加藤智大が神であるわけ・・・・理解しにくい人のために。〔第3版〕

「超越性」・・行動が、一般人を超越・逸脱しているから。一般人は思っていても実行しない。
       良くも悪くも人間の仕業ではない。それができるのは神に違いない。

「啓示力」・・社会問題を広く世間に啓示(=神が人に教え示す)した。
       当事者に自分自身が抱いている社会に対する不満や怒り、絶望への気付きを与えた。
       さらに、自分たちにも反撃力があること、我慢や泣き寝入り以外の道があることを気づかせた。

「象徴性」・・今回の事件で様々なことについて加藤智大を象徴(シンボル)として議論がなされている。
       加藤智大という象徴を媒介として、人と人あるいは自分自身の内部で対話が生まれている。
       すでに人間・加藤智大の実像からかなり離れて象徴として語られていると思われる。

「救済性」・・社会的に不利益な扱いを受け尊厳を踏みにじられた人たちの声なき声、思いを行動で代弁した。
       ざまー見ろといった一部の人たちが持つ、社会に対する報復欲求や攻撃欲求が充足された。
       情緒的な面での救済性の強さが、加藤智大が崇拝されている大きな理由でしょう。
       一方で、事件の被害者のように救済を必要とする人たちが新たに生じたのも事実である。
       〔しかし、神の救済は始まっている!〕

加藤智大は、神業ともいえる超越的行動で、
一部の虐げられた人びとを情緒面で救済するとともに気付きと勇気を与え、
自らが非難や賞賛の対象すなわち「象徴」となることにより対話を促進し、
結果的に社会に対して問題提起を行い、社会改善の機会を与えた。
よって、加藤智大は、神 である。