【美しき】C55【ライトパシフィック】
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門鉄デフ:筑豊のサラブレッド
密閉キャブ:北辺のサラブレッド
閉塞侵入ヨーシ 出発進行! >>43
互いに一長一短があるけど量産しやすいのが有利だったのでしょう >ボックス動輪
まあ経年に強いのは強化スポークだったそうですが。 流線型機が引っ張る急行・・・
見たかったなあ。
C53 43なら写真で見たことあるけど・・ >>41
C54(通称”らくだ”)は調子が悪い機関車だった。国鉄は54と相性が悪か
つた。C54、EF54、DD54、(EF54は工場が弄くりまわして駄目に
したらしいが),キハ54500でやっと厄払?
C54は回送が播但線生野トンネルで機関士と助手が窒息状態になり、生野
を通過暴走して、長谷の手前の「真名屋」トンネルで脱線衝突事故を起こして
廃車。
このトンネルは衝突した生野側が、コンクリート巻きで修理されているから
よく解る。
C53・D51 etc.と島秀★雄大先生の毒牙にかかった
哀れな蒸機は多々あるが
C54の不細工さを見るにつけ先生様の蒸機設計に
関するセンスのなさ確信する訳で…
C55に氏のDNAが投入されず、本当に良かった
あの人って箱モノだけやってりゃ良かったのにね D51とC55が好きな俺は異端なんですね 分かります >>47
工場で分解したら(ry、戦後も保存するつもりで保管?してたにもかかわらず処分されたのはED54でそ
(EF14に改造後のEF54は地味だけどそれなりに長命だったし)
>>49
流線形の設計はその某先生だった件について(つーかC53も絡んだのは足回りだけだが) >>51
その某先生が3気筒蒸気機関車のグレズリー式弁装置
のメカニズムを理解せず、中間気筒用合併テコの強度
を下げたためにC53には弁機構の動作不良による起動
不能という致命的欠陥が有ったので、列車密度が高い
東京口での[燕]牽引蒸機は最後までC51だったし
お召し運用は一度も無かったはずなんだが
丹那トンネル開通があと少し遅れていたら・・・C55
の牽く[燕]が見られたかもね >>52
つーか御召にわざわざC53使う必要も無いでしょ
あと臨時燕ならC55牽引蟻(それも流線形を使用) 昨日のBSさよなら運転特集でC55+C57の重連が懐かしかった。
C55 57号は美しい機だったのに現存してないのが残念。 スレチご免だけれど:
C5343,C5520-40(流線型)の話題が出ると、戦前(今のNHK)がラヂオで流した
国民歌謡「新鉄道唱歌」(堀内敬三作曲)を思い出すなあ。
”------流線一路,富士,桜、燕の影もうららかに"‐(東京‐神戸)と(名古屋
‐二見浦)。戦後鉄道友の会理事だった堀内氏の作曲だけあって、今でもコロンビア
盤のイントロを新幹線の車内放送オルゴールに使えるぐらいのメロデイー。
正直言って二次元でしか知らないので、あの
流線形はどうも苦手なんだけれど
浜松町・田町辺りの省線ホームから下り本線
を力行で飛ばしてる姿を眺めてみたい
想像すると萌えるんだよなぁ EF55の保存車に「ムーミン」なんて渾名がついているとは本当か? 靴のお化け、と言ったと聞いたけどそれもも何だかなぁ >>10
C5711が「水かきスポーク動輪」???昭和46年1月2日に636レ牽引を「新野」で
撮影して居るが、「ボックス動輪」だぞ!?門デフ、集煙装置付きだったけれど
「スポーク動輪」はいつ頃の事か?ご教示ください。 >>59 確かに文章に問題がありますので下記
の通り差し替えますので御容赦下さい。m(__)m
集煙装置付きC55の話は初めて聞きました。
冷水峠のトンネル内排煙対策だったのでしょうか
シルエット的には是非とも重油燃焼装置も併設して欲しかったですね。
門デフ付きライトパシとしては豊岡区に居た[かもめ]
牽引機のC5711が正にそれで、メカの塊のようで
カッコ良かったのですが
おまけに水掻きスポーク動輪ときては…言葉が出ません!
別件ですが、門司局の蒸機に特有な、助手席側の
デフ支柱に付けられ、白黒を田の字に塗り分けた
小型の板は排煙の濃度の目測用という解釈で良い
のでしょうか? >>57
なぜEF55の話題が、このスレで為されているのか分からんが、
ムーミンは有名じゃない?理由は言うまでもなく見た目がそのまんまだから。 >>60
リンゲルマン式濃度計ですね >白黒を田の字に塗り分けた小型の板
目的は勿論排煙の目測用で、他地区でも地上設備に設けた例はあります。
>>57-58
戦前〜戦後の渾名は「靴」「河馬」、「ムーミン」は復活後の渾名ですな。>EF55 よく考えりゃ、戦前からムーミンなんて名前がある訳ゃないよなぁw >63
ムーミンは1953年連載開始なので戦前にあるわけがない EF55は、現場では「河馬(かば)」と呼ばれていた。
東京駅の助役らが、昭和30年代初頭に命名したとかを
聞いたことがあるけど、真意はわからん。
C5711、元門鉄の「かもめ」牽引専用機。
都落ちの姿は、哀れでしたね。貨物引いて。
デフにあった「かもめの羽と波頭」の飾りは、配転の時に
はずされたのかどうか。ご教示いただければ幸いです。 >>65
EF55ムーミンは最近だよ。(TVか新聞かで知った)
C5711播但線で見たり写したりの時は消してあった。最初に見たときは
遠方で解らなかったが昭和46年の正月には何も無かった。 >>66
小生は、昭和47年に播但で11号機を撮影してます。C11も、いたな。
九州から配転の時にはずされてしまった、と考えるのがいいのでしょうね。
>>60
だからC5711の「水かきスポーク動輪」てのはいつ頃なのか教えてくれ。
文章の挿入が間違いで「‐‐‐‐‐シルエット的には---」の次に来るのじゃ
ないのか? >>68
9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/09/06(土) 13:10:50 ID:RrVy5TNs
確か1955〜57頃の門司の11号機は試験的に集煙装置を装備してたはず。
↑
これに対して、更に重油併燃なら申し分ないと。
そして自分のC5711体験を語り(ボックス動輪のC57でも良かったのだから)、
C55の集煙、重油タンク付きなら、
おまけに水掻きスポーク動輪ときては…言葉が出ません!
(それが現実にあったらどんないいいでしょう!)
と繋がるのだろう。 「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www ボックス動輪のC55ってのは実在したんですよね?
写真で知るのみだけど。 30年前の俺の脳内
門デフ=C55
門デフでないもの=すべてC57
だった。 SLの外観の印象って煙室前端のRの有り無し
でかなり変わるんだよね
実際(戦時型D51/52除く)がそうであった様に
ボックス動輪にはR付きの方が似合う
その辺、鉄道省は良いセンスしてたと思うよ
C55のボックス動輪?
本当にあったんですか。私は知りませんでした。No.がわかればご教示ください。
C51や86ならたくさんありましたが。
C57のスポーク動輪?
これは似合いそうですね。小さめの門デフつけて、模型にしてみたい。
ピノチオ模型でC55用動輪・ドーム・ナンバープレート
等々を出してたよ
30年以上まえの話だが C55で流線型が成功してたらC57やC59も流線型になってたんだろうか? >>79
昭和10年代の計画機関車(KC55・KC56形、共に2C2)に流線型が存在します。
残された図から判断する限りC55+独の01-1000みたいな形状ですな。
もっともC55の流線型は開閉部分が多いだけに整備上は最悪扱いだったそうで…
(煙室扉や炭水車の動力開閉は作動不良続出、足回り点検中に跳ね上げてた側面覆が落ちて頭を直撃とか)
整備しやすい流線型にするなら満鉄パシハみたく最低限の部分だけ覆う形状にしないと厳しいかと。 マラード号みたいなやつなら憧れたけどなぁ。
C55やEF55みたいなやつはちょっと格好悪いような。
それならむしろ普通のC55だとかEF53の方が格好いい。
一連の流線型で格好いいのはモハ52だけ、異論は認める。 >>81
>>普通のC55だとかEF53の方が格好いい。
全く同感。流線C55はともかくC53の流線型はキモイ。
確かに1930年代の流線型では電車の52系が一番かも。
私鉄の流線型、例えば名鉄の3400系なども悪くない。
>>81
EF55は妙に和む形状なのでその辺は良いかと
モハ52は2次車登場時の塗装が最もスマートかな。 C55流線型でイメージ検索したけど実物の画像ほとんどなし。
模型ばっかり。
唯一あったのは廃車寸前のもの。 華やかさは戦後に譲るとして、国鉄が一番夢
を追っていたのは、C55が作られた1935年頃
からWWUにかけてだと思う
たかだか100km/hの速度で流線形に入れ込ん
でみたり(現場の迷惑もかえり見ず)
他にも電気式流線形DCのキハ43000とか、EC・PC
のノーシルノーヘッダーや張り上げ屋根とか・・・
ありゃ鉄道模型趣味としか思えない……それも実物でw
個人的には、オール張り上げ屋根のオハ35系を
牽くC55が最高にカッコイイと思う
電車では合の子半流43系、電機では鋳綱台車
+丸ボディーのEF10ってとこかな >個人的には、オール張り上げ屋根のオハ35系を
>牽くC55が最高にカッコ イイと思う
↑
通常型ね いささかスレ違いだが、
流線型が有効なのは、新幹線電車になってようやくというところではないか。
85氏がいうように、たかだか100km/hでは高いコストかけて作る意味がないかと。
しかも検修する側は大変なのだし。
結局、一部設計側の自己満足だったか。 お〜い…>>89
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||____ ガン!
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||(>ω<)
|⊂ ノ
…おいらのC55のイメージは、門デフ+茶色い旧客だなぁ。
たまに短い貨物を牽く姿も良かった。
手宮の50号機でも動態復活しねえかなあ
で、宗谷本線でSL利尻号とか運転すんの >>1 揚げ足を取るつもりはないけれど
EL・DL・EC・DCの場合は『出発進行!』だが
蒸機の場合は『ハッシャー!』じやかった?
二人で連呼→機関士が逆転機を前進フルまで
ねじ込んでブレーキ緩解、加減弁開ける。
蒸機の発車は格好良かった。 コクテツではどの車種にも「発車」って用語はあったのでは。
出発進行ってのは、出発信号機が進行現示であることを認めて
喚呼する用語だろうから、起動を開始して出発時刻を採る「発車」
とは別ではないかと。
バイパス弁、閉じ!
リバー40!
閉めるっ!
(も、なんか違うような気がするが…) >>94
どこかの駅で、下り副本線から貨物列車の発車。
駅長「下り一番線、出発進行!○○○列車、発車!」
駅長(助役)が片手を上げる。
機関士「下り一番、出発進行、発車!」
復唱し、汽笛を鳴らして列車が起動。
駅長、最後部が出発信号機を超えるまで監視する。
車掌が窓から顔を出して駅長と敬礼。
駅長、列車が出て行った線路を指差確認してから引き上げる。
蒸気だか電機だか忘れたが、こんな感じだったよ。
なんだかカッコイイと思った。
本屋で「蒸気機関車のメカニズム」だったかな?
を立読みしたら、C55(多分C57ー1・2も)
だけは実効開口面積が広い、高品位なバイパス
バルブが使われていたそうだ。
実際の所、絶気時にどれ程の効果が有ったのか
は不明だが、何故か嬉しい。 なんつたってシゴゴだね♪
C55好きは審美的人種と思われます。
是非とも聴いてみて下さい。
フランスの蒸機大好きな鉄チャンで、現代音楽家
でもある[アンテュール・オネゲル]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:CHF20_8_front.jpg
がフランス国鉄の特急用蒸機231型を題材
として1923年に作曲した交響詩
「交響的断章(運動)第1番【パシフィック231】」
疾走する蒸気機関車を活き活きと描写した名
曲です。 みんな明けましておめでとう
汽笛・ブラスト・凝水の排出・シンダの匂い・ダイナ
モのヒョーという音・時折思い出した様にシコーンと
動く給水ポンプ・チュルチュル吹き出す泥溜めのドレ
ィン・加減リンク内をスルリと下がるラジアスロッド
・キャブ窓に肘を掛け加減弁を引く機関士・空転で咳
き込むブラスト・蒸気圧十分でステップに立ち腰を伸
ばす助士・・・・・、色んな風景が何時も記憶の中に
よみがえる。
蒸気機関車と同じ時代を過ごせて本当に良かったよ。 21番
C5551〜54のテンダーは、D51用に振り替えたが、
それは、戦後大分地区で実施したが
戦前にも静岡でC51、C53でも実施した因みに振り替え相手はD50であった。
C55では、
C5551→D519
C5552→D5112
C5553→D5123
C5554→D5193
であった。
北海道に比べ、九州の方がテンダーを出鱈目に改造している。
大分地区のC55・D51の他
鹿児島地区の8620・C50が入れ替え作業の利便上C56風になっている。
門鉄デフでも大分地区では、似合う蒸機と似合わない蒸機があった。
すなわち、C55とD51でした。
給水暖め器がデッキにあるカマは門デフが似合うね。
C55 C57 D50 D60 大昔、雪の塩狩峠でC55を待っていたとき、あんまり寒いんで
三脚の列を敷いた撮鉄(という言葉は当時なかったが)十数人で、
列車が来るまで雪合戦しようじゃないかということになった。
俺は小学生で最年少。
こっちチームは相手に押されて後退を続け、がけみたいなところに落とされてしまった。
やがて汽笛の音。雪の中を必死で這い上がったのだが、すでに列車は去った後。
何しにここまで来たんだと、敗者チームの大学生のお兄さんなんかは陽気に笑っていて、
こっちも半べそで笑うしかなかった。いい思い出です。 たかが雪合戦で崖に落とすなんて、随分と酷いことをするもんだ。
しかも小学生で峠まで繰り出して、写真のひとつも撮れないなんてあんまりだ(´;ω;`)ブワッ 煙室上に給水温め器が在ると、門鉄デフのスマートさ
が裏目に出て逆に暑苦しくなった。
門鉄デフが似合う蒸機としては9600も中々だった
…っと言うか、C55とは対局的だが9600も同じ
位好きだった。
膨張室を通さないダダダダダダという歯切れ良いブラ
ストと1250φの動輪をグルグル回しながらの激走ぶりは
急行用蒸機とは別物の泥臭い味わいがあった。
撮り鉄の話題が出たので40年前の思い出、高校生だっ
た俺は暇さえ有れば、親父
のキャノネットを借りて佐倉区・八高線・御殿場線を徘徊し
ていたのだが如何せん、レンズが≒50mm固定だったの
で蒸機の迫力ある写真がどうしても撮れなかった。
そこで晩春のある日、御殿場線の谷峨駅上りにある第
3?酒匂川鉄橋のランボード上に三脚を構えてD52
牽引下り普レを待つという暴挙に出た。
やがてレールに何かの響きが伝わり始め、ジョイント
音が聞き取れる様になり、彼方からトンネル進入の汽
笛が聴こえ、ブラストが聴き取れ出したと思ったら、
D52は既に鉄橋へのアプローチに姿を現した。
窓から身を乗り出してこちらを見る機関士、指差し呼
称をして右手を上げる俺、機関士が短声吹鳴、鉄橋は
それ自身があたかも打楽器の様に振動しつつ色んな音
を共鳴、左手と両膝を着き三点支持する俺、D52は
無数の蒸気の排出音とガラガラというメカノイズと共
に荒れ狂う圧倒的な質量と風圧を残して通り過ぎた。
置きピン・ノーファインダで撮った写真は見事にぶれていた。
その後バイトに精を出して、生まれて初めてのカメラ
…ニコマートFTNと80ー200f4.5ズームを買う事になり
今も愛用している。 『砂濾』って部品は知らないが、砂箱と砂
まき管の間にあるやつなら『砂まき器』で
砂箱から圧縮空気を使い霧吹きの原理で砂
を吹き出す装置だよ >>120
塩狩峠の補機はたしかDLに代わる前は9600だったとかの記事を読んだ記憶があります。D51ではなかったような。 >>121 ありがとう、自分が乗った利尻は一足遅れ
のDD51牽引でした。
ス・マ級主体の12連を
C55が牽く!!!。
9600が押す!!!。
方や二枚目スター、方や実力派の名脇役…両者とも
大好きなロコなのでたまりません。
峠越え後、キューロクの大忙しな下廻りが目に浮か
びます。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
筑前山家 こちら鳥栖機関区
日豊本線仕業上がりD60を原田で給水、救援に向かわせます
当該レチに通告願います 夏の多客期には利尻にはハが増結され、C55の重連で運転されました。早朝
に幌延でこれを見ています。幌延には2両同時に給水できる設備はなかったの
で(倶知安にはこれがありましたね)1両ずつ給水していました。
すると、塩狩越えはこれに9600の後部補機がついたのでしょうか。ま。真
夜中のことだったから写真はないでしょうが。 有火化に関して、C61は良い機関車だが、カッコワルイ
、φ1750のスポーク動輪をブン回して走る姿が見たい。
(できれば、C55-3次型でやって欲しい。…50or52(46)号機)
何とかしろ、JR北/九、金が無いなら東/西に頼め。 これは配置、時刻表からの推定だが
北海道での戦前の活躍で昭和16年に下富良野(現富良野)にC551,2,16が配置。
昭和18年10月には既にいなくなっている。昭和15年10月改正から18年10月改正まで
の間に函館ー釧路間急行7,8レ「まりもの前身」が設定されており、その時期と一致
するので急行7,8レを富良野ー釧路間で牽いていたと思う。
途中の狩勝峠だが新得にはD51の配属はまだされていないので塩狩と同様にC55+客
+9600で越えたのかな。
参考:キネマ旬報「蒸気機関車」、時刻表復刻版(戦前編)
あと昭和14年頃、函館ー札幌間急行3レを山線区間をC51が単機で牽いていた記事も
あるので当然C55も牽いていただろうな。
参考:蒸機の詩
あくまでも資料からの推定だがこういうのを思い巡らすのも結構面白い。 >>133後段
函館本線を走るC55流線の写真(30号機か?)は存在する D51170は、状態良好そうですが、10億円と言う募金目標は厳しそう・・・ 実現したらD51好きの俺にとっては超ビッグニュースじゃまいか。 >>139
あれはナンバープレート差し替えてるんだったっけ?何故なんだい?
本体は52号機だったはずだが、デフは小工式K-7タイプ?…要するに57号機タイプを希望するぜ >>142
ナンバーが振り替えられているのは大分の53号機(本体は46号機)では?
53を保存したかったが既に廃車されていたので、46の本体に
53のナンバーと製造銘板を付けたと何かの本で見た気が。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています