【阪急阪神近鉄南海京阪】関西私鉄黄金時代を語る
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1960年から1990年頃までの関西私鉄の輝かしい時代を語ろうではないか >>103
関西私鉄は極力自社線内で乗客の移動を完結させたかったんだよね。
だからターミナルは立派にしても、他社線への相互乗り入れには消極的だったのだろう。
>>105
本来高速移動車両は前向きに座る事が理想だと思う。
>>106
てゆうか、阪急が最初にそれをやったので、
他社が真似したんではないかな。 関西の鉄道の面白い横並び
前パン
デジタルインパネ
コンパウンドカテナリー
etc… 「もと600V」 (新京阪・阪和・大鉄を除く)
「U型自在弁」(一部のみ) あと、
下枠交差パンタ
正面中央に貫通扉
も追加。 >>111
待った!
正面中央以外のどこに「貫通扉」をつけるんだよw
非常口じゃあるまいし。 ガキの頃、前面非対称のデザインの非常口つきの電車(例:大阪市10系)を見て、
幌をどうやってつけるんだろう、と仲間に聞いては笑われたのを思い出した。 営団の6000系の貫通路は、
下が蝶番になっているんだっけな。
編成同士の連結は無理だねw >>114
そうみたい。 単に非常口で、「繋ぐ」機能無し。
それでも昔営団7000の5+5を見た時にはワロタ 幌と渡り板だけど、近鉄の場合、中川短絡線を1回だけ通って
方向が逆になってしまったら、うまく連結できなくなるんでは?
と子供のころ勝手な心配をしていた。 >>116
あながち勝手でもないかと。
物理的に連結はできるだろけど、電気の引き通しの問題があるし。 近鉄奈良線から一般車が近鉄名古屋線に転属すると、方向が逆になるんだってね。
中川の三角線で向きを変えるそうな。 >>111
先頭がMcというのも、関西の象徴と言ってもよくない?
あとこれぞ関西という特徴はなんと言っても「標準軌」だろう。
南海とか南大阪線とかあるし、標準軌はこれぞって感じもしない。
それよりもあれだな、蛍光灯カバーと標識灯。 国鉄JR以外の関西鉄道事業者に存在した楕円形の優先座席シール >>126
近鉄と函館市交通局では今でも普通に付いてる。
近鉄はシリーズ21で新しい優先座席のシールを作ったものの、窓に張ると見えにくくて結局元に戻した。 近鉄、南海、阪急にとって20年前の1988年の『10月19日』って日は運命の一日やったな… 昭和50年代の日本シリーズ3連覇は凄かった。
阪急の黄金時代を知っているので阪神は応援できない
阪急の後は近鉄がパリーグ2連覇
昭和の最後の時代に南海にはリーグ優勝を果たして貰いたかった。
今では近畿地方のパリーグはオリックス1球団だけになってしまった。
月に1度は京セラドーム大阪に足を運ぶよ。
オリックスと阪神が日本シリーズで対戦していたら全試合京セラドーム大阪で開催されたんだよな。
昭和56年(1981年)の日本シリーズの巨人VS日本ハム以来27年ぶりの大記録だったのに。 >>131
浜寺水練学校に冷房車で通えたわが父は戦前派。 あの名車、小田急初代SE車(3000形)の台車には"KINKI"と刻印されていた。
そう、近畿車輌、つまり近鉄グループだ。
同じ時期にビスタカーを開発し、さらに近鉄11000系は小田急同様に
連接式にしていたね。ある意味凄い。まさに黄金時代だね。
阪急2800とその後継車6300が最も輝いてた時代だな・・・。2800の前面パンタ+2枚看板には
今の特急にはないカリスマ性を感じたものだなぁ。それにダイヤとかでも国鉄に完全に喧嘩売
ってたし。熱い時代だったよ。 >>134
ビスタカーは10000、10100系。ともに連接式だけど。 >>135
当時の在阪私鉄は国鉄なんか眼中に無かったよ。運賃が安くても国鉄で京阪間を移動するなんて発想は無かった。阪急が意識したのはむしろ京阪。 阪急がJRを意識するようになったのは223系投入後から。
新快速・快速が221系に置き換えられた時点で阪急の完敗でしょ!
昔は阪急神戸・京都線は昼間でも結構混雑して
いたのに今じゃ昼間の新快速なんか朝ラッシュ時
の阪急並みに混んでいるからなぁ…
阪急がJRに完敗したのは震災以降。
運賃格差の縮小やJRのスピードアップ・増発・新車投入などによりそれ以前から
利用者がJRにシフトする動きが見られたものの、阪神間に住んでいる人達にとって
阪急のブランド力は絶対的なものであった。(でも金持ちは電車なんか使わない)
また阪神間の住民がお上嫌いというのも大きかったと思う。
(私立志向・タイガース・震災時の自衛隊出動の遅れ・朝日新聞購読者の多さ)
しかし震災以降、JRの復旧が私鉄の復旧より早かったことにより、多くの人たちが
JRの便利さに気付いてしまい、阪急の顧客から離れていった。
もともと阪急(他の関西民鉄も含めて)は都市間輸送とか並行路線との競争とかではなく
沿線に住むことに価値観を置いていたので、震災復旧の遅れはかなりの致命傷になった。
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112安打 8本 59打点
阪急がJRに完敗したのは震災以降。
運賃格差の縮小やJRのスピードアップ・増発・新車投入などによりそれ以前から
利用者がJRにシフトする動きが見られたものの、阪神間に住んでいる人達にとって
阪急のブランド力は絶対的なものであった。(でも金持ちは電車なんか使わない)
また阪神間の住民がお上嫌いというのも大きかったと思う。
(私立志向・タイガース・震災時の自衛隊出動の遅れ・朝日新聞購読者の多さ)
しかし震災以降、JRの復旧が私鉄の復旧より早かったことにより、多くの人たちが
JRの便利さに気付いてしまい、阪急の顧客から離れていった。
もともと阪急(他の関西民鉄も含めて)は都市間輸送とか並行路線との競争とかではなく
沿線に住むことに価値観を置いていたので、震災復旧の遅れはかなりの致命傷になった。
京都線に限って言えばJRに完敗したと世間に印象付けたのは、特急の20分ごとに減便したときでしょ。 そして急行が毎時5本というトンチンカンなダイヤになり、ついに阪急も音を上げて特急が高槻市停車に。
さらに阪急の迷走は続き、快速という名の実質準急を新たに設定する始末。
そしてとうとう、特急の停車駅が急行並みに(しかも大宮通過)、急行が快速状態に。
その間、JRは快速の高槻終日停車を実施。
とどめを刺すようにそれまで高槻発着だった緩行線の電車を京都発着にして京阪間のローカル輸送まで阪急から奪いに行った。 JRの新駅設置は阪急から客を奪う効果があるが、
阪急の新駅設置は??? >>144
>そして急行が毎時5本というトンチンカンなダイヤになり、ついに阪急も音を上げて特急が高槻市停車に。
前回までのダイヤでは京都線急行は6本/時でした。
>さらに阪急の迷走は続き、快速という名の実質準急を新たに設定する始末。
(前ダイヤまでの)準急と快速は停車駅が違うと思いますが・・。
>そしてとうとう、特急の停車駅が急行並みに(しかも大宮通過)、急行が快速状態に。
これはそのとおりですね。
>その間、JRは快速の高槻終日停車を実施。
新快速では?
>とどめを刺すようにそれまで高槻発着だった緩行線の電車を京都発着にして京阪間のローカル輸送まで阪急から奪いに行った。
公式には京都駅ビル開業にともなう送客目的だったと思います。また、C電の延長は時間当たり半分ですよ。残り半分は高槻止めです。
後、多分反論があるとは思うけど、C電は駅数を考えると「阪急のローカル輸送」を奪う存在では別にない
(あえて言うなら阪急の旧急行に相当するかな、と思います。)
212 :名無しでGO! [sage] :2008/10/29(水) 21:08:07 ID:EtDPYFkz0
個性派の関西私鉄・・・といわれるほど、関西大手民鉄はブームに流される事なく昔から特徴的な顔の車両が多いです。
しかもそれは従来からのデザインやカラーを崩す事なく伝統や個性を守り続けています。そんな考え方はベンツやBM
Wなど、まるで欧米のクルマメーカーのようです。そんな中でも従来の概念を捨て、ステンレス車も導入している南海
電鉄のみが関西大手民鉄の中では唯一関東的な考え方でしょう。
関西大手私鉄の車両の大きな特徴は、
@ヘッドライトが運転窓上部にある。
Aテールライトとフォグランプ(急行灯・通過灯)を運転窓下に設ける。
B前面貫通スタイル。
Cアルミ・ステンレス車体でも無塗装ボディーはやらない。
(大震災復旧用に製造された阪神9000系は例外)
とういう以上の4つの点。これらの概念は関西私鉄以外ではあまりないです。
なお関東では、京急600形以降の車両がこれに当てはまり、これらの条件を満たす「関西スタイル」です。
またBまでならば京成新3000形、北総7000形などが当てはまります。
不思議なことに、京急・京成・北総は関西私鉄に多い標準軌(1435cm)。逆に関西で唯一関東的なデザイ
ンの南海は、関東私鉄に多くJRと同じ狭軌(1067cm)なのです >>148
先頭車がMcが多いのが関西、Tcが多いのが関東というのもあるね。
関西私鉄のMc好きは発祥が路面電車だったのも関係ありそう。
他にはパンタが先頭車にある場合運転台上、つまり前パンが多いのが関西。 >>148
テールが運転窓下ってのは6000以前の阪急には当てはまらないし、ヘッドライトに至っては阪急は2000以来真ん中にあるし、
各社とも自社のスタイルを貫いているのは確かだけど関西共通の特徴で括るのは難しいかと。
まぁ、アルミ車体に色を塗るってのは関西系の特徴かなぁ。 共通の特徴を挙げるならロングシートの袖に立客用の握り棒が無かったことかな。 阪急神宝系の戦前各車や、近鉄2200のアンチクライマーなんかは一種風格があってよろしかったが 南海は知らないが、他はベルがついている。
近鉄・京阪の「チンチン」、阪急・阪神などの「ジリリ〜ン」など。 >>156>>157
なぜ、関西の私鉄はベル合図で関東の私鉄や
JRはブザー合図にしているのかな?
名鉄は今までベルで最近の新車はブザーを導入
しているね〜
あと、西鉄はどっちかな?
>>158
阪神や京阪、阪急なんてのは元が路面電車だから。
あのチンチン♪がルーツ。 関東鉄道の小田急からの転入車「キクハ1」は、合図がベル(ジリリリリリーン)だったなぁ。
>>161
ATS警報がルーツ??
昔乗ってた京阪では、ボタン1押しに対しベルも1打チン♪と。
関東鉄道キクハはボタンを押す時間だけジリリリリ・・・・鳴り続けるタイプ。
東京モノレールが以前車掌も乗務していた時には、
ウテシが停車(静止)させると車掌に合図ブザーを「ププ」と2押し。
車掌が客扉閉め終えて確認終えると「プー」と1押し合図。
同じベルでも、ブザー的な鳴り方するのと、ゴング的な鳴り方するのとあるよな。
で、関西私鉄はゴング的な鳴り方するのが多い、と。
車掌が紐で駆動してた頃からの伝統やね。 ゴング的=チン・チン
近鉄・京阪・名鉄
ベル=ジリーン
阪急・阪神・山陽・神鉄・南海
じゃなかった?
とすると関西はゴング的なのが多いとはいえない。 >>159
の割には関東の軌道上がり(京急・京成・京王)もブザーになってるね。
いつブザー化したのかな。 十数年ぶりに八木短絡線を通過したが木製架線柱が残ってた。
関西大手私鉄といえば鉄製架線柱が特徴ですが、
昔は阪和や近鉄大阪線も大阪圏を離れると木柱だらけでした。 市街地内とトンネル前後とか橋梁は鉄で後は木にして経費を削減すると言うパターンが多かったみたいですね。
京阪神の都市間電車は鉄なのは当然としても、大鉄が全線鉄と言うのは正直凄いと思う。 鉄の架線柱と言えば、天高くそびえる鳥居型の架線柱も特徴的。き電線などが最上部を通っているが、あれの保守点検なんか大変なんだろうなと思う。 昭和50年代まで阪急の鉄柱は電車と同じ色だった。
富田〜高槻市にはずいぶん遅くまで新京阪の鳶色のも残ってた。
最近建設年の表記がなくなったな。
南大阪線では何年か前に台風でやられましたね(室生寺の五重塔と同じ時)。
揶揄ではなく、物持ちがいいというか、鉄柱は長寿命なのかと。
昔は電鉄っていうと電力事業と関係が深かったりしたけど
戦後も電力会社に鉄柱を賃貸してたりしたことはなかったのかな? 昔の箕面線はレールの鉄柱がいっぱいならんでた。
神戸線の藻川のレールの鉄柱はまだ残ってますか? 阪急京都線、水無瀬川橋梁〜水無瀬駅の間に地上線時代の架線柱が最近まで残ってたなあ。なんかの送電線に使われてたけど、いつの間にか消えて今は土台だけが残っている。 >>165
陸上交通事業統制の時「東京急行」として統一したんじゃないけ?
スレ違いだが、東急では運転席の脇にブザーのパターン表が張ってある。
・・・・・・だと「停止位置を直す」とか
−・・だと何とか(忘れた(^^;)とか。
乗車機会があれば見てみてちょ >>174
>ブザーのパターン表
某気動車天国の私鉄にも貼ってあるし、
国鉄でもダイヤ表サシに付近に貼ってたりする線区もあった模様。
・・−・・ 出発してよいか?
− 出発汁
だったかな? JRの場合
・・ー・・
ブザー試験
ー・・ー
電話機にかかれ
・・ー
停止位置を直す(直せ)
ー
発車させてよい
・・・
機器整備完了
だったと思う。
関西の大手私鉄にはすべてプロ野球球団がありましたね。
現存しているのは阪神だけだけど、時代の流れか。 >>178
大手じゃないんだよきっとw
代わりに山陽を入れてやろう。 関東なんか球団持っているほうが珍しいくらいだから別になんとも思わん。
それよりも私鉄事業の勢いの方が関東>関西で私鉄王国はもはや関東になったのが悲しい。 のちに西武鉄道も東急車両から電車買ったりしたけどな... 西武が阪神からタブチくんを貰ったときには、代わりに電車を譲ってたけれどな。 なぜがんばれタブチ君。
ていうか、そこは捻ってハムだろ? >>185
ハムと金銭トレードってネタもあったよな。
キロ当たり50円とかでw >>188
嫁が機転利かして録画してくれてたよ。
在阪大手5社のおいしいところを凝縮してたね。
阪神梅田の4番線にさりげなく3011形の特急がいたり、
南海ズムーカーの先頭からの映像、いきなり凸電率いるカモレとすれ違ってたり、
近鉄奈良線800特急の鹿マークどアップとか。
HDDからデータを吸いださねば。 >>190
初代、二世ともに映像あり。
但し白黒ですが。 >>189
ニコニコorようつべにうpお願いします。 南海8000系は関西で唯一の神。新旧1000系や21000系は糞。 チョッパの南海8001、2時間待って乗ったものでしたよ。
遠目には6201と同じようなものだからよくわからなくて。 >>195
8001には電気連結器がないんだよね。
大学に行くときによく乗った。 なんでか知らんけど高野線にばっかり新型通勤車が投入されてたんな(昭和50年代)・・。
本線ら7101系の昭44以降、60年の9001系までずーっと無かったもんな。 大山崎付近で新快速をぶち抜いていた阪急。。。。。
七条⇒京橋限定では意外と表定速度が高かった京阪。。。(まあノンストップ
だしw) ここに在阪朝鮮関東私鉄が1社混ざっているようですがどう思いますか?www >>197
その代わりそれ以降は高野線S車の新造はグンと減少した
>>198
新幹線の軌道を使ってた阪急は凄まじい >>200
阪急を走らせることで多少の地盤固めの効果もあったらしい。
阪急も大宮⇒十三なら32分くらいじゃなかった?
そう考えると、29分の新快速との差は。。。。。w
大山崎の交差部って国鉄は80キロ制限じゃん。ここで阪急にぶち抜かれるのは当たり前。 大S字の手前だからね。
そりゃP6も勝てるわな。
阪急の大山崎手前って制限いくつだったっけ? 大山崎の並行区間で追い抜くのはディフォルト。
富田〜高槻市〜上牧の見通しのきくところで
追いつき+追い抜きをするのが良かったんだよ。
>>201
京阪間ノンストップ38分時代は十三〜大宮は29分じゃなかったかな。
梅田〜十三:4分、大宮〜烏丸〜河原町:4分
これを38分−4分−4分−停車ロス1分=29分
十三〜上新庄間の押さえ気味運転を考えると、それ以外の区間では
相当とばしていたはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています