【美しき】C55【ライトパシフィック】
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門鉄デフ:筑豊のサラブレッド
密閉キャブ:北辺のサラブレッド
閉塞侵入ヨーシ 出発進行! >>133後段
函館本線を走るC55流線の写真(30号機か?)は存在する D51170は、状態良好そうですが、10億円と言う募金目標は厳しそう・・・ 実現したらD51好きの俺にとっては超ビッグニュースじゃまいか。 >>139
あれはナンバープレート差し替えてるんだったっけ?何故なんだい?
本体は52号機だったはずだが、デフは小工式K-7タイプ?…要するに57号機タイプを希望するぜ >>142
ナンバーが振り替えられているのは大分の53号機(本体は46号機)では?
53を保存したかったが既に廃車されていたので、46の本体に
53のナンバーと製造銘板を付けたと何かの本で見た気が。 THNX.現在は鉄分(ステンレス分?)20%なもんで・・・
やはりC55には普通の小工式か原型(北海道の窓明き含む)デフが似合うと思う。
妄想ではC5550に小工式なんかもドイツロコ風で良いなぁ。。。
M原君はC55の美しさが分かる人らしいので、文化遺産としての動態化を是非ともマニフェストに(略
この前、京急川崎で大師線でウテシが嬉々溌剌と乗務交代する姿を見て、糸崎での
本線回り広島行き普レ牽引C62の機関士と助手の姿を思い出し、京急に関しては鉄分70%になりました。
スレチになってしまった様だが鉄道には脱線が(略 塩狩も越えたし、スハ45の窓開けて涼風を入れようぜ@317レ 何でこんなに保存機が少ないのか。
流改1両残すつもりが手違いで解体。
C5557も手違いで解体と聞いた。あれは最高に整ってたのに。
C5546をC5553として保存していたり
C55の保存については国鉄時代のドタバタ劇が見え隠れしているね
保存の経緯を知っているの、別にドタバタでもなんでもないよ。
C5557解体されてしまってたのですか、どこかに保存されているものと思っていました
自分的に一番きれいに形式写真が撮れたカマでした 57と52は末期まで残ってたからかなり写真撮られてるね。
確か、戦災も含めて事故廃車は0なんだよね、各々の持ち場で最期まで全車が走
り続けたC55は幸せな機関車だったと思うんだよね。
今の薄汚れた世の中で、イベント列車とか牽いてる姿はあまり見たくないなぁ。 昭和30年の時点で62両フルエントリーってのは評価されていい C57に比べて人気が今ひとつなのが残念なんだよね。
まあ知る人ぞ知る、の方がマニアにとっては良いのかもしれんが。 スポーク動輪のC55こそ欧州の機関車にも匹敵する美しさがあると思うんだよな。
どうやらC57のスレは見あたらない気がするから、
そういう意味でもコアな人気と言えるのかもね。 エアーだと比重の関係で5管のうち最短管の上Cしか鳴ってないね。
今、ピアノでやってみたら国鉄標準仕様の5ベル汽笛のコードは下からC・E・
G♭・G・CのC△+#11で、あの哀愁のハモりは#11の隠し味なのね。
何だかんだ言いましたが、吉松の皆様どうぞ52号機を可愛がってやって下さいませ。
次回はボイラーがんがんに焚いて、生蒸気でお願いします。
それからJR東よ、品川駅の発車のショボい汽笛…なんだよアレは?!
何とかしろよ、京急使っちゃうぞ!ホントに C55の動輪は某サイトによれば以下のものが保存されているようだ。スポークだから貴重だよね。
C5515 東京都目黒区 旧国鉄動力車会館
C5534 鹿児島県姶良郡 JR日豊本線帖佐駅前 第1動輪
C5547 北海道滝川市 郷土館
C5549 北海道稚内市 利礼ドーム (保存後解体されたもの)
C5553 大阪府 共栄興業
C5553?栃木県真岡市 真岡鐵道 真岡駅前
C5553 東京都江東区 JR東京資材センター
C5557 熊本県八代市 個人
番号不明 北海道上川郡 美瑛某民家
5年ほど前に稚内へ行ったときに、
防波堤ドームの49号機を見ようと楽しみにしていたのだが、
見つからずにウロウロしていたら、>>157の通り解体されてしまったとかで、
切なくなって泣いた 元々は門鉄型と言うより標準型の上半分の流用なんだけれど、あれはあれでカッコよかった。
バイパス弁の点検用なのだろうけれど、どうせなら横一文字にカットして欲しかった。 >>161
1993年頃のRail Magazineに保存SL網羅した特集があって、
そんなに酷くはなかった様な書かれ方だった記憶があったので、
期待していたんですが、10数年の時の流れというのは早いですねぇ(´;ω;`)ブワッ C5550も安泰とはいえないですね。
九州の52は実際に見たことはないんだけど塗膜が少しゴワゴワになってるのが気になる。
それはともかく地元の人たちには大切にされているようですね。 みなさんC55現役時に間に合った方ですか?
ラスト 宗谷&鹿児島
南九州(52・57時代)
筑豊全盛時代
南九州(27・33・34など時代)
それ以前 室蘭など
さらに昔 播但とか羽越とか日豊とか
わたしは南九州の後期でした、でもそれ以前に若松でボイラー代用になっていた?19号は初見だった
ような気がします。 52、57が現役だったのは知ってたけど(吉都線だったかな?)当時小学生だったので遠出できず悔しかった。 全廃後の追分火事の数日後に産まれましたー(´・ω・`)
自分でも何に影響されてC55が好きになったのか、分からない。 >>164
北のC55は73年〜74年のかけてC5547,50に間に合いました。
塩狩、智東、問寒別、抜海での雪中の宗谷本線でを行く姿が未だに忘れられない。
88年に結婚したばかりの妻と小樽の鉄道記念館を訪れ、
14年ぶりにC5550を見た時は現役当時を思い出しながら感慨深げに見入ってしまったな。
妻もある程度C5550を理解してくれたのも嬉しかったな。
現役時代を見ているせいか復活蒸機は撮影していないがC5550が動けば北の果てだろうと
行くつもりでいる。
南のC55だけどスタイルのいい門デフのC5557など見たかったが年齢的に北に行って南に
にまでは行けないので叶わなかったのが残念。
門デフの形式入りのC5534など興味あるカマが多いだけにもう10年早く生まれていれば
なんてよく思ったものだった。 流線改造のC5534は安全弁一体型のままだったよね27かな
見たかったなあ
C5530は丸屋根くらいしか面影がなかった 10年早く生まれたらねえ
北近畿、山陰のC55を拝めたのに そうだね
C51末期も拝めたしC55はまだまだ全盛
播但線や日豊本線も主力だったでしょう
しかしその頃だと山陽のC59C62を追いかけてあまり撮らなかっただろうなあ >>170
C51まで見たんですか。羨ましい。
C54は見られましたか? >>171
これは(10年早く生まれていたなら)が文の頭につくんじゃないかな? >>172
成程。気付かなかった。ありがとう。
鉄道写真で有名な西尾克三郎氏も同じことを言ってましてね。
「あと10年早く生まれていたら、もっと色んなものを写せたのに」 あと、30年ほど早く生まれていたら…
いろんな機関車を見れたかも知れないけれど、写真は撮れなかっただろうなぁ。
安くて大ヒットしたPENTAX SPでも大卒初任給くらいだったらしいし。
プラスフィルム+現像代だし、若造には無理だよな。
なので、あと80年ほど早く生まれていたら…
とか考えてみたりもした訳だが、東南アジアのどこかで(略 C54は昭和37年廃車だから遅くとも昭和30〜31年生まれでないと苦しい。
俺はアウトだった。
C55も既に姿なくC57に置き換えられていた。 >>175
現実的なところでは昭和20年代前半生まれじゃないと無理な気が…
山陰筋で昭和30年代初頭に生まれたら実機が見れたんだな…
小寺さんとかがうらやましい >>174
「国鉄時代」で今からすれば貴重なカットを多く残している村樫さんも昭和30年代
は借り物のカメラを使用するなどの記事があったが、当時は被写体は豊富すぎても
カメラは容易に入手出来なかった時代だったようだ。
俺も30年早く生まれていたらと思ったところ
撮り始められる時期が戦時中で非国民となじられて、没収されるのが関の山かも。
さらに戦争末期に学徒動員されていたかも知れん。
山陰、播但のC55は雑誌等で見る限りでは
流改機で形式入りのC5523はイイ。3次型(41,44,56,58,62)もデフの点検窓もなく、
ヒサシも長くランボード上にも追加された造りモノも目立たないし原型に近かった
ようだ。
国鉄時代Vol.15に全62両形式写真載ってますね。
撮った人乙! 318レ天塩川沿いに遡上中、腹が減った、音威子府で駅弁を買おう
まだやってるだろうか?あそこの幕の内は最高に美味いんだぜ 音威子府では上りか、下りか、
停車時間が、50分位あったかな、
当時の時刻表が無く、確信は持てないが。
もちろん、C55の各停。 C55とEF57は昭和の急行機として是非とも動態化してほしいね
歴史に遺すべき美しい『機械』としてもね C55を動態で復活させるには
JR九州に期待するしか無いかな?
C55としてやるには新造するしかないのでは?
梅の1は開館時から調子悪かったとか。 >183
レプリカ作るとなったらノーマルか流線型かで揉めそうだ。 >>183
北海道に居たC55のうち、一番調子が悪かったのが1号機
九州には、調子の良いC55が有ったと言うのにね
まあ、現存するC551,C5546,C5550,C5552のうちどれかを復活させるとしても、
サッパボイラーのお世話になるだろう みんな宗谷の2往復は走行写真を撮る方がもちろん多かった?
乗って楽しむこともあったかな。まず抜海(利尻富士)と塩狩あたりで撮影してから次回に乗っていたのかなあ。
俺はもっぱら乗ってばかりだった。 >>186
撮りが当然多いが豊富、徳満あたりで夕方の上り9600貨物撮影してから
稚内に戻る時は321レのお世話になったな。
サロベツを眺めながら暖房のきいた車内でウトウトするのが至福の時
だった。
これが夏だったら321レもあたりで撮影しているけどね。 行きは八甲田→宗谷で名寄泊、翌朝稚内機関区、そのあとは名寄、遠軽、追分、夕張、
深川、小樽築港・・・、帰りはライラック→十和田のパターンが定番だった。
今はバイク乗りで(ホイールはスポーク!)、一昨年立ち寄っ名寄の寂れ様が切なかった。
C55の穏やかに伸びる加速感とスハ32のハンモックの様な乗り味が忘れられない。 >>185
JR北の復元機は三輌ともサッパではありませんが… 宗谷の321レと石北の527レ(列車番号は時代によって違うけど)は旭川の発車時刻がお昼前で
ほぼ一緒で同一ホームの両側だったので、あの時間は至福の時だった。
発車前は321レはもちろん先頭はC55、527レはD51だったが早くDL化されていたけど
こちらはなんと混合列車。機関車(DD51)のあとにけっこう長く貨車がつながれその後に数両の貨車。
321レが11:00、527レが11:30頃の発車だったけど、蒸機客車と混合客車列車が
並ぶ「鈍行の旅立ち」絶好のシーンだった。これに駅弁売りなんかがいれば最高だった。
(ちなみに晩年まで石北527レは貨車を落として遠軽から1529レ網走行きとなり、こちらは北見までD51、網走までC58の牽引だった。) 今や貴重な、移動式横型ボイラ-を保守できる会社です。 ついでにゲッパもお願いします。
因みに、わたくしは出っ歯です。そしてグッパが大好きです。
また以前にヨーロッパで葉っ●をやった事なんてありません。
正面にクッキリスッキリとハンサムなマン丸顔を出している
C55は性格が素直なイイヤツそうですね。 総社員8名の会社であれだけの仕事ができるとはオドロキです。 まもなく2番線より筑豊本線回り普通列車原田行き発車いたします
なおこの列車は折尾には停車いたしませんので折尾へお越しのお客様は次の門司
で反対ホームにまいります南福岡行き普通列車にお乗り換えください
ヂリヂリヂリヂリヂリヂリ……………
普通列車原田行き発車いたします
ビーー
ブヮオオオォォォ━━━
列車動き出してからの飛び乗りは大変危険ですのでおやめください
おやめください おやめくださあぁぁぁ〜い あけおめ
港湾、工業地帯、炭田、農地、峠、一粒で五度おいしい筑豊〜本線ん〜♪
スポークの大動輪が回らないってのは日本の鉄道史から言って問題あるよね
商売人のJRには期待できんし、今のところ頼みは吉松のボランティアさん
達のみってところか
37年前の今頃、旭川のホームでの南稚内から乗った上り一番列車の50号機が
見納めだった。 1号は梅入りする前に米子の後藤工場へ寄ったらしいけど
それでも元の調子に戻らなかったのかな。
30と57を潰したのがなおさら惜しまれる。 最後まで門鉄に居れば57号の運命は変わっていたかもな、あそこの職員は鉄分が高かった。 なさぁけ〜ぇ 知ら〜ずと〜 わ〜らわば〜わらえ〜 ひ〜と〜にゃ〜見せ〜な〜い〜 お〜とこ〜の〜 な〜みだ〜〜〜〜
ど〜せ〜 おい〜らは〜 玄海〜灘〜の〜 波ぃに〜浮き寝〜の〜 かも〜め〜ど〜り〜〜〜〜〜〜〜
Song by C55 国鉄時代のDVDはなかなか必見ですぞ。
若松時代の52、57の活躍が収録。 あの頃のパシフィックの状況
C51 およそ半分くらいが残存。室蘭、米沢、新津、亀山、みんなC51がいた。
C54 残り6両、浜田に集中。
C55 62両全機健在。北海道、九州のほか関西線や播但線でも見られた。
C57 戦災で廃車になったものを除けばほとんど全機が健在。北は築港から南は
鹿児島まで。上野にも両国にもバンバンきていた。
C59 C60への改造などがはじまり、若干両数が減ってきた。
およそ60年代初頭、私が就職してはじめてのボーナスで自前のカメラを手に
した頃。 当時、中央線には中野・荻窪・吉祥寺・武蔵境・国分寺にも貨物駅があった。
入れ換えは八王子区のED17が巡回していたが時々運用の都合か8620が来ていた。
60年代前半の、俺が小学生の頃だった。
数年後C55という蒸機を初めて知った。『陸蒸気からこだままで』のペン画だった。
その年の冬、俺は均一周遊券で北海道をまわっていた。 >>211
C54は分散配置されてれば1両くらい残ったかも分からんですね。
C55・57の前身機を肉眼で見たかったです。 C51は8620のイメージ上に想像できるが、仕事中を見たかったね。C54はC50を間延びさせ
た感じだったのだろうがあまりその気にならないなぁ、キャブ前面の傾斜は急客機だの証
しだと思うよ。糸崎で初めてC59を見た時は、それと全長の長さが相まって、さながら陸上
の船の様だったよ。
C57の優美さは認めるので貴婦人の呼称は良いと思うんだけれど…
※ここで提案↓
スポーク大動輪が細長いボイラーを担いで精悍な姿のC55を
『槍騎兵(ソウキヘイ)=ランサー(Lancer)』と呼んでみたいんですが。。。どーでしょう? S50.12.14はC5530だったらよかったのに(50でも可) 福知山や和田山にはs40年初頭までいたよ。
流改もいたし、ほとんどが原形を留めていた。 C55王国の九州に再びC55を!
絶対叶うことはないけど妄想を抱いてしまう。
現実的なトコでは人吉市長が乗り気のD51だろうが。 >>218
全面的に賛成!
D51なんてどこにでもいる。矢岳越えの重装備D51ならばわからなくもないが、
C55は無論、門デフ付き。 動態復元出来そうなC55が居ないのが残念。ただ、凄く見てみたいですね。 C61が動いちゃうんだから、C55だってどうにかなりそうな気もするが。 敢えて言うなら梅小路の1号機じゃね?
ボイラー新製でおk 58654なんて元のパーツなんてまったく残ってなく実質新製だもんね。 新製に近くても、書類上はタネ車の履歴を引き継がなければ
ならない制約でもあるのかも知れない。 なんというかC57は飽きた。
やはり、あの細身の体にはスポークがよく似合うと思うのだ どなたか「蒸気機関車最後の10年スレ part6」の次スレたてて
いただけないでしょうか?
蒸機の現役時代を語るスレが「懐かしスレ」にほとんどないもので。
私はスレたて出来ませんでした。 >>226
では、C551とC571のニコイチはいかがでしょう >>229
>>227です。スレ立てありがとうございました。 鉄道模型でも各種ゲージで57号機が再現されている。
いかに愛されていたかを物語っている。
・・なんで潰したんだよ。 台湾ではDT668(D51)が動態復活したそうな。
CT250も2両静態で現存するから少し期待しちゃうね。
唯一本線を走る「C55」を見る手段になるかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています