特急まつかぜといそかぜを語ろう
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新大阪・大阪〜米子・博多間を走ってたまつかぜと米子〜博多間
(末期は益田〜小倉間)を走ってたいそかぜについて語りましょう 「まつかぜ」2往復のとき,5〜8Dだったのだが,
これって1〜4Dは昭和50年3月で消えた「なは・日向」「かもめ」だったのな。
「まつかぜ」大阪〜博多を乗りとおしたよ
食堂車で食事2回珈琲1回利用したよ
景色は最高だし結構楽しかったので苦痛でもなんでもなかったなぁ
ちなみに前日は名古屋〜天王寺を「はやたま」で乗りとおしました
なので名古屋〜博多 30時間位?かかったかも 食堂よりご案内申し上げます
食堂ではお料理、お飲み物など取り揃えまして
皆様のお越しをお待ち申し上げております
ピンポンパンポ〜ン♪ まつかぜって85年3月でキハ181置き換えになってますが、85年1月に気動車特急のヘッドマークが
イラストマーク化という記事がwikiにあります。ってことはキハ82の先頭にイラストの「まつかぜ」マーク
も付いてたんですよね…?本とか調べても見たことなくて半信半疑なんですが。 >>10
これかな?
http://blogs.yahoo.co.jp/kobe_x_japan/GALLERY/show_image_v2.html?id=http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d5/8f/kobe_x_japan/folder/1074746/img_1074746_14158939_0?1218020692
ところで、急行のさんべとかあきよしの話題もここでいいのかな?
あと、山陽特急時代のいそかぜとかは…だめかw >>11
このマークです。でも、この写真もですがこれを付けてるのはキハ181しか見たことありません。
82でもホントに3ヶ月だけ絵マークつけてたのか…? いそかぜ
小倉〜博多間 性能挑戦ばりの全開走行は良かった。
山陰区間のうっぷん晴らしと言わんばかり
今でも はまかぜ が大阪〜姫路間120キロ走行には劣るけど 80系まつかぜは、最後まで文字のみのヘッドマークで走ってました。あと数ヶ月で
置換えになるので、新調しなかったのではないかと思いますよ。
まつかぜの文字ヘッドマークも、同じようで字体が異なるものがありました。 >>15
やや細字の、角が丸いゴシック体とかですな?
(太字、角ありゴシッック体が一般的?) S50,11だったが米子ー東萩間を利用したが指定は最悪で山側のB。
せっかくの「まつかぜ」なので山陰の海が見たかった。隣席の九州に帰るとのお婆さんが
田儀あたりが海がきれいだと教えてくれたので小田を過ぎるあたりから食堂車でカレーと
コーヒーで夕方近くまで粘っって車窓を見入っていたな。
途中で海の見える駅(駅名?)で東京行きの「出雲」を待たせ通過。
かたや当日中に博多に、かたや翌日には東京に着いているとは思えぬほどの長閑さだった。
1981年ごろのダイヤだと、博多から「まつかぜ」全区間乗り通すより
山陽回りで普通列車乗り継いで行ったほうが早く着いたとおもた。 >>18
山陽乗り継ぎの方が早いよ
昭和54年頃乗った「まつかぜ」
車掌さんに聞いたら大阪〜博多を乗り通した客は俺と友人の2人だけしかいなかった 単線で待避があったからね。
おまけに米子だと結構長い時間停まっていた気がする。 その同じ路線をSまつかぜやSおきが飛ばしまくってるなんて考えられんな。 時間帯がちょうど良く、しかもすいていることが多かったので
一時期仕事で博多から黒崎まで行くのに「まつかぜ4号」をよく使っていました
たしか8時15分に出る列車ではなかったかと
車内で書類をまとめたり、アイディアを考えたり
あのディーゼル・エンジン(?)の音がとても良かったですね、とても好きな列車でした
架線がない低いホームを滑るように入線してくるキハ。
えがったゾ〜w http://www5f.biglobe.ne.jp/~cyositekitetu/matukaze.html >>15
まつかぜの愛称板は手書きに見えて仕方なかったな。
私の父母は「まつかぜ」で山陰へ新婚旅行をしました
私はその時できた子供
「まつかぜ」万歳! >>27
82系時代はもろに毛筆風の筆文字だったような
「あさしお」は細字のpop調で、あれも不思議な書体だった
どっちにせよ、国鉄式の一般的丸ゴシックから外れた書体を使っていたのが印象に残る 約30年前にサンドイッチ600円、ミルクコップ一一杯200円だった食堂車。
エンジンの振動が小刻みに伝わり食いにくかった。
>>33
片方がしばらく、名無しやったと思うよ。(盗難?) 1Dが「なは・日向」
3Dが「かもめ」
5Dが「まつかぜ1号」
7Dが「まつかぜ2号」
ゴーマルサンで1Dと3Dが廃止されても5Dのままだった「まつかぜ1号」が
あわれにみえた。所詮日陰者扱いなのか・・・。
ヘッドマークで思い出したが、米子で盗む馬鹿がいたんだよな。 >>37
一般的には1Dの名称は「なは・日向」って事になってるの?
当時は山陽区間の停車駅では「日向・なは」って放送されて滝ガス。
>>39
当時はみどりも健在だったからなぁ。 「まつかぜ」の食堂車は、空いていた印象しかないです。
数人の客がいても、コーヒー程度だった様な。
このスレ流行らないなー。
「まつかぜ」「いそかぜ」に限らず
「あさしお」「はまかぜ」「やくも」「おき」などを含めた
往年の山陰路を走った特急の懐古スレにしたらどうだろう?
82まつかぜ末期の80年代前半って
50系より旧客の鈍行のほうが多かったんだっけ? >>47
そうだね。
僕が25年前、餘部のお立ち台に撮影旅行に行ったときはみんな旧客だったよ。
確か京都口のローカルには50系があったようだったけど・・・。
臨時だいせんが12系だったかな。
普通列車の編成にはナハフ11型も混ざってたな。
福知山にはナハフ11−1もあったよ。
京都から『山陰』のオハネフ12に乗っていったけど、今思えばパラダイスだったよ^^w
まつかぜなんか、目一杯引き付けないと最後尾がトンネルの中・・・なんて、今の4連はまかぜに比べたら贅沢な苦労だったね^^; >>49
いやそうではなくて、中途半端に電化したことや
短絡急行線を求めた自治体もあった事もある。
仮に昭和40年代の初めに京都−出雲今市、尼崎−福知山が
電化されていたら、山陽筋と共通運用が図られていただろう。 新幹線が山陽路を通ったことで
結局陰陽短絡線が主流になるのは仕方ないんじゃないか?
京都や大阪から米子や松江に行く人って新幹線+「やくも」が
ほとんどだっただろうし。
漏れはガキの頃、広田尚敬氏の鉄道の写真本を読んで、
大阪〜博多間を通しでディーゼル特急が走っていたことが信じられなかった。
しかも、彼の本は廃止になった列車を結構載せていたから、事情がわからない
お子ちゃまには少々わかりにくい解説があったw
あと、スレ違いだが、ヘッドマークに関しては、北海道のキハ183が
80系用の五角形ヘッドマークを付けている写真なんかがあった。
まつかぜはこういうことは無かったのかな? 運行区間が短縮される直前に友人と二人で
博多ー新大阪間乗りとおした.
(行きは飛行機だったけど)
朝昼晩とも食道車を使った.何を食べたかはもう覚えていない.結局在来線食堂車はこれが最後になってしまったな.
リクライニングでもない座席でよく乗りとおせたものだ.今じゃ浜田あたりでギブアップだろうな. 「まつかぜ」の絵入りヘッドマークは綺麗なデザインでしたが
付けられていた期間は非常に短いものでした
ディーゼル特急の絵入りヘッドマークでは「しおかぜ」のもの(初代)も良かったですね 神奈川に住んでるおいらにはどっちも縁の無い列車だったな
九州行ったときに、「いそかぜ」を2回見ただけ
博多駅に到着した下り列車と、「はやぶさ」の最後尾から見た行き違いの上り列車
一度、山陰を走破してみたかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています