二股ソケットと幸之助 
当時は電力メーターもなく電気料金は各家庭電球一個分の固定料金だった 
使い放題とはいえ当時電球は決して安いものでなく寿命も短かったので必然的に節電し電力会社のビジネスモデルは成立していた。 
そこに金の匂いを嗅ぎつけた幸之助は二股ソケットなる脱法グッズを恥も外聞もなく金の為に売りまくった 
その汚い精神が戦後も受け継がれ先行企業の製品を真似てはダンピングで踏み潰すマネシタ商法と揶揄される外道商売で財をなした