周遊券を語ろう
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確か1981年だったと思うけど、夏休み期間中に大雨で北海道の国鉄線の
半分ぐらいが不通になってしまい、周遊券の有効期限延長の措置がとられた。
その記載も加わってB券片の券面は無茶苦茶にぎやかになった。
あと、有効期限の最終日に道内夜行に乗って継続乗車になったとき、札幌で
乗継時間が2時間近くになったので、楕円形の「乗継」/「8002D列車」の印を
押してもらって一時出場したことがある。
懐かし&珍しいのはそれくらいかな。 >>304
周遊券でないけど、学校発行の学割証を窓口に出したら
身割50%引になったことがあります。
こっちはその場で気付いたけど、窓口が横柄だったんでそのまま
その場を去り、(追っかけてきたような気もするが)
それで旅行したけど、検札や改札でも一度も不信がられなかった。
昭和末期の話でした。 途中下車印なんてめったに使わない駅に勤務していたオイラは駅名小印で代用したっけ。 >>307
下車印ていわゆるシャチハタみたいな原理だったのか? >>258
船小屋温泉 1977年の時刻表では周遊指定地(地図で緑色に塗られていない)
が、1983年の時刻表では周遊指定地(久留米・柳川・瀬高。船小屋温泉)となっている。
醒ヶ井養鱒場もそうだ。
周遊指定地を増やしたということか。一般周遊券作るヤシはだんだん少なくなってきたと
思うのだが。今思うとわざわざ増やす意味が無かったような気もするのだが。 70年代に最初に北海道行った時は下車印押しまくったな
9割は廃線か無人駅になっていると思う >>309
当時は周遊指定地になることが一種のステータスだったんだよ。
今で言えば世界遺産みたいなものだ。
確かに「周遊券指定地」って看板が残ってたりするからな >>307
無理に押させてしまい、その節はありがとう! 捺せぇ言われてもどこに捺していいかわからんじゃないですか!
と言われてみたかった。 登録上無人駅(運転職員有り)ではフライパンは置いていなかったが、
代わりに駅名小印を押してくれたところもありました。 下車印以外に券面を賑わしたスタンプは、「学41」や「2割」の他に
「○月○日から有効」「長門市(代)」などの印
そして旅の終わりに必要だった「無効」印・・・。
あとなんだっけ? かなり特殊だが
「 月 日からに有効期間変更」 (2割引の北海道周遊券を7月X日から有効に変更)
「宮内長岡間往復運賃収受」 (都区内発の北陸周遊券の復路で長岡にて途中出場)
>>318
学割だと学生証の番号を記入するための「身 証| 号」ってゴム印があったな。
国鉄の駅窓口で買うと押されないことが多かったが、交通公社で買うと必ず押された。
後は、JNRカード(JRカードに移行)使用時の「クレジット」。 >>318-321のスタンプがすべて捺された券面の周遊券があったら凄いね。
(不可能か?) 当時定時制に通っていた漏れは八重洲10番で学割の青森十和田ミニを買った事がある
C制付きのマルス券だったので使用後は惜しげもなく集札に応じた 八丁堀発の北陸ワイド
八丁堀では千葉市内発を売っていたので10日有効
東京駅だと都区内発で7日間(これで料金同じ)
北陸では殿様切符で高岡〜小松1日3往復とかやりました
糸魚川、黒部、富山、高岡、金沢、小松、福井、敦賀にお客いたので
交通費どんだけ浮いたことか・・・
いまや昔のはなし >>324
八丁堀で千葉市内発買えたんだ。
高校生のとき始めての本格的鉄道旅行で使ったのが北陸ワイド。
B券の裏に加越能鉄道(車掌印)とサインされた記憶がある。城端ー下梨間バスに
乗ったときのことだと思うが。加越能鉄道バスの名金線の重複区間だね。加越
能鉄道バスも使えたんだと今思う。 ↑
ウィキペヂアの名金急行線に「並行する加越能鉄道や西日本JRバスの
路線に共通乗車可能となっていた」とあり納得。(まあ実際乗れたわけだが)
しかし、サインし押印するのはなぜだったのだろう。
細尾峠、ものすごい山道だったのを覚えている。
車掌さんが、気の強そうな美人だったことも印象にある。 須賀谷温泉〜菰逢庵の浅井町営バスは
誰も乗らんが船車券ばかり売れまくった。
そんな時代が平成ひとケタまで続いた。 >>330
一般周遊券の掛け捨てだ、東海道本線スジの。
同一周遊指定地内は不連続OKだったから、
片道だけ付けておくケースだね。
以前は定番だった醒ヶ井養鱒場は準指定地に格下げになっちゃったからね
だけど実際に行ってみたら面白かったぞ
家族サービス用にマジお勧め >>331
同一指定地内は不連続OKというのは知っていたけど
極端な話
発駅(国鉄)●小田原(箱根登山)○塔ノ沢(徒歩)◎箱根湯本(箱根登山)●小田原(国鉄)・・・
というような一般周遊券も成立したわけ?
●接続駅 ◎準指定地駅 ○指定地駅
>>334
全く問題ないと思われる。
なお参考までに「同一市町村内不連続」もOKなので、その点からも
箱根町(足柄下郡)の塔ノ沢〜箱根湯本が徒歩でも良いと解釈できる。
昭和50年ごろ2ちゃんねるがあったら
@一般周遊券のマニアックなつくりかた
Aワイドミニ周遊券の発地・値段・有効期間・経由
Bワイドミニ周遊券の他駅発売関連
これらについての情報交換がすごかっただろうな。
交通公社から「運賃表」なる書物が発行されて
ワイド・ミニについてすべての発地と値段が知られるところとなったが
経由だけはすべてについては網羅されていなかったな。
呉線に「神社」って掛け捨て船車券があったなぁ
あれ実際に山陽本線で旅行するときにも付けられたんだっけか?
>>338
というか当時は呉線経由でも強制的に山陽本線経由の運賃になったからな。
べつに問題ないはず。
玄武洞の片道船車券にはお世話になりました。
ただ実際に玄武洞には行きませんでした。
あれって駅から見ると川の向こう?だったような。
船車券が片道だけでは帰路は遊泳ってことにorz 京阪神ミニはいろいろと使えたな。
周遊区間内でも急行で移動したし、帰路は比叡・(新幹線・)東海4号の乗り継ぎもできた。 >>341
この周遊券で初めて高尾神護寺を訪れた。
自由周遊区間内の国鉄バス利用だった。 いちばん安かったミニ周遊券って
静岡発の東京ミニでいいの? あまり利用しようという気になれんなあ。
何だか貧乏くさい。 国鉄の定期観光バスも乗れる周遊券(ワイド、ミニも)もあったよね。 >>344
今の周遊きっぷは盆正月の企画切符禁止期間ぐらいしか
使う機会がェ・・・ 旅行会社が発行する私鉄のきっぷが「船車券」という表記だったのが何気に面白かったな。
今から思うと「ニューワイド」の往復航空機利用可ってのは良かった。
周遊きっぷはその点の利便性がハッキリ後退してしまって残念だ。
これも安楽死政策の一環なのかな?
>>349
基本的に一定区域乗り放題型はしたくないということ。
路線路線ごと客単価をきちんと計って経営したいってことだろ。
国鉄時代はドンブリ勘定だったからね。 そのドンブリ勘定のせいで、分岐駅での発売分が本線収入に組み込まれてしまい
赤字が実情以上に過大に認定されて切られていったローカル支線もあったんだろうな ニューワイドにAD100を絡ませたのはワタクシです。 >>352
どこの人?
J・K・N…
まあ実際発券後のチェックなんてまずなかったろうけど。 >>351
東京や大阪の若者が北海道ワイドを買って急行自由席以下利用で旅行した場合
北海道の収入にはビタ1円増えなかったんだよね。
上のほうにも書いてあるけど。 でも旅の思い出にと現地の硬券入場券を買っていたよ。ウチの親類は。 福島 郡山からの信州ワイドの経路が複雑だった。
→大宮→越後川口→飯山線は可
→会津若松→新津→長岡→柏崎→直江津→は可
だが
→会津若松→小出→越後川口→飯山線は不可
→会津若松→新津→長岡→越後川口→飯山線は不可
「外側経由」はOKで「内側経由」は不可というのも珍しくないか?
>>352-353
ん〜〜ホントどこの人だろね?
上手いと言うかズルいと言うか…
もっとも当時の周遊券規則では「AD100」を組み込んではいかんって
規則はなかったはずなので結果的にはOKだったのかも知れない。
当時は早割や売出日割引やその他割引TKTが急激に増えた時期であって、
それらを十把一絡げで組み込めるような規則だったように覚えてる。
要は個別の割引種別ごとに逐一OKとかNGとか分別してなかったのね。
北海道ワイド
20日間有効
学割41
懐かしくも戻らないあの時
そういえば昔はワイド周遊券の有効期間もこまめに設定されていたよね。
7,10,14,20日のみになったのはいつだっけ?
東京からの信州ワイドは身延線や飯田線を使っての自由周遊区間入りが桶だったので、
旧型国電にはよく乗ったものだった。今もツリカケ音が懐かしいよ。 周遊券のオプション券っていろいろあったけど
北海道発のものにある東京ミニに付属する箱根に足を伸ばせるオプション券あったよね。
どれだけ売れていたかは定かじゃないが 岡山で買った北陸ワイドのオプション券は、h鼬なのに運賃変更印が押されてましたね。
いまだと非鉄一般人がかりに周遊型の旅行するとしてもどれだけの人間が
鉄道の乗り放題型切符を使おうとするだろうね。
北海道にグループで旅行します。10日ほどかけてひとまわりしますなんていう
場合だと千歳まで飛行機往復であとはレンタカーってのがほとんどじゃないか?
“鉄”だって今はそれがふつうだよ。
せいぜい往復か片道に「カシオペア」「北斗星」「トワイライト」なんかを使うくらいだな。
道内の周遊券やフリーきっぷを使っても、今は昔のように隅まで鉄道やバスがあるわけじゃないから、
道内の観光地なんかを回るには、結局レンタカーが必需になるんだな。
第一、だいたいが優雅な周遊旅行なとする時間がないから、飛行機で飛んでピンポイントで回る旅が今は当たり前だね。
それに、そんな周遊旅行する暇や金があるなら、ふつうは海外に行くし、
その方が“安い”という現実がある。 いい旅チャレンジ20000キロでお世話になりました。
この切符がなかったら九州や北海道には挑戦できませんでした。
結局全線完乗は挫折したけど。 >>367
おれもあとすこしというときに挫折したのだが
別の理由で「完乗」になってしまった。完乗達成の瞬間は
自宅でしたwwww
いまは宮崎空港とおおさか東が未乗なので完乗状態ではない。
めくられた・・・というかはがされたんだろ
繰上げ当選みたいだなw
>>371
東京都区内など発で往復のうち1回名古屋経由にするとき使うのがL券 四国ワイドに関西汽船乗船券ってあったっけ
使いそびれたが 木曽路のD51だけを撮りに行くなら「信州ワイド(均一)」ではなくて「名古屋・岐阜ミニ」の経路(中央線)を
利用すれば途中戻りは別途必要だけど便利だった。
ワイドの付属券買わなくても中津川〜田立も通れたし。
>>365
北海道に10日という時点でありえない
海外行くでしょ普通 九州ワイドで桜島の定観バスを利用させてもらいましたな。 あれ良かったよね。
3回くらい使った。
楽しかったわ。 一般周遊券つくり損ねた…グリーン周遊券はつくったことあるけど… 「四国ワイド」が最後まで常備券で残ったのは、
関西汽船片道利用の付随券が付いていたから・・・と、
90年の購入時には説明を受けました。
弁天埠頭で、高松港行きに乗ろうと、
付随券を出して、乗船名簿も出したら、
2回、名前を呼び出されて、何やら手続きをしました。
「使える」ことは当然、関西汽船の係員さんは知っているのですが、
この時代ともなると、めったにいなかったらしく、戸惑われた様子。
「ワイド周遊券で乗った国鉄以外の乗り物」
龍泉洞→盛岡、岩手県交通。
弘前バスターミナル→盛岡、岩手県交通。
十和田湖→盛岡、岩手県北バス。
十和田湖→大館、秋北バス。
阿波池田→川之江、瀬戸内バス。 四国ワイドに限らず、西方面のワイドは\1500足せば、東京〜大阪は
ドリーム号に乗れたので、
四国からの帰りに、
関西汽船+(大阪市バス)+ドリーム号、と東京まで列車を使わずに帰って
来たことがあります。 >>309-313 遅レス(1年前に向けて)だが、
周遊指定地になると国鉄駅構内に地元が観光ポスターを掲出してもらう場合に、
優遇があるとの記述を「鉄道ジャーナル」か「旅と鉄道」の誌面で見たことがある。
料金面だったか、掲出場所・時期といった部分だったか忘れたが。
確かにオイラの子供の頃は、必ずしも鉄道とコラボしていない「○○観光協会」
といった観光地独自の誘客ポスターがよく駅に張り出されていた。 >>382
「旅と鉄道」の周遊券特集号だな。1980年代後半だったと思う。 >>382
俺の記憶してる限りでは
京都府の丹後観光協会がそれっぽかった。
天橋立とかあったからね。 関西やけど…
91年の春、北海道ワイドを当時、大阪の天満橋にあった北海道プラザで買ったら、もちろん常備券でNo.が0001だった 天満橋か・・・それは気づかなかった。
OMMビルの近くかな。 >>381
その1,500円思い出した。あれぞ国鉄の値上げ史のうち史上最大の値上げ率だったな。
バス指定券のうち「ドリーム」だけいきなり500円→1,500円になったな。(値上げ率200%) 違った。最高の値上げ率は
101キロメートル以上のグリーン券で
300円→1000円か。 >>380
> 「ワイド周遊券で乗った国鉄以外の乗り物」
> 阿波池田→川之江、瀬戸内バス。
これって国鉄バスじゃなかったっけ?
>>390
国鉄と瀬戸内の共管。国鉄の周遊券でも乗れた。 >>391
そうなんだ
俺は川之江→阿波池田で国鉄バスにのった。
分割民営化の数日前に。 >>393
でも周遊券じゃなければ、普段国鉄バスに接している地域外在住なら
よっぽどのことが無い限り、国鉄バスを使うことはなかったと思う。 周遊券の子孫にあたる周遊きっぷも、だいぶ整理(廃止)されるみたいだね。 今さらな質問ですが、過去に札幌発の北陸ワイド周遊券を使いつつ、実家のある
豊橋に帰省したことがあります。ところで、北陸周遊区間→札幌の経路として
@糸魚川→長岡→(上越新幹線上り)→大宮→青森→札幌は一般的だと思いますが、
私はA敦賀→米原→豊橋→大宮→(上越新幹線下り)→長岡→秋田→青森→札幌と
辿ろうかと考えました。そこでふと、果たしてこの経路は正しいのか疑問になった
のです。
つまり北陸から札幌に帰るはずの人間が、なぜ上越新幹線を大宮から長岡に逆方
向に向けて乗っているのか、咎められたらどうしようという思いから、結局素直
に東北新幹線盛岡経由で札幌に向かいました。
ちなみに、豊橋発の北海道ワイド周遊券の経路にはAがOKだったはずです。
さて、私はAの経路を使って札幌に堂々と帰れば良かったのでしょうか?
>>396
周遊きっぷを発券できない駅員が結構いる。
田舎の駅や年配の駅員がいるところは特にそう。頼もうとすると、
「出したことがないんだよね。」とかよく言われる。
最近は見て覚えた操作方法を携帯電話に保存して、いざという時に
役立てようと思っているが、なかなか使う機会がない。今後は更に
減るだろう。
しかしあまり出ないからといって、わざわざアイテムカットしなきゃ
ならない理由があるのか?プログラムを維持するだけでもコストが
かかるのだろうか? 懐かしで幻の
ルート周遊券。
アルペンルート以外はほとんど発券した記憶がない。
使用方向の矢印を押印したのも懐かしい。 >>400
最初はやたらと長く連なっていたが、次々と切り離して出発地に戻る時には最後の
1枚だけに…。急行の自由席に乗れたのも嬉しかった。
私はアルペンルートともう一つ、上高地・乗鞍で使ったよ。 >>401
コンビニとかスーパーの棚の脇にかかってる子供向けの5パック位繋がっているお菓子を見ると、ルート周遊券を思い出す。 東京都区内発の北陸ワイド周遊券と千葉市内発の同周遊券が値段が同じなのに
前者は7日間、後者は10日間有効で、その3日間を有効に活用させてもらった
ことがある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています