特急まつかぜといそかぜを語ろう
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新大阪・大阪〜米子・博多間を走ってたまつかぜと米子〜博多間
(末期は益田〜小倉間)を走ってたいそかぜについて語りましょう >>272
多分、日本交通のバスが中国縦貫道以前の地道の時には乗っていたと思う。 時代にもよるけど
大阪から鳥取への出張に
昭和40年代後半〜50年代前半の下り「まつかぜ1号」を使っていた親父の話だと
平日でも指定席満席で立ち席特急券で乗車してデッキで待機、城崎あたりでやっと空き席が
出来はじめて座れた事が多々あったとか
俺が親父に連れられて「まつかぜ1号」に乗った時も、立ち席特急券で乗っていた人が居たし
中国縦貫道開通前まで、うちの家族が鳥取に帰省する時に「まつかぜ」を利用していましたが、
指定席が取れない事が多く、「はまかぜ」を利用するか、夜行の「だいせん」、稀に姫新線経由の
急行(まつかぜと所要時間で大きな差がなかった)を利用していました。
鳥取までは殆ど満席でしたし、鳥取駅では折り返しの上り「まつかぜ1号」を待つ乗客も多く、
駅は人で溢れていた記憶があります。
>>273-275
レスthxです。
帰省ラッシュ時ならまだわかりますが、
平日でも立席特急券って・・・すごい乗車率ですね。
平日ってことはビジネス需要でしょうか。
国鉄時代って長大編成で空気輸送というイメージがあったのですが、
まつかぜに関しては13両なりの需要があったんですね。
山陰本線が水害で不通になったとき、急行さんべは「まつかぜ1・4」号の
間合い使用の80系気動車で小倉〜東萩間で運転された。
80系が「さんべ」運用に入ってるときは、食堂車を営業していたかどうかはわからないが >>277
それって、美祢線経由の車両はどうしてたんでしょうか?
>276
大阪から大田に行くときに、まつかぜの指定が取れなくて三瓶で行ったことがある。
米子以東に限るとは言え、博多「まつかぜ」の13両編成は圧巻だっただろう…。
今の山陰特急なんて2〜3両が基本だから、正に隔世の感と言う他はない。 当時、13両以上繋いでいたDC特急はほかには、かもめ、なは・日向、白鳥、おおぞらぐらい? 「まつかぜ」は運転開始当初から福知山線経由だったけど、向日町運転所〜大阪間は北方貨物線経由で
車両を回送し、大阪発京都経由で京都から山陰本線に入ってもよかったのではないか
>>283
兇徒で折り返す手間が面倒だし、そんな事をしてるくらいなら、
最初から京都始発で運転してるでしょう。 年末、GWのごったがえした8時過ぎの宝塚駅が懐かしゅうございます >>283,>>284
京都・大阪発着を福知山で増解結,は考えられたのかも知れないけど,
まあ,京都絡みの客は福知山以東は「あさしお」利用で,って意向だったのかな? >>283
運転開始時は京都−(大阪)−松江だよ
京都発のメリットがあまり無いからそのうち大阪発になった まつかぜ1号の博多着は20時55分だったが、山陰本線の線形の悪さや、
車両の性能面、単線区間の多さ、車両のドアの不具合による遅延などで、
博多には遅れて到着することも多かった 単線での待ち合わせとドアの不具合以外は理由にならんわ >>291
その時間食うことが、速度が何より大事な筈の新幹線でも見られるような時代になったから、ついそんなこと思った。 58系急行の頃だけど、連結器・ジャンパ線・貫通幌で10分近くかかった。
今はそのあたりが自動化されたり、貫通幌の接続がなくなったりで
3分ぐらいですむ。 久しぶりに餘部鉄橋を見た。昔の橋桁は餘部駅側にわずかに残るのみ。
あの鉄橋を渡る上りまつかぜを撮影したのは30年も前のことだ。
鉄橋も俺もお互いに年をとった。 キハ80系の「白鳥」や「まつかぜ」などが大阪から青森・博多・西鹿児島間などを、
無給油で走り通せたのは、キハ80系の燃料タンク容量が大型トラックや大型バスよりも
大きく、そのため片道でも無給油で1000キロくらい走れたからだろうか >288
まつかぜが13両の時代には、少なくともみどりはDCではなかったはず。
>>298
みどりが電車化される昭和42年だと、まつかぜは9連か10連じゃなかったかと。 >>287
京都―大阪がカットされたのは、その改正で京都発着のあさしおが設定されたからだろう。
まつかぜが京都発着だった時代は、京都―福知山で特急が皆無だった。 キハ80系のシートの背ずりは、直角に近い角度で設定されているため、
最初に腰かけた時は掛け心地が良いように思っても、長時間腰かけているうちに
だんだん疲れてくる。
「まつかぜ」の大阪〜博多間を乗りとおすには、かなりの忍耐も必要だった しかし考えてみると、「おおぞら」とか「おおとり」もそれ位の距離走ってた。
まあ、こんなこと言い出したら、電車化前の「はつかり」から「白鳥」から、際限なく
出てきちゃうけど…。 >>303
なればこそ、気晴らしがてらに立ち寄る食堂車が必要だった道理。
>>302
その点、キハ181系は人間工学を駆使して設計したシートになっていたのは偉い。
>>302
>>「まつかぜ」の大阪〜博多間を乗りとおすには、
>>かなりの忍耐も必要だった
良い子は真似しないから大丈夫 「白鳥」は実用で使う人もいたらしいが「まつかぜ」は趣味以外まずねえなw 作家の宮脇俊三氏(故人)も「まつかぜ」の大阪〜博多間全区間を乗り通しているかもしれない 「まつかぜ」の博多→新大阪を2回も乗り通した自分は、相当物好きで“悪い子”なんだな!
でも、まあなんだ、その当時なんて、この程度の距離や所要時間の列車なんか、
そんなに珍しいものでもなかったんだけどな!
今の時代、座席のみの列車で10時間以上走る列車なんかもうないんじゃないか? 山陰本線の特急列車が「まつかぜ」一往復のみだった頃、鳥取・島根など
山陰県下の子供はみな、線路脇などで「まつかぜ」が通過するのを見るたびに、
「まつかぜ」は全車指定席の食堂車までついた豪華列車で「まつかぜ」に乗れる人は金持ちだけ」と
思ったに違いない。
当時の山陰県下の子供から見た「まつかぜ」は現在の「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」以上の
豪華列車に見えたのだろう。
>>309
それなりのステータスはあっただろうね。
鳥取以西で編成が短くなってたから、豪華列車はオーバーだろう。
それなら大阪〜青森単独時代の気動車白鳥の方が、全区間グリーン車2両だったので華があった。 目立たなかったかも知れないが、「くろしお」にもグリーン車2両に食堂車まで連結していたんだな。
でも、「まつかぜ」ほど“風格”を感じなかったのは、白浜までの短区間の列車があったりしたからだろうね。
“風格”と感じるのは、編成も堂々としていて、孤高の存在を感じる列車だからかな。 >>311
当時の南紀は名古屋・関西方面からの新婚旅行先だったので
1等車比率が多いのはある意味当然。
昭和40年代の後半にも成ると、ハワイ等の海外への新婚旅行が
容易になってきたのでの、電化の際に普通の特急になってしまったが >>308
>>「まつかぜ」の博多→新大阪を2回も乗り通した自分は、
>>相当物好きで“悪い子”なんだな!
いや、ちょいわるぼうや >>311
名古屋―天王寺のくろしおは、それこそ風格があっただろう。
唯一のキハ81運用で、列車番号も1D・2Dのトップナンバーだったし。 >287
昔は、京都や神戸に配慮して、西行きは京都発、東行きは神戸発の列車が多かった。 まつかぜの全区間乗車の話はよく聞くが、くろしお(天王寺〜名古屋)の話は
あまり耳にしたことがないなぁ。 >>317
どちらも全区間乗車はアブノーマルだったけど、くろしおも決して無かったわけでない。
ただ普通に大阪〜名古屋は新幹線以外に、急行比叡・関西線経由のかすがや、近鉄特急など
と比べて著しく時間がかかり、値段が張ったのもあっただろう。
まつかぜはくろしおと比較したら大阪〜博多の列車選択肢が乏しく、価格差が新幹線より著しく高い
わけでなかったのもあるだろう。 やっぱり「物には限度がある」ってことなのかな。
「くろしお」で天王寺―名古屋間乗り通すんじゃ、多分東海道線の各停の乗継
よりずっと時間かかった筈だから…。
「まつかぜ」の大阪―博多間となると、特に新幹線の博多開業前なら、
そこまで荒唐無稽なことじゃなかったと思える。 1964年3月改正時
まつかぜ 京都730−大阪801/805ー博多2055
筑紫 京都734ー大阪808/815ー博多1950
かもめ 京都800ー大阪831/835ー博多1730
さつま 京都1031ー大阪1105/1110ー博多2248
みどり 大阪1340−博多2235
まつかぜで大阪ー博多乗り通すのは、それ自体を
目的にした人のみだろう。
少なくとも一般客は選択しない。
列車選択が少ないとか、荒唐無稽じゃないとか言ってるやつは
寝てから言え。 >>320
口のきき方ってもの弁えろ。
大体誰が「まつかぜ」の全区間乗車を自然のことだなんて言ってる。
他人の発言の意図も読み取れん分際で減らず口叩くな。
「まつかぜ」に二度も全区間乗車した“ちょい悪坊や”ですが、
「くろしお」の名古屋→天王寺にも全区間乗ってますよ!
他にも通常使わないような区間でも、東京→西鹿児島の「高千穂」や「富士」にも全区間乗ってますし、
山陰で言うなら、824列車とか鳥取→熊本の「さんべ」、名古屋→大社の「大社」、
それに小郡・福山→三井野原の「三井野原スキー」、京都→敦賀の「小浜ビーチ」などなど…
早い話、この当時のマルスで印字できた列車の臨時を含めた国鉄全線の、ネームドトレインの99%は全区間乗ってます。
長距離鈍行もロンゲスト10には全区間乗りました。
はっきり言って、“物好き”ですよ! >>321
寝言を言ってたじじい起きたのか?
>>大体誰が「まつかぜ」の全区間乗車を自然のことだなんて言ってる。
そんなこと誰も言ってないだろ。
お前が勝手に俺がそう主張してると思ってるだけ。
痴呆妄想老人乙、れすと いん ぴーす
くろしおの全区間乗車は鉄道雑誌でもあまり記憶がないです。 まつかぜは、山陽本線普通列車乗り継ぎと、所要時間がほぼ同じだったような。 >>327
博多〜大阪は普通列車乗継ぎでも、まつかぜと同じく13時間近くはかからなかっただろう。
でも当時の山陽本線は今より普通列車の本数が多くなく、小郡や三原などの待ち時間が長かった
ので、今より時間がかかっていただろうな。
そうすると景色が退屈しない山陰本線の方が、景色や車両のバリエーションがない山陽本線より
良かった意味はある。 昭和43年10月時刻表
特急まつかぜ
大阪0801→2051博多
急行「つくし1号」
大阪0915→1857博多
山陽本線
大阪0757→1017播州赤穂1022→1151岡山1153→1321三原
三原1405→1604広島1645→1950小郡2025→2334博多
昭和50年2月時刻表
特急まつかぜ
大阪0800→2050博多
急行「つくし1号」
大阪0844→1823博多
山陽本線
大阪0725→0901姫路0917→1053岡山1056→1237三原
三原1257→1953下関2022→2146博多
コレより新しいのは知らん。各々調べてくれ。 >>329
新幹線博多開業前では山陽本線の特急・急行が頻繁に走っていたから、普通列車は
優等列車の退避が多く、時間はかかっていただろう。
それに様々な特急・急行列車を眺められていたから、その頃の山陽路は退屈しなかった。
山陽本線普通列車乗り継ぎと比較するなら、新幹線博多開業後でないと・・ >>323
白鳥 上野ー大阪間の御乗車経験はございますか? >>331
それを経験してるなら、70歳前後の年齢のようなw さすがにそこまでは経験ありませんな…。
初めて「山陰均一周遊券」を使って山陰に出かけた時には、
東京→新幹線→新大阪→「しおじ71号」(583系)→広島→国鉄バス広浜線夜行バス→浜田…
というマニアックなルートで入り、当時ピカピカの181系DCを使った伯備線経由の夜行「おき52号」で松江→大阪と帰りました。
まだ山陰本線の米子以西にはSLが多数健在で、SLブームの火付け役となった伯備線布原信号場にも撮影に行きました。
山陰の特急といえば、「まつかぜ」しかなかった時代です。
まあ、そういう時代を見てきた年代ですが、旅費は新聞配達して稼いだ金で行きましたよ。 >333
181系が運用を開始していた時代なら、
82系だけど『やくも』(新大阪〜浜田)は既にあったのでは? 新大阪−浜田の特急「やくも」はS40.10よりキハ82系で登場
S47.3の山陽新幹線岡山開業時ダイヤ改正時に「まつかぜ」に統合
(「まつかぜ1・2号」の付属編成を使用した大阪−鳥取の「まつかぜ2・1号」に)
新大阪−出雲市(伯備線経由)の特急「おき」はS46.4下旬よりキハ181系で登場
S47.3の山陽新幹線岡山開業時ダイヤ改正時に「やくも」(岡山−出雲市)に改名
>>334氏の言う通りですね
かもめ、いそかぜ、みどり、なは、日向・・・、ややこしかった。 >>115
別の意味でオモロいわ(笑)
by 野村克也(京丹後市出身) おおぞら、おおとり、北斗、北海、エルム、オホーツク、白鳥、ひばり、
やまばと、つばさ、はくたか、ひだ、南紀、くろしお、かすが、まつかぜ、
やくも、はまかぜ、あさしお、ゆあみ、銀嶺、かもめ、なは、日向、いそかぜ、
みどり、有明、にちりん、おおよど・・・。 181だったら乗ってたかも。
希少価値あったもんなあ・・ かつて、奈古〜長門大井間が長期にわたって不通になった事があったが、
復旧・開通した時にはNHKのニュースで「まつかぜ」の走る姿を映していた記憶がある。
不通だった時は、どういう運転をしていたのだろうか?
打ち切っていたのか...それとも山口線か美祢線経由の迂回運転だったのか..???. 「やくも」の電車化後、山陰地区の特急で食堂車を営業していたのは、
寝台特急「出雲1・4号」と博多「まつかぜ1・4号」のみとなったが、
両列車の食堂車の営業ぶりは「出雲1・4号」の方が充実していたようで、
また、「まつかぜ」の食堂車のメニューもメニューに書いてある料理がすべて
揃っていたわけではなく、欠品も多かったという。 >>344
博多まつかぜは途中駅までの折り返し運転で、博多側に残されていた編成は、急行さんべ
に使用されていたのではなかったかと。
つばさの485系電車化で余剰になったキハ181系を米子、高松などに
転属させようとした際、米子機関区でもどこの車両基地でも受け入れを拒否されたようだが、
やくもの電車化で余剰になったキハ181系のあさしお、はまかぜ、まつかぜ3・2号への
転用はスムーズに行われた。
一つはキハ80系の老朽化による車両の取り換え目的もあったようだが、
もう一つは国鉄の労使関係による対立が緩和、改善されたされたこともあるようだ 10月6日(土)
なつかしのやくも号運転
381系国鉄色
大阪6:41発→松江12:18着
山陰デスティネーションキャンペーン日本旅行特別企画 >>348
ずいぶん出発が早いな。
乗る人も大変だね。 >>348
出発時間が早すぎますね
岡山県に入るまで外は暗いから車窓は楽しめないでしょう
山陽新幹線が出来る前の特急(485系)は大阪〜岡山を
最速2時間で走っていたそうだから
松江着を12時台とするなら、大阪発は7:50〜8:00でも間に合います なつかしのやくも号に使用される381系は、当然、福知山電車区の381系? >>351
>岡山県に入るまで外は暗いから車窓は楽しめないでしょう
10月でさすがにそれはない。
年末年始ならそうかも。
朝一に大阪を発車していた博多行きのまつかぜ号
グリーン車2両と食堂車を備えた13両編成の長大編成
しかし、当時の非電化単線で列車本数も極端に少なかった福知山線や山陰本線に比べると、なんか不釣合いな印象だな >>354
昔は少本数・大編成が当たり前だったからな >>354
1977年昭和52年に乗ったが結構込んでいたよ
当時は中国自動車道もなく鉄道優位の時代だったけど 中国道が昭和50年に途中区間まで開通してから、結構乗客が減りました。
鳥取までは、山陰特急バスの方が早くて安くなりましたからね。
福知山線や山陰本線にあれだけ長大編成の特急が走っていたのは、
当時はまだ高速道路が整備されていなくて、交通手段は鉄道が圧倒的に優位だったからなんだね。 >354、355
その当時は、鳥取で後部6両か7両を切り離して、その切り離された編成が、
上りまつかぜ、または上りはまかぜとなって大阪に戻る車両運用だったため、
長大編成になってたんじゃないか 福知山は13両止まれたが、
宝塚・豊岡・城崎はホームの長さが足りず
「○号車○号車はホームを外れて止まります」
の車内放送が懐かしい
>>360
下り1号で鳥取に来た8〜13号車は、上り1号で大阪に戻り、宮原で整備の上、下り
はまかぜ2号で鳥取へ行き、駐泊。
翌朝、上りはまかぜ1号で大阪に行き、再び宮原で整備の後、午後の下りまつかぜ
2号で鳥取に戻り、上りまつかぜ2号の大阪寄に連結されて、13連で大阪に戻りました。
こうやってみると、博多編成と鳥取編成は、常に同じ編成が連結して走行した事になり
ますね。 不思議なもので、同じ車両でも鳥取まつかぜはまかぜに運用されている時よりも13連の一部でいる時の方が輝いて見えたものでした。 まつかぜは日が長い初夏に乗るのが一番だったんだろうな
俺は下りに3月に乗ったが、無念にも宍道湖あたりでもう夕日が沈み、あとは無人の漆黒の闇の中を
ひたすら西下するだけで、白砂青松の山陰海岸を拝むことは叶わなかった。 まつかぜ、ずいぶん昔だな。
確か82系13連の末期の頃上りの福知山あたりから乗ったと
思うが、最終コースで車内にはゴミが散乱した感じで、
そこいらじゅうにゴキちゃんがウヨウヨしてた記憶しかないなw
空いてたから窓際座ったら窓の隙間からも
覗いてたなんてのは、アノ時だけだったな。 下りのまつかぜと、スレ違いだけど白鳥の末端区間の寂しさといったらなかったね。 スレ違いだけど白鳥はそうだったな。
特に1993年平成5年に普通列車が701系電車になった後
まつかぜは最後まで旧型客車鈍行とのコンビ良かった 昭和60年3月13日に博多に到着した「まつかぜ1号」のキハ80系は、
博多到着後、下関からEF62に牽引されて山陽本線経由で向日町運転所へ回送後、
函館運転所と名古屋第一機関区へ転属したんじゃなかったかな 子供の頃、特に理由はないが、『まつかぜ』が好き、『やくも』は嫌いだった。
だから『やくも』にグリーン車が2両連結なのが悔しかった・・・。 >>369
分かるなぁ、まつかぜは山陰路のエース特急ってイメージだったよ。
やくもは短距離連絡特急って感じだった。
まつかぜって超大編成だったのにグリーン車1両だったのか。
その代り食堂車はたしかあったよね。 まつかぜの食堂車営業は、日本食堂と都ホテル列車食堂が担当していたようだが、
都ホテルはいつごろ、まつかぜの食堂車営業から撤退したのだろうか >370
『やくも』が新大阪〜浜田の時代の話です。
当時は出雲大社のある山陰地方へ新婚旅行へ行くカップルも多く、時間帯が
良く、東京からも利用できる『やくも』にはグリーン車が2両連結されて
いたと聞きます。
後に『まつかぜ』の付属編成にもグリーン車が組み込まれます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています