【美しき】C55【ライトパシフィック】
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門鉄デフ:筑豊のサラブレッド
密閉キャブ:北辺のサラブレッド
閉塞侵入ヨーシ 出発進行! C55集煙装置は国鉄時代の14号に記事があるね。
因みに5711かもめが表紙になってる。 >>3
私もそう思う。
写真でしか見たことは無いけれど、ボックス車輪のC57よりC55の方が美しいと思う。
C57は現役だから人気が高いのかも?と思う。
Nゲージでいえば何度と無く再生産されている。
C55はKATOから発売されたときは嬉しくてすぐに購入したが、
それ以後再生産されていない。
美しい機関車なのになぁ。 九州の門デフも美しいが、宗谷本線の北国仕様もまた絵になるってもんだ。 >>12
あとC57は総数201両あって比較的全国にいたがC55は総数62両で、晩年は
比較的エリアが限られていた(宗谷本線系統や筑豊本線系統など)ため知名度
で不利だった…ってことはないかな?かなぁ?
オレもC57も好きだがC55の方がより好きだったりする。
(一番好きな蒸機はC59だけど)w 保存車以外に残っているC55(動輪) 49は保存後解体されたもの
C5515 東京都目黒区 旧国鉄動力車会館
C5534 鹿児島県姶良郡 JR日豊本線帖佐駅前 第1動輪
C5547 北海道滝川市 郷土館
C5549 北海道稚内市 利礼ドーム
C5553 大阪府 共栄興業
C5553?栃木県真岡市 真岡鐵道 真岡駅前
C5553 東京都江東区 JR東京資材センター
C5557 熊本県 C55・57・59の省形旅客用機の半流線型キャブはカッコイイ!!!
戦後のD→C改造旅客用機が採用していない所から見て、実利
は無かったのだろうが・・・
あれには人間を運ぶ機関車を少しでも優雅に見せたいという
夢と希望を感じる。
最小限の工夫で大きな効果を得た素晴らしい意匠だと思う。
では、C56はどうなのか? と突っ込まないでくれ
あれはあれで・・・カッコカワイイでしよ?!
スレチゴメン C5557が人気があると言うのが不思議でならなかった。
若松区時代の57は煙突にリンゲルマン標識を取り付けており正面から見ると、格好の良いものではなかった。
吉松区に移動した時に、リンゲルマン標識を取り外したが、その取り付けステーは煙突に付いたままだった。 台湾にもC55(台湾形式CT250)があったね。
電化完成前の西部幹線の峠越えの区間ではイレギュラーだけどDC優等列車の後部補機という凄い使い方もしてた。
私の最後のC55体験は北の50号機でした。
'74・3月、[利尻]を南稚内で下車し雪道を走って稚内区に着くと
50号機が前進推進で南稚内→後進牽引で稚内へと仕業を始めた所でした。
南稚内から乗った朝の上り普レは一両目がマニ60?で他がスハ32系の6連でした。
当日は晴天でしたが気温が低く、各駅を発車する度にシリンダ凝縮水を盛大に
排出し、二両目デッキに立つと、まるで雲の中に居るようでした。
北のC55は密閉キャブ・シールドビーム・テンダーの前灯?・旋回窓…と武骨ながら
苛酷な大自然の中を黙々と走る姿に凛とした存在感がありました。
時折、雪原に映る煙を見ながらスハ32で食った
音威子府の駅弁は今迄で一番良いメシだったなぁ… >>21
C55の51〜54はD51のテンダーと振替。
大分時代の急行運用当時、水の積載量を増やすため。
C5552は吉松で見られる。 C5557は長持ちしたなあ。
スッキリとした門デフで、来るとトクした気分になった。 昭和42年頃、3歳の時だが小倉に旅行した。
汽車の窓から見える駅の操車場にうちの地元にはない機種がうじゃうじゃいて大興奮した。
特にC12とC55には。門デフをはじめて見た。 ウメコで1号機展示中。助士側午後(14時以降)ベスト!
ただしロッドは真上です。 C55があれだけ永く、最後まで使ってもらえたのは
カッコだけではなく、素性も良かったんだろうね
所で57号機の青いナンバープレート見た人いますか?
・・・昔、H/O用のパーツでは売ってたんだよね
論理的ではないな。
あくまで、オモチャはオモチャだよ。 いやね、宮崎区のC5736/191が晩年の頃
青ナンバーだったんだよ
吉松区も同じ鹿児島局内なもんだからさ >>35
大分に保存の「C5553」は実機はC5546です。(デフの形でもわかる)
保存時に地元の希望とかでナンバーが変えられたとか。
なおC5553は動輪が大阪の共栄興業が保管しています。 考えてみると動態保存で1750φスポーク動輪蒸機っ
て無いんだよね
やはり蒸機の醍醐味はバルブギャ/ロッド/動輪、を
ぶん回して疾走する姿な訳で
何とかC55-3次型あたりでやってくんねーかなぁ 図面があれば1から作る物好きがどこかにいないかねえ。
C55の流線型が山陽本線普通列車にふんだんに使用されていた頃,駅の
柵にもたれて見ていた子供時代が懐かしい。ローカル急行ピカ一と言われた
大阪‐大社間急行401-402レもC55流線型だった。
戦後も福知山線普通列車にスカート外された状態で使用されていた。播但線
が8620(戦時中C58との記述があったが見て居ない)-C51-C54(真名谷トンネル
脱線衝突事故)-C55もう標準型になっていた-C57‐DD54‐DD51でPC終わり。
C55の方がC57より美しく見える。細いボイラーにはスポーク動輪が似合う。 俺が物心ついた頃には山陰本線にC55の姿はなかった。
C54に至ってはS30年代後半にお払い箱となった。 俺はC55の動いている絵なんて、
最近見たDVDが初めてだったよ。 >>39
人生乙です。
俺は晩年のC55を筑豊・宗谷本線で堪能出来たけれど
重厚長大な工業地帯では小股の切れ上がった姉御肌…
北の大自然の中では純情可憐な田舎娘ってな感じがした。
それにしてもボックス動輪は必至だったのだろうか?
米国を除き、ヨーロッパは2b級動輪でもスポーク
だったし…パシナにも言える訳で…・・
日本の挟軌・軟弱な路盤・急カーブ、では持たなかっ
たのだろうか?
>>43
互いに一長一短があるけど量産しやすいのが有利だったのでしょう >ボックス動輪
まあ経年に強いのは強化スポークだったそうですが。 流線型機が引っ張る急行・・・
見たかったなあ。
C53 43なら写真で見たことあるけど・・ >>41
C54(通称”らくだ”)は調子が悪い機関車だった。国鉄は54と相性が悪か
つた。C54、EF54、DD54、(EF54は工場が弄くりまわして駄目に
したらしいが),キハ54500でやっと厄払?
C54は回送が播但線生野トンネルで機関士と助手が窒息状態になり、生野
を通過暴走して、長谷の手前の「真名屋」トンネルで脱線衝突事故を起こして
廃車。
このトンネルは衝突した生野側が、コンクリート巻きで修理されているから
よく解る。
C53・D51 etc.と島秀★雄大先生の毒牙にかかった
哀れな蒸機は多々あるが
C54の不細工さを見るにつけ先生様の蒸機設計に
関するセンスのなさ確信する訳で…
C55に氏のDNAが投入されず、本当に良かった
あの人って箱モノだけやってりゃ良かったのにね D51とC55が好きな俺は異端なんですね 分かります >>47
工場で分解したら(ry、戦後も保存するつもりで保管?してたにもかかわらず処分されたのはED54でそ
(EF14に改造後のEF54は地味だけどそれなりに長命だったし)
>>49
流線形の設計はその某先生だった件について(つーかC53も絡んだのは足回りだけだが) >>51
その某先生が3気筒蒸気機関車のグレズリー式弁装置
のメカニズムを理解せず、中間気筒用合併テコの強度
を下げたためにC53には弁機構の動作不良による起動
不能という致命的欠陥が有ったので、列車密度が高い
東京口での[燕]牽引蒸機は最後までC51だったし
お召し運用は一度も無かったはずなんだが
丹那トンネル開通があと少し遅れていたら・・・C55
の牽く[燕]が見られたかもね >>52
つーか御召にわざわざC53使う必要も無いでしょ
あと臨時燕ならC55牽引蟻(それも流線形を使用) 昨日のBSさよなら運転特集でC55+C57の重連が懐かしかった。
C55 57号は美しい機だったのに現存してないのが残念。 スレチご免だけれど:
C5343,C5520-40(流線型)の話題が出ると、戦前(今のNHK)がラヂオで流した
国民歌謡「新鉄道唱歌」(堀内敬三作曲)を思い出すなあ。
”------流線一路,富士,桜、燕の影もうららかに"‐(東京‐神戸)と(名古屋
‐二見浦)。戦後鉄道友の会理事だった堀内氏の作曲だけあって、今でもコロンビア
盤のイントロを新幹線の車内放送オルゴールに使えるぐらいのメロデイー。
正直言って二次元でしか知らないので、あの
流線形はどうも苦手なんだけれど
浜松町・田町辺りの省線ホームから下り本線
を力行で飛ばしてる姿を眺めてみたい
想像すると萌えるんだよなぁ EF55の保存車に「ムーミン」なんて渾名がついているとは本当か? 靴のお化け、と言ったと聞いたけどそれもも何だかなぁ >>10
C5711が「水かきスポーク動輪」???昭和46年1月2日に636レ牽引を「新野」で
撮影して居るが、「ボックス動輪」だぞ!?門デフ、集煙装置付きだったけれど
「スポーク動輪」はいつ頃の事か?ご教示ください。 >>59 確かに文章に問題がありますので下記
の通り差し替えますので御容赦下さい。m(__)m
集煙装置付きC55の話は初めて聞きました。
冷水峠のトンネル内排煙対策だったのでしょうか
シルエット的には是非とも重油燃焼装置も併設して欲しかったですね。
門デフ付きライトパシとしては豊岡区に居た[かもめ]
牽引機のC5711が正にそれで、メカの塊のようで
カッコ良かったのですが
おまけに水掻きスポーク動輪ときては…言葉が出ません!
別件ですが、門司局の蒸機に特有な、助手席側の
デフ支柱に付けられ、白黒を田の字に塗り分けた
小型の板は排煙の濃度の目測用という解釈で良い
のでしょうか? >>57
なぜEF55の話題が、このスレで為されているのか分からんが、
ムーミンは有名じゃない?理由は言うまでもなく見た目がそのまんまだから。 >>60
リンゲルマン式濃度計ですね >白黒を田の字に塗り分けた小型の板
目的は勿論排煙の目測用で、他地区でも地上設備に設けた例はあります。
>>57-58
戦前〜戦後の渾名は「靴」「河馬」、「ムーミン」は復活後の渾名ですな。>EF55 よく考えりゃ、戦前からムーミンなんて名前がある訳ゃないよなぁw >63
ムーミンは1953年連載開始なので戦前にあるわけがない EF55は、現場では「河馬(かば)」と呼ばれていた。
東京駅の助役らが、昭和30年代初頭に命名したとかを
聞いたことがあるけど、真意はわからん。
C5711、元門鉄の「かもめ」牽引専用機。
都落ちの姿は、哀れでしたね。貨物引いて。
デフにあった「かもめの羽と波頭」の飾りは、配転の時に
はずされたのかどうか。ご教示いただければ幸いです。 >>65
EF55ムーミンは最近だよ。(TVか新聞かで知った)
C5711播但線で見たり写したりの時は消してあった。最初に見たときは
遠方で解らなかったが昭和46年の正月には何も無かった。 >>66
小生は、昭和47年に播但で11号機を撮影してます。C11も、いたな。
九州から配転の時にはずされてしまった、と考えるのがいいのでしょうね。
>>60
だからC5711の「水かきスポーク動輪」てのはいつ頃なのか教えてくれ。
文章の挿入が間違いで「‐‐‐‐‐シルエット的には---」の次に来るのじゃ
ないのか? >>68
9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/09/06(土) 13:10:50 ID:RrVy5TNs
確か1955〜57頃の門司の11号機は試験的に集煙装置を装備してたはず。
↑
これに対して、更に重油併燃なら申し分ないと。
そして自分のC5711体験を語り(ボックス動輪のC57でも良かったのだから)、
C55の集煙、重油タンク付きなら、
おまけに水掻きスポーク動輪ときては…言葉が出ません!
(それが現実にあったらどんないいいでしょう!)
と繋がるのだろう。 「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www ボックス動輪のC55ってのは実在したんですよね?
写真で知るのみだけど。 30年前の俺の脳内
門デフ=C55
門デフでないもの=すべてC57
だった。 SLの外観の印象って煙室前端のRの有り無し
でかなり変わるんだよね
実際(戦時型D51/52除く)がそうであった様に
ボックス動輪にはR付きの方が似合う
その辺、鉄道省は良いセンスしてたと思うよ
C55のボックス動輪?
本当にあったんですか。私は知りませんでした。No.がわかればご教示ください。
C51や86ならたくさんありましたが。
C57のスポーク動輪?
これは似合いそうですね。小さめの門デフつけて、模型にしてみたい。
ピノチオ模型でC55用動輪・ドーム・ナンバープレート
等々を出してたよ
30年以上まえの話だが C55で流線型が成功してたらC57やC59も流線型になってたんだろうか? >>79
昭和10年代の計画機関車(KC55・KC56形、共に2C2)に流線型が存在します。
残された図から判断する限りC55+独の01-1000みたいな形状ですな。
もっともC55の流線型は開閉部分が多いだけに整備上は最悪扱いだったそうで…
(煙室扉や炭水車の動力開閉は作動不良続出、足回り点検中に跳ね上げてた側面覆が落ちて頭を直撃とか)
整備しやすい流線型にするなら満鉄パシハみたく最低限の部分だけ覆う形状にしないと厳しいかと。 マラード号みたいなやつなら憧れたけどなぁ。
C55やEF55みたいなやつはちょっと格好悪いような。
それならむしろ普通のC55だとかEF53の方が格好いい。
一連の流線型で格好いいのはモハ52だけ、異論は認める。 >>81
>>普通のC55だとかEF53の方が格好いい。
全く同感。流線C55はともかくC53の流線型はキモイ。
確かに1930年代の流線型では電車の52系が一番かも。
私鉄の流線型、例えば名鉄の3400系なども悪くない。
>>81
EF55は妙に和む形状なのでその辺は良いかと
モハ52は2次車登場時の塗装が最もスマートかな。 C55流線型でイメージ検索したけど実物の画像ほとんどなし。
模型ばっかり。
唯一あったのは廃車寸前のもの。 華やかさは戦後に譲るとして、国鉄が一番夢
を追っていたのは、C55が作られた1935年頃
からWWUにかけてだと思う
たかだか100km/hの速度で流線形に入れ込ん
でみたり(現場の迷惑もかえり見ず)
他にも電気式流線形DCのキハ43000とか、EC・PC
のノーシルノーヘッダーや張り上げ屋根とか・・・
ありゃ鉄道模型趣味としか思えない……それも実物でw
個人的には、オール張り上げ屋根のオハ35系を
牽くC55が最高にカッコイイと思う
電車では合の子半流43系、電機では鋳綱台車
+丸ボディーのEF10ってとこかな >個人的には、オール張り上げ屋根のオハ35系を
>牽くC55が最高にカッコ イイと思う
↑
通常型ね いささかスレ違いだが、
流線型が有効なのは、新幹線電車になってようやくというところではないか。
85氏がいうように、たかだか100km/hでは高いコストかけて作る意味がないかと。
しかも検修する側は大変なのだし。
結局、一部設計側の自己満足だったか。 お〜い…>>89
||| |||
||____ ガン!
||\__/=☆
||(>ω<)
|⊂ ノ
…おいらのC55のイメージは、門デフ+茶色い旧客だなぁ。
たまに短い貨物を牽く姿も良かった。
手宮の50号機でも動態復活しねえかなあ
で、宗谷本線でSL利尻号とか運転すんの >>1 揚げ足を取るつもりはないけれど
EL・DL・EC・DCの場合は『出発進行!』だが
蒸機の場合は『ハッシャー!』じやかった?
二人で連呼→機関士が逆転機を前進フルまで
ねじ込んでブレーキ緩解、加減弁開ける。
蒸機の発車は格好良かった。 コクテツではどの車種にも「発車」って用語はあったのでは。
出発進行ってのは、出発信号機が進行現示であることを認めて
喚呼する用語だろうから、起動を開始して出発時刻を採る「発車」
とは別ではないかと。
バイパス弁、閉じ!
リバー40!
閉めるっ!
(も、なんか違うような気がするが…) >>94
どこかの駅で、下り副本線から貨物列車の発車。
駅長「下り一番線、出発進行!○○○列車、発車!」
駅長(助役)が片手を上げる。
機関士「下り一番、出発進行、発車!」
復唱し、汽笛を鳴らして列車が起動。
駅長、最後部が出発信号機を超えるまで監視する。
車掌が窓から顔を出して駅長と敬礼。
駅長、列車が出て行った線路を指差確認してから引き上げる。
蒸気だか電機だか忘れたが、こんな感じだったよ。
なんだかカッコイイと思った。
本屋で「蒸気機関車のメカニズム」だったかな?
を立読みしたら、C55(多分C57ー1・2も)
だけは実効開口面積が広い、高品位なバイパス
バルブが使われていたそうだ。
実際の所、絶気時にどれ程の効果が有ったのか
は不明だが、何故か嬉しい。 なんつたってシゴゴだね♪
C55好きは審美的人種と思われます。
是非とも聴いてみて下さい。
フランスの蒸機大好きな鉄チャンで、現代音楽家
でもある[アンテュール・オネゲル]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:CHF20_8_front.jpg
がフランス国鉄の特急用蒸機231型を題材
として1923年に作曲した交響詩
「交響的断章(運動)第1番【パシフィック231】」
疾走する蒸気機関車を活き活きと描写した名
曲です。 みんな明けましておめでとう
汽笛・ブラスト・凝水の排出・シンダの匂い・ダイナ
モのヒョーという音・時折思い出した様にシコーンと
動く給水ポンプ・チュルチュル吹き出す泥溜めのドレ
ィン・加減リンク内をスルリと下がるラジアスロッド
・キャブ窓に肘を掛け加減弁を引く機関士・空転で咳
き込むブラスト・蒸気圧十分でステップに立ち腰を伸
ばす助士・・・・・、色んな風景が何時も記憶の中に
よみがえる。
蒸気機関車と同じ時代を過ごせて本当に良かったよ。 21番
C5551〜54のテンダーは、D51用に振り替えたが、
それは、戦後大分地区で実施したが
戦前にも静岡でC51、C53でも実施した因みに振り替え相手はD50であった。
C55では、
C5551→D519
C5552→D5112
C5553→D5123
C5554→D5193
であった。
北海道に比べ、九州の方がテンダーを出鱈目に改造している。
大分地区のC55・D51の他
鹿児島地区の8620・C50が入れ替え作業の利便上C56風になっている。
門鉄デフでも大分地区では、似合う蒸機と似合わない蒸機があった。
すなわち、C55とD51でした。
給水暖め器がデッキにあるカマは門デフが似合うね。
C55 C57 D50 D60 大昔、雪の塩狩峠でC55を待っていたとき、あんまり寒いんで
三脚の列を敷いた撮鉄(という言葉は当時なかったが)十数人で、
列車が来るまで雪合戦しようじゃないかということになった。
俺は小学生で最年少。
こっちチームは相手に押されて後退を続け、がけみたいなところに落とされてしまった。
やがて汽笛の音。雪の中を必死で這い上がったのだが、すでに列車は去った後。
何しにここまで来たんだと、敗者チームの大学生のお兄さんなんかは陽気に笑っていて、
こっちも半べそで笑うしかなかった。いい思い出です。 たかが雪合戦で崖に落とすなんて、随分と酷いことをするもんだ。
しかも小学生で峠まで繰り出して、写真のひとつも撮れないなんてあんまりだ(´;ω;`)ブワッ 煙室上に給水温め器が在ると、門鉄デフのスマートさ
が裏目に出て逆に暑苦しくなった。
門鉄デフが似合う蒸機としては9600も中々だった
…っと言うか、C55とは対局的だが9600も同じ
位好きだった。
膨張室を通さないダダダダダダという歯切れ良いブラ
ストと1250φの動輪をグルグル回しながらの激走ぶりは
急行用蒸機とは別物の泥臭い味わいがあった。
撮り鉄の話題が出たので40年前の思い出、高校生だっ
た俺は暇さえ有れば、親父
のキャノネットを借りて佐倉区・八高線・御殿場線を徘徊し
ていたのだが如何せん、レンズが≒50mm固定だったの
で蒸機の迫力ある写真がどうしても撮れなかった。
そこで晩春のある日、御殿場線の谷峨駅上りにある第
3?酒匂川鉄橋のランボード上に三脚を構えてD52
牽引下り普レを待つという暴挙に出た。
やがてレールに何かの響きが伝わり始め、ジョイント
音が聞き取れる様になり、彼方からトンネル進入の汽
笛が聴こえ、ブラストが聴き取れ出したと思ったら、
D52は既に鉄橋へのアプローチに姿を現した。
窓から身を乗り出してこちらを見る機関士、指差し呼
称をして右手を上げる俺、機関士が短声吹鳴、鉄橋は
それ自身があたかも打楽器の様に振動しつつ色んな音
を共鳴、左手と両膝を着き三点支持する俺、D52は
無数の蒸気の排出音とガラガラというメカノイズと共
に荒れ狂う圧倒的な質量と風圧を残して通り過ぎた。
置きピン・ノーファインダで撮った写真は見事にぶれていた。
その後バイトに精を出して、生まれて初めてのカメラ
…ニコマートFTNと80ー200f4.5ズームを買う事になり
今も愛用している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています