【美しき】C55【ライトパシフィック】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
門鉄デフ:筑豊のサラブレッド
密閉キャブ:北辺のサラブレッド
閉塞侵入ヨーシ 出発進行! C53は問題がフレームの亀裂だけなら今の技術を使えば復活できそうなんだが。
今では厚板切断ができる大型精密レーザー切断機があるし、
油切れや焼損で悪名高い中央シリンダー連接リンクだって、
現在のオイルレスを削り出せば完全にクリアーできるんだが。
あるいは、ボイラーまでボロボロなのか・・?
復活すればC62の何倍も人気が出るのは確実なのに。 C53はタイヤが磨り減っているよね。
部品取り出来る同形式がないのも痛い。鷹取がもうないのも。
C551が気になる。不調というのはどの箇所が悪いのだろうか。
動態復活できるのは他にないだけに(52はひょっとするとだが) タイヤとリムは焼嵌、よってタイヤ新作で無問題。
九州の8620はリム以外の機能部品は殆んど新作だったの
で、C55も水掻き動輪ワンセットがあれば復活可能。
ただしアキンドJRは蒸機を客寄せパンダ位にしか考えて
ないし、認知度の低いC55は難しいだろね、あと鉄道
輸送への貢献度からも9600は忘れないで欲しい。
個人的には文科省が文化遺産として保存すべきだと思う。
カネが無いなら取り敢えず今すぐモスボール化すべき。 9600大好きの人の意見は良くわかる。
火の入っている9600の「生き物感」は半端じゃないからねぇ。
あの存在感はD50に少しだけ残っていたけど、
D50系は実動機すら存在しない。
是非とも9600の動態化は願いたい。
D51やC62と全く違う本物の機械の迫力がある。
旅客機ならC55やC51。、貨物機ならD60とD50は動態保存すべきだった。
9600の本来のイメージは貨物列車を黙々と牽くスタイルだけど、さすがにそれで動態と
いうわけにはいかないだろうしなあ。営業上、イベント旅客列車を運転するにしてもちょっと似合わないと思う。
末期の9600旅客牽引というと定期では米坂線、川越線、唐津線、豊肥本線ぐらいだったけど
米坂以外は朝夕の一往復程度なので「9600が旅客を牽く」というとやはり米坂線だったよね。
あと季節や臨時では宮津線の「チューリップ号」(西舞鶴区)や深名線の冬季混合列車(ストーブ列車)もあった。
でも動態保存はしてほしい。大正期の機関車の技術伝承の意味もあるし。
9600スレではないのでこのへんで。
各地に復活機構想はあるけどどこも資金がない。
今後は梅の火の落ちてる機に期待するしかないだろうね。
D50140は開館当初は構内運転してたから大丈夫だと思う。
9633も走ってたと思うが調子はどうだったかよく分からない。
いつかはC571に寿命が来るだろうが後釜にC551が指名されたらもういつ死んでもいい。 >>317
現役蒸機の思い出深いがゆえに復活蒸機は撮影していない。
でもC55が動態復活すれば北だろうと南だろうとすっ飛んで行くよ。 >>309
門デフの排煙効果は普通のデフと変わらないでしょう。
というか、ボイラーの中心線より上だけでも効果があり
バイパス弁の点検時にも邪魔にならないから、あのスタイルに
なったはず。長工デフや後藤デフも理由は同じ。 へえ・・!そうなんだ。勉強になったよ。
オレなんかは、通常の除煙板のほうがランボード前部の傾斜との相乗効果で
間違いなく強力だろうと思っていたが。 C63の設計図を見れば最初から門デフ。
つまりはそういうことだね。 門デフはドイツのにインスパイアされて生まれたのかなぁ。
ボックス動輪といい、ギースルエゼクターといい、
日本の機関車は外国から技術を進取してたんだね。 C5765のドイツ風にカーブした門デフ
カッコ良かったなあ つーか日本の蒸機機関車自体、外国技術の塊ですから。
C55以降の本線機で導入された排気膨張室(排気のサージタンク)は日本の独自技術だよ
まー、蒸気の加熱を除けば、根幹を成す技術はロケット号の時点で全て実用化されちゃったのよ 今の世の中は疲れる、C55が旧客を牽いていた頃が一番よかった。
ドアは自分で開けるものだ。俺はブロイラーにはなりたくない。 確かにねえ。
風は窓を開け、自らの肌と鼻で感じるものだ。
みちのくにはみちのくの、古都には古都でしか嗅げない匂いがあったからな。
特急はおろか、普通列車まで固定窓になるご時世だからなあ。 トンネル進入時の汽笛吹鳴は『おい客ども、窓を閉めろ』の合図でもあったし。
登り勾配で喘ぎだすと何気に『乗務員ガンバレ』という空気が車中に流れた。貧
乏だが一体感はあったな。
筑豊・宗谷と、両本線の雰囲気は正反対だったが、鉄とコークスの匂いに対して
大地の風の匂いと、両者ともSLの舞台としては最高だった。
北の原野でドア全開のデッキ立ちとか・・・昔の時間は豊かだった。 排気膨張室って役に立ってたのかな?
福島でC59の機関助士やってた伯父は、役立たずだと言ってたが。 もともとC59だけは炎管長が標準より500o長い6000mmだったので通気抵抗が高く
て蒸気の上がりが悪く助手さんは随分苦労されたらしいから、そっちのファクター
もあるんじゃないの?
炎管長が等しいC51/54⇔C55/57、D50⇔D51での比較が必要なのではないかなぁ。
伯父さんの話もっと聞かせてよ。 あまり話聞けない内に倒れて鬼籍入りしちゃったのが残念ですた。
戦前型は煙管メンテが心配の種。
戦後型は折角の燃焼室も排気膨張室が肥大化したので大差なかったと言ってた。
C59 91→C60 29のテンダが、昭和18年式の10-25Aじゃなくて昭和16・17年式の10-25になっていた訳を聞きたかったんだけどねえ。
九州で果てたC59 22と振り替えたってことはないよなあ。
(本題からそれるのでこの辺りで御免) たしかにC59は一見カッコ良いが第3動輪後方の巨大なオーバーハング部とそれを
支える従輪の頼りなさに機械としての不安定さが感じられ、そして実際にその箇所
に色んな不備を抱えていたという亊なんですね。自分的にはC60の方がバランスが
良く好きです。戦時設計の船底テンダーはよくクラックが入ったらしいです。
伯父さんには長生きして現場の亊をもっと色々話して欲しかったですね。
排気膨張室に関しては久大線のD60牽引普レでのブラストの切れの良さと盛大な
シンダが良かったです。 1973〜74年の冬の宗谷本線ではC55 30・50とC57 87が使われてたけど、C57 87は相当寒かっただろうね。
C57 87を岩一に入れて、C57 44・57・135のいずれかをC55 47の後釜にしても良かったと思うのは素人考えかな?
‥‥C59の場合、 本来ならば出来栄えがいいはずの戦前型でも、大半は戦時中の完成だから、細かい部品の材質低下が響いてたのかも知れませんな。
特に81〜90が完成したのは1943年11月から12月。
仙台で生涯を閉じたC59 90なんか12月30日完成になっていたけど、ホントだったんでしょうかね? 男性を侮辱した女のわがまま【女性専用車両】を廃止させよう
読売テレビが女のわがまま女性専用車を斬る
http://www.youtube.com/watch?v=98pWaXYihXk&list=PLCDC875F7D14589A7 >>336
なぜか晩年に渡道すると会うのは47か50だったなあ。30にはとうとう会えずじまい。
あと冬に苦労してたどりついた稚内で上り鈍行に乗ろうと勇んでホームにいったら
あれええ? C57だった。 87は形態は崩れていたけど頑張ったね。 30はあまりに調子悪くて、一時は早期廃車が囁かれてた。(74年春頃の鉄ピクより)
でも50の方が先に車検切れ。30は74年9月下旬時点ではまだ稼働しとった。
実情はだましだましだったんだろうね。
たった4両で、本来なら補機なしの321レの塩狩越えも、30の時はしばしばDDやDEが後押ししてた。 暇な時でいいからその他のレ番と発時おしえてください。317/318レが利尻だったっけ? 亀レスれす。
>>121
『SL』誌No.10の表紙は下り塩狩越えのC55 17だが、後補機はD51。
C55は一つ目、荷物車が戦災復旧車、D51は原型デフ。
>>132
C55 50は元々みちのく→磐越西線のカマだから、束で復活‥‥。
キャブとテンダ上回りは新製で可。 C55で動態保存可能は52だろうな。
50の北海道は絶対に他社に渡さないだろうよ。 九州も北海道も御当地スタイルが好きだな。
52はデフをバイパス弁点検で滅茶苦茶にしちゃとたからK-7に喚装すれば
よかとよ。
50はあれはあれでなまらカッコいいし、あのままで良いんでないかい。
あと、オリジナルは1で完璧ラインアップだね。 >>344
あと流線型は元交博でいま鉄博にあるC5520の大型模型でなんとかしよう。
それにしても30号が残っていれば・・・。 うん、30号機の原形化はかなりの大仕事で無理としても、流改機のごついメカメカ感は捨てがったかったからな
C55は1/2/3次/2改/御当地仕様機、と色々楽しい機関車でもあるな 30もだが、27・33・34が保存されていても不思議じゃなかった。
あとは10・19。ノーマルに近いC55が1両も現存していないとは‥‥。 しかしあの筑豊の52・57の転属は意外だったね。会計検査院の例のお達しがらみだっけか。
それがなければ吉松のC55は27、33、34で終わりだったのだろうか。 C57のスレもほしいね、C55というとどうしても世代的に現役を見たのは旭川・若松・吉松の
カマにほぼ限られてしまうし。 C55の保存状況
静態
1(梅小路)、46(53として大分)、49(稚内 老朽により解体)、50(小樽、一時偽30として保存させられかけた)、52(吉松)
計5両 現在4両
動輪(刻印などにより確認できたもの)
15、34、47、49(保存解体後)、53(大阪・熊本・栃木に3軸)、57、不明
計7両(49と不明を除くと5両)
こんな感じかな 旭川最後のC55・C57たち いずれも数奇な運命を持ったカマだった(順番は旭川を去った順)
1 梅小路保存 新製配置から生涯を北海道で過ごした
49 稚内保存も後年老朽化のため解体
47 転属計画があるも結局廃車ー解体(動輪のみ保存)
30 最後の流改機であり小樽で保存計画が持ち上がるも時既に遅しで解体
50 歳後まで頑張り偽30号機になったりもしたがなんとか小樽に保存
おまけ(最後のピンチヒッターとして数ヶ月のみ在籍)
C5787 福知山区時代は「いずも」なども牽引した。廃車後、遠く沖縄に保存されたが腐食のため解体されてしまった。
稚内から沖縄まで足跡を記したC57で集煙装置取り外しのための短煙突、煙室前面角形改造などややスタイルは崩れていたがよく頑張った
130 数少ない長野工場デフ装備、186とともに新潟地区で長く活躍しその後九州へ、宮崎最後のC57の仲間となるも渡道。
宗谷本線最後のパシフィック機として運用され、廃車後は解体されてしまったが、その動輪は三軸とも各地に保存されている。
(第一神居古潭駅跡、第二旭川駅付近、 第三群馬県前橋市) このカマも稚内から鉄道でC57が記した最南端の鹿児島まで足跡を残した働き者だった。
186 このカマも130とともに長く新潟地区で働いた。その後宮崎に転じ130とともに渡道。旭川での働きはわずかな期間だったが廃車後は幸いにも保存され
東京の小金井公園で今も健在。 ほぼみなさんが会う事の出来たであろう番号 1969(昭和44年)頃のC55配置
すでに旭川・若松・吉松の3区のみになっていました。
★廃車後保存(のち解体も含む)、☆流改、◎門デフ装備、※動輪保存
旭川 ★1・16・☆30・43・※47・★49・★50 7両
若松(19以外すべて門デフ装備)3・19・★46(53として保存)・51・★52・※53・※57 7両
吉松 10・◎☆26・◎☆27・◎☆33・◎☆※34 5両
あっているかな? 樹を見て山をなのか、検査院がコミットできるのはこれくらいだったのか >>359
この通達のおかげでいろんなカマの悲喜こもごものドラマがあったわけだ。
思いがけず生きながらえたもの、復活予定もかなわず解体されたもの、生きながらえたゆえに
保存のはずが解体になってしまったものなどなど・・・。 >>358
話の発端は小松島のC58333らしいね。多度津で全検後たった1ヶ月で廃車になったから。
この通達のお陰で延命したのが、有名どころではC62の15・16号機。
一方で同時に失職した熊本と鹿児島のC60・C61は1両も助からなかった。
その翌年奥羽線電化で失職した青森のC61を4両宮崎に移しているが、鹿児島線電化時点では
車検残のある余剰のカマの日豊線転用は考えなかったのだろうか? >>361
鹿児島のC61を日豊に転用させるつもりはあったようだが、
ストーカの扱いなどに難があるということで沙汰やみになったとか何とか、何かで読んだ記憶がある。
45年10月で鹿児島電化なわけだが、車籍はしばらく残してあった。
山越えに使うつもりだったらしい。結局青森からのC61も運用区間限定だったわけで。 >>362
レスサンクス。
なるほど、ストーカーの都合か…そういえば青森のC61の宮崎転属時も鹿鉄局は
当初C61のパワーを活かそうと宮崎〜西鹿児島で使うつもりだったが、
いち早く転属した2号機を同区間で試運転したら25/1000勾配でのストーカーの
調子が思わしくなく、結局は平坦線の延岡〜南宮崎で使うことになったと。
ソースは鉄ピク昭和48年6月号の谷口良忠氏の寄稿。
長々とスレ違い御免。
で、C55の話に戻るが、>>348氏も言ってたように車検残の都合上とはいえ、
52・57号機が南宮崎電化時にC57を押し退けてまで生き残ったのはまさに奇跡的。 >>363
52号機は>>22>>102で既出だけど大分機関区配置時代にD51とテンダを交換してるよね。
昭和26年頃の事らしいが、東京直通急行「高千穂」新設が丁度その頃だね。 >>364
D51とテンダー交換の目的が、高千穂をロングランで牽引する為だったかと 当初の高千穂は都城始発だったらしいね、ロングランと言っても
どの区間だったのだろう? 門司-大分? C55は急行利尻、49号機、それと肥薩線坂本駅から乗車の門司港発都城行
普通列車、乗り鉄のころ 流改のC55のキャブのドア下部分の三角形のかたちは何か意味があるのだろうか。
流線型の原形を流用したというわけでもなさそうだし、なぜあの形になっているのだろう。 C55の良いところはちゃんとおっぱいが2つあること。
脚線美なこと。
C57から一つになっちゃった。
しかもルーズソックスになってしまった。
D50とD51の差異もしかり。 脚線美は恐らくスポーク動輪のことを例えているのだろうと思うが、
オパーイに関しては何をもって、それに例えているのだ? C54と勘違いしてるのではないかな
蒸気ドームとサンドドームのことかなと >>370
流線型のカバーを剥くとあの形のヒレが出てくる。 >>370
あれは補強の為のリブだ。
…というか、元々の外板をガス切りしただけの物だと思う、号機によってかなり
差違がある様だし…
俺もC55に嵌まって40余年来の謎だったのだが、【C55 流線型改造ドア下】で
ググったら答えが出ていた。
流線型C55のキャブはボディーと一体化されたセミモノコック構造なので、そのまま標準化
するとドア部床面が垂直荷重に耐えられないそうだ。
そこで@ドア前と下に三角部を付ける、Aドア前のみ三角部を付ける(ドア下直線)
B三角部無し、(内部を鋼材にて補強する)の3形態があり
@20・21・22・23・26・28・29・30・33・34
A24・35・36・37・38・39・40
B25・27・31・32号機だそうだ。 照有番亜リアル泡洗丸チュウオウ集会関西日本橋しょうゆリンゴウ箱糞半ショキ限定土下座GPS特定問題保険無し旧家ヒカリ首脳急流知照パクドラ成城ホテルしおタイピング選手権ラーメン
照有番亜リアル泡洗丸チュウオウ集会関西日本橋しょうゆリンゴウ箱糞半ショキ限定土下座GPS特定問題保険無し旧家ヒカリ首脳急流知照パクドラ成城ホテルしおラーメン
照有番亜リアル泡洗丸チュウオウ集会関西日本橋しょうゆリンゴウ箱糞半ショキ限定土下座GPS特定問題保険無し旧家ヒカリ首脳急流知照パクドラ成城ホテルしおラーメン
保険無し製品破壊株式会社中国
照福岡駐車近代tonkotuPIKAらーめん 俺が厨房のころの憧れのマドンナはC55と鉄仲間には呼ばれていた。
美人でスタイルが良くて肝心なのは脚線美だった。
C57は貴婦人と呼ばれるが残念ながら大根足でこれが決定的な違いだと思う。 棒台枠+スポーク動輪だから走行中に横から見ると、向こう側が少しボヤケて透
けて見えるんだよね
そこをロッド類がグリングリンかき回していてね、そりゃーカッチョヨカッタよ C5519は筑豊本線にあって極めて地味な車であった。
標準型デフレクターを装備していたせいである。
同じC55でもC5546・C5557は門鉄デフ装備で見た目が良かった。
見苦しいのは、C5551〜C5553であった。門鉄デフレクタ装備だけでなくテンダーがD51のを装備していた。 そりゃー人間だって生きてりゃ歳を取って姿形が変わるが、それが生きてる証で
もある訳で…
C55についても同じ事が言えると思うんだよね、それも急行ロングラン牽引の為
の改造だから名誉の負傷とも言える訳で、機械として見事な生き様で全然見苦し
くは見えないんだよね
人それぞれ物の見方は色々有るんで、貴殿にどうのこうの言う積りは毛頭御座いませんがね
C55に付け替え用のD51テンダーキットは模型界ではかなりの人気みたいですよ、
それとテンダー付け替えは51~54号機です >>382
なぜD51のテンダーだったら見苦しいのかな
かえってかっこいいが そもそも九州、特に門鉄局の機はほとんど増炭囲い付きでオリジナルなままのテンダー
なんてまず無いでしょ、増炭囲いがアクセントになって全体の雰囲気が締まって見えて
格好良いと思う。
あと北海道も増炭囲い付きが多い、宗谷本線のC55も付いていたと思う。
本州は少ないんだよね、なんでだろ? 北海道…'74.10@宗谷本線
九州…'75.03@日豊本線or肥薩線or吉都線 >>389
九州に残ったC55はC57と共通で入換用だもんな、旭川に転属させて宗谷本線を爆走させて欲しかった。 あの誇り高い門鉄に残ってれば色々と違ってたろうね
新幹線博多開業に合わせて最終の「天草」を重連で牽い
て欲しかった。
可愛がってた57号機も残しただろうし・・・ >>392
北九州は一足先に無煙化したからね。
それでも57は九州最後のSLとなれたから、鹿児島でも特別な存在だったんじゃないかな。
ただ52が保存されたのに57が解体されたのは、未だに納得いかないが。 『鉄道文化映画集 「鐵道信號」 2/2』で
youtube検索すると京都駅出発する流線型C55が見れるよ それよりC53の3気筒音を初めて聞けたわ
サンキューage C55の8mm映像多いね当時から人気あったのかね、終盤に撮られている
入れ換え中の34号機のスポークの足回りの、透けてる美しさ!!!!!!!
C55を静態で置いとくのはまったく勿体無い!
http://m.youtube.com/watch?v=aXXZyR70LDs&itct 入換用では終焉の地とは言いたくないが
事実だから仕方ない C57/C59/C60の折妻キャブ旅客機の動輪にも水かきスポークを
使い続けて欲しかったなー、似合うんだよなー C5557は美しかったな、去り際も流れ星の様に綺麗に消えて行った
俺はそれで良かったと思っている。 >>399
ん?どういう事?
蔑んでるニュアンスなんかないと思うよ https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(40代弥勒ソフト 筑豊本線に行ったら直前に吉松へ行ってしまって出会えず、翌年都城で57と面会、ずっとそこにいたら52にも会えたのがわかり少し後悔 播但線から消えたのは生野トンネルの難所のためかな、出力の高いC57の方が有利だったのか、残してくれてたらより多くのファンが訪れただろうな、私も行く回数増えてた http://imgur.com/gPK6yDh
ほい、
動き出したキハの窓を目いっぱい開けて2眼レフで撮った
めっちゃ下手糞なやつやけど...C55 52@吉松駅
以前NHKかなんかのサイトにうpしたことがあるような >>404
そのときだったら多分若松駅の側線に19号が廃車体なのかボイラ代用なのか不明だけどいたはずですね。 >>407
第1次大戦期の米国で車輌統制のため標準化が行なわれました
パシフィックも重幹線用の軸重30トン級と亜幹線用の25トン級の重軽2種が標準型として制定されました
前者がヘビーパシフィック、後者がライトパシフィックってわけです 軸重16トンのC59何ぞ、フライパシフィックですか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています