四国急行黄金時代を語らないか
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予讃本線:うわじま・いよ
土讃本線:あしずり・土佐
高徳本線・牟岐線:むろと・阿波
徳島本線:よしの川
急行料金や指定料金が易く、停車駅は多め
指定席がグリーン車席になったりよかったよねー >>22
そーだよ、子どもの頃の帰省のときは南海四国ラインでした
阿波池田で乗り換えて
そのころは、よしの川、あしずり、土佐以外知らなかった
小松島線廃止で不便になっちゃったからなぁ
なんか出てきたんで貼ってみよ、ガキのころのなんでヘタ...
南海四国号(スレに関係なし)
ttp://www.imgup.org/iup684975.jpg
よしの川
ttp://www2.imgup.org/iup684976.jpg
土佐だと思うんだけど...
ttp://www2.imgup.org/iup684980.jpg >>23
予讃線ということは松山行き、川之江行き、豊浜行き、のどれかですね
今からするとのどかな時代でしたね、夏は窓全開、乗降口は開きっぱなし
速度もせいぜい50〜60Km/Hでしょうか 1986年の正月。
DE10と予讃の客車で臨時「いよ」が走った。
スハフ43からオハ41まであった中、スハフ42だったはず。
あの年の正月輸送が、四国急行時代の最後でしたね。 >62
60系を使った日があったらしい。
ピクの「遜色急行特集」に写真があった。 >>26
伊予51号ですね、土佐50号などもあったような 四国の急行といえば,たとえハのみマイナー急行でもヘッドマークがあったこと。
昭和50年3月時点でヘッドマークのあった列車
東京発のブルートレイン・四国急行・房総方面急行・北陸急行3種
だけだったことがあるよな。
>>19
平成の初期までは高松、徳島にもYS11が伊丹から頻繁に飛んでました。
小松島フェリーも結構混んでました。
神戸から甲浦、伊予長浜、土佐清水行きの航路もあったね。 急行土佐の停車駅
高松、坂出又は丸亀、多度津、善通寺、琴平、阿波池田、大歩危、豊永
土佐山田、ごめん、高知
所要時間3時間30分 >>31
急行の豊永停車は一部で
大杉が全停車じゃなかった? >>19
まつたくのイタチだけど
1960年代末の地図見てたら、大阪〜新居浜の水上機による
航空路の記載があった。使用機材が気になるが、
四阪島の製錬所も活気があった時期なのでしょうね。 >>34
日東航空のグラマンG73マラード(10席)ですね。
昭和36年の時刻表だと
大阪から徳島、新居浜行きと
大阪から白浜、串本、志摩経由名古屋行きの三路線を持ってたようです。
日東はコンベア240も所有してたようなので
大阪〜徳島はこの機材でしょうか?
しかし水上機で大阪から各駅停車の紀伊半島一周路線があったんですねぇ・・・感動した。
>>35
おかげで検索する糸口がつかめました。ありがとうございます。 >>32
ご指摘ありがとうございます。間違ってました。 >>33
そうでしたね、止まってました。
阿波川口停車は大歩危は通過でした。
紅葉の季節は大歩危に全急行停車でした。
「阿波」にあったよ。始発駅の次が終着駅っての。
特急無い時代、高徳間お役人向けの便かな? >>39-41
昭和50年の時刻表を見てみると
下りは「むろと」1号と「阿波」2号
上りは「阿波」3号と「むろと」3号が高徳線ノンストップですね 特急 南風 開業当時の停車駅
高松、多度津、阿波池田、土佐山田、高知
特急らしい停車駅ですね >>44
多度津、土佐山田には当初停車しませんでしたし
それより先に琴平に停車するようになりました。
高知より先の停車駅は須崎だけ。 >>45
多度津は止まってただろう
土佐山田も全列車通過ではなかったような記憶がある >>46
南風の開業当時の停車駅は
高松〜阿波池田〜高知〜須崎〜中村
全列車も何も開業当時は一往復 初めて四国に行った時、高松駅に44系客車が止まっていたのには驚いた。 >>39-43
昭和46年の時刻表だと、高徳ノンストップ急行は
下りがむろと@ 阿波E
上りはむろと@ むろとBですね。 実際には運転停車あり。
「しおかぜ」は一部多度津を通過した。 肱川の風の博物館で「四国の急行展」を見た。
内容は期待した程ではなかったけど、他の博物館でもやってくれないかな。
当たり前だけど昔の特急・急行は「それらしい」ですね。
今とは停車駅数や車両、サービス…全てが違う感じがします。時代の流れ故に仕方ないのでしょうが。 肝心の急行がないのに
特別急行ってのもなんだかなぁ
漏れにとっての「四国の急行」は
キハ65と52−5200。
あと、怪しいキニと円形ヘッドマーク。 渥美清が最後に助役だか駅長になる喜劇シリーズあったな
ラストシーンで生まれた子供の顔が渥美清の顔を合成して笑ったな
フランキー堺のシリーズもラストシーンは子供がフランキー堺の顔を合成w 土讃線から予土線直通の列車ってなかったかな?
朝、高知出発の急行に併結されてたような覚えがあるんだが。
窪川から快速か普通になるやつ。
土佐に併結のよしの川もあったよね。 >>63
もとは高松が始発。
晩年に高知発になった。 松山から鈍行高松行きで高松まで行って(乗ったのはキハ40 2145だった)、
50系客車になる前の土讃線の夜行快速、731Dに乗ったら、
隣のボックスで、池田高校の蔦監督がぐうぐう寝てはったなぁ…。
夜半過ぎの高松では、急行「うわじま1号」にタラコ一色のキニ56 1がくっついてて
(いま出回っているオレンジカードとたぶん同じ図だ)、
夜の夜中に高揚しまくってた厨房の夏。
懐かしいねぇ。
今、キハ5865で必死になっているのはお子様達なんだよな。
国鉄時代は全国各地で走っていたから、よくぞここまで残っていたという感じだ。
でも、いまさら撮影なんてしたいとは思わないよな。 手元に1967年10月号の時刻表があるのだが・・・
土讃線の列車は、おもしろい併結列車があったみたいだね。
215D 足摺2号なんだけど、多度津で松山発の「予土」を
阿波池田で徳島からの「よしの川」繋いだり・・・3階建てとは。
何両で走っていたのだろう?
予讃の方も、松山3:24発急行いよ1号とかあるんだけど
発車時間がすごいな。お客さんは多かったのかね〜? >>68
連絡船継走はとんでもない時刻に出たりしますよね。
大阪から夜行の「鷲羽」で高松に着くと、3時代にどやどやとラッシュがおきてました。
徳島行きは、ホームにいて乗れましたが一時間後の出発。でも4時代。 宇高航路が生きてた時代は南海航路使ってたからなあ…高松の最盛期は知らん。
よしの川崩れは小松島港まで使ったことがある。 >>70
徳島駅では「こまつしま・みなと」と言って切符買う人が多かったです。
小松島から誘導係が乗ってきて、入れ換え扱いで港駅ホームに入ってました。
無人の踏み切りひとつ渡れば港駅。機回し線がある片面ホーム。
切符回収の駅員さんのわきに、ちくわのおばちゃん。すぐ左手が南海フェリー待合室でしたね。
>>68
予讃本線内
<ハ58+<ハ58+ロ28+ハ58>+ハ58>
1〜4「いよ3号」、5号車「予土」
土讃本線内
<ハ58+<ハ58+ロ28+ハ58>+ハ58>+<ハ28+ハ55>
1〜4号車:足摺、5号車:予土、6,7号車:よしの川
「予土」は1両なので(営業運転としては)単独では動かせなかったよう。
上りも「南風」−「よしの川」−「うわじま」にくっついてまるでコバン
ザメのようだ。
このユニークな列車もS43,10には廃止されている。 68です。
74さん詳しい解説ありがとう。古い時刻表が
あるのはいいのだが、四国内の編成表は掲載
されてなくて謎だったのです。
ホント、ユニークな列車ですねぇ。
69さんも懐かしい思い出話をありがとう。
深夜〜早朝にかけて、ホームでエンジンを
カラカラ言わせてるDC達・・・
最高ですねぇ。 >>68>>74
「予土」はキハ52だったと思いますよ。
RP41-11の四国特集に詳しく運用や編成が出てました。
夜に家に帰ったら見てみます。他の人のフォローもよろしくです。 キハ52急行予土の写真は確か、鉄ピクの遜色急行特集でも出てたような。 76です。
43.10直前はキハ58使用ですね。失礼しました。
キハ52使用の優等列車は、もう少し古い時代ですね。 74です。補遺させて下さい。
「予土」はS40,6に新設。
資料上では特急、急行、準急気動車列車編成順序表ではS40,10,S42,10ではキハ58。
受け持ちは高松です。
ヒゲの急行のミュージックホーンの、音源とまでは言わないが
音階が知りたいと思うのは俺だけ? >>80
ノシ
名列車伝(だったかな?)とか言う本に"ドミソミドソミソド"
と書いとったような
電子ホーン(ちがうんだろうな)だったら、回路図を見てみたい。 >>81
ありがとう。さっそく鍵盤で再現を試みてみます。 「やくし」「たいのはま」「あけぼの」「にしうみ」
臨時急行HM付サイコー。 列車名忘れたけれど高知から高松までドエライDC急行に乗車した覚えがある:
キハ55+キロ28+キハ55の3連
>>25
CV240は日東航空が持っていたかな?あれ与圧装置がついていたが
「大雪号」なんて北日本航空から来た機もあった。その後NORD262に変ったが、
小型で窮屈だったけれどエンジンの音が「カラカラカラ」--で面白いターボ
プロップだった。 70年代前半上りいよ5号は4両編成という短編成で運転していた。
しかも唯一堀江に停まっていた急行だ。 「いよ」 は臨時で松山以西も運転されていた時期があったな。 >>4
ありましたね。高知市内の高知県交通の要所堺町発で。カラーテレビ搭載
が売りだったような。子供のころ高松行きの列車が結構な本数あるのに
乗る人いるのかなと不思議に思った記憶がある。 昭和57年に急行いよに乗った。キハ65は走行中、気障りな振動をたてた。 車販なくなったのですね。10年ほど前には予讃線に残っていて
新居浜で折り返してたような。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
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>>90 痛違いだけどまた試験的に乗せてるらしいじゃないですか >車販 準急「黒潮」なんてのが土讃本線を走ってたようだね(昭和39年現在)。
この列車、もしかしてキハ55系? 高知方面行き急行あしずり・土佐で阿波池田出て、右手の山の中腹に民家や畑が見えてきたら、だんだん高知に近づくなぁ、って思ったなぁ あのあたりは本当高い所まで人家や田畑があるねぇ。
車が入れる道路が付いたのはずいぶん後だったときく。
今はお年寄りだけかな。 >>98
宇野線、時間一本に幹線運用でグリーン車が要るからって、宮原のG付き7+4の11連で岡山運用にしてたね。
入れ替え用に大阪〜岡山の113系運用があった。
モノクラス化で、岡山の115系、8、12連に化けたけど。 >>63
>土讃線から予土線直通の列車ってなかったかな?
ありましたよ!
朝8時04分、高知始発で中村・宇和島行き。
後ろ2両が窪川で切り離されて、中村行きよりやや後れて予土線に入り快速として宇和島まで乗り入れてた。
>>80
>ヒゲの急行のミュージックホーン
これの音階、小田急ロマンスカー「はこね」と同一。
>>100
ヒゲの急行のMHにビクーリ。
懐かしくないけど匹の8000系の車内チャイムが
ヲタ急の20000と同じというのも奇縁っす。 30年前は松山ー八幡浜を特急でも2・3時間かかったのに、今では内子線経由で50分で行けるのだが、瀬戸内海見ながら弁当食べる事ができた昔の方が良かったなあ…
一日一本でいいから長浜経由に急行をとおして欲しい 最後のだけ見れた。うわぁ〜なつかしす。
小学生の時、一度だけ急行いよを乗ったことがある。この時便所のランプがずっと点いていてションベンが出来なかったなぁ。多分キセルしてたんだろう 銘柄入り急行券がなかった急行列車は「よしの川」のみ。
「むろと」「阿波」もなぜか数本ハザがあった。 ガキの時は徳島だったので予讃線・土讃線の各急行と比べると、
「阿波」「むろと」「よしの川」どうしても格下に思えた。
最大でも3両だし、グリーン車も半室で全列車付いてなかったしね。
高松の「阿波」が出る0番線と、「いよ」とかが出るホームも違いすぎ(笑)
向こうはホームに手押し車?ワゴン?の売店とかも出てたからね〜
ただ「よしの川」は南海四国ラインの一部だったからか、編成以外は意外に?華やかだった。
徳島以遠、高知とか行く乗客も多くて活気と言うか、ビジネスライクな「阿波」とは雰囲気違ってた。
小松島港〜徳島間は快速運転。県内の駅の運賃表に「なんば」も普通にあったし。
大阪から徳島に行くときは小松島経由が主流だったろうが、大阪〜高知だと高松経由とどっちが主流だったんだろう? 下手に遅い鉄道や一般道使うくらいなら、
車利用するしないに関係なく一晩寝てるだけで着くフェリーの方が安いし楽。
本当に急ぐ奴だけ航空利用。 >>116
新幹線岡山開業までは小松島経由のほうが分があった。 大阪高知特急フェリーの船酔いには泣かされた。YSの席は全日空から埋まり、東亜によく回されたなぁ >>120
今だったら修行僧で満杯だっただろうなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています