周遊券を語ろう
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フルムーンは40代からよく利用したキップでした
北海道へ行く時は必ず北斗星のB2デュエットを利用させてもらった。 >>607
まさにそれだな。
今の50代より、70代の方が地力も生命力もありそうだもんな。 使えるウチに使っとけ
俺が使える様になる頃にはなくなっていると思う 周遊券全盛期だったので青春18キップは数回しか使っていない。
それも仕事で当時は常磐線・荒川沖が最寄り駅だった通産省工業技術院
・電総研(現在の独立行政法人・産総研)へよく行ったので青春18使って
勤務先には乗車券で買った事にして差額は頂いたよ。
>>602
夫婦旅なら「フルムーン夫婦グリーンパス」、1人なら大人の休日倶楽部
が便利だよ。JR東日本全線4日間乗り放題(新幹線.3セクを含む)で15000円とか、
JR東日本全線(新幹線.3セクを含む)+JR北海道全線5日間乗り放題で25000円など
安くて便利なキップがあるから青春18キップで長距離旅行したいとも思わない。
>>608
自分もフルムーン夫婦グリーンパスで北斗星のB2デュエットはよく利用したよ。 >>591
利尻、大雪7・8号、狩勝7・8号、からまつ、すずらん5・6号、43・44レ
道内夜行はこんなもんかな >東日本全線(新幹線.3セクを含む)+JR北海道全線5日間乗り放題で25000円など
俺の大学時代に存在して、年齢制限無かったら夢の切符だな 近頃じゃ東京近郊の路線バス各社が気楽に乗れる1日乗車券を出してきたが
昔は都営しかなかったんだよなー。
昔からあれば,いまじゃ廃止されたあんな路線やこんな路線に乗りまくり・・・
という昔には周遊券があって今はない。
世の中うまくいかないもんだのう ご存知とは思いますが
神奈川中央交通、1日乗車券あり (ICカード持参のこと)、
詳しくはWebで >大学も夏休み前なので当然講義はズル休みしたのでありますが・・・
よく前期試験をパスできたな(つか、6/30からワイドで北海道旅行じゃあ試験日程にひっかかるだろと) >>614
アレって、値上げの交換条件じゃなかった?
200→210円の時に、一日券と近距離定期を設定したような記憶が たいていの私大だと9月はまだ夏休みだよ
知らない人からみると「あそこの家の息子は9月に昼間からぶらぶらしてる」と
ニート疑惑を抱かれるし、親も「高い学費を出してるのに9月になっても遊んでいる」と怒るがw 私立大学出身で休みが多くて鉄道旅行するのに最高でした 趣味的には、私大文系が最強だったね!思う存分遊べたよ。
こんなんじゃアカンのだろうけど・・・w >>616バリ(ケード)スト(ライキ)で前期試験は潰れ後期初め迄にレポート出す仕切りなのさ、恐らく
母子家庭で勤労学生だったにもかかわらず後期終了後や卒論で冬に安い北海道・道南ワイド結構使ってた 7〜8月にバイトで稼いで、9月に安いチケットで海外に行くのがデフォだったな。
10月前半になっても海外に行ったままで、講義に出て来ない奴は珍しくなかった。
携帯が無い時代なので、国内だろうが放浪中の学生の行方はわからん。
そいつの親から電話が掛かってきて「うちの息子はいまどこにいるのか」と訊かれる始末。 国内旅行も7月末〜8月は高く混雑するのでその時期はバイトで稼いで旅行した。
大学生最後の夏休みは都区内発の北陸ワイド周遊券(学割で8900円)で急行越前に
乗って、自由周遊区間内では毎晩急行立山の敦賀ターンを宿代わりにして観光や
乗り潰しとかやってB券有効期限最終日の急行能登で東京に帰った。
当時は北陸本線・城端線・氷見線に旧客の普通客レも走ってて、乗り鉄も楽しめたよ。
敦賀ターン:富山22:40[急行立山6号]1:58敦賀2:22[急行立山5号]7:08糸魚川 高い学費...私大文系...
年間学費30万円の引き換えに遊ぶ暇なしだったその逆。
帰省の際の周遊券で遠回りして楽しむのがせいぜいだった。 そういや帰省で買ってた京阪神ミニは神チケットだったなw
実家から毎日、乗り鉄・撮り鉄・駅ソバ食べ歩き三昧で1円もかからん。
まだ急行もあったから乗って遊べたし 実家が福島県の喜多方だったので夏と年末の帰省は
福島・会津磐梯周遊券を使ってよく帰省したよ。
行きは夜行の急行ばんだい、帰りはキハ58・28の
臨時急行ばんだいで上野まで乗った。 今は無人となってる駅にもタブレットがあって
新幹線券を販売してた? >>628
駅員がいる駅はそれが普通。
有人駅では,列車運行時間帯は
指定券を除いて,すべての乗車券類を
売るのが当たり前でした。 有人駅なら指定券も駅員が電話で予約をとって手書きの指定券を出してくれるんじゃね?
平成の半ばになってもド田舎の有人駅で後日の旅程で乗る特急券を見せたら
ちゃんと新幹線への連絡指定特急券を手書きで出してくれてたしね >>630
マルス端末がない駅でも近くの端末がある駅に鉄道電話で空席を調べてもらい
手書きの指定券(料金専用補充券・略称料補)に書いてくれますよ。
やり取りの電話を横で聞いた事がありますが間違えのないように5号車(イツツ
号車)、9番(ココノツ番)、D席(デンマークのD席)みたいに確認して
台帳に書いたのを更に手書きで指定券にも書いていました。 >>631
おれが発券してもらったときは、マルス係との電話でのやりとりは
間違えなかったようだが、手書きで書き写す際に記入ミスをされ、
乗車してみたら指定された席は空いてなかったw >>630
時間帯が限られていたよ。
みどりの窓口の営業時間は
当該駅に指定券対象列車が発着する場合をのぞいて
当該駅への発着する列車運行時間帯とは一致しなかったからね。
つまりはその「当該駅」に紐づくみどりの窓口のない駅の
指定券が売られる時間帯も列車運行時間帯とは一致しなくなる。 指定券でダブリが発生するのは電話で問い合わせして手書き指定券発行する時に書き間違いで起きんだよ。
そうなった場合に普通は調整席があって、そこにレチが案内してくれて一件落着なのだが部屋数が少ない
SA1やSA2だと調整席がないので大変な事になる。1988年の北斗星ロイヤルでそれを経験したことあり。
後から部屋に来た客が車掌を呼びに行って指定券の発売日が自分の方が早くて、自分が先に乗ってたので
ダブったお客はツインデラックスの調整席に案内されていたなぁ。 最強なのは夏休みの繁忙期に九州から東京へのブルトレのBネ50席程度がダブリになったことかな。
団体の予約がキャンセルになったと思い込んだ旅行会社の係員が当該席をマルスに戻したため。
このため一般客には小倉で一旦下車してもらって急がない人にはホテル1泊+
翌朝の特急に振替。どうしても・・・という人には後続の他列車へ振替となったとか。 時間に余裕のある旅なら飛行機のオーバーブッキングは楽しいで >>637
待っている間にもらえた小遣い分使ってしまうんだけどな。
航空会社発オレ経由空港内飲食店行wwwww 自分はワイド周遊券では北海道ワイドと東北ワイドをよく使った
東北ワイド周遊券は自由周遊区間内で自由席が連結された夜行列車の
本数も多くて、時間帯もよかったんだよね
郡山22:34(八甲田)6:15青森 青森00:03(八甲田)7:27郡山
郡山23:03(津軽1)9:06青森 青森20:35(津軽4)6:32郡山
郡山23:38(津軽51)6:19秋田 秋田22:27(津軽52)5:15郡山
平23:20(十和田1)8:12青森 青森(十和田6)6:26平
平00:04(十和田3)9:07青森
上野から東北ワイド周遊券利用で急行料金が不要な自由席付き夜行急行は
八甲田、津軽、十和田の他に、おが、鳥海、もあったしいい時代だった そして時代が下ると
「八甲田」あたりも郡山を深夜帯に通ることになりまして・・・
無茶折り返しが流行るわけでありました。 ついでにいうと
玄場光一郎クンは高校1年あたりでは
毎朝毎朝磐越東線の客車列車で郡山まできては
「八甲田」を見送りましたとさ。
当時は7時40分郡山発 >>639
1980年くらいかな?
>>640
1985年3月14日で大幅な時刻変更で東北ワイド周遊券の
自由周遊区間内で宿代わりになる時間帯としては
使えなくなった。
北海道ワイド周遊券では青函連絡船が2時間半くらい遅い
一便後の連絡船接続になってしまって最悪でした。 >>628
懐かし板でタブレットは通票の意味だろw
オンライン機器とか端末とか他に表現あるじゃんw 鉄道でタブレットといえば通票っですね
ITソリューションのタブレットで指定券は買えない(サイババで予約ならできる) 昔は夜行列車多くてワイド周遊券最強やった
北海道ワイド周遊券「43レ・44レ」「からまつ」「利尻」「大雪」「狩勝→まりも」
東北ワイド周遊券「八甲田」「津軽」「十和田」
南近畿ワイド周遊券「はやたま」「きのくに」「紀州」
四国ワイド周遊券「うわじま」「731D・762D」
九州ワイド周遊券「ながさき」「日南」「かいもん」 >>645
東北にも「ばんだい・あずま」と「出羽」があった
両方とも乗ったなあ 俺は岡山→京阪神ミニで「砂丘10号」+「上りだいせん」なんてのも。
震災直後の例外的措置。
あれから周遊券どころか急行自体廃止になった。 >>647
東北ワイド周遊券の自由周遊区間内では使いづらいよ
仮眠する時間としては中途半端なような気がする
下りばんだい 郡山4:07→05:12会津若松
上りばんだい 郡山0:27←23:15会津若松
下り あずま 郡山4:01→07:05仙台
上り あずま 郡山0:31←21:22仙台
下り 出 羽 郡山02:55→08:06酒田
上り 出 羽 郡山01:12←20:00酒田 東北ワイド周遊券の自由周遊区間内でなく上野発着から乗るなら
「いわて」「ざおう」「鳥海」「おが」などの急行もあった 北海道ワイド周遊券の自由周遊区間内で特急自由席が使えるようになったのは何年頃でしたっけ? 昭和53年10月改正だったか・・・・
山陰本線の米子〜博多の夜行「さんべ」がなくなって
信じられない思いがした。天下の本線に夜行列車が走らないとは!
という感じだったが,これがいわば序曲だったんだな。
その数年先には「夜行列車全廃論」なんてのが運輸大臣から
飛び出したりして・・・
昭和43年10月改正で廃止になるところだった大垣夜行は,
石田総裁のツルの一声で存続になり,これがいまでは
「ムーンライトながら」としてしぶとく残っていたりするが。 本線とはいえ、国鉄末期の出雲〜下関手前は3両鈍行がガラ空きのローカル線でした。 均一周遊券から、ワイドの名が登場したのは何年ごろだったか分かる方はいますか・・・? >>656
70年10月のミニ周遊券発売時、既存の均一周遊券をワイド周遊券と呼ぶことにしたらしい 新聞記事にも出てましたね
「こんにちはワイド周遊券です」みたいなリード付で 乗り鉄でも一般周遊券を使ったことある人ってほとんどいないような 一般周遊券も旅行会社によっては鉄オタが想像してる以上に活用してた印象
むしろ一般客が知らずに使ってるケースの方が多いかも知れない
廃止直前の90年代半ばに両親の旅行のため行先だけ告げて丸投げで手配を頼んだら
掛け捨て指定地を使った一般周遊券を渡されて驚いたことがあるから なるほど。
旅行客が自分で組み立てるのではなく、旅行会社まかせならば
一般周遊券は活用されていそうだ。新婚旅行に多そう >>660
それは相当レアケースだったのではなかろーか
90年代には一般周遊券の販売実績はほとんどなかったそうで >>662
昭和の時代は旅行会社独自の企画旅行が今ほどなかったからな
手配旅行では定期観光バス乗れば1箇所訪問とか旅行会社が一般周遊券組むケースも多かった mjk
今はパックプランばっかりだから昔のことがあまり想像出来ん さっきまでイデオン見てたせいかパックプランがバッフクランにみえた
笑ってくれてかまわん ワイド周遊券に国鉄駅で表紙をつけなくなったのは、
組合(特に国労)の我儘のせいらしいな。 >>668
(北海道)立体周遊券はこの余白の黄色い部分に飛行機のイラストが入っていたね。普通の北海道均一周遊券を買ったら余りがなかったのかこの飛行機の部分にバッテンが付いてるのが表紙でついてきた。そのままそで旅をした。
いい記念になったよ。 ある個人サイトに出ていたけど、
国鉄で表紙を付けなくなったことに疑問を感じて質問したら、
逆切れして「そんなのは付けなくていいんだよ!」等罵倒した駅員もいたらしいな。 1982年頃までは国鉄東京駅の東京駅旅行センターでは表紙と裏表紙を付けて
くれたけど地元駅の田町駅ではそういうのは無かった(頼んでもスルーされた) 近藤喜代太郎氏の本には、
表紙があると入鋏に不便だと組合が抗議したから、国鉄部内では廃止されたとあったな。
組合って、どうせ国労や動労だろうな。鉄労ではなさそうな気がするが。 セット時代の青春18の表表紙・裏表紙も周遊券の名残なんでしょうなあ。 http://livedoor.blogimg.jp/catalytic/imgs/8/d/8d6efc5b.JPG
マルス券になって経由をまとめた冊子ってちゃんともらってた?
大抵くれなかったのでマニアックな経由の場合、自分も駅員も「これ乗れるのか?」とか
悩んだ覚えが ミニ周遊券の表紙はあの∞マークのデザインで共通してたのでちょっとつまらなかったね。もっとも全種類違った表紙を用意するわけにはいかなかったのだろうけど。
みんな表紙も本体もカードケースにしまって携帯してましたか? >>675
下車印捺すからカバーしてはいけない、出してくれと駅員におこられる >>675
A券もB券も無傷で旅行が終って○算○でチョメチョメしたな〜w よく通ったなあ
無傷のチケットなんて持って旅行していたら、どこかで必ず駅員か車掌に怒られたな
不正が多かったからだろう。無効印があっても回収されるほうが多かったのも不正対策だろうね
券面が手書きの時代だし 周遊きっぷ衰退の原因はやはり夜行バスか?
ツアーバスの台頭で尽く潰されたな >>674
A券には記載されていたんだよ。
問題はA券が回収されてB券だけになった後だな。
スレ違いになるがこの種の券のマルス化で
自由周遊区間がドサクサ紛れに変わったのがある。
今でいう「都区内パス」の他駅発売の場合
元々は例えば立川発ならば立川〜西荻窪も
自由周遊区間だったのに
マルス券になったときその表記がいい加減になり,
その後いつのまにか立川〜西荻窪が
往復それぞれ1回乗車に限るということになってしまった。
ルール的にいつ変わったのかはいまもって不明。 周遊きっぷと夜行バスは、まるで関係ないんじゃないか?
周遊券より融通利くようになったが、分かりにくさのデメリットがデカかった
元から知る人ぞ知る存在だったから、自然消滅はやむなし 周遊きっぷ衰退もなにも周遊きっぷ自体が空気のような存在だった
ただ「旅は国鉄・JR」って時代でなくなったのが大きく影響してるのは確かで
今の地方在住の20代はDLやUSJに行くなら、まずバスを考えるわな。
大人の休日倶楽部のように成功した例は少ないね どこへ行くにも国鉄以外考えられない、という時代じゃないからなぁ
飛行機が大衆化して、そこら中に高速道路ができたし 国鉄しか長距離移動手段がなかった時代の置き土産
置き土産にしては、平成の世まで長続きしたものだ >>677
無疵なワイド・ミニ周遊券は精算所で祓い喪怒死ですかwww キセル、無賃乗車、不正乗車を自慢する神経がわからん 夜行急行の自由席と
普通列車の車内改札が絶対といっていいほどなかった時代など,
仙台から定期券で改札を入り,急行「あづま」利用。
上野などでは,定期などを持っている友人などに下車切符を用意してもらい,
帰りは乗車切符のみで改札を入り,仙台では定期券で下車。
この不正の万一の「保険用」として東京ミニを別途購入
なんてのが非鉄一般学生に横行していた。
アシがつかないようにともちろん非学割にて・・・。
東京ミニ周遊券を購入し, 鉄オタが昔からモラルが薄いことを証明するスレになってるな。
昔の鉄道雑誌でも平然と盗みやキセルの「思い出話」が出ていたしなあ。
今の痛い鉄オタは突然発生したんじゃないわな 1970年代後半や1980年代は北海道のユースに止まるとワイド周遊券の交換や
夕飯後にユースの談話室でキセルの講釈してる奴らがいたからなぁw >>692
毎年毎年バカみたいに値上がりするから
せめてもの抵抗ってことでしょ。 >>673
「青春18切符」が「青春18のびのび切符」だった頃
裏表紙にワッペンが付いていたよね。 ありました
でも恥ずかしくてワッペンとしては使いませんでしたよ 東北ワイド夜行折り返し
ここまで読んでみて、まだ誰も書いてないようだけど
昭和58年ごろのダイヤでは
上り「十和田」を深夜01時過ぎ?に小牛田で降りて、
20分ほどで下り「八甲田」へ乗換ができた。
これを2晩つづけて敢行したのだが、
なんと同業者数名と「ゆうべもお会いしましたね」状態だったw
>>654
>昭和53年10月改正だったか・・・・
>山陰本線の米子〜博多の夜行「さんべ」がなくなって
記憶違いでは?
昭和57年に、山陰ワイドで「さんべ5号」江崎「さんべ6号」の夜行折り返しをやりましたよ。
時刻表では、江崎での、さんべ5号と6号の上下乗換が1分くらいしかなく、ギリギリみたいだったけど、
実は時刻表には発車時刻だけ掲載されていたのであって、
他の列車の所要時間から類推するに、さんべ5号の江崎到着時刻はもっと早めだと思われた。
それを出雲市駅で尋ねたら、鉄道電話で江崎駅に問い合わせてくれて、12分ほどの余裕があることが判明した。 夜行さんべは59.2改正で廃止じゃなかったかな
53.10は20系寝台+12系座席でテコ入れをしたような気がする 他スレとマルチになってしまってスマナイが、本来こっちに書くべきだった。
旅客営業規則にある市内制度(仙台市内発とか札幌市内発とか東京都区内発とか)とは別に
ワイド・ミニ周遊券に限って更に「函館市内発」「新潟市内発」「千葉市内発」「高松市内発」ってのもあったよね。 都区内発と千葉市内発で東北ワイド(北陸もだっけ?)の有効日数が違ってくるので
わざわざ千葉まで行って買ってから夜行で出発、みたいなことやったなあ >>695
俺はカバンに貼った。
同い年のの北九州小倉の人が声かけてくれて、仲良くなったな。 国立大学の授業料にせよ
国鉄運賃にせよ
数年前に生まれた先輩とは格段に違う環境で大学生になったオレとしては(S38年生まれ)
青春18きっぷは正義の味方にみえたな。 国立大なら貧乏人の子供でも、バイトと奨学金で十分に都会でも下宿しながら
卒業できたものな。私学には学費の安い2部もあったし。
ただ今は所得に応じて減免が広く認められているから、今でも貧乏人の子は
進学できるけどね。 昭和30年生まれなので均一商品券ばかり使ってた
青春18のびのびきっぷ(後に青春18きっぷ)が発売された
1982年は大卒社会人5年生だったので金は稼いで周遊券ばかり
若い頃は均一周遊券オンリーだった。
よって青春18キップは長距離旅行では全く使わなかったよ
鈍行専用で北海道なら利尻、大雪、狩勝(まりも)、からまつ、
43レ・44レ、などや特急・新幹線が使えないのが難点で
安いけど効率が悪かった。 南近畿ワイド周遊券では和歌山市駅では乗降できなかったが、
南紀ゾーン券になってからは和歌山市駅でも乗降できるようになったが、
そのかわり南近畿ワイド周遊券では自由に乗降できた東半分の区間が大幅にカットされた 1970年代後半の南近畿ワイド周遊券は天王寺⇔新宮間の「はやたま」、天王寺→新宮の
夜行急行「きのくに15号」、名古屋→紀伊勝浦の夜行急行「紀州5号」があったので、
南近畿ワイド周遊券での旅行に便利だった。 「はやたま」は寝台車こそ「天王寺〜新宮」だったけど、
その他の客車の運転区間は「天王寺(1両だけ和歌山市発も有り)〜名古屋」だったよ。
晩年に165系化された時には「新大阪〜新宮」になった。 >>706
「はやたま」というより「南紀」のほうがピンとくるがな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています