問題のすり替えに過ぎないな。
本人の主観と言っているが
その主観というものの形成過程で
幸不幸の判断が出来ないような奇形の知的障害者に
いったいどうしろというのかという根本的問題があるのだし

多くの場合本人が「僕はダウンに産まれて本当に幸福なんです」などと表現する事はなく
大抵は「うちの子はダウンでも幸せです、そう本人も言っています」と親が主張すのみあるのだが
そのような親の主観をダウンの子の気持ちのようにすり替える事を危惧しているのがわからないのかな?

少なくとも家の兄とその施設にいた6人のダウンに主観的に客観的な幸不幸の判断をする能力はなかったよ。
頭のおかしくなった親が「隆ちゃんは幸せだね〜」って必死に言っていたのは憶えているが

まぁ自分が何なんだかも分からないのはある意味救いだけどな、それを幸せとは言いたくないね。
ダウンにとって何の意味もない詭弁にすぎないからな。