消えた機関区
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稚内から鹿児島まで主要な駅には機関区があったよね。 >>277
北海道では黒松内、渚滑機関区もあった。 >>279
伊勢市自体、今もDCの配置があるからね。
消えたイメージじゃない。
高島機関区(横浜区)は60年代に蒸機の配置はなくなったけど、70年の「高島線サヨナラ列車」の時にはD51791の
転向に使われたよね。まだDLなどの配置があったし扇形庫も健在だった。 津山が出ているのに新見機関区が出てないとは。
布原のD51三重連は、北海道のニセコC62重連と共に最も有名だったのに。
扇庫は、無煙化後DD51のねぐらになっていたが、昭和61年頃アボーン。
最後までダブルルーフの救援車もいた。 >>283
J誌のルポのタイトル、『煙の桃源境』を思い出すね。 なぜかあがらん坂町機関区。
何気に現存する復活蒸気の半分くらいは新潟に由来があるそうな。
C57-1、C57-180、D51-498、C11-325・・ 鳥取機関区 D51専門。 鳥取駅の高架化で消滅。
後に西側に移動し西鳥取運転区になった。
昭和の終り頃
高崎第二機関区と小倉機関区に撮影に行った。
前者は、機関区員同伴してくれた。
後者はフリー。
いずれもアポなし。
今思うと良い時代だった。 立川機関区跡はマンションになった。
>>272
甲府機関区の跡地は売っちゃったのかな?貸してるの?
駅から見て消防署の右隣の空き地にはNHKが出来るんだよね。 私も久里浜機関支区好きでした。あの木造機関庫、どこかに平面図とか残ってないんですかねえ? 立川機関区って、西国立の駅横にあるのに「不思議だなあ」とずっと思っていた。立川から東方向に戻るのだから
確かに「国立の西」になるのだけれど、中央線の駅ではなく南武線なので混乱してしまった。
駅の名前が「東立川」ならわかりやすかったのだけど。
ED16が轡を並べて待機していた姿は壮観だったね。 >>292
機関区跡の東側を走っている東海道線の下り線も
上り線側に移設するんだってね。 JRFの2009年実績は50%ダウンだって?
まだまだ栗鼠虎は続く。。 >>287
昭和50年ごろまではきちんと表玄関から車両基地いくと
係員同伴での写真撮影程度なら認めてくれたね。
いまじゃバスの営業所でも断られることがある。 仙台機関区は、東北本線盛岡電化の後も残ったが、利府支線の無煙化で廃止された。
珍しく、扇形庫が本線側に向いていた。
長町機関区は、長町駅西口の再開発で仙台総合鉄道部を開設して車両を移転させて廃止になったが、最後まで転車台や扇形庫が現役で使われていた。
たまに、ED75が扇形庫の中に入っていた。
扇形庫の中にELが入ることは、他の機関区もあった? >>299
豊後森にEF30がいたな。目的が違うが。 >>300
旧奈良機関区もEF52‐1がいた。
豊後森の扇形庫は、壮観な造りになってますね。 DLの燃料庫替わりにタキが使われていた機関区はまだ残っているのだろうか。
長町機関区がそうだったんだけど。
>299
SL館になる前の梅小路も、ターンテーブルの上に架線張られて
EF58が乗ってたりしたよ。 >>299
姫路二区?もそうだったよ
姫路は倉敷電化までのつなぎでゴハチと蒸気をカマ換えしてたからな
今や高架の上のショボイ駅に成り下がった・・・
PFがバリバリだった頃の機関士って冬でもノーネクタイで帽子をぺしゃんこにしている人が
結構多かったな 扇状庫まで架線が引いてあったところってあるのかな?
転車台に載るだけならEF55をはじめ必要に応じてあったんだろうけど 扇形庫に架線を引く機関区もあった。
米子は扇形庫が現役で、今でも気動車やDD51・DE10・DE15の仕業・交番検査をやってる 錦糸町に貨物駅と客車区があって、一日中眺めていた記憶がある。
今のアルカキットやらロッテプラザのあるあたり。 >>304
基本的に機関士の制服はノータイの作業服系のものだっただろう。「機関士」の職名が
無くなって、全部「運転士」になっても、機関車に乗る運転士は作業服が普通だったと思う。
上が平らな帽子とスーツ型の制服で機関車運転してる方が違和感ある。 広島機関区に付いて誰か詳細、または画像など持ってる?
廃止は1971年らしいけど、転車台と扇形機関庫は1990年近くまで残ってたらしいけど。
広島機関区は転車台を全円に近く位に扇形機関庫が並び、日本一と言われてたみたいだけど、
画像を見たこと無いので確認したいんだよね。
誰か広島の転車台と扇形機関庫の画像が在るサイトなど知ってる? 書き直し
>転車台を基点にグルリと全円に近く位に扇形機関庫が並び、 昭和59年に荷物列車を牽引するEF58が暫定的に下関に配属になった。
元宮原の小窓原型機EF58100が故障し、広島機関区に留置されているというので、
最後の姿を撮影したいと思い、広島機関区を訪れた。
私が厨房だったからだろうか、黄色いヘルメットを被った職員の方が本線に近くに留置されていた
EF58100まで案内してくれた。そのときに伺ったのだが、もう蒸気時代の建造物は残っていないと。
門司機関区の転車台と扇形機関庫は近年まで残っていた。広島ではなく門司ではないだろうか。
>>311
Good Old Railサイトには広島機関区にはC11 C12 C50 C59 D51 D52など50両以上配置、
広島機関区(1947)→広島第一機関区(1963)→広島機関区(1971)で、
ラウンドハウスの紹介には「がここで紹介する扇形機関車庫 (annular engine shed またはround-house) で、
ターンテーブルを中心に車庫建物が扇形の弧を描くタイプ。
そして円形機関車庫 (circular engine shed) と言うターンテーブルを中心に建物が全円を描く大型の物で、
機関車は建物外側から出入りするタイプもあったが、欧米の一部にあったのみで日本には存在しなかった。
ただ、全円ではないがほぼそれに近いところは日本にもあった。(広島など)
転車台と扇形機関庫が在った場所は現在、球場となっている。
他のサイトでは広島の転車台と扇形機関庫は1980年代終り頃まで残っていたと書いてあったが、
311さんが広島に行っている昭和59年までに解体されたってことだね。
昭和59年以前、誰か広島の転車台と扇形機関庫画像をアップしてるサイトは無いかな? SL甲組の肖像の4巻に小さいけどS30,S36,S45の広島の配線図載ってる。S45には転車台と線形庫ないね。
あとEF58100って故障してそのまま小郡に留置されてたけど、広島に持ってったの? 昭和58年頃に広島に住んでたけど、その時には既に転車台はなかったような・・・
確か用品庫になっていて、門から見える場所にダブルルーフのオル30が止めてあったのを記憶している。 >>312
スレチかもしれんが、航空写真から調べた。
昭和41年に転車台と扇形庫は存在している。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MCG665X&courseno=C11&photono=16
ちなみに昭和37年の空中写真には蒸機の煙らしいものまで写っている。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MCG628&courseno=C16A&photono=13
ところが、昭和49年には転車台と扇形庫は跡形もなくなくなっている。
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-7&PCN=C11A&IDX=31&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37,38,39,40,41,42,43,44,45,46,47,48,49,50,51,52,53
よって、広島第一機関区の転車台と扇形庫が解体されたのは1980年代終わり頃ではなく、
1960年代終わり頃だと思われる。どうしても写真を見てみたければ、広島市図書館が
「広島鉄道管理局この10年史」という本を所蔵している。この本に掲載されているかも。 姫路第一機関区って民営化後も高架化で移転するまで残ってた。
確か、姫路第一機関区⇒姫路運転区⇒姫路鉄道部って順序だった。
姫新線・播但線用のDLが配置されてた。
その頃はまだ津山発姫路行きがまだあったような・・・。 今では>>287のような機関区の中に入って撮影できる場所なんてやっぱり無いのかな…?
田端は機関区の外から見れるけど 機関区ではないが、筑豊本線の若松の手前のヤードも素晴らしい風景だった。
線路が数十本?ならんでおり、その向こうが洞海湾で石炭を積み出していた。
私の鉄道百景のベスト3に入る。
しばらくぶりに東海道本線の東京−川崎間を乗車する機会があったのですが、品川到着前の景色の激変ぶりに呆然としてしまいました。
あの場所に東京機関区(呼び方はご勘弁を)が存在していた、何か少しの痕跡でも、と一生懸命探したのに何にも見つからなかった・・・
もう悲しくて、悲しくて・・・ 子供のころの私は、寝床できく汽車の汽笛の音にいひしれぬ憧れを持ち、ほかの子供同様一度は鉄道の機関士に
なつてみたい夢を持つてゐたが、それ以上発展して、汽車きちがひになる機会には恵まれなかつた。今も昔も、
私がもつとも詩情を感じるのは、月並な話だが、船と港である。
このごろはピカピカの美しい電車が多くなつたが、汽車といふには、煤(すす)ぼけてガタガタしたところが
なければならない。さういふ真黒な、無味乾燥な、古い箪笥のやうなきしみを立てる列車が、われわれが眠つて
ゐるあひだも、大ぜいの旅客を載せて、窓々に明るい灯をともして、この日本のどこか知らない平野や峡谷や
海の近くなどいたるところを、一心に煙を吐いて、汽笛を長く引いて、走りまはつてゐる、といふのでなければ
ならない。なかんづくロマンチックなのは機関区である。夜明けの空の下の機関区の眺めほど、ふしぎに美しく
パセティックなものはない。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より
豊岡機関区、和田山機関支区
10年ぐらい前には、レンガの矩形庫が残っていたように思うけど、今はどうなってるのでしょう? >>322
去年の夏の時点ではまだあったよ。
ただし、まともにメンテされてないみたいでボロボロ感たっぷりだったけど。 消えた、って、本当に言葉通りの東京機関区。
電車区の堺から、クッキリはっきり撤去。
ほんの10年前まで、九特ずらりだったのが夢のよう。 >>325
とは言ってもカマは田端と下関の奴ばっかりだったけど
時々イベントガマが来る程度 外出だが竜華
久宝寺駅はおおさか東線開業や快速停車駅になり様変わりした
百済貨物駅は整備され、阪和貨物線は廃止… 昔の規模が大きい駅のホームの無い側
にある黒いホースは何に使ってたんでしょうか? 国府津機関区は御殿場線電化後も、
扇形機関庫とD52が1両が残っていた。
何号機かは覚えてない。 ttp://c5557.kiteki.jp/html/D5272.htm 今日、NHKのBS-Hiで吹田機関区がどうのこうのっていうミニ番組が
夕方にあるらしいけど見れないお >>333
吹田機関区、なつかしい。
小学校の時、社会見学で訪問し、カーリターダーの説明など受けた。
学校の授業では質問などほとんどしない私が、
このときだけは当時問題になっていたDD54の推進軸の話など
熱心に質問していたのを思い出す。 > :
う〜ん、細かいことは忘れてしまいました。子供の質問なので適当にあしらわれたようです。
ただすでに改善が施されつつあり、廃車ということにはならない、との説明は覚えています。
334 です。
すんません上記337は335へのレスです。失礼しました。 >>337
質問者が大人でも、なかなか明瞭な返事は得にくかったかもしれませんな。 推進軸は改良できたけど逆転機とかが駄目なままじゃなかったっけ?
フチ区で検修やってたうちの爺さんが元気なうちに聞いておけば良かったなぁ。 佐倉機関区
ここの機関区は結構トロッピーな機関士さんが多かったなぁ。
機関士さんとDD51について、色々聞き、
調子の良い機関車・悪い機関車とか、特別整備機関車が
居るんだって話もしていただきました。 >>341
地元だー
・・・と思って2年前に>>33をカキコしていた事を思いだしたw 米原駅から東京方面に向かって新幹線のこだまに乗って北陸本線をオーバークロスする前の左手に新幹線の保線基地が見える。
そこに転車台があるけど、米原機関区にSLが配置されていた頃の転車台?
米原停車のひかりやこだまの上り列車でないと見れない。 連続カキコでスマソ。
転車台よりも転車台の残骸でストーンサークルみたいなものです。 そういえば瀬野機関区ももうなかった?概出ならスマソ 福知山機関区・長門機関区
跡地は何になってるんだろうな 蒸機がいた福知山機関区を訪ねたのは末期だったけど、当時配置されていたD51499に会えたのは嬉しかったな。 >>349
旧福知山機関区跡地はきれいさっぱり駅前広場になりました。駅前には旧福知山機関区のターンテーブルが
そのまんまモニュメントとして置かれてます。その上には篠山から持って来たC11が乗ってます。
ttp://ku-gyou.net/etc/hozon/fukuchiyama3.html 厨房の頃、品川機関区へ、アポなしで「中で写真撮らせてくれぇ」と行ったら
「高校生以上」と言われた。
そして、高校生になった時はアボーンされていた。 品川機関区狙いとか渋い厨房だな。DD13の一つ目が好きだったんだよな。わかるよ >>352
いや、札の辻でEF58やEF62狙った秋時間に、アタックしてみた次第。
東京機関区よりガード緩そうだったから。
末期だから、ひとつ目いなかったような・・・。 もう出たかな
石岡機関区(鹿島参宮というのが似合うよね)
看板出てたよね いま売られてる「国鉄時代」に仙山線の写真が結構載ってるのだが、
作並機関区の萌えっぷりは半端じゃねえ……
ED93(後のED77-901)が牽引してきた列車がED17に機関車交換とか、
悶絶卒倒ものの風景が日常的に繰り広げられてたんだな…… >>355
そういう「路線ごとあぼーん」したの入れるといろいろ有りそうだな。
同じ関鉄グループでは筑波線の真鍋機関区。 >>352
品川機関区は、1998年までありました。 >>357
そうそう、筑波は真鍋だっけか。
関鉄 水海道機関区ってまだ有るの?(機関区ではなくなった?)
ひょっとしてまだあるのは龍ヶ崎だけ?
関東鉄道の機関区って車庫という意味合いだったのかな。気動車の所属も
機関区だったわけか。
東武・業平橋の浅草機関区もあぼーん。 >>359
水海道は少し場所を移動して、機関区から車両基地に名称替えたみたいです。 廃止された機関区の跡地の多くは、電留線として使われる所が多いですね。 跡形も無くなった奈良機関区…
奈良電車区になって平城山駅附近に引っ越したとは言え
全然気づかなかったし知らなかった餓鬼の頃。
昭和50年代なら跡形ぐらいあったろうにorz >>351
余談だけど、幼い頃に既に全廃になったはずのDD54を
福知山駅のホームから見たことがあった。 >>367
最末期はターンテーブルの一番奥の線路に放置してありましたからねぇ。
機関区の裏手のあぜ道からも良く見えましたよ。 >>366
車両センターに改称されてしまったけど、尾久は客車ばかりの配置だね。 >>371
一応、E655系電車の配置はあったりする。
けど尾久はちょっと変わってるな。
客車区を名乗っていた頃は気動車が配置されてた……ていうか、
特急型気動車が最初に配置されたのは尾久客車区なんだよな。 >>365
高知とか徳島なんか名前は運転所になったが、配置車両は気動車が殆ど >>359-360
今日、公開があったので水海道に行って来た。
構内の掲示などから「車両基地」の中に「車両区」「検修区」「乗務区」がある
という組織のようだ。
組織としてどこの属するか判らなかったが管理棟の建屋内には運転司令所
らしき物も有った。 高崎第一機関区 高崎第二機関区 長岡第一機関区 長岡第二機関区
水上機関区 小山機関区 内郷機関区 平機関区 大宮機関区 宇都宮機関区
黒磯機関区(JR貨物はある) 田端機関区 以上関東地方で消えた機関区
新しいのは 東京機関区 品川機関区 >>375
乙カレー。情報ありがとう。
機関区でなくて車両区となった訳だね。 >>376
群馬 桐生、横川・軽井沢支
茨城 水戸・土浦支・真岡支、常陸大子
千葉 千葉・木更津支区、新小岩・蘇我支、佐倉・銚子支、成田、勝浦・大原支、館山
埼玉 武蔵野
東京 尾久、飯田町、八王子、立川、武蔵五日市
神奈川 高島、山北、国府津・久里浜支・横須賀支・伊東支、浜川崎、茅ヶ崎
名称が変わったのも含めばあとこれぐらい有るな
まだ有るかと思うが正直な話、蒸機の頃を入れるとキリが無いなこれ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています