ブーム以前〜ブーム渦中〜晩年の状況
昭和40(1965)4月
旭川・岩見沢・苗穂・室蘭 17
豊岡5 和田山5
若松7 宮崎16 吉松11  計61両 98%

昭和45(1970)6月
旭川 1・30・47・49・50 
若松 19・★46・51・52・53・57 
吉松 10・26・27・33・34  計16両  25・8%
その後
旭川の★1が梅小路へ ★49・47の順に廃車
若松の46・51・53が廃車、52・57が吉松へ
吉松の5両が全て廃車

昭和49(1974)4月時点〜昭和50年3月
梅小路の1を除くと、旭川の30・50、吉松の52・57が稼働、若松の19は
二休車。最後は30・★50・★52と廃車 最終が57

★は廃車後保存(49は保存後解体、大分保存の53は実機は46)
なお15・34・47・49(解体後)、53(3軸とも?)、57の
動輪が保存(保管)されている。