みんないつかは必ず死ぬわけだよな
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そりゃ死ぬだろ。
でも死なない事がいいとは限らん。
それだけ良い思い出も、辛かった想いも抱き続けなきゃならんのだからね。 おはよう。俺も死ぬのこわいわ。
死ぬときのことをリアルに考えてみ
死んだら今の世界に関わりなく、しかも世界は何事もなく永遠に進む
ひとはいつか必ず死ぬ
必ず死ぬ
こわいわ うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
しにたくねえええええええええええええええええええええええ 大丈夫だ
右利きになって右翼になって偉い人の右腕になってその分野で右に出るものがなくなればしなない
うははうは右派右派ははは
All Right まあしゃあないよねー
そりゃ誰だって死にたくはない。まあみんな順番に死んできたんだからしょうがないさ U・ω・U{逆にいつ死んでもいいくらいに開き直れたら、世界が変わる。 死んだらなにも出来なくなるわけよ。
今まで普通にやってた事も。
どんなに楽しい事があっても、「必ず」死ぬ。
しかも誰も助けられない。
眠っている時の意識の無い状態、それが死。
わかるかな? U・ω・U{生きてるから何かしなきゃならないわけで、死んだら何もしなくていいわけだ。生きてたらムカつくであろうことも死んでしまえば蚊帳の外、ストレスとは無縁の世界。
あらゆる行為は自然において義務ではない。労働さえもだ。
欲があるから生きたいと思う、生に未練が残る。一方でその欲は世界にとってどれだけ必要とされてる?
自分のいる世界といない世界何が違うか? 何も違わないのではないか?
そこに思い至ったとき生きる価値、生きる意義とは?
死は別に恐れるべきものではい。 10代、20代くらいの時は死が怖いばかりで
「いつか必ず人は死ぬ」って思っただけでもう暗い気分になったよ
でも、友人や両親、親しかった人と本当に死に別れてみると
ああ、死後の世界はあるのか無いのかわからないけど
もしかしたら、死んだらまたあの人たちに会えるかもしれないと思う。
ちょっと、死の恐怖が薄らいできた。
死後の世界はありません
誰にも会えません
やりたい事も二度と出来ません
ストレスから解き放たれても開放感はありません
自分が死んでも世界はいつも通り続く
あなただけが死ぬ
死後はあなたの全ての無です
死ぬことを怖いと感じることができるほど想像力たくましい人間がもし
永遠に死なないことを想像するともっと怖く感じる
ソースは俺だから異論は認める >>21
死んだ後においても「世界」に在りたいとは思わないねえ
この世の苦しみがなくなら無で十分すぎると思うなあ 死んで無になるのはかまわんが
死ぬ直前の、肉体の痛みや苦しみ、
多分思ってしまうだろう未練や後悔・・・
一時だけだとは思うが怖い 死んだ後になんらかの世界があるのは嫌みたいな?
まあ無いけど 本当にいつか死ぬ事考えたら
精一杯生きようなんて前向きにはならない >>28
逆だ。 いつか死ぬからこそ精一杯生きるんだ 生と死は隔絶された、対比となる世界でなく
生は死を内包している。生きながらにして
ひとは死と隣あっている。
というようなことを村上春樹が書いてて
感動したことあるなー。
あっちとこっちは対岸でなくて、つながっているんだ
と思うと少しだけ怖くなくなった気がする。 いまだかつてこの世に生をうけて死ななかった人がいるか?
知っている偉人達もそうでない人たちもみんな今はいない。
あなたの廻りの人も同じだ。
人間だけではない。すべての生き年生ける者すべてが。
この中で自分だけ死ななかったらそれは化け物であり
他の全ての世の中の生き物とは隔絶した孤独な存在だ。
生きるとは死が受け入れられるほど今を充実させる事だ。
アイルランドの諺にこういうのがある。
凍てついて死に 電線から落ちる雀は 自分を哀れなどとは思っていない
死は自然そのもの
最近普通の状態と抑うつの状態が周期的にくる
もう体がもたない、死にたい
でも鬱病やら精神疾患の人はもっともっと苦しい思いをしてるんだろうな… 人間って死んだらちょっと軽くなるんじゃなかったっけ? 150年もすれば今生きてる全世界の人間はすべて死んでるんだよな 死んだら無になるって良く聞くけど実際は自分で経験しなければわからない。
だから、死んだ時のお楽しみ。
もし、死んだ後に世界があって、そこに死という概念がなければ、
今君たちが悩んでいる自分自身の消失という不安から解消される。
また死という概念がなければ、歴史の偉人達を垣間見れるかもしれない。
また、’’もし’’幽霊というものがあり、
ずっと幽霊でい続ける事ができ
現在俺たちのいるこの世界に留まる事ができるのならば
急速に進んでいるテクノロジーや自分自身の興味を永遠に見続ける事ができる。
輪廻転生というものがあれば、偉人達の生まれ変わりがどのように現在
生あるものとして活動してるかなども見れる!
君達は昔にあった''海の向こうには崖があり、それ以上の世界はない''と
想像している人間達だ。
結局現時点では
''海の向こうには崖があるかもしれないし、それ以上の世界はないかもしれない
が正解なのではないかな??そうであれば、逆もありえる。
''崖の向こうには崖がないかもしれないし、それ以上の世界もあるかもしれない。
生あるものすべてに訪れる死。それは、自分自身が死んだ時にわかる。
だから、精一杯生きるのも、死ぬのも勝手だ。
無になるとすれば、死んだ後には何も思う事も後悔する事もない。
しかし、もし死んだ後に世界が訪れ、、、
自分自身の死の元凶である物、者の背景を見る。
さぁ、どう思うでしょう?? >>38
長文なのに全部読んだけど、「死んだ後の世界ってあるんじゃね、どうよ?」
これで済むじゃん。わざわざ長文にして書く必要性がマジで分からん。 でも一生死ねないっていうのも
いやじゃないか・・・ フレーミングリップスというバンドの名曲にだな、
「きみの知ってる人は皆いつか死ぬ」って一文があるんだ。
はっとさせられたよ。
スレタイ見て思い出したよ いまだかつてこの世に生を受け死ななかった生物はないんだよ。
それが生物なんだから。 クラゲって生殖が特殊なんだっけ?なんかループしてるみたいな
単細胞生物になればいいのか! ベニクラゲは周期的に細胞を若返らせるから寿命はない
食われたら死ぬ
その他のクラゲや単細胞生物は死ぬ 体がうまく動かなくなり
若々しい容姿でもない
思考も著しくにぶってきたある程度の社会は見てきてつもり
男女の関係などほとんどありもしない
ただ寝ては起きてを繰り返す
それでも生き続けたいか?
歳とはゆっくり時間をかけてとるもの
死にたいとは思わないかもしれないがその頃には受け入れる覚悟はできているだろ 保育園生の頃、死が怖くて怖くてたまらなかったな笑
寝る前、泣きながら親に死なないで!とか言ってた気がする。
自分も死にたく無かったし、自分がいないってのが想像出来無かったんだと思う。
あの時から変わった子でした。 左きき板じゃないな。
まぁ、病院で死ぬのはいやだ。
家でゆったり死にたい。
やっぱ理想は老衰で孫に見送られたい。 アフォかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 浦島太郎じゃないけど自分のまわりが全く知らない人だらけになって
それでも生きたいと思えるのかな
本能的には生きたいんだろうけど生きる意味って何なんだろうなって思ってしまう 彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、依拠され、
またそれら隣人の生活様態を自らの諸行動,諸動作の契機として、 あるいはスケジュール表や
時計かのごとくに借用する。
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_1.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_2.png
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106142083
= 付きうごきの3型 =
・通常の場合
・付きうごきに対して注意喚起をうながした後に逆恨みからその行為をより一層徹底、強力化してやり返してくるもの 〔付きかえし〕
・壁越しに注意をうながした時などに他の部屋の別の引きこもり者が自分のことを指摘されたのだと思い込みやり返してくるケース 〔勘違い型付きかえし〕
(パチンコ屋などで「警察だ!」と叫べば身に覚えのある何人かがギョッとして逃げ出そうとすることと同様に)
この付きかえしは引きこもりニーホがその特質「何もすることがない」ということを最大の武器に異様な執着と異常な頻度で
及んで来るものであり、この状態にある引きこもりニーホのことをルーム・パパラッチと称する。
※ニーホ
http://c.2ch.net/test/-.YYI00/homealone/1229184473/254
寝起きする住居であるから被害者はこれを避けることはできず、不愉快と時間、人生の浪費を強いられざるを得ない。
http://www.yamcha.jp/fnd/dsc/info.html
そこがSOHOなどの仕事場も兼ねる場所であるなら事態は絶望的である。
一般に管理会社、仲介業者などはこのことに無関心、無責任であり
日本人の標準的な暮らし振りとは自分たちの日常に起こっている出来事の半分のことにも盲目である。
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