なんだかんだ言ってもめくらたちは自分に気に入らないと他人の言動にたいして晴眼者より遥かに巧みに他人を誹謗する表現が強く上手だな。
だからちょいと自分が強い立場にいるとそれにしがみつくがごとくにあれこれ言うのだな。
その事がマスコミからのインタビューや大勢の人の前では「障碍者で良かった」と言えば、しっかりした考えで悟ったようにちやほやされていい気分になるのだな。
以前、俺が聞いたのだが、学生の前で公演した女が公演の後の学生からの質問で「生まれ変わっても視覚障害者でも良いと思うか」と言うしつもんにちょいと困ったとか。
そして答えたのが「自分は、やはり生まれ変わっても視覚障害者で良いと思う」なんてね。
聞いた人は驚き「この人はすごい」と思ったらしいのだけどな。
本人が真実そのように思うなら何とも言えないとは言うもののなあ、どんな人でも障碍者で良いと真実思える事は無いと言うのが誰も思う事だよな。
障碍者で無い者の愚痴みたいなのはあれこれ言ってもそれなりに自由に動ける環境と、誰もが認める立場なのだものな。
最も悪いのは障碍者で無い人が、視覚障害者に向けて「貴方方は眼が見え無くて幸せですよ、世の中の汚い物を見なくて良いのだから」なあんてね。
こんな時、俺は「何を言うか、世の中の、最も汚いものを感じさせられるのは視覚障害者だよ」なんて思うのだな。
そこでわざと「それはおかしいよ」と言うと全ての人が「ごみなどのきたない物を見なくて良い」と言うのです。
なあんてね、だったら貴方もその眼を見えなくすれば良いではと言ってやり、本当の世の中のきたなさは今の君のように真実で無く自分に良いとも思って無い事を最もらしく言う君のこころだよ、それが本当の世の中のきたなさなのだよ。
なあんて言ってやった事が数回有ったな。