あるよ。ただしテロップの撮影地点が怪しい。
http://youtu.be/77B-qo-FN3E 竜華は入れ替えに控車を使ってたよな。機関車の前につなげてそこへ操車係が
乗って誘導していた。機関車のデッキにぶら下がるんじゃんなくて安全でよかったね。
ロヒ(ロは4分の1倍角)だけど制式なのかな? 「ヒ」控車に65km/h制限の 特殊標記符号「ロ」を冠したんだ。同時に側面に黄色い帯をペイントするルールもある。
制式だよ。 >>573
阪和貨物線から関西線への渡り線の位置を竜華(信)としてる。ちよっと混乱するね。
阪和から関西線下りをこえて上り発着線(城東貨物線側)へ、電機機関車が貨物列車を引き込んだ時期は短いはず。
ちよっと珍しく思いました。 横浜みなとみらいに空き地多いけど、どっかに線路残ってないのかな? 酒田機関区の【酒】標記の区名札が妙に格好良く感じてた
ひと頃はEF81の一大拠点だったよな 蒸気時代は扇形庫など格納庫に納めたってイメージなんだけれど(全部では無いだろうが)
電気は基本野ざらしで、あまり丁寧な扱いを受けていないイメージ
俺が無知なだけで、古典電気など蒸気全盛時代はちゃんと格納してたのかな?
扇形庫は格納目的というより、出庫時方転の必要性ゆえの効率化が主で、格納は二の次? 電機は扇形庫には入れないんじゃないかな。扇形庫は蒸気の方転が楽だからああなってるわけで
そもそも庫内や転車台に架線を張るのは難しいし、電機は側があるから雨ざらしでも困らない
蒸気は保火作業の必要があるから屋根がある方が都合がいいんじゃないかね SL末期の沼津機関区は、電機が転車台の上をスルーできるよう架線が張ってあった
さすがに扇形庫内までは張ってなかったと記憶、↑な転車台って珍しくなかったのかな >>583
こんな感じで?
ttp://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/maibara/d50200.jpg
ttp://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/maibara/d51501658383.jpg
ttp://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/maibara/ef65.jpg
ttp://homepage1.nifty.com/naro/rail/dd50/dd50_02.jpg 今じゃ想像付かないが武蔵五日市に機関区あったんだっけ? >>585
最初と最後の写真は米原ですね。
2枚目はどこでしょう?
3枚目は吹田第一?
SL全廃後の奈良と竜華の扇形庫には
EF52が入ってましたね。 >>588
1-3枚目はURLにmaibaraとあるので4枚とも米原では? >>589
確かに(笑)
しかし2枚目の写真はD51ばかりで
D50やE10のイメージとは違うね。 伊那松島みたいに
電車が常駐していた機関区てどんくらいあったのかな 豊橋区・同中部天竜支区が伊那松島区と同じ性格で長期配置
変わったところ(暫定的含む)では、敦賀第二区・岡山区・長岡第二区・沼津区(冨士電車区からの移管)・
富山第一区城川原派出所(富山運輸区の改組)あたり
機関区は基本機関車の配置なので電車導入となると運転所(区)や電車区への配置がほとんど
DCだとローカル線では乗務員兼用のかねあいもあって機関区のままの場合が結構あるが、
客車は暖房車以外は配置実績はないようだ(運用からして当然か)
逆に電車区への蒸気配置だと大垣、気動車区だと四国各所その他があるが
さすがに客車区への蒸気配置はない
飯田線関連は何故飯田線管理所や運転区に改組しなかったのか不可解、私鉄買収路線なので放置されてたのかも 地元の図書館に『国鉄「東京機関区」に生きた』という写真集があったので借りてきた
内部的な写真が多くて興味深い内容だった
定年退職する乗務員が最後に東京に着いたブルートレイン牽引の機関車を品川操車区まで「お別れ乗務」したりしていたらしい >>593
労働運動的な側面に結構スポットがあたってたね
その本 >>592
DCはむしろ機関区配置の方がそれ以外より多いよね
S40〜50年代の頃にDCが配置されてた機関区って北海道だけでも稚内、名寄、遠軽、旭川、深川、池田、釧路、苗穂、苫小牧、室蘭、倶知安、長万部、函館とこんなにある(なんか漏らしてるかも)
全国書こうかと思ったけどあまりに数が多すぎてやめたw >>594
俺もそれ見た
今までなかなかそういう本はなかったから面白かった
メーデーの時の写真のEF65の形のプラカードがかっこ良かった トレマ付けた66と65ずらりと並んでいた東京機関区が跡形も無しか・・ 品川駅の暗くじめじめした長い地下道をわたって港南口にでる
と左手バス乗り場手前に常盤軒の立ち食いそば、
品川丼を食べてから
屠場からただよう枝肉や臓物のにおいから逃げるように
そこから線路沿いに歩くと下水処理場つきあたりが
品川機関区と品川客車区の入口、
DD13が停留してる脇をずんずん奥にいくと
新幹線の高架の先に田町電車区と東京機関区の入口
EF65・EF58、たまにEF10やEF15
どれもありふれていて、新鶴見が地元の俺にはあまり魅力なかった 25年前、古本屋に並んでた「鉄道ファン」誌で一番古い一冊(キハ181が表紙)をめくったら、追分機関区の記事が出ていて呆気にとられた。
赤字の中、新品が真っ先に廃車って…。 昔の大宮機関区蒸気機関車は、白地に赤で『大』だった。
また、厚狭機関区は、グニャリと曲がった『厚』 >>601
たしか「厚」の「子」の部分がぐにゃっと曲がった感じで…。
象形文字のような 厚狭に緑ナンバーのD51がいたなあ、あと門鉄デフ装備D1で唯一保存されているD51272号も(昭和47年頃) 昔、篠栗線・勝田線を走った、C11
香椎機関区、吉塚機関支区 『塚』 吉塚区は直方区西戸崎支区と統合して香椎区になった
香椎区吉塚支区というのは存在しない そうだったな?しかし、西戸崎が直方機関区の
支区とは初耳だったね。 青森区や盛岡区に第二機関区が無かったのは不思議だったな。
結構な規模なのに。
仙台地区は旅客の仙台区、貨物の長町区に分かれていたからなおさら。
青森第二機関区:区名札「青二」
などという声優ネタをやるつもりは無いが。 >>597
赤い76と75に銀の81と30が並ぶ
門司機関区も懐かしいですね。 消えた機関区は良いスレッドですね。
蒸気機関車の場合、形式によって、機関区・運転所・運転区と言われる所に配属されて良い形式、悪い形式がある。
例えばC11は運転所と言われる所に配属されても何とも思わないけど。
会津若松が良い例ですが
D51は、運転所と言われる所に配属されていると違和感がある。例えば、長野・下関が。
話がずれて悪かった。
山口では、奇妙な名前の機関区があった。
正明市機関区、後の長門機関区
機関支区かどうか判らぬが、宇部港駐泊所
厚狭機関区の支区?、宇部港・宇部線、小野田線の専門区?
山口線のD51で山口線管理所があった。奇妙ですね。 >>609
C11は電車区配置もあると前にどこかで聞いた気がするが気のせい? 昔、広島には、広島第一機関区と広島第二機関区があったという。
広島第一は、山陽本線の貨物専門区で、広島第二は、山陽本線の旅客専門区並びに、呉線・可部線・芸備線の担当であったという。
広島第二機関区は、機関支区に毛の生えた位の規模しかない。 C11が電車区配属は、見た事もなければ聞いた事もない。
それを言うならば、C12でしょう、 加古川気動車区。 蒸気機関車の場合
貨物専門区と旅客専門区の色分けが厳格な程明確だったらしい。
例えば、直方は貨物、若松は旅客
鹿児島は旅客、出水は貨物
下関は旅客、小郡は貨物
米子は旅客、鳥取は貨物
変わった例としては
豊岡は山陰専門、その支区の和田山は、播但線専門と言う様に。 福知山機関区のD51は
区名札入れの横に、仕業番号札を入れた。
『福』の横に、『37』とか。 福知山機関区のD51は
区名札入れの横に、仕業番号札を入れた。
『福』の横に、『37』とか。 小海線のC56、中込機関区
『込』の横に、行路列車番号が書かれた札があった。また、行路の箱ダイヤが書かれいた。 大分鉄道管理局は、機関区が四つしかない。
大分・柳ヶ浦・豊後森・南延岡 >>612
現在一番SLとは縁のなさそうな会社の区所にいたみたいですね
大垣電車区に6輛在籍していた模様
ttp://d51791.com/pg26oogaki.html
ttp://d51498.com/db/C11/C11155
ttp://d51498.com/db/C11/C11296 D51で石灰石を輸送する機関区は
新見・厚狭・門司がある。
厚狭機関区のD51は、白く汚れていた。
石灰石を頻繁に輸送する割りに、門司機関区のD51は、綺麗だったらしい。 >>612
618の言うように
樽見線のC11は大垣電車区だよ。
重連の運用もあり
青ナンバーで異彩を放っていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています