島根県の大田に親戚がいたので子供の頃、大阪からよく乗りました。朝8時にでて石見大田に着くのは午後3時前。時間帯の便利さから行きはまつかぜ、帰りはやくもというパターンが多かった。
当時、親が話ではまつかぜの指定が取りにくくて、一度三瓶で行ったこともあります。上下のまつかぜが交換するのが出雲市で、下りのまつかぜと上りの急行出雲がすれ違うのが、確か石見大田だったと記憶しています。
まつかぜが誕生当時は下りが城崎、上りが豊岡停車だったのが、やくもが出来たときに、まつかぜが豊岡で、やくもが城崎に変わったんだと思う。白鳥も同様に上下で動橋と大聖寺を分けていて、雷鳥としらさぎ誕生時に動橋のみ停車になったはず・・・。