四国急行黄金時代を語らないか
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予讃本線:うわじま・いよ
土讃本線:あしずり・土佐
高徳本線・牟岐線:むろと・阿波
徳島本線:よしの川
急行料金や指定料金が易く、停車駅は多め
指定席がグリーン車席になったりよかったよねー キロハ改造の変態的荷物車とか
そういや警報付きのキハ58てどんな音を流してたんだろう ヒゲのキハ58、四国で引退興行だが、警報音までは再現してないのか? 鉄道ではないですが
高松⇔高知間を1時間ヘッドで12往復、所要3時間半で結んでた
南四国急行バスについてご存知の方いませんか? 高松に近づくと、おばちゃんがゴミ集めに来たり、
レチが急行券の回収に来たりってのは今でもあるのかな? 私もよく阿波池田より坂出まで急行「土佐」または「あしずり」を
利用しました。昭和40年後半の話ですが、当時はいつも満席で
当時まだ子供だった私は池田〜琴平間の山間部の運転区間で
よく乗り物酔いをしたものです、タバコも全車両でOKでしたし
あしずり号は繁盛期には増結車両が2両ほど付き7両編成でホームに
入ってくる時は圧巻でした、四国内では10数両に及ぶ長大編成の急行列車は
なかったような記憶があります。
失礼、くだりは多度津まで土讃線と予讃線の急行が連結していた時代も
ありましたのでその時は10両以上の時もあったかも知れませんが
当時は高松〜中村間が8時間ぐらいかかった覚えがあります
現在は高知乗換えしても5時間半ぐらいでしょうか、隔世の感があります。 鷲羽号から宇高連絡線を介して早朝のあしずり・うわじまに乗車して
中村・宇和島に行ったのはもう30年も前の話。もちろん、深夜の連絡船
ではウドンを食べました。 急行うわじま、伊予長浜経由でしたな。
朝6時30分位に宇和島駅を出て、宇高連絡船経由
鷲羽号で大阪駅到着が16時過ぎの記憶がある。
スレ違いになりますが、昭和50年ごろまでは
普通列車も長距離運行してました。
私のお気に入りは高松を15:00ぐらいに発車する
川之江行きと高知行きを連結した快速でした。
編成は川之江行きが4〜5両、高知行きが3〜4両で
郵便車が連結されていた記憶があります。
停車駅は高松→坂出→丸亀→多度津で以降は各駅でした
当時こげ茶色の客車が多い中たしかブルーの塗装の客車を
連結することが多く走る姿も美しかったのを覚えております。
うわじまの夜行があったでしょ。それと高知行きの50形快速。小5位の時わざわざ両方乗りに行った。まだ連絡船も現役でした。初めての遠くへの一人旅と言うかのり鉄。 確か、宇和島行きと中村行きを連結して高松を0:00過ぎに
出発した記憶が前2〜3両が宇和島行きで後ろ2両が中村行き
グリーン車のお古を使ってたりして結構快適だった 夜行列車廃止で夜行バスいよじ、とさじなっちまったんだよね。 >>13
「とさじ」っちゃ
至高の名車、元祖スケルトンの日野RS120Pが使われてたんだよなぁ
バスコレでモデル化されないかなぁ 今は高速が結構延びて関西から2〜4時間で徳島・高松・愛媛・高知へ車で
行けるなんて。30年も前は車・列車どちらでも移動だけで半日〜1日仕事。
そのころはフェリーも全盛期でした。フェリーの乗船待ちが深夜でも2.3時間って当たり前。
ああ長生きしたな。今月で78歳じゃ。 >>5
>急行券回収
四国独特だよね。
近鉄特急は今でも車内回収する。 >>5
今でも四国の特急は、終着駅近くになると特急券回収に来る列車もある。
>>15
お疲れさまっす
この板でいろいろな話聞かせてくださいw
今じゃ高知辺りに行くのも飛行機が当たり前の時代だしな...
でも未だに高知ってやっぱり独特の雰囲気が残っている気がする。 >>18
高知からだと
昭和50年代以降は30分間隔くらいでYSが大阪を結んでた
しかしなかなか座席が取れなかった。
今じゃ全く想像出来ないけど
YSオンリーの大阪〜高知の航空路線が
年間乗客数ベスト10に入ってたほど、高頻度高密度路線だったし、大阪に活力があった。
いまじゃ大阪は只の地方都市に落ちぶれ
周りの人間で大阪に買い物にいった、遊びにいった、って話を
ここ20年は聞かない >>17
白鳥号でも青森駅手前で特急券回収があった。 大阪〜高知だと
南海で和歌山港へ行って
フェリーで小松島港へ渡り、急行よしの川で高知ってのもポピュラーだったらしい
南海フェリーは今でも和歌山側で鉄道連絡してるらしいですね >>9
旧客鈍行、予讃「本」線で乗りました。
俺にとって珍しかった茶色いオハフ61を選んで乗ったものです。
背ズリが木製で、シートピッチも狭いのだが、ボックス占領だから無問題。
別の席では、じいさまが暖房(冬だった)の利きが悪いと
車掌に意見してた。 >>22
そーだよ、子どもの頃の帰省のときは南海四国ラインでした
阿波池田で乗り換えて
そのころは、よしの川、あしずり、土佐以外知らなかった
小松島線廃止で不便になっちゃったからなぁ
なんか出てきたんで貼ってみよ、ガキのころのなんでヘタ...
南海四国号(スレに関係なし)
ttp://www.imgup.org/iup684975.jpg
よしの川
ttp://www2.imgup.org/iup684976.jpg
土佐だと思うんだけど...
ttp://www2.imgup.org/iup684980.jpg >>23
予讃線ということは松山行き、川之江行き、豊浜行き、のどれかですね
今からするとのどかな時代でしたね、夏は窓全開、乗降口は開きっぱなし
速度もせいぜい50〜60Km/Hでしょうか 1986年の正月。
DE10と予讃の客車で臨時「いよ」が走った。
スハフ43からオハ41まであった中、スハフ42だったはず。
あの年の正月輸送が、四国急行時代の最後でしたね。 >62
60系を使った日があったらしい。
ピクの「遜色急行特集」に写真があった。 >>26
伊予51号ですね、土佐50号などもあったような 四国の急行といえば,たとえハのみマイナー急行でもヘッドマークがあったこと。
昭和50年3月時点でヘッドマークのあった列車
東京発のブルートレイン・四国急行・房総方面急行・北陸急行3種
だけだったことがあるよな。
>>19
平成の初期までは高松、徳島にもYS11が伊丹から頻繁に飛んでました。
小松島フェリーも結構混んでました。
神戸から甲浦、伊予長浜、土佐清水行きの航路もあったね。 急行土佐の停車駅
高松、坂出又は丸亀、多度津、善通寺、琴平、阿波池田、大歩危、豊永
土佐山田、ごめん、高知
所要時間3時間30分 >>31
急行の豊永停車は一部で
大杉が全停車じゃなかった? >>19
まつたくのイタチだけど
1960年代末の地図見てたら、大阪〜新居浜の水上機による
航空路の記載があった。使用機材が気になるが、
四阪島の製錬所も活気があった時期なのでしょうね。 >>34
日東航空のグラマンG73マラード(10席)ですね。
昭和36年の時刻表だと
大阪から徳島、新居浜行きと
大阪から白浜、串本、志摩経由名古屋行きの三路線を持ってたようです。
日東はコンベア240も所有してたようなので
大阪〜徳島はこの機材でしょうか?
しかし水上機で大阪から各駅停車の紀伊半島一周路線があったんですねぇ・・・感動した。
>>35
おかげで検索する糸口がつかめました。ありがとうございます。 >>32
ご指摘ありがとうございます。間違ってました。 >>33
そうでしたね、止まってました。
阿波川口停車は大歩危は通過でした。
紅葉の季節は大歩危に全急行停車でした。
「阿波」にあったよ。始発駅の次が終着駅っての。
特急無い時代、高徳間お役人向けの便かな? >>39-41
昭和50年の時刻表を見てみると
下りは「むろと」1号と「阿波」2号
上りは「阿波」3号と「むろと」3号が高徳線ノンストップですね 特急 南風 開業当時の停車駅
高松、多度津、阿波池田、土佐山田、高知
特急らしい停車駅ですね >>44
多度津、土佐山田には当初停車しませんでしたし
それより先に琴平に停車するようになりました。
高知より先の停車駅は須崎だけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています