【阪急阪神近鉄南海京阪】関西私鉄黄金時代を語る
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1960年から1990年頃までの関西私鉄の輝かしい時代を語ろうではないか 例えば当時の国鉄の看板列車、153系の新快速ですら
全面の行き先表示をデタラメにして走ってたりね。
車内放送も「次、高槻」ブチッ。と切るような車掌が結構いたし。 あー大鉄局の車内放送はそうやったね。天鉄局はもう少しマシやったけど。でも当時の阪急なんか客の身なりで接客態度露骨に違ったけどな。
エラそうな態度の阪急が嫌いというオジサンやオバサン多かったし。 >>63
阪急はマスコミを手なづけるテクニックは今でもあると思う。尼崎事故前から酉は何かにつけて叩かれていたし。
>>68
大鉄局と国鉄本社が無茶苦茶対立していたのは私鉄にやられたい放題なのに何の改善策もやらせなかったことに腹を立てていたことも原因だろう。だから大鉄局関係者は国鉄民営化に賛成していたらしい。
今のアーバンネットワークのやり方は国鉄時代大鉄局がやりたかった施策そのものかと。
競争があまりない環状線に新車が最優先投入されて本線がどうでもいい扱いされていたし。国鉄本社の認識は環状線を大阪版山手線と考えてたらしい。 >>58
一番その221系にやられたのは近鉄自身だと思う。
真っ先に「大和路快速」用に仕立て上げられたからな。 でもまあ、117系を入れてもどうにもならんかったって言うから、
やっぱり凄いことは凄かったんでしょ。
「車両真似ても接客ダメ」みたいなイメージもあったんかもしれんが。 関西圏では1980年頃まではまだ、国鉄は日頃の足という認識はあまり無かったでしょう。
環状線や一部の近郊区間を除いては長距離移動手段として汽車のイメージ。
百貨店や娯楽(野球や遊園地)等で日常生活にガッチリ食い込んでた
トータルサービス業の関西私鉄に太刀打ち出来るはずはないよね。
やっぱターニングポイントは新快速の外線走行だよな。
さらに私鉄が通勤定期を値上げし続けたのに対して、JRは通勤定期の額を据え置いてきたので価格競争力がついてきた。
あ、ここはそれ以前のことについて語るスレだったな。 >>42
万系もアルミ
5000以降でゎ2630がスチール 117系導入と共に新快速の終日運転化と昼特の導入をしていたら結構善戦出来たと思うが。
阪急京阪の特急と比べるから見劣りするだけで117系そのものは良い車両だったしね。 近鉄…ラビットカー
京阪…スーパーカー
南海…ズームカー
阪急…オートカー
阪神…ジェットカー
まさに黄金時代。 各社意欲的な名前は付けたが、長年本来の性能を発揮したのは南海阪神位かな。 71
そうか、大鉄、天鉄も関西地区用として予算なのに首都圏に入れ玉突きでお古が入ったもんなぁ。
ATC化の関係もあったろうが。
古くは阪和線の社型置き換えや、東海道、山陽緩行線の51型の地方転出の補充にしても首都圏の40、72型だもん。
103系や113系も新車は少ないし。
まぁクモハ31やクハ58改造のクハ79が横浜線や総武線に入ったがすぐ関西に戻ったな。クハ55が青梅線に残ったが。
純粋に関西生まれは首都圏に入るのは少なかったな。 阪神の7601とかの力行専用チョッパ車に狙って乗った。
低周波起動のあと、ビー!という大きなノイズが。
登場は営団6000より少し早かったはず。 緑の濃淡の京阪電車やオレンジと赤の京阪特急を懐かしく思う時代が来るのかな。
緑色の南海電車が懐かしいね。あと阪急はマルーン色を変えないで欲しい。 もし阪急がマルーンを廃止するなら、
次の新型車から無塗装かつラインカラー
やラッピングは一切無しで、先頭部は
銀と黒以外の色は施さないといった
筋のあることをして欲しい。
新型車で蛍光灯カバー廃止する際に、
間接照明を施したみたいに。
阪急といえば業務用の電車ワク広告が懐かしい
向きも多いのでは。 >>89
電車は業務用で使ってた感があるけど、百貨店の新聞広告でも使ってたもんな。
パンタ部にはタスキがけの表現まであるという芸の細かい枠だった。 ついに1900系が引退!!
http://www.keihan.co.jp/news/data_h20/2008-09-25-01.pdf
大伴英嗣氏か?俺も好きだったから復活して欲しいな。
http://officeban.jp/ootomo.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E8%8B%B1%E5%97%A3
平成に入ったころは、京都方の夕方ピーク時下りは20本あった。
車両数で言うと120両強の輸送量。それが新ダイヤでは90両ほどの輸送量か。
時代は変わったね。京都での通勤・通学先が京阪線から離れ、そういった
通勤・通学する人の住む場所も京阪線から離れたからか。
ちなみにS47年頃の停車駅
特急 北浜、天満橋、京橋、七条、四条
急行 北浜、天満橋、京橋、★寝屋川市、香里園、★枚方公園、枚方市、樟葉、
八幡町、中書島、丹波橋、伏見稲荷、七条、四条
準急 北浜、天満橋、京橋、寝屋川市〜三条間各駅
区急 北浜、天満橋、京橋、守口市〜樟葉間各駅
★は朝夕ラッシュ通過
京阪の駅名では、「市」のつく駅名と、「枚方公園」・「伏見稲荷」・「鳥羽街道」・
「出町柳」・「河内森」などは名字にならないが、その他の大概の駅名は名字になるね。
急行が大幅に削減されるのが気になるな。
ただ、京阪は他の関西私鉄に比べて工夫が足りないと思いますね。
しょっちゅう時刻改正があったり、欠陥だらけの車両があったり。
昔(学生・院生時代)は私も京都市民でした。
京都を離れて年月がたつので、京橋駅・淀屋橋駅・枚方市駅で感じた感想をそのまま書いたわけです。
終電のダイヤ眺めてるんだけど、京都方特急停車駅→寝屋川の終電が大幅繰り下げになった、よな?
祇園四条だと、今まで寝屋川行は23:50・樟葉行は0:06・最終of最終が淀行0:25。
改正で寝屋川行が23:50・枚方行(樟葉で寝屋川行接続により寝屋川最終)0:02・樟葉行が0:05・淀行0:25。
あと京橋発の淀以東最終の23:46発が特急に変わったけど、アウシュビッツ的混雑が若干解消されるのかな。
確かに、終電近くの改善はすごい。
うちは伏見桃山、現状では淀屋橋22:40発と23:00発のK特急、中書島での普通接続がなく、
丹波橋で折り返すか歩いていたが、今回の改正で中書島で準急接続するようになった。
現状の淀行き(淀ヤ22:53)・枚方市行きの準急(23:13)を出町まで伸ばしてくれたみたい。
また、23:40が特急になることで、大阪方面から最終の到着が5分ほど早くなった。
あと、出町柳から大阪方面最終急行が「枚方公園・守口市停車」なので、
守口市から大阪方面終電も遅くなってる。
守口市は、朝ラッシュ上りの守口市停車、昼間時間帯京都方面に直接
行ける優等の登場もあって、ダイヤ改正が大幅にプラスになりそう。 >>89
で、上の真ん中へんに阪急の社章があって、左側に「電車は阪急」右側に「○○も阪急(○○の中は出してる所や内容によって違う)」って書いてたな。よくテレビ欄の下に広告出てた。いつからか消えてしまったなぁ。 >>91
3000もとい8030はまだまだいけるようで何より 南海と阪和、昭和50年代の記憶だけを切り取ってみると・・、
南海って在阪5大手でも地味な存在だったな。他社が殆ど都市間連絡の
性格を持ってたけど、南海は片方は中都市の和歌山(地元)。
データイムの和歌山始発の各種別本数は特急が毎時一本、急行と普通がともに30分毎。
のんびりとした光景だった(今もたいして変わらんがw)。
阪和もあまり変わらず、快速(新快速)と区間快速が各々30分毎だったな。
まだ阪和のほうは紀勢線がその先続いているので多少活発なイメージはこっちにあった。
車両といえば南海の1001系がやっぱ筆頭だったけど、4編成の運用じゃ頻発性も望めなかったね。
乗り心地や車内アコモは通勤車に限ればこれも南海。しかしクロス車に乗れる
割合は阪和だったから、まあ少なくともこの時代の両社ってそれほど差はなかったね・・w
近鉄の2200系にもっと乗ってみたかったな。
記憶がほとんどない子供時代に1度だけ。
2250系は結構乗ったけど、やはり元祖がいいなあ。 近鉄2200系の詳しい資料本てあまり無いんだよね。
参宮特急史は資料的なものは少ないし。 >>97
いや、それなら参宮特急史の方がはるかに詳しいよ。
>>97
あれは細かなスペックはほとんど書かれておらずあっさりで、外観の写真しかないから、全般にはいまいち。
デトニの戦前撮影のアンチクライマーつき片眼の妻な姿をクリアな写真で見られるのは素晴らしいことだが。 なら、いっそのこと京阪2200系にでも鞍替え(ry 京阪2200も車歴的には似たようなものになってきたけどなw >>68
>>今振り返ると、私鉄王国と言われていたのは国鉄のダイヤなどの施策が悪すぎて
>>相対的に私鉄が良く見えただけで、やっている事は阪急京阪のロマンスシートは
>>例外としても、極々当たり前のサービスなんだよな。
>>74
>>関西圏では1980年頃まではまだ、国鉄は日頃の足という認識はあまり無かったでしょう。
>>環状線や一部の近郊区間を除いては長距離移動手段として汽車のイメージ。
>>百貨店や娯楽(野球や遊園地)等で日常生活にガッチリ食い込んでた
>>トータルサービス業の関西私鉄に太刀打ち出来るはずはないよね。
結局、関西の私鉄王国というのは都市間輸送における他線区との競争とかサービス云々の問題とかではなくて
在阪の五私鉄が都市開発や地域文化の牽引役になっていたということなんだよな。
しかしまあ117系でどうにもならんかったってだけで十分すげえだろ関西私鉄 ロマンスシートの何がいいのか俺にはさっぱり分からん。
南海から旧1000系が撤退してくれて清々したよ
これからは首都圏の設計を採り入れた8000系の時代だろ。 >>103
関西私鉄は極力自社線内で乗客の移動を完結させたかったんだよね。
だからターミナルは立派にしても、他社線への相互乗り入れには消極的だったのだろう。
>>105
本来高速移動車両は前向きに座る事が理想だと思う。
>>106
てゆうか、阪急が最初にそれをやったので、
他社が真似したんではないかな。 関西の鉄道の面白い横並び
前パン
デジタルインパネ
コンパウンドカテナリー
etc… 「もと600V」 (新京阪・阪和・大鉄を除く)
「U型自在弁」(一部のみ) あと、
下枠交差パンタ
正面中央に貫通扉
も追加。 >>111
待った!
正面中央以外のどこに「貫通扉」をつけるんだよw
非常口じゃあるまいし。 ガキの頃、前面非対称のデザインの非常口つきの電車(例:大阪市10系)を見て、
幌をどうやってつけるんだろう、と仲間に聞いては笑われたのを思い出した。 営団の6000系の貫通路は、
下が蝶番になっているんだっけな。
編成同士の連結は無理だねw >>114
そうみたい。 単に非常口で、「繋ぐ」機能無し。
それでも昔営団7000の5+5を見た時にはワロタ 幌と渡り板だけど、近鉄の場合、中川短絡線を1回だけ通って
方向が逆になってしまったら、うまく連結できなくなるんでは?
と子供のころ勝手な心配をしていた。 >>116
あながち勝手でもないかと。
物理的に連結はできるだろけど、電気の引き通しの問題があるし。 近鉄奈良線から一般車が近鉄名古屋線に転属すると、方向が逆になるんだってね。
中川の三角線で向きを変えるそうな。 >>111
先頭がMcというのも、関西の象徴と言ってもよくない?
あとこれぞ関西という特徴はなんと言っても「標準軌」だろう。
南海とか南大阪線とかあるし、標準軌はこれぞって感じもしない。
それよりもあれだな、蛍光灯カバーと標識灯。 国鉄JR以外の関西鉄道事業者に存在した楕円形の優先座席シール >>126
近鉄と函館市交通局では今でも普通に付いてる。
近鉄はシリーズ21で新しい優先座席のシールを作ったものの、窓に張ると見えにくくて結局元に戻した。 近鉄、南海、阪急にとって20年前の1988年の『10月19日』って日は運命の一日やったな… 昭和50年代の日本シリーズ3連覇は凄かった。
阪急の黄金時代を知っているので阪神は応援できない
阪急の後は近鉄がパリーグ2連覇
昭和の最後の時代に南海にはリーグ優勝を果たして貰いたかった。
今では近畿地方のパリーグはオリックス1球団だけになってしまった。
月に1度は京セラドーム大阪に足を運ぶよ。
オリックスと阪神が日本シリーズで対戦していたら全試合京セラドーム大阪で開催されたんだよな。
昭和56年(1981年)の日本シリーズの巨人VS日本ハム以来27年ぶりの大記録だったのに。 >>131
浜寺水練学校に冷房車で通えたわが父は戦前派。 あの名車、小田急初代SE車(3000形)の台車には"KINKI"と刻印されていた。
そう、近畿車輌、つまり近鉄グループだ。
同じ時期にビスタカーを開発し、さらに近鉄11000系は小田急同様に
連接式にしていたね。ある意味凄い。まさに黄金時代だね。
阪急2800とその後継車6300が最も輝いてた時代だな・・・。2800の前面パンタ+2枚看板には
今の特急にはないカリスマ性を感じたものだなぁ。それにダイヤとかでも国鉄に完全に喧嘩売
ってたし。熱い時代だったよ。 >>134
ビスタカーは10000、10100系。ともに連接式だけど。 >>135
当時の在阪私鉄は国鉄なんか眼中に無かったよ。運賃が安くても国鉄で京阪間を移動するなんて発想は無かった。阪急が意識したのはむしろ京阪。 阪急がJRを意識するようになったのは223系投入後から。
新快速・快速が221系に置き換えられた時点で阪急の完敗でしょ!
昔は阪急神戸・京都線は昼間でも結構混雑して
いたのに今じゃ昼間の新快速なんか朝ラッシュ時
の阪急並みに混んでいるからなぁ…
阪急がJRに完敗したのは震災以降。
運賃格差の縮小やJRのスピードアップ・増発・新車投入などによりそれ以前から
利用者がJRにシフトする動きが見られたものの、阪神間に住んでいる人達にとって
阪急のブランド力は絶対的なものであった。(でも金持ちは電車なんか使わない)
また阪神間の住民がお上嫌いというのも大きかったと思う。
(私立志向・タイガース・震災時の自衛隊出動の遅れ・朝日新聞購読者の多さ)
しかし震災以降、JRの復旧が私鉄の復旧より早かったことにより、多くの人たちが
JRの便利さに気付いてしまい、阪急の顧客から離れていった。
もともと阪急(他の関西民鉄も含めて)は都市間輸送とか並行路線との競争とかではなく
沿線に住むことに価値観を置いていたので、震災復旧の遅れはかなりの致命傷になった。
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112安打 8本 59打点
阪急がJRに完敗したのは震災以降。
運賃格差の縮小やJRのスピードアップ・増発・新車投入などによりそれ以前から
利用者がJRにシフトする動きが見られたものの、阪神間に住んでいる人達にとって
阪急のブランド力は絶対的なものであった。(でも金持ちは電車なんか使わない)
また阪神間の住民がお上嫌いというのも大きかったと思う。
(私立志向・タイガース・震災時の自衛隊出動の遅れ・朝日新聞購読者の多さ)
しかし震災以降、JRの復旧が私鉄の復旧より早かったことにより、多くの人たちが
JRの便利さに気付いてしまい、阪急の顧客から離れていった。
もともと阪急(他の関西民鉄も含めて)は都市間輸送とか並行路線との競争とかではなく
沿線に住むことに価値観を置いていたので、震災復旧の遅れはかなりの致命傷になった。
京都線に限って言えばJRに完敗したと世間に印象付けたのは、特急の20分ごとに減便したときでしょ。 そして急行が毎時5本というトンチンカンなダイヤになり、ついに阪急も音を上げて特急が高槻市停車に。
さらに阪急の迷走は続き、快速という名の実質準急を新たに設定する始末。
そしてとうとう、特急の停車駅が急行並みに(しかも大宮通過)、急行が快速状態に。
その間、JRは快速の高槻終日停車を実施。
とどめを刺すようにそれまで高槻発着だった緩行線の電車を京都発着にして京阪間のローカル輸送まで阪急から奪いに行った。 JRの新駅設置は阪急から客を奪う効果があるが、
阪急の新駅設置は??? >>144
>そして急行が毎時5本というトンチンカンなダイヤになり、ついに阪急も音を上げて特急が高槻市停車に。
前回までのダイヤでは京都線急行は6本/時でした。
>さらに阪急の迷走は続き、快速という名の実質準急を新たに設定する始末。
(前ダイヤまでの)準急と快速は停車駅が違うと思いますが・・。
>そしてとうとう、特急の停車駅が急行並みに(しかも大宮通過)、急行が快速状態に。
これはそのとおりですね。
>その間、JRは快速の高槻終日停車を実施。
新快速では?
>とどめを刺すようにそれまで高槻発着だった緩行線の電車を京都発着にして京阪間のローカル輸送まで阪急から奪いに行った。
公式には京都駅ビル開業にともなう送客目的だったと思います。また、C電の延長は時間当たり半分ですよ。残り半分は高槻止めです。
後、多分反論があるとは思うけど、C電は駅数を考えると「阪急のローカル輸送」を奪う存在では別にない
(あえて言うなら阪急の旧急行に相当するかな、と思います。)
212 :名無しでGO! [sage] :2008/10/29(水) 21:08:07 ID:EtDPYFkz0
個性派の関西私鉄・・・といわれるほど、関西大手民鉄はブームに流される事なく昔から特徴的な顔の車両が多いです。
しかもそれは従来からのデザインやカラーを崩す事なく伝統や個性を守り続けています。そんな考え方はベンツやBM
Wなど、まるで欧米のクルマメーカーのようです。そんな中でも従来の概念を捨て、ステンレス車も導入している南海
電鉄のみが関西大手民鉄の中では唯一関東的な考え方でしょう。
関西大手私鉄の車両の大きな特徴は、
@ヘッドライトが運転窓上部にある。
Aテールライトとフォグランプ(急行灯・通過灯)を運転窓下に設ける。
B前面貫通スタイル。
Cアルミ・ステンレス車体でも無塗装ボディーはやらない。
(大震災復旧用に製造された阪神9000系は例外)
とういう以上の4つの点。これらの概念は関西私鉄以外ではあまりないです。
なお関東では、京急600形以降の車両がこれに当てはまり、これらの条件を満たす「関西スタイル」です。
またBまでならば京成新3000形、北総7000形などが当てはまります。
不思議なことに、京急・京成・北総は関西私鉄に多い標準軌(1435cm)。逆に関西で唯一関東的なデザイ
ンの南海は、関東私鉄に多くJRと同じ狭軌(1067cm)なのです >>148
先頭車がMcが多いのが関西、Tcが多いのが関東というのもあるね。
関西私鉄のMc好きは発祥が路面電車だったのも関係ありそう。
他にはパンタが先頭車にある場合運転台上、つまり前パンが多いのが関西。 >>148
テールが運転窓下ってのは6000以前の阪急には当てはまらないし、ヘッドライトに至っては阪急は2000以来真ん中にあるし、
各社とも自社のスタイルを貫いているのは確かだけど関西共通の特徴で括るのは難しいかと。
まぁ、アルミ車体に色を塗るってのは関西系の特徴かなぁ。 共通の特徴を挙げるならロングシートの袖に立客用の握り棒が無かったことかな。 阪急神宝系の戦前各車や、近鉄2200のアンチクライマーなんかは一種風格があってよろしかったが 南海は知らないが、他はベルがついている。
近鉄・京阪の「チンチン」、阪急・阪神などの「ジリリ〜ン」など。 >>156>>157
なぜ、関西の私鉄はベル合図で関東の私鉄や
JRはブザー合図にしているのかな?
名鉄は今までベルで最近の新車はブザーを導入
しているね〜
あと、西鉄はどっちかな?
>>158
阪神や京阪、阪急なんてのは元が路面電車だから。
あのチンチン♪がルーツ。 関東鉄道の小田急からの転入車「キクハ1」は、合図がベル(ジリリリリリーン)だったなぁ。
>>161
ATS警報がルーツ??
昔乗ってた京阪では、ボタン1押しに対しベルも1打チン♪と。
関東鉄道キクハはボタンを押す時間だけジリリリリ・・・・鳴り続けるタイプ。
東京モノレールが以前車掌も乗務していた時には、
ウテシが停車(静止)させると車掌に合図ブザーを「ププ」と2押し。
車掌が客扉閉め終えて確認終えると「プー」と1押し合図。
同じベルでも、ブザー的な鳴り方するのと、ゴング的な鳴り方するのとあるよな。
で、関西私鉄はゴング的な鳴り方するのが多い、と。
車掌が紐で駆動してた頃からの伝統やね。 ゴング的=チン・チン
近鉄・京阪・名鉄
ベル=ジリーン
阪急・阪神・山陽・神鉄・南海
じゃなかった?
とすると関西はゴング的なのが多いとはいえない。 >>159
の割には関東の軌道上がり(京急・京成・京王)もブザーになってるね。
いつブザー化したのかな。 十数年ぶりに八木短絡線を通過したが木製架線柱が残ってた。
関西大手私鉄といえば鉄製架線柱が特徴ですが、
昔は阪和や近鉄大阪線も大阪圏を離れると木柱だらけでした。 市街地内とトンネル前後とか橋梁は鉄で後は木にして経費を削減すると言うパターンが多かったみたいですね。
京阪神の都市間電車は鉄なのは当然としても、大鉄が全線鉄と言うのは正直凄いと思う。 鉄の架線柱と言えば、天高くそびえる鳥居型の架線柱も特徴的。き電線などが最上部を通っているが、あれの保守点検なんか大変なんだろうなと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています